A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
私は、(2) 可能 に限って、
通称「ら」抜き言葉派を支持します。
標準語圏の埼玉県在住です。
引用
>「れる」、「られる」には
>
>(1) 受動
>(2) 可能
>(3) 尊敬語
上記以外にも、
(4) 自発
の意味もあります。(おのずからそうなる 意味合い)
(4)の例:
1.故郷が思いだされる。
2.忘れられない思い出
食べることができる((2) やり方を持つ可能の意味合い ) ということで、
「しゃべれる・食べれる ミニストップ」(食べられる ではない)
というのは、私からすると 自然な感じがしますし、
忘れることができない((4) 自発の意味合いの否定) ということで
「忘れられない思い出」
というのも、自然な感じがします。(「忘れれない思い出」ではない)
よって、「見ることができない」 というときには、
(2)と(4)の違いで
(2)「見れない」...覗こうとしても覗くことができない
(4)「見られない」...つい目を覆ってしまう
のように使い分けます。
(まあ、両方とも「見れない」のほうだけでも いいでしょうけど)
また、「忘れることができない」というときは、
「忘れる」の意味的に (2)の(やり方を持つ可能)に該当することは実用上利用されず、(4)の(自発) のほうなので、
「忘れられない」
となります。
また、関西方面では、
(可能)食べれる
(受身)食べられる
(尊敬)食べはる
(自発)食べられる(?)
と区別があるそうです。
No.10
- 回答日時:
mac-asさんご回答有難うございます。
貴殿に頂いた情報を勘案すると、どうやらラ抜き言葉よりも、サ入れ言葉の方が生き残る確率が高そうですね。
サ入れ言葉は、「丁寧に言ったつもりの馬鹿丁寧」な感じがしていました。元々は、雅な言い回しだったんですね。
その点ラ抜き言葉は、手抜きのような感じで少し品が無い感じがしますね。「全然いい」を不自然と感じる若い人も増えているそうなのでその内、ラ抜き言葉も変だと思う人が増えて死語になるかもしれませんね。
yumi555さん、途中からOKwebジャックしてしまい申し訳ありませんでした。大変参考になりました。
No.9
- 回答日時:
ANo.#8のmudさんに対する回答になってしまうのですが、
"サ入れ"は関西の方言が始まりのようです。
古語に"さす"という「使役、尊敬」の意味で使われていた助動詞がありまして、動詞の連体形について
使わさす→使わせる
食べさす→食べさせる
というふうに使われていました。
古語のほとんどは昔の首都である京都や奈良などで使われていた言葉ですから、今の関西圏に根強く残っている古語文法も少なくありません。また現在は情報網が発達しテレビなどで方言を耳にする機会も増え、特に関西弁は漫才ブームなどにより、知らず知らずに関西以外にも浸透しつつあるようです。
No.8
- 回答日時:
Yuckieさんの回答は、鋭い分析でとても一般の方とは思えません。
少し補足させて頂くと、「来る」「見る」「起きる」はいずれもカ変、上一、上一段活用で、どちらかと言うと現代国語では例外的な活用をする少数派です。しかも「出来る」「落ちる」(上一)は可能形にならないので、この類はあと、「着る」「降りる」位しか有りません。どちらも、ら抜きがもあまり不自然に感じません。その意味で問題は、ご指摘のように「負ける」「駆ける」「止める」などの下一段活用の場合になると思います。他には、出る、寝る、開ける、上げる、決める、捨てる、食べる、見せる、集める、教える、覚える、忘れる、換える、等があります。「集める」等は明らかに不自然だと思うのですが、皆さんのご意見は如何ですか。
サ入れ言葉、についてもご意見頂けませんか?
五段動詞に、他の活用のようにサを入れてしまうものです。
(例)タバコをすわ(サ)せて頂きます。
言わ(サ)せてもらいます。
No.7
- 回答日時:
「負けれない」
「駆けれない」
「やめれる」
等々いろいろありますが、「ら抜き言葉」も聞き慣れたものは自然に感じ、そうでないものは不自然に感じます。
上記の3つに比べて
「来れない」
「見れない」
「起きれない」
等は、あまり不自然に感じないのではないでしょうか?
これらの違いは普段から使用頻度が多い「来る」「見る」の語尾変化の方が聞き慣れているからです。
似たようなものに、短縮合成語などの新語の中でも古くからある「サボる」「メモる」が自然に感じ、比較的新しい「パクる」「コクる」が若者特有のスラング的に聴こえるというのがあります。
これは日本語の一部が変化している過渡期にあるためと言えるでしょうし、当然の変化だと思います。
もっと古くには「当然」が「当たり前」に変化した例(徳川時代?)もあります。
人々が普段の生活の中で自然に口にする口語にはこういった避けられない(避けれない)変化が生じます。
元々言語には予め文法という規則が存在しているのではなくて、今まで使われてきた言い回しに規則性を発見して「文法」という規則を作り上げたものです。
ですから、「ら抜き言葉」は「受動態」「可能」「尊敬」の中の「可能」の言い方をを明確にし、混同を避けるために生まれてきた必然的変化だと思います。
これの背景には「敬語」の中の「尊敬語「謙譲語」「丁寧語」の区別があいまいになり、世代的にその使い分けが出来なくなっている人が多くなり、実際の場面でも使い分ける必要が少なくなってきている現状があるからだと思います。
No.6
- 回答日時:
回答では無くて、質問なんですが、Yumi555さんは、ら抜き言葉の例を再認識して、今後は使わない努力をしようとしているんですか?それとも、今後も積極的に使おうと思っているのでしょうか?
私自身は使いませんが、あまりに使う人が多いので以前ほど抵抗がなくなりつつあります。10年位前には、耳障りで仕方なくて、耳にすると話し手の顔を確認して、「ああやっぱり馬鹿そうだ」なんて変な安心をしていたんですがね。
半疑問形のように、若い人が使わなくなって、中年のオバタリヤンの業界用語になれば良いと思っているんですが。
少しは回答らしいことも書かないといけないので、ご参考までに。
ら抜き言葉に出来るのは、5段活用以外の動詞(つまり上下1段とサ変、カ変動詞。メインは上一段)なのでそんなに数は多くありません。
No.5
- 回答日時:
「れる」、「られる」には
(1) 受動
(2) 可能
(3) 尊敬語
の3通りの意味があり(漏れがあればご指摘ください)、
区別する意味で、敢えて使い分けるケースもあるようです。
余談ですが、かつて推理作家の島〇荘×氏が「ら抜き言葉殺人事件」を出版されたとき、読者、批評家の一部から「"ら抜き"ではなく、"手抜き"だ」という辛口の評があったとか、なかったとか・・・。(笑)
>区別する意味で、敢えて使い分けるケースもあるようです
初めてのご意見ありがとうございます。
「ら抜き言葉殺人事件」
読んでみたいです。
また、教えてください。
No.3
- 回答日時:
こんにちは。
たとえばこんな会話です。
↓
「もしもーし、あ、リエ? あたし近くの駅まで来てるんだけどさ、
ちょっと出れる? え、出れない? そっかー、あたしもめったに
このへん来れないんだけど、まあ電話でいっかー。
昨日、あのドラマ見れた?
あたし、帰りが遅くなっちゃって見れなかったのよー。
あとでビデオ貸してね。そうそう、彼のことね。今は信じれるんだけど、
信じれないときもあるのよねー。それ以上は考えれないのよ。
今夜いろいろ考えちゃって寝れないかもー
あ、電車が来ちゃったー、またねー」
……こんな感じですね。「ら」が入るべきところに入れてみてください。
出れない→出られない
来れない→来られない
見れない→見られない
信じれない→信じられない
考えれない→考えられない
寝れない→寝られない
・・・ずーーーーーーと
「ら抜き」言葉でした。
気をつけます。
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