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オーストラリア人でJudge George William Paul という人が江戸時代に神戸に来て、大名屋敷を気に入り、それをばらして、日本人大工をつれてブリスベンで組み立てて、、、、という話をご存知ですか。そのことについて詳しくしりたいのですがご存知の方お願いします。

A 回答 (10件)

http://www.linleyfh.com/oursecondsite-p/p597.htm



George William Paul

(2 June 1839 - 10 December 1909)

該当の住所の航空写真と Google Street View で見た限りは もう大名屋敷はないみたい
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この回答へのお礼

(hirakana ga tsukaenakute)sassoku henshin sitekudasatte arigatougozaimasita.
suguni o-sutoraria ni okuttara, nanto! ano siryou no ichibu ha kanojyo ga kaita mono dattano desu. kanojyoga totemo yorokonde imasita. mitekureru hito ga irutte.
arigatou gozaimasita.

お礼日時:2011/01/23 17:22

 幕末から明治30年ごろの間、神戸には外国人居留地がありました。

Paul判事も、居留地に滞在していたのではないでしょうか。

 居留地の出来ごとについては、神戸外国人居留地研究会が研究成果を公刊しています。googleで検索できます。

 また、昨年、特定非営利活動法人神戸外国人居留地研究会が結成されました。検索すれば住所は出てきますが、電話/FAXが記されていないのでお知らせします。eーmailは不詳。連絡されると、先方も喜ぶと思います。

 このほか、神戸市立中央図書館、神戸外人クラブ、神戸日豪協会などが思い浮かびますが、戦災があったので、どこまで資料が残っているかどうか分かりません。

tel/fax  078ー331-2450

この回答への補足

早速電話をしました。が、ちょっとわからないとのこと。でも、ほかのルートから紹介してもらった方もそこのメンバーであると判明。つながりがわかって感動しました!

補足日時:2011/02/07 09:17
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この回答へのお礼

たびたび教えてくださって本当にありがとうございます。調べてみます。

お礼日時:2011/02/01 11:07

こんにちわ



もしこれ以上細かい点を知りたければ,こんなメッセージを送ってあげてください。

The owners of the house have changed many times, and the current owner does not know much about it. Instead, when the houses was listed by Queensland State, researchers at James Cook University studied the history as well as architectural importance. So, please ask James Cook University or John Oxley Library for the management plan of the house. As far as I know, it is not a Daimo Yashiki but a house of his friend. In fact, the floor plan of the house is not purely Japanese but with some Western characteristics, so it was probably a specifically arranged house.

If you want to contact me or the current owner, I think you can find my email address easily on the Internet or on Facebook.

この回答への補足

転送させてもらいました。ありがとうございます。みんなが助けてくださって、神戸市立博物館や、資料館に行く予定です。短い滞在をうまく利用したいとのこと、感謝していました。

補足日時:2011/01/31 17:10
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この回答へのお礼

英文で返信してくださって、ありがとうございます。今回のことを調べていくうちにいろんなつながりが見つかって、それに感動しています。facebook 始めは、theがあったんですって。映画で見ました♪

お礼日時:2011/01/30 15:10

#5です。



 一般論ですが、旅券制度は幕末の開国とともにできました。しかし、旅券を申請するかどうかは本人の意思次第で、明治30年ごろまでは不携帯でも罰則はありませんでした。

 また、旅券に写真が必要になったのはずっと後のことですから、本人確認は難しかったでしょうね。

 入国許可(ビザ)や労働許可証という制度もなかったと思われるので、船賃さえ払えばあまり問題がなかったのではないか。Paul氏は判事ですから、その点、抜かりはなかったと思われます。

 同じころ、イギリスでは日本庭園ブームが起こり、たくさんの職人が出稼ぎに行きました。身元保証人さえしっかりしていれば、入国には問題がなかったようです。職人やサーカスの芸人などが集まったロンドン日本人村については、倉田善弘さんの著書が参考になります。イギリスの植民地であったオーストラリアでも、事情は同じだったのではないでしょうか。

 ちなみに、Paul判事もイギリスで法曹資格を取得しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。考えてみればビザやパスポートなんていつからあるのか、考えもしなかったです。いろんなことがわかりました。

お礼日時:2011/01/28 14:28

ビザとかですか、それはよくしりません。



当時のこの建物について述べた文献をあげます。
“Building à la Jap”, Boomerang 21 December 1887
Brisbane Courier 21 December 1887; 4 January 1888, 8; 10 December 1909, 5

The house was fully manufactured in Japan, and imported into Brisbane, along with Japanese labour - three carpenters and two plasterers - who travelled from Kobe to construct the house, under the guidance of an English supervisor.11 The house was the first known piece of authentic Japanese architecture in Australia. Japan had been open to full trade with the West for less than twenty years and its influence at the time on Western culture was confined principally to Japanese furniture and interior elements, which had begun to appear in European houses some time earlier.

また、左官屋さんのうちひとりはそのままオーストラリアに残ったと聞いています。

この回答への補足

時間にずれがでてしまいました。質問者からの英文です。
From the interpreter of the owner you could ask him if they have found out the name or anything about the building company in Kobe 1886/7?
Or names of the Japanese who went to Brisbane? Or where in Meiji Kobe was the old "daimyo's house" it was copied from?

I am interested in the history of the house. There are many other people who are most interested in the architecture of the house - but I am not an architect, so I leave that to them. I think the owner (Hugh Markwell) who grew up in the house is an architect. His mother saved the house from demolition in 1962.

よろしくおねがいします。

補足日時:2011/01/28 14:34
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この回答へのお礼

彼女は、最後のくだりの左官屋さんが一人残ったらしいというのは、どこから入手できた情報か知りたいそうです。教えていただけますか?

お礼日時:2011/01/28 14:43

初めまして、



その建物に関わっているものです(所有者の方が現在改修を考えており、通訳・翻訳をしています)。どのようなことをお知りになりたいのでしょうか?

この回答への補足

公的なことを知りたいそうです。ビザとかはどうして発行されたのかなど。もう一度確認します。早速ありがとうございます。

補足日時:2011/01/28 08:39
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 なるほど、日本から大工3人と左官2人を連れていったのですね。

それなら、本格的な書院造の日本家屋と言えるでしょう。いい話を聞かせていただきました。

 ただ、1000マイルも北に移築された結果、オリジナルな要素はやや失われているようですね。たとえば、日本家屋は釘を使いませんが、現在は釘づけされています。残念。

 ただ、google earthで見ると、雲に邪魔されて確認できません。なにか、うまい方法があるのでしょうか。
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この回答へのお礼

おかげでいろんな情報をいただきました。何かがわかってくるというのは、おもしろいです。日本を改めて勉強したような気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/26 17:08

先程のURLに建物の由来が書いてあるですね。



オーストラリアに持っていくために、日本で新築して、移動できるか三回分解と再構築をやったとか、詳しいっすよ。
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http://www.epa.qld.gov.au/chims/placeDetail.html …

5 Lynch St Ingham QLD 4850
http://en.wikipedia.org/wiki/Ingham,_Queensland

Google Street View でみると 現存しているようです。

大名屋敷というより、日本家屋
上記のURLにある写真よりも 周りの木が伸びて見づらいですが、瓦屋根は確認できます。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございました。オーストラリアの友達もびっくりしています。まさか自分が書いたものにまでたどりつくなんて、と。早速送ってみます。

お礼日時:2011/01/25 08:53

 同氏が神戸に数カ月滞在したのは明治19年で、江戸時代ではありませんね。



 江戸の広大な大名屋敷を解体、輸送、復元することは、時間的にも経費的にも不可能でしょう。

 京都と大阪にも、いくつかの藩の屋敷(京屋敷、蔵屋敷)がありました。こちらなら、技術的には考えられます。ただし、大工だけでは復元は難しい。土壁や土蔵抜きの、本瓦葺きでない大名屋敷はありえないのでは。

 もう少し、手掛かりがほしいところです。

この回答への補足

ごめんなさい。江戸時代ではなく明治時代でした(汗)。

補足日時:2011/01/24 12:17
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この回答へのお礼

ありがとうございました。みなさんのおかげで結構わかってきました。

お礼日時:2011/01/24 12:19

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