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第二次世界大戦及び太平洋戦争(大東亜戦争)時の広島・長崎への原爆投下は『日本に対する』よりも『ソ連に対する』の意識が強いと聞きました。 ソ連に対して威嚇・牽制・優越をアピールするのが狙いだったんでしょうか?もしそうならただでさえ許されなき事なのに言葉にしようがありません。お分かりの方どうか知識を教えてください。

A 回答 (5件)

ソ連が極東に進出するのを防ぐためだったと思っています。

そのためにはソ連が対日戦に加わる前に日本が降伏せねばなりませんでした。
原爆の威力をソ連に見せつけるのではなく、日本を”早期に”降伏させるためです。その目的はソ連の東方への進出防止です。
以前同じような質問があり、小生の愚考を書いておりますのでご参考に。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2608936.html の11番回答です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/01 07:42

ソ連へのけん制もありますが、同時に国際社会に国力を誇示する、という狙いもあったようです

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 「ソ連に威力を見せつける」という意図が無かったはずがありません。


 アメリカにとって第二次世界大戦が終わったら、ソ連と対立するのは明らかでした。ドイツが降伏した後のヨーロッパを見れば明白です。
 こちらにはこんなにすごい爆弾があって、一発で大勢の市民を無差別大量虐殺できる。都市が広島や長崎みたいになりたくなければ戦争を仕掛けない事だとアピールするには、惨状を見せつけるのが一番です。

 今でも原爆投下が終戦を早めたという意見がありますが、アメリカに終わらせる気があれば原爆投下をしなくても終わった可能性が十分にあります。
 現に日本政府は戦争を終結させるために中立条約のあるソ連に仲介を依頼していました。もっともソ連は日本と戦争したくて仕方がありませんでしたから、まとめる気なんか全くありませんでした。その証拠に中立条約を破ってまで戦争を仕掛けたのですからいかに戦争をやりたかったかがよくわかります。
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 アジア太平洋戦争という言葉も、満州事変からを意味する場合と、対米英戦争を意味する場合とあるのでしょうか。

私は、満州事変以後で使おうと思います。
 アジア太平洋戦争は、日清・日露の延長線上にあり、台湾・朝鮮の植民地化にとどまらず、中国本体へと触手を伸ばす無展望の戦争だったと考えています。暴力的な植民地支配が台湾・朝鮮に対して行われても、効率的な見返りがあるはずもありません。暴力はおのずと拡大しますので、熱河からさらに南下するのはある意味で「流れ」です。そして誰も止めませんから。
 連合国が<中国占領地を放棄せよ>と止めに入っても、それを<虎の子>のように維持しようとすることで英米との対決が避けられなくなったわけです。
 すでに第一次世界大戦末期に成立した社会主義ソ連に対しては日本を含めて解体・封じ込め戦略を試み失敗していますが、第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)への対応でソ連を利用しかつそのためにソ連の勢力回復を助ける措置が取られ、ドイツをたたいた後にいつ日本に兵を向けることができるかとローズベルトがスターリンに問うたのが、ヤルタ会談です。<三ヵ月後>というとおりにソ連が日本侵攻のために極東に配備するのが、8月初旬です。このときすでに戦後への展望を連合国は持ち、どのように終結させるかということを考えていました。ソ連への促しに使われたのがヤルタ会談で千島列島領有をソ連に認める、としています。(だから日本のいわゆる<北方領土問題>にアメリカも責任の半分はあります。ついでに言えば、沖縄をアメリカにあげるといったのは敗戦後マッカーサーと会談した昭和**です。)
 アメリカは、7月下旬にとりあえずできた核弾頭をソ連への牽制の意味もこめて使う必要はあっただろうと思います。そしてその効果はありました。アメリカの想定より早すぎるソ連の動きを止めるための両国の協議が、8月9日と14日の間に行われ、ソ連軍の進撃が朝鮮半島中部のほぼ37度線で止まるのは、こうした威圧の効果だったろうと思います。
 同じころ5月初旬に降伏したドイツの統治を巡ってソ連と米英仏間である種の対立がすでに始まっているわけですので、極東に関してつまり朝鮮や中国国境に関してあるいは千島列島管理権について、協定するはいいとしても、実際にどう治まるのかの成り行きについてとても流動的であったはずです。そうしたときに、投下した新型爆弾の威力はほどほどにモノをいったはずです。
 つまり、原爆は、いつまでもぐずぐず抵抗してアメリカ側の犠牲も増え続ける状況を打開する効果とともに、ソ連の極東での南下にある種の制限を設ける具体的な歯止めの誇示としての意味を持っていたはずです。つまり第二次大戦中にすでに<冷戦構造>の枠組みが機能し始めているわけです。すでにおっしゃるように対日というよりは、冷戦構造下の対ソ戦略という意味のほうが大きいといっても過言ではない様に思われます。
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確かにあなたの言うことも一理あります。


ここからは僕の自論ですが、それもおかしいけど中国が核武装したときに日本の極左勢力がなんと言ったか、彼らは反核を叫ぶどころか共産主義国家の核は良い核だ。
アメリカに対しての核は正義の灰だとか言ってることにはどう思いますか?
今のウイグル、僕は東トルキスタンと言っていますが、そこで核実験をやったんです。
それまでは平和、人権、人の命を錦の御旗としていってた奴らが・・・
逆にこれを質問したいです!
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