1945年4月7日、戦艦大和は最終的に沖縄の敵陸上部隊を砲撃するために、航空機の支援なしで撃沈されることをわかっていて出撃しました
神大佐は「大和を使わず戦争に敗れるのは恥ずかしいことだ。一億総特攻のさきがけとなるために出撃してくれ」というようなことを作戦会議で述べました
これに対し小沢冶三郎は「レイテのとき瑞鶴を出撃させて囮としたのはそれなりの戦果を見込めたからだ。今回は戦果は関係ない、ただの面子でだけの出撃。そんな出撃を許すことのほうがよほど恥ずかしい」と憤慨しました。
しかし航空機の支援なしで沖縄にたどり着けないことは作戦会議にいた者、大和の乗組員はみなわかっていたし、実際大和は撃沈されました
そこで思うことは大和を本土に温存しておくというか、沖縄に向かわせなくても、向かわせても同じ結果になったのではないのでしょうか
むざむざ3千人近くの人名を失わずにすんだのでいのでしょうか
大和の沖縄へ向けての出撃は正しかった決断だったのでしょうか
A 回答 (12件中1~10件)
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No.12
- 回答日時:
私は大井篤大佐と 同じです「何が栄光の海軍ばかやろうです」
そんな燃料があったら、輸送船にまわせです
小沢も同じ考えでしょう
陛下から海軍にはもう船は無いのか、陛下の為とは聞こえがいいですが
ご機嫌取りで、犠牲になったと思います
神大佐 も言われなければ作戦も考えないと思います
軍需部だった大西滝次郎がマバラカットで特攻を命令する頃は
すでに 燃料後半年負け戦は決定終戦工作もはじまっていのです
戦争は負ける負けるにしても国体に有利条件で講和しなければならない
と言ってます
No.11
- 回答日時:
戦略的に誤った方向・結果の中で、正しい戦術がある訳はありません。
南方の油田を確保する為に開戦し、予想以上の状態で油田を手に入れながら、海上輸送が確保出来ずに燃料切れになったのは、海軍側に責任が在った事は明らかです。
意味が無かったら浮かばれないのは、死んで行った非戦闘要員こそであり、沖縄戦で亡くなった方々は本土防衛の礎と言われたのですから、生き残った上官達には意味があったのでしょう。
回答者さんの回答の中に、戦争した事自体が間違いだからイフの話をしても始まらないと在ったのは正しいと思います。
イフにイフを掛けるような話ですが、将来を見据えることが可能だったら、大和が本当に生きたのは、北海道に置いてソ連が参戦した時点で、艦砲射撃でソ連の千島南下戦力を削ぐ事だったかもしれません。
No.10
- 回答日時:
ある意味永遠に答えが出ない問題でしょうね。
当時は米軍に対する有効な反撃方法がほとんど皆無に近くなっていました。毎日、いわゆる神風特別攻撃隊が出撃していましたが、米軍の対策方法も確立し、有効な打撃はほとんど与えられていません。神風特別攻撃でさえ、米軍の損害のほとんどがジープ空母と呼ばれた軽艦艇である護衛空母か、レーダーピケット任務についていた駆逐艦です。レーダーピケット任務の駆逐艦なんて、米軍からすれば「沈んでも許容範囲のうち」なのです。
毎日毎日、決して帰還しない片道攻撃隊が出撃しているのに、あたら港に座したまま何もしないということに当の乗組員も含めていいのだろうかという意見はあったと思います。
一方、おっしゃるように出撃したところで現実的にはやられるのは眼に見えていて、にも関わらず出撃すれば単なる無駄死にという意見もごもっともであると思います。
ところで、大和出撃のとき、片道出撃ということにしましたが、実は帰りの分の燃料も積み込んでいました。いくら特攻出撃とはいえ本当に片道分しか燃料を積み込まないことには偲びず、場合によっては帰還できるように計らっていたのです。
ここだけ聞くと「泣ける美談」に思えますが、しかし当時は本土決戦も間近の差し迫った状況、燃費が極めて悪い超大型艦の大和の往復の燃料を確保するのはもう本当に大変だったそうです。で、問題はどこからその燃料をひりだしてきたか。
実は直前、まだ日本本土ほど状況が悪化していない中国本土や朝鮮から、食料や日用品などを本土に送る計画がありました。困窮する国民からすると少ないものであっても喉から手が出るほど必要なものです。その回送のために確保された燃料だったのです。おかげで、その食料などは本土には送られないことになりました。当時兵站を担当する将校だった大井篤氏はそれを知り、「なにが特攻だ、バカヤロウ」と怒りに震えたと述懐しています。
No.9
- 回答日時:
海軍の考えでは戦力があるのに出撃をしなくてもよいのかという考えがあります。
海軍は沖縄へ戦力の大半を出撃させていて特攻隊まで出撃しているのに通常部隊が出撃しなくてもよいのかという考えがあります。
大和が出撃したら必ず撃沈されたという考えについては、逆にたどりつけた可能性があったという考えがあります。
大和が沖縄にたどりつける可能性は低いですが、必ず撃沈をされるともいえない状況です。
その理由としては、大和は沖縄まで一日くらいでいけるという点で、昼くらいに出撃すれば翌日の朝くらいに沖縄につきます。
当時のアメリカ航空部隊は夜や雨が降れば攻撃できなかったり、攻撃能力が低下します。
つまり、大和が夜に移動したり、雨が降れば沖縄に到着する可能性があります。
また、逆に考えれば大和を撃沈するためには数百機の航空機が必要です。
大和の出撃と同時に数百機による特攻隊の沖縄への攻撃があり、大和は海軍の総攻撃の一部として出撃しました。
これにより、大和は特攻隊の攻撃のためのオトリとしての意味と、特攻隊が攻撃すれば、そのあいだはアメリカ航空部隊は大和の攻撃へ出撃ができなくなり、被害を受ければ出撃不能や出撃機不足になります。
大和の対空兵器は強化されていて、艦隊が撃墜したのは十機ですが多くの航空機に弾が命中していたという情報があります。
つまり、夜に移動したり雨が降ったり、特攻隊の攻撃により、アメリカ航空部隊の攻撃力が低下すれば、大和が撃墜されないで沖縄に到着する可能性はあります。
また、特攻隊の攻撃のオトリや援護ができる可能性があります。
沖縄に到着すれば、アメリカ艦隊を数隻撃墜するか被害をあたえられるか、アメリカ地上部隊に被害をあたえられる可能性があります。
No.8
- 回答日時:
武蔵が魚雷20発、爆弾17発、至近弾20発でようやく沈んだのですから、結果論とも言えます。
一方向から攻撃した。
雲が垂れ込めていた。
爆弾で効率良く対空砲を殲滅した。
主砲三式弾が全く打てないような状態であったようです。
結果的には航空機12機の被害で大爆発を起こして沈みましたが、
航空戦艦伊勢の例にあるように延べ300機の空襲に晒されながら一発の命中弾も得る事無く
航空機70機を撃墜した例えもあります。
今まで例の無い弾幕射撃での効果です。(待ち伏せ射撃。)
駆逐艦の25ミリで殆ど落ちないので真上を向けて射撃させた所、一瞬にして4機が立て続けに落ち、
住民が祝いに一升瓶と魚を持って来た事もある。
どれだけ従来の方法での撃墜が難しかったかが伺えます。
「72機は多すぎるな。友軍が撃墜したのもあるだろうから半分にして報告しろ。」
(中瀬 泝艦長の後日談。)が30~70機と言う数字の意味。
後日談では、
敵は急降下する時にキラリと光るんですよ。
そこで取り舵を切る。
敵は編隊を組んでいるからそのまま真っ直ぐに進んで爆弾を落とすしかないんですよ。
と言う事です。
恐らく大和も同じ戦法を取れば不可能ではないと考えたのだと思います。
また、米軍も艦対艦決戦で大和を迎え撃とうと意気込んでいました。
米軍は大和の資料を入手し、大和以上の戦艦建造計画に着手していました。
No.7
- 回答日時:
難しいですが、もったいなかったのは事実でしょう。
大和の作戦は特攻ではなく、限りなく特攻に近いですが通常作戦のうちです。大和や二水戦をはじめとする第2艦隊の行動は天一号作戦の一部だという見方です。
しかし、沖縄に乗り上げても、燃料がないと砲塔が動かせません。長門ですら停泊しているだけで日に50トンの重油を使います。また、傾斜がおきると4度越えしたら大口径砲の射撃が不可能になります(反動を制御できなくなる)。また、搭載している砲弾の数も多くなく、しかも多くない弾丸のかなりが、対艦艇用の鉄鋼弾ですから、陸に撃っても効果が期待できません。
戦前に戦艦扶桑を4度傾斜させた実験をし、乗組員からアンケートをとった事例では、かなりの人数が「もういけないと思った」と回答しており、おそらくマンパワーの効率も極端に落ちるでしょう。
海軍には長門、大和が残っており、特に大和は世界最大の戦艦ですから、なにかの外交交渉のネタに使えたのではないかと言う人がいます。
特に、ソ連海軍は戦艦を非常に重視しており(沿岸に接近する敵上陸部隊撃滅のため。本国ないし基地航空隊の援護を受けられないところでは原則作戦をしない)、日本海軍の一部に長門以下の艦艇をソ連に燃料と航空機をバーター交換する材料にしようと研究しているグループもありました。
正しい、正しくない、という視点より、当時の日本があのような判断をしてしまう組織となっていた、ということが重要だと考えます。
蛇足ですが、沖縄行きの時の有賀艦長の一代前の森下艦長は、艦長時代に抜群の操艦技術を発揮して、大和に被弾させませんでした。沖縄時、司令部要員として大和に乗っていた森下少将が艦長だったら、という声が一部にあったそうです。が、有賀艦長も乗組員からの信望は厚く、あくまでも、たられば、の話でしょう。
No.6
- 回答日時:
>大和の沖縄へ向けての出撃は正しかった決断だったのでしょうか
戦死した乗組員の事を考えると、「正しかった」と言わないと駄目でしよう。
何千人もの兵士が戦死した訳ですから、無駄死にと判断するのは悲しいです。
地方都市にまで空爆(空襲)が行われ、お寺の鐘・鉄道線路・銅像までも「金属徴収」していた時代。
多くの国民は(口には出さなくても)、敗戦を考えていた様です。
が、仙石官房長官発表でなく「大本営発表」では、「勝った勝ったまた勝った」でした。
時代遅れになった!と言っても、戦艦が巡洋艦を従えて出撃する事は(政治・軍事的に)意味があった様です。
「最後の一兵まで戦う」「一億総玉砕」も、叫ばれていた時代です。
日本でも、理研で原爆研究を行っていたので「時間引き延ばし」をしていたとの説もあります。
事実、日本向かっていたUボート2隻(米軍に拿捕)に、ウラン・プリトニュームが積んでいました。
1945年7月。ポツダム宣言が、日本政府に届きます。
この時、政府・軍部が一番に考えたのが「国体維持」だった事は有名です。
ポツダム宣言には「天皇をどうするのか?」、全く記載がありません。
日本政府・軍部が、連合国と交渉を行っている最中でも、特別攻撃隊・回天部隊は出撃していますよね。
1945年8月15日の朝にも、特別攻撃隊が出撃しています。
終戦当日に出撃した特攻隊員を、無駄死にとするのも悲しいです。
余談ですが・・・。
日本政府・軍部が、連合国と交渉を行っている最中、原爆が投下されました。
長崎に原爆が投下されて以降「天皇制は、日本国民が決める事だ」と、連合国から回答が届きます。
「ドイツでは、ヒトラーが自殺。イタリヤでは、ムソリーニを処刑。国民は、天皇制維持を望むのか?」
政府・軍部で小田原評定を続けていましたが、原爆投下目標が関東地区との情報が入ると「はい!負けました」となった様です。
日本国憲法「天皇は・・・。その地位は・・・、・・・国民の総意にもとずく」
連合国の回答通りが、憲法条文になっています。
偶然? 意図的? 分かりません。
No.5
- 回答日時:
<参考までに>
私が伯父から聞いた話なのですが・・・
学徒出陣した准尉ととても親しくなり、当時、決して言ってはいけないような言葉を、その准尉から聞いたそうです。
「今の日本は、俺達若者が生きて戦い続けて戦地を維持している限り、この負け戦を止めない。その間に日本本土は丸焼けになって、家族が死んでしまう。戦力がなくなって、軍首脳が降伏の決断が出来るように、俺たち学徒出陣したものは、出来るだけ早く死ななければならない。そうでないと国が滅びる。」と。
兵士に降伏を認めないのが日本軍のモラルでしたから、戦力がある限り戦い続けることになり、戦力を出来るだけ温存すると本土決戦に突入するしかありません。
まとまった戦力とみなせる一切の近代兵器を失えば、降伏への道が開けて、本土決戦が回避できるという、目に見えず言葉に出来ない共通認識が、沖縄戦前の高級将官・参謀たちの間にあったのではないかという捉え方を、私は持っています。
目に見えず言葉に出来ない以上、文章・史料にも一切残らない性質のものなので、自分自身が当時の考え方に可能な限り近づいて、感じ取るしかないので、証明のしようもありませんが。
No.4
- 回答日時:
まず、大和出撃の表面上の目的は、陸に乗り上げさせて固定砲台として使用する事だったと思いますが、仮にこれが成功したとしても航空攻撃で一方的にやられ、ほぼ何の抵抗もしないうちに無力化されるでしょうから、表面的な目的上は全くの無駄な作戦だったと思います、せいぜい沖縄守備隊の兵員が3千人増えた程度でしょう。
もしこの特攻に意味があったとするなら、航空特攻隊や沖縄守備隊の士気を一時的に上げる事が出来た程度でしょうか。
そんなことは軍部も素人では無いのですから100も承知だったと思います。
それでもこのような作戦が実行されたと言う事は、軍部がよほど狂っていたので無ければ、理屈では説明できない感情があり、当時としてはどうしても必要な作戦だったのでは無いかと思います。
しかし、誰が見ても無謀で凶器に満ちたこの作戦は相当のインパクトがあったでしょうから、当時白人から「イエローモンキー」と呼ばれ見下されていた日本人の見方を少なからず変える事は出来たのではないでしょうかね、軍部がそこまで考えていたかは定かではありませんが…。
No.3
- 回答日時:
>1945年4月7日、戦艦大和は最終的に沖縄の敵陸上部隊を砲撃するために、航空機の支援なしで撃沈されることをわかっていて出撃しました
いえ、大和以下の第一遊撃部隊は「敵水上艦艇及び輸送船団撃破の撃破する為」に出撃しています。
また第一遊撃部隊は菊水作戦に呼応しての出撃です。
4月上旬は九州に海軍及び陸軍航空隊が集結しており、大和突入前に敵艦隊へ大規模な航空攻撃を仕掛けています。
ですので、航空支援を受けての出撃なんです。
つまり、
航空攻撃全力を以ってで敵空母及び艦艇を撃破、その後戦果拡大を期して水上艦艇全力が沖縄方面に突入
という流れの作戦なんです。
後世の視点から見て戦力差的に絶望ですが、当時の日本海軍ですら絶望視してますが、
菊水作戦や航空総攻撃、天一号作戦がどういった内容であったのかを見てみれば、質問者さんの印象も若干は変わるように私は思います。
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