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長年鬱を患い、通院も続けていますが、若干の回復と悪貨の繰り返し。
何かに興味を持ったり楽しんだりする完成も衰え、
どこに居ても自分の居場所ではない…という疎外感や、周りの人間よりも自分は劣っている…という劣等感に悩まされ続けて辛いです。
父は死別しており、一人っ子のため、肉親は母親のみです。
母は私が死んでしまったら恐らくは生きがいを失うに等しい悲しみを味わうと思います。
その事を考えるとどうにかして生きていようと思っていたのですが、それももうただ重荷に思えてきました。
個人的なことですと、幼少から絵を描くのが好きだったので、それを生業にしようとこれまで生きてきました。
しかし、それにも最近は喜びややり甲斐を感じられなくなりました。
芽が出ないせいもあると思います。自分に可能性を感じなくなってきてしまったのかもしれません。
世の中には、自信満々で自分の才能を誇示出来る人というのが居て、そういう人の「出来るか出来ないかは自分の努力次第」という正論に対しても劣等感で気圧されてしまいます。
そういう人の方が、内省的な人間よりも魅力的なのでしょう。やはり人はそういう人の所に集まってきます。
自分は、いつも独りです。
自分の人生のポジティブな面というものが見えなくなってしまいました。
常に誰かから責め立てられているような、罵倒されているような罪悪感に付きまとわれて、もう生きていること自体が苦痛でしかなくなっています。
死だけが、そこからの解放(実際には逃避でしょうが…)に思えている状態です。

ただ、一つ気がかりなのは、自分の死後に遺される母のこと。
母は60を少し過ぎたくらいの年齢ですので、普通にしていればまだ10年は生きる事になるかと思います。
勝手な言い分ですが、自分の死後も母にはなんとか、人生を全うして欲しいのです。
そういう希望を残せるような遺書の書き方などはありますか?なるべくショックを与えない死に方などはありますでしょうか?
ご意見頂けると助かります。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

死と隣り合わせの仕事なんてどうでしょう。



私も今探してるところですが…
簡単になれて死にやすい仕事、
業務上の死なら怖くもないし
周りも受け入れやすいんじゃないかなって。
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どうやって死ぬかですね。

母親に迷惑をかけない死に方ができますか?
私は思いつかなくて断念しました!

生きろとも死ねとも思わないです、勝手にすれば良いと思う。ただ母親に全うに生きてほしいなんて考えてるあなたが死にたいと言うのは矛盾してますよ!
本当に死にたい人はそんな事考える余裕ないと思う。

自分もそんな事考える余裕があったから生きる方の人間なんだと気づいた。
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No10回答者です。


お礼ありがとうございました。 絵を描くのがすきなのですね。
死ぬことは一旦保留にしておいて、
近くの公園などのホームレスの生活を描いてみたら如何でしょうか。

 日本には底辺の生活を見てみない振りする方が
多いので絵を描いて世の中にアピールしてもらいたいと思います。

公園課のほうは定期的に彼らのテントを引越しさせて意地悪?しています。
また彼らは満足に食うことも出来ません。生きることが幸せなのです。
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>なるべくショックを与えない死に方などはありますでしょうか?



 残された方が自分に質問者様に生きているうちにできることが有ったのではないかと
思わせると未練が残ります。
 また死に方も苦しそうであれば後悔が募ります。

人生を全うした、もう思い残すことはない。 生きるほうがつらいのだ
ということを残せば遺族は安心するのではないでしょうか。 

あるいは臓器移植とか、世の中の正義のために死ぬとか。
あくのそしきせんにゅう。 そんなことを考えていたら死ねなくなりますね。

生活保護もあるのでしばらく生きてから世の中に貢献して死ぬ方法を
考えたらいいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

>人生を全うした、もう思い残すことはない。 生きるほうがつらいのだ

以前、それに近いことを母に話したら大層泣かれてしまい、やりきれない気持ちになりました。
結局自分はどっち付かずな人間なのだと、自己嫌悪にも陥りました。
実際には思い残すことは沢山あるのですが、今は何よりも生きていることが辛いです。
自分が死ぬと少数であれ迷惑を被る人が居るのだ、ということも含めて。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/18 00:50

どうやって死にますか?


どんな死に方でも、他人にかなり迷惑がかかります。
人の土地や建物で死んだら持ち主に迷惑。
失踪したら捜索費用がものすごい。沈んだり埋まったら、引き揚げ作業費がかかる。
お互いを大事に思っている親子が「探すな」と書かれて消えられて、捜さないわけがない。

私は死に方を調べて挫折しました。
八方丸くおさまる死に方がない。ま、あるわけないか・・・

どのような絵を描かれるのか知りませんが、絵に関わる仕事は多岐に渡りますからね。
自分の作品は捨てられる側?
金がからむとシビアになるのは当然ですが、そこでやめたら捨てられっぱなしなんですね。
続けていたら、ボツネタを別の案件で使ったりして復活させる事も出来ます。
「捨てる神あれば拾う神あり」 こっそり自分で自分を拾う神になれます。
消去法は置いといて、もう少し探してみてもいいのでは?
私は建築系のデザインをやっています。

居場所 ね。漂うホコリのような頼りない感覚。
「居ない方がいいよな」と、どこにいても思い続け移動し続け転職し続けました。
どこかへ行く方が死ぬより簡単ですからね。

現在、居てもいい場所ではなく、居たいと思う場所を見つけたと思っています。
自分の居場所だという確信なんてありませんし、やはり居ない方がいいか
と、時々思いますが、それでもそこに居たい気持ちの方が強いので
地道に努力も出来る というかしたいからしてます。
努力してたらやはり多少は結果もついてくるもので、頼られたり知識を請われたりもします。
居たい理由は、職場に好きな人がいるってだけですけど。

居てもいい場所を探しても永久に見つからないかも知れないけど、
居たい場所はいつか見つかる。
居場所=居たい場所なのかも知れない。
てな事を私は38年も足掻いてやっと知った。かも知れない。
あなたも、もう少し移動してみませんか?まだ何かが見つかるかも。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>居てもいい場所ではなく、居たいと思う場所

とても素敵なことだと思います。
そういう場所が、これまでにも何度か見つかったような気はしたのですが、すぐに「やっぱり勘違いだったな…もうここに居るのはやめよう」と思って自分から離れてしまいました。
生きている間にそう思える場所が見つかれば、本当に良いのですけれど…。

お礼日時:2011/01/18 00:46

三度、失礼します。



>人から要求される事に対して…応えようとはしてきた…
人からの、要求に応えようとするのではなく、
貴方が、誰かのため(利益)に、なってあげようとすれば、良いと思います。

例えば、
「お母様のために」なってあげれば、良いのでは?
お母様が可愛がる、「猫のために」なにかしてあげれば、良いのでは?

お母様の隣で、猫が静かに眠れる環境をつくるだけで、お母様の気持ちは、安らぐと思います。

他者からの要求を待たず、自分から、誰かのために、何をしてあげられるのか考え、実行すれば良いと思います。


>自信満々で自分の才能を誇示出来る人というのが居て…
自分を誇示する人は、才能は無いと思いますよ。

能力とは、「誇示する必要の無い」状態を、身に着ける事ですからね。
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アインシュタインの言葉を引用します。

”()”内は、私が補足した言葉です。

「人の価値とは、その人が得たもの(必要性)ではなく、

その人が与えたもの(利益)で測られる。」


どうして、必要性を得ようとし、それを待つ、「必要があるのですか?」
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
なるべく人から要求される事に対しては出来る限り応えようとはしてきたつもりだったのですが、何だかそれでも受け入れて貰えていないような、自分の居場所ではないような感覚に陥ってしまいます。

だんだん、自分が人に対して何か与えることが出来るのだろうか…?とそれ自体に自信が無くなってしまった次第です。

お礼日時:2011/01/10 23:50

私は、神を信じてはいません。



が、アインシュタインの以下の言葉は、真理だと思います。

「神の前で人間は等しく賢明であり、

神の前で人間は等しく愚かである」


質問者様は、既に死を選ぶ、覚悟がおありです。

ならば、蓄えのあるだけ、生きてみては、いかがでしょうか。

>幼少から絵を描くのが好きだったので…
生死をかけ、正義を貫こうとする時、初めて女神が、手を差し伸べるのです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難う御座います。

自分より更に秀でた、より多くの人に認められた人間が居る場所に行くと、劣等感に押しつぶされてしまいそうになります。
描かれた作品には、それぞれの魅力がある と人は言います。
自分の絵にも良いところはあると思うし、そう言ってくれる人も居るでしょう。
ですが、誰かと比べられたときに、自分は捨てられる側だろうなと思うのです。
そして、2つ以上のものが並んだとき、人は必ずどちらかを選びます。
選ばれたことが無い人間の卑屈な思考かもしれまえんが、確かにそう感じるのです。
「自分は、必要無い側である」と。

お礼日時:2011/01/09 15:56

10年以上、いやもっと前からかな・・・うつを病んでいるものです。


わたしも一生分の苦しみは味わったから、早く死にたいと思ってしまいます。
今も苦しいです。

死ぬことはすべての苦しみから解放されることで、幸せなことではないかと思うのです。
お迎えが来たときは「やっと開放されるのか。ありがたいことだ」と心から思えるかもしれません。
ただ怖いのは死に際しての苦しみと、残された人への思いです。

親御さんは、子どもに先立たれたらショックだと思います。それが自殺だったらなおさらのこと。

こう考えたらどうでしょうか。死ぬのは成り行きに任せる。生きている間は、未来のことは考えず「今このとき、この瞬間」をナントカ生きる。
目の前の小さな石ころをよけながら歩く。
今日大丈夫だったから、明日一日も大丈夫。それで何とか1日、1日を生きていけるものです。

わたしも、遺書は書いてあります。例え何歳であっても、若くても何が起こるかわかりませんから、遺書は準備しておくのが良いと思います。
自分の遺書には、自分が亡くなったときの葬式は無宗教でいいことと、お別れには唯一の友人を呼んでほしいことなど書いていますよ。
遺書代わりに「自分史ノート」というのがおすすめです。わたしのは葬儀社から貰った無料のものです。遺影に使ってもらえる写真などを貼っておきます。あと、幼少のときから今までの足跡を記して、葬式に際して遺族が困らないようにしています。

何かあったときのために、生命保険には入っています。掛け金の安い共済です。命はお金には変えられませんが、遺族が少しでも悲しみを癒してくれるのに、無いよりあったほうがよいと思います。


辛いときは、ひろさちやさんの本に救われもしました。宗教研究家の方ですが、著書がたくさんありますのでよかったら読んでみてください。

この回答への補足

生きている間は、未来のことは考えず「今このとき、この瞬間」…そいう風にして生きてきたつもりなのですが、状況は少しも良くならず」悪化し、不参気込んでいくばかりです。
自分の死後のおかけに関しましては、質素な暮らしをしていく上では問題無い程のお金は御座います。
母は恵まれない犬や猫のむんどうを見る活動をしていきたいそうなので…まだ生きるか手はh¥ぼこされているのかな、と考えております。

補足日時:2011/01/08 22:35
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この回答へのお礼

僕も高校生の頃から。10年来の鬱を患っています。
「うつは絶対に治る病気」という昨今よく見るフレーズも、ただの気休めにしか見えないです。

死ぬのは正直、怖いです。
正確には、消えてしまいたい、最初から居なかったという事にしてほしい…なのですが、不可能なので一番近いのは死ぬことかなと。
今、この瞬間を生きる…というつもりで生きてきたのですが、もう何年も今を生きている感覚というのが得られなくなってしまいました。
何かに興味を持つ感覚もどんどん衰えてきていると感じます。
笑わなくなったといわれますし、自覚もあります。
人と会った時はなるべく楽しもう、笑おうとするのですが、一人になった時に自分のその嘘臭い笑顔や声のトーンに嫌気がさします。

>遺書代わりに「自分史ノート」というのがおすすめです。
それは知らなかったです。日記をつけるのも億劫なものぐさな自分が出来るかどうかは難しいですが…調べてみます。
有り難う御座います。

奇遇ですが、僕の母も恵まれない境遇の犬や猫の救済活動に近年興味を持っているようで、その点で生きがいのようなものを見つけたのかな…と少し安心もしています。

お礼日時:2011/01/09 15:47

なんか自分と似てるような部分があります。


僕も将来似たような事になるのではないかという感覚で毎日過ごしています。
一時期いろいろな事に耐えられなくなって、何に対してもやる気が出ず
仕事もできませんでした。

でも僕はあなたほど酷くもないのでいっその事本当に通院するような病気になってしまえばいい
それなら回りも認めてくれるから なんて思ったりしていた時期もありました。

あと僕も絵を描きます。

何の回答にもなってないかもしれませんが
本当に死ぬんですか?
本当にムリで一ミリの希望も持てないのなら、僕には止めることはできないかもしれませんが
もう少し生きてみませんか。

僕はまた頑張ってみようと思います。
そんな気分に少しづつなれてきました。
でもいつもそうやって頑張って、挫折して 絶望するのでいつまで続くかわかりませんけどね。
漠然とすぐ近い未来に耐えられないくらいの不幸が待っていて
ただそれに向かって生きてるんじゃないか、なんて思います。
でも、それでも

だから 僕と一緒にもう少しこの世界を見てみませんか。
一度きりだから、少しくらい予定を変えても きっと損はないですよ。
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この回答へのお礼

ご回答有り難う御座います。

>本当に死ぬんですか?
ストレートですが、本当にそれこそが一番の選択肢ですよね。
正直、まだ迷っているというのが本心です。

これまでも何度か、「まだ大丈夫かもしれない」「自分を受け入れてくれる場所があるのかもしれない」「誰かに認めて貰えるのかもしれない」「自分に自信が持てるようになるのかもしれない」
そう思う事もありました。
ですが、それは長くは続かず、また絶望の底に落ちてしまう…の繰り返しでした。
それに、疲れたというのもあります。

mokyurinさんがもし、心の体調が芳しくないとお思いの時は、迷わず病院へ行く事をお勧めします。
薬は…科学の力には人間の煩わしさはありませんので、それで良くなるようでしたらその方が良いのだと、人に対しては思います。

お礼日時:2011/01/09 15:38

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