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天皇の始まりは何でしょうか?
約紀元前700年に初代:神武天皇が即位しました。

(1)天皇の始まりとは何なんでしょうか?

(2)何故、「神武天皇」が天皇に即位することになったのでしょうか?

(3)何故、そのような巨大な地位、名声、富を得るえることになったのでしょうか?

(4)天皇 以前は日本は誰が権力を持っていたのでしょうか?

宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

(1)


天皇という言葉は7世紀の天武天皇の時代からです。それ以前の天皇は後世の人がさかのぼって天皇とよんでいます。


(2)
天照大神の子孫であるという血筋の良さと、嫁の父親が大物主という大和の有力者だったので、そのうしろだてでの即位だったようです。ちなみに大物主という人物は、大国主の子孫です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9% …


(3)
巨大な地位、名声、富はまだありません。近畿地方の一部分を支配していたにすぎません。全国を支配していたわけではありません。


(4)
各地の豪族です。神武天皇の時代にはまだ全国統一されてはいません。さかのぼる大国主の時代には、いちおう全国統一されていたようですが、天照大神が大国主を暗殺してからは、ばらばらになってしまいました。神武天皇がたおした大和国(このばあいの大和は日本という意味ではなく近畿地方の一部です)の前支配者は長髄彦とい豪族です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%AB%84% …
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この質問はずーっと前から研究されていて、物凄い数の説があって、


しかもまだ結論が出ていないので、すっぱり短い回答は得られないと思います^^;
それにひとくちに「日本人」といっても、国籍、民族、人種、言語・・・
と色々な分け方があり、それぞれが混ざったり分かれたり一部しか被ってなかったりするので、
やっぱり言い切る事は難しいのです。

まず、日本には文字が無く、「天皇の始まり」等は奈良時代に書かれたとされている書物(神話)からしか推測できない、というのが大前提です。
それも、すでに権力者になった者達が自分の都合の良いようにまとめた物語ですから、信憑性にそもそも問題があるわけです。なのに国内には比較する書物がなく、風土や体制の影響もあり考古学的資料が少ないのです。でも、完全に作り話だったらもっと都合よく作るはずだし、周りも認めやしないので、まるっきり嘘ということもないだろう・・・という訳で虚実混じる「神話」を中心に実際の出来事を検証しようとするために、上記のようなたくさんの説が生まれるのです。
実際に今も「天皇」は存在してるために、感情も絡んできますしね。

・・・そんなん百も承知だ、という場合は申し訳ありません^^;
ただ、神話を文学・ストーリーとして捉えてきれいにまとめるという興味の持ち方もあれば、
考古学的、歴史学的な立場で研究する場合も、
教科書的な定説、有力説を知りたいという場合もあると思います。
立ち位置や視点を明確にすると、答えも得やすいと思います。
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当時の権力者が天皇と言う機関を過去から続いているものとして日本書記を作り、それ例外の史書を潰して行ったので、ご質問に「事実」を返す事は不可能です。


従って、Story 的に矛盾の無い History が幾等でも成立する事になり、百済説にもそれなりに事実が散らばって居る気がしますが、以下が My Story です。

元々無人だった日本列島に、Great journy の流れとして南から島伝いに現アイヌ人の元となった種族が北上し、アメリカ大陸に渡って行った後にその一部が定住し、狩猟生活を行なっていました。

朝鮮半島が任那・百済・新羅の三韓時代と言われた初期に、鉄の製造で森林を破壊してしまった新羅の製鉄者の一部が、製鉄に必要な森を目指して山陰地方に渡り、現地人との間に現代では出雲王朝と言われる国家を造り、一方三韓の北の高句麗からは東北地方に交易が持たれた様です。

百済からの渡日はその理由は政治的なものと見られますが、上記新羅勢力の後で農業と騎馬を伴った形で行なわれ、恐らく神話の言う九州に上陸後現地と戦い融合しながら太平洋側を北上し、大和地方で王朝を作りました。
出雲王朝は国譲り神話に象徴される歴史的事実があった中で勢力圏に吸収しましたが、水田農耕の拡大と狩猟生活の共存は可能な為、統一国家としての勢力は近畿以北に関しては当初は曖昧なものであり、征夷大将軍等の遠征で到達した地点までを朝廷側が領土と主張していた訳です。

従って朝廷は百済から渡来した一族を元に形成されましたが、朝鮮側にも領地としている史書は全く無い事から、亡命勢力的なものであったかどうかは別にして、独立していた事は確かな様です。
その後の天皇家支配についても、朝鮮半島で任那・百済が消滅した事態を反映して、百済系の天智天皇から新羅・高句麗系の天武天皇が権力を簒奪した等の仮説が提起されていますが、何らかの変動が在った事は推測されます。

記録が残っている似た事例としては、イギリス王朝がフランスのノルマンジー公の流れから始まり、様々な血が流れ・継がれて行った事があります。
イギリスの国王であるノルマンジー公が、フランス王の継承権を主張してフランス国内を攻め、ジャンヌダルクの活躍でフランスから退出して行った事は、日本書紀にある天皇家の朝鮮征伐を連想させます。

何れにせよ朝鮮半島はその後高句麗・高麗と言うコーカソイド系に征服され、三韓の民族は散り散りになって行ったので、現在の朝鮮民族の主流は日本人より白人に近い特徴を持っている訳です。

地球上を人類がが移動し定着・流動を繰り返す中で、その時点で権力を握った勢力が正史を書いて行きます。

(1)~(3)については何故と言うより、該当する勢力がそう言っているに過ぎないと考えます。
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> (1)天皇の始まりとは何なんでしょうか?


 
 最初の天皇が即位したこと? 神武天皇以前に天皇は無いので、通常は神武天皇を始まりとしています。
 もっとも、天皇という呼称は中国の政治制度が伝わってきた7世紀頃から使われ始めたようで、それ以前は「きみ」とか「おおきみ」と呼ばれていたようですが。
 
 
> (2)何故、「神武天皇」が天皇に即位することになったのでしょうか?
 
 『古事記』や『日本書紀』を読んでください。
 大国主大神から国譲りされた邇邇芸命の子孫が日向で地上を治めていたのですが、東の方に従わない者たちがいたので東征を行ない、大和の橿原の地で明確に地上の支配者として名乗りを上げて大和朝廷を築いたのです。
 
 
> (3)何故、そのような巨大な地位、名声、富を得るえることになったのでしょうか?
 
 以前の実力者であった大国主大神から国を譲られた天津神の子孫であること、東征によって幅広い土地を切り開く実力を見せたことです。
  

> (4)天皇 以前は日本は誰が権力を持っていたのでしょうか? 
 
 各地で豪族たちが乱立していて、その中には王権を確立したとみなされるものもいたようですが、最も有力だったのは出雲を支配していた大国主大神で、その権勢は大国主大神を祀った出雲大社の格式によって伺われます。また、古代の官制である国造が出雲では廃止されること無く続いてきたということも、出雲の特別な地位を示していると見られます。
 
 
(そもそも神武天皇自体の実在性は定かではありませんので、最初に神武天皇ありきで話を始めると記紀の神話からしか持ってこれないので、その点でツッコミは無いようにお願いします)
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当時の天皇とは、そういわず、シャーマンで,祈祷師です。

任那から、船を出して、日本を目指した、
百済、が今の奈良に王朝、を作り今の天皇に至っています。
それまでは、半島に近い九州などには、半島からの豪族が押し寄せていましたので、当時の朝鮮半島は、
日本の大まかな地図ができていましたその結果、日本のへそに当たる、大阪湾、奈良に都を作ったのです。当時は、ネイティブの日本人は、今の沖縄、アイヌの民族でした。
到底武器など、最新兵器の百済の戦いに勝てる事無いです。ですから、屈服して、奴隷扱いになったアイヌは、それを嫌がり北えと逃げて、今の北海道にいます。彼らの以前の綿の服装を見ても北の寒い国に住む
現住人とは考えること自体不自然です。
そこで、奈良で、律令国家を作るにあたり、シャーマン、今の天皇を現人神として、日本の骨格をつくったのです。島根にも、出雲の神様がいます。当時の建物を再現するととてつもない見事なたてものです。
一説には、百済に王妃、と、他の国の皇太子の結婚を許されず、二人と、家来を連れ、出雲についたと
言う説もあります。だから今でも結婚のむすびつきの神とされているようです。
話を戻しますが、当時日本に来た時に大連、物部の二つの勢力があり,大連は、今で言う、外交,物部は、軍部です。
百済は、新羅に滅ぼされ、おまけに日本の百済の勢力は、新羅を嫌い、天皇を作り話にして、アマテラス大見の神が日本の神の始まりと逸話を行っています。
今の伊勢の神宮が、祭られているのも、農業国の、朝鮮にとって、太陽は、神様です。慶州にある、仏国寺にある、儀式を行う頂点の神から見れば、冬至は、太陽が怒り、儀式を行います。太陽神を拝むためです。
その冬至に、太陽が、仏国寺から、あがる場所にたどりつたのが、今の伊勢神宮です。
日本の人は、それを認めたがりません、学者もそうです。しかし、本当は、解っているのです。
これを認めることは、日本独自の民族を否定することになるからです。
今の天皇は、天皇に即位されたときに日本と百済は、密接な関係があると言って、学者を驚かされたものです。最後に白村洪の戦いで、新羅に追い詰められ、負けましたが、日本は東シナ海を遠回りして、百済を
助けにでたのもそういう理由です。
当時は、日本の律令国家を樹立しても、最高の権威者は、百済の王様で、逆らうことすらできなかったのです。私は、だからと言って、朝鮮半島がいいとは言いません。年月が多く進み今では、完全に他国どうしです。でも、歴史認識は、正しいものを伝えるの学問と言えるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

有難うございます。

>当時の天皇とは、そういわず、シャーマンで,祈祷師です。任那から、船を出して、日本を目指した、
百済、が今の奈良に王朝、を作り今の天皇に至っています。<

ということは

「百済」という異国人が天皇の始まりなのでしょうか?

では天皇はネイティブな日本人ではない、ということなのでしょうか?

お礼日時:2010/08/24 00:16

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