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創価学会の会員の方に質問です。功徳について教えてください。

最近、座談会に2度行った者です。
2008年衆議院選挙で当時、創価学会員の太田昭宏公明党代表、創価学会員の冬柴鉄三国交大臣、そして創価学会員の北側一雄公明党幹事長、三人そろって落選なさいました。小選挙区での当選はゼロという結果に終わりました。これについて、創価学会会員は当時、そして現在、どういう思いなんでしょうか?
どうして功徳がなかったのでしょうか?信心が足りなかったのでしょうか?
与党になって大臣まで出して良かったが、あとに落選をした・・・
初め功徳があったように見えたが、あと、だめな結果になるというのが平成10年あたりから多くなったということと関連しているのでしょうか?
大事故を起こして助かった・・でも一生半身不随になった
学校に受かってよかった・・・でも不登校、引きこもりになった
結婚できてよかった・・・・でも喧嘩が絶えなくなった
など、が多くなったみたいですね。座談会に参加されたかたの家族もそんな人たちが多いみたいです。
また、ある東京の支部長は子供が不登校になって悩んでいて相談を幹部に話したら、そこにいた幹部数人すべての子供さんも不登校だったということを聞いたことがあります。
もう一度質問ですが、衆議院選挙の結果を創価学会員たちは当時どう思い、現在どう思っているんでしょうか?それと平成10年あたりから、はじめ功徳で喜んだのに、あとに悪い結果となるという現証は、実際、身の回りに多くなりましたでしょうか?

A 回答 (3件)

信心をしていない人でも起こりえる事を「功徳・謗法」と考えてしまうから問題の本質が見えなくなるのです。



>どうして功徳がなかったのでしょうか?信心が足りなかったのでしょうか?
単純に公明党が支持されていないだけですよ。
題目をあげれば支持されると思っているのですか?
支持されるかどうかは政策と実績ですよ。
その政策や実績を判断するのは国民であって学会ではありませんよ。
客観的に見て、公明党は学会員の中でも活動家しか支持しない政党なのです。

身の周りで起きた「悪い事」を解決するためには具体的な解決方法が必要なのであって、題目が必要なわけではありません。
信じる事で潜在能力が引き出されることはあるでしょうが、あくまで気持ちの問題。
子どもが不登校になった時に親が仏壇の前に何時間座っていても問題の解決にはならないのです。

この回答への補足

創価学会会員の方に質問って言っているのですから、それは守ってください。

補足日時:2010/09/26 10:39
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あくまで個人的な見解ですが、組織力と個人の功徳という問題かと思います。


政治分野の検証と公民意識の啓発は、個人的に進めるよりも、組織として議論等も重ねながら組織内外の世論を巻き込んで醸成させていくべき事であると思います。特に活発に行動出来、自由な発想や学習の意欲の高い若年層を中心にリードしていければ理想でしょうが、現在の学会組織ではそういった動きはまだあまり見られないと感じますが今後に期待です。
政治に関しても、選挙の支援活動以前に様々な社会問題に積極的にアプローチしていく素地を作っていけば、自ずと学会以外の人や民間団体、大学、場合によっては行政等とも意見交換しながら切磋琢磨して、社会に対して、より貢献度の高い運動も行うことは可能な訳ですし。
現在はそこを飛ばして投票の段階からの関わりになっているのだとしたら、より高いレベルでの政治との向き合い方が必要になっているということなのではないでしょうか。衆院での結果から学べる事としては。

功徳については10年も前は、まだ信心をしていないのでなんとも言えないのですが、心の問題ということになるのでは無いでしょうか。
少なくとも学会指導の極論を言えば心の問題に行き着きます。
でもって本人にしか分からないような事がほとんどでしょうし、本当に悩んでる事が解決した、みたいなのはやはり人に理解されるようなことのほうが少ないのではないでしょうか。
経済力であれ、知力、体力、社会的な経験や人脈など、いわゆる世間的に見た強みというのは、むしろ信心をしていない人に突出した方を多く見受けるように思いますが、ではそういった方々が柔和な人格や、他者への寛容、平和思想を持ち合わせているかと言えば多くの場合ノーです。無条件に他者を受け入れる心の柔軟さや飾らなさ、純粋さというのは、一見すればただの庶民と言う事も出来ますが、これは信心している人に多く見受けられます。あくまで相対的な話ですよ。
功徳というのはそういった心の次元での徳を言うのであれば信心している功徳というのは大いにあるでしょう。
子どもが不登校であれ、自分が病気や経済苦であれ、どう受け止めているかというのが先ずありきだという。
刺々しかったり、挑発的であったり、猜疑心であったり、不寛容であったり、こういう心を変えていける事が功徳であると思います。

微々たる問題にも思えますが、こういった心をより多くの人が日常的に備えていく事がいわゆる平和なのではないでしょうか。

広く言えば宗教の本来目指す大きな目的は平和の実現にあるわけですよね?それから人間性の開花。これが教育と文化。
学会の目的はこの三点であるはずです。三点が三点とも個人的に成し遂げられる事は一つもなくて、人間が協力し合って作り上げていくものである以上、経済力とか知力が個人的に突出していても、最終的には他者と協調出来る心が要になるという意味では、学会として最も大切な功徳というのはやはりそういった心の醸成ということでいいんではないでしょうか。

あくまでも学会の主旨に則ればそういうことだと思いますので、そういう意味では功徳有り。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>柔和な人格や、他者への寛容
摂受じゃなくて折伏を旨とせよです。折伏折伏折伏
>平和の実現
そのためにはまず他を折伏せよです。折伏折伏折伏
>他者と協調出来る心
協調じゃ折伏はできませんよ。折伏折伏折伏
貧乏でも幸福というのはありえますが、
子供が不登校にどう受け止めるかもへったくれもありません。
貴重な回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/27 10:33

”学会員の方に質問”といわれていますが、残念ながら私は幸福の科学の会員です。

よけいなお世話かもしれませんが、まあ単なる情報として、気に入らないなら忘れてください。

幸福の科学の大川隆法総裁は、宇宙人(プレアデス、ベガ、金星、ケンタウルス・・)たちからの霊言、海外・日本の著名人の霊言(マルクス、毛沢東、ドラッカー、ケインズ、シュタイナー、R・ケネディー・・)、現時点で生きている人の守護霊(菅直人、仙谷由人・・)らの霊言をとられています。

そして、「目からウロコの宗教選び」というタイトルで、日本の新興宗教の無くなった教祖や生きている方ならば守護霊を呼び出して、その思いを語らせています。先日は、創価学会の名誉会長である池田大作氏の守護霊を呼び出して、約2時間弱にわたってQ&Aの様子が(録画で)流されました。

一時期、幸福の科学は、創価学会を攻撃する書籍を出版していたこともあるし、ここでも学会の被害者という方の質問がたまにあるので「どんなひどいことを語るかな?」と興味津々で聞いていました。が、「いかにもこいつは悪魔だな」と思えた統一協会の教祖とは違って、池田大作氏の守護霊はわりとユーモアもあって、常識的で、自分自身のことを冷静に捉えておられ、ときには鋭い幸福の科学批判を交えながら、牧口先生から戸田先生、そして池田会長までの活動の功罪、個別的なこととして、折伏大行進、総体革命、国立大戒壇設立、日蓮正宗からの破門、本尊コピー問題、中国との密約疑惑、ご本人の信仰への考え方について述べられていました。

池田氏守護霊は、「だれも守護霊の存在なんて信じないだろう?責任ないからな、自由に言うよ(正確な言いまわしではないですが・・)」として、本音を語られていたように思います。

守護霊が言うには、「創価学会は、利益共同体。信仰の形を建前上とっているが、利益配分の団体。信仰した教祖が偉くなっていくことによって、自分もえらくなったような気分を味わい、元気が出てくるところが教えの原動力。日本が高度成長に向かうころの時代風潮に合っていた。しかし、日本全体が豊かになって、インテリも出てきて、今は、戦後の創価学会とは違う。変質した。」

また、政治については、「小選挙区制は、2大政党以外は当選しずらい制度である。もう立候補しないでもいいんじゃないか?幸福実現党も、当選できず母体である幸福の科学の生き血を吸っているばかりじゃないのかね?君らもやめたら?」なんて述べられていました。

最後の質問に対して、「創価学会員は、あの世のことを否定しているわけじゃあないが、よくわからない。戸田先生も牧口先生も分かってないんじゃないか。結論ははっきりした。総体革命は終わった。」

これをうけて、質問者(リバティ編集長)の「哀れに思った。」という一言が強烈だったです。


なお、功徳の後にやってくる問題については、創価学会の方に限らず、誰にでもありうる問題だと思います。
幸福の科学でも、「第一志望の学校に合格したら、それは本人、家族を含めて幸福なことではある。(功徳かな?)でも、その学校には優秀な生徒が集まるから、それまでトップだった子供が、その中では、最下位グループになって、惨めになるかもしれない。もし、第一志望に落ちて、第二志望の学校に入っていれば、トップの成績が取れて、子供は幸福かもしれない。会社でも、課長なら仕事をこなせた人が出世して部長になると、とたんに仕事ができなくなる人がいる。部長の仕事は課長とは違うから、それができないなら出世しないほうが幸福かもしれない・・・」なんて書籍に書かれていたと思います。

「万事塞翁が馬」ともいいますし、功徳があってご自身が成長すれば、その成長に見合った課題(問題)が登場するのが、この世の仕組みだと思います。また、功徳のおかげ?で能力不相応の良い地位につけば、仕事能力の不足から、不幸になるのは当然です。
(菅首相は、田舎の町長程度が適任でしょうね。首相になったおかげで、日本全体を不幸にしています!)

この回答への補足

幸福の科学の宣伝の場ではございません。

補足日時:2010/09/26 10:37
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