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私は子供の頃から未だに(40歳を過ぎています)人から「頭が良いんだね」とか
「物知りですね」と言われることが多く、褒め言葉であるはずなのに嫌でたまりません。
「頭が良いのをひけらかしていると思われているのかな」とか、
「いちいちうるさいから自尊心をくすぐって黙らせたいのかな」などと思ってしまいます。
また、自分では何も知らないから知ろうとしているのに「物知りだ」とか
「頭が良いからそういうことに興味を持つのだ」と言われてしまうと、
「じゃああなたは何故そうしないの?知ることや調べることは簡単なことなのに」と思ってしまいます。
ちょっと考えればわかりそうなことを口にすれば、やっぱり「頭が良いんだね」と言われてしまいます。

物事を覚えることについてもそうです。私自身は「覚えることは
誰にでも出来、それを他の知識と結びつけたり応用したりすることが
難しい。そして学歴によらずそういうことが出来る人こそ頭が良い人だ」と思うのです。
覚え方の工夫もしないような人から「生まれつき頭の出来が違う」などと
言われると返す言葉もありません。
私はそんなことひとつも思っていないのです。得意分野もあれば苦手なものもあり、
知らないことだらけ、失敗だらけです。

肢体不自由の為、小~高校まで地元の養護学校で学びました。
私には学習障害はないので普通に勉強は出来ましたが、
普通の学校に比べれば学習進度は遅く、頭が良いと言われる程の
ことは何もなかったと思います。
卒業後、働きながら通信制の大学・大学院と進みました。
子供の頃から好奇心旺盛で、本を読んだり、楽しそうと思えることはすぐ始め、
知識や技能を身につけることは苦でなく出来ました。
それでも自分はごく普通の知的レベルだと思っています。

ただ、言われる人によってはと言われてうれしい場合もあります。
私がその人を尊敬したり憧れたり、追いつきたいと思っているような人たちです。

さて、そこで質問です。

・同じような経験をされた方いますか。
・私は自覚なく人を馬鹿にするような態度をとってしまっているのでしょうか。
・どうして「頭が良い」と言われることが苦痛になってしまったのか、
理由として考えられることはなんだと思いますか。
・褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。

よろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

 こんにちは。

褒められることが苦痛に感じることがあって、そのことで悩んでいらっしゃるのですね。
 褒めるということは、一見人間関係を良くしような、よいことのようですが、実はそこに上下関係をはらんでいます。人を評価するということは、その時点でいわば「上から目線」でしゃべっているのです。ですから、その内容がたとえポジティブなものであっても、いわれた側は何か違和感を感じてしまいます。極端な例ですが、例えば北島三郎さんに「歌うまいですね。」といえるでしょか?それ以上失礼なことはありませんね。しかし北島三郎さんに「歌うまいね」といわれれば、受け入れることはできるかもしれません。(演歌ファンであることが前提ですが。。。笑)つまり、実際に自分が目上と思っている方から褒められるといやではないのです。
 また、そもそも、人を評価できるということは、その人のことを相当程度理解していないとできないはずです。それなのに「あなたはこうだ」といわれると、なぜあなたにわかるのか?という疑問が出ると思います。その内容が自分の認識とあっていればいいのですが、今回の件ですと、自分では頭がいいと思っていないのに、頭がいいといわれると、それは自分の感覚とは違うよ、ということになり、認識の違いから距離感や疎外感、孤独感をかんじるかもしれませんね。同じ人間なのにね。
 「頭いいよね」ではなく、「ありがとう」だったらどうですか?あなたが何かすばらしいことを言って、そのおかげで「ありがとう、いいこと聞いた。」「ありがとう、楽しかった、助かった」といわれれば、それはうれしいのではないですか?あるいは頭がいいことを心から喜んでくれていることが、態度から伝わってくればいいのではないですか?
 「頭いいよね」と言ってくる人の、裏にある何かをあなたは感じていらっしゃのかもしれません。それはあなたに対する嫉妬かもしれません。自分のコンプレックスをごまかすために、無意識に優位に立とうとしているか、あなたと同じ土俵に上がりたいのか。。。
 とにかくあなたが感じていらっしゃる感覚は特別なものではなく、人間だれしも感じるものだと思います。
 もちろん抱えている問題は人それぞれなので、すべてを一般論でかたることはできません。その前提で参考になさっていただければと思います。
 
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

北島三郎さんの例は言いえて妙でした。

「頭が良いね」と言われて生まれる感情にはいろいろなものがあります。

ひとつは距離感・疎外感、「私はどうせあなたとは世界が違うのよ」みたいな
ニュアンスを感じたり(例えば裕福な人に「世界が違うわねぇ」と感じるような)
「私には理解できない話をしないで」と遮られているような感じ。

ある時は、私は頑張っていることを評価してもらいたいのに、生まれつきのものだとか
努力していないように思われること。
私は数学は興味があってもかなり苦手です。「数学って全然出来なくってダメなんだけど
頑張って勉強してみようと思うんだよね」などと言えば「もう今更勉強なんてしたくないわ。
やっぱり頭がいいんだよ」とか、「やっぱり頭の良い人は関心ごとが違うんだね」などと言われたり。

また、私が「これってこういう仕組みだからこうした方がいいんじゃない?」と軽く言えば
「ああ、頭が良いねぇ」と。そういう時は嫌な気分というよりは「なんでこんな簡単なことが
わからないんだろう?見ればわかるのに…」と思ってしまうこと。これは自分が自分で起こす
嫌な感情ですが、とにかくあまり良い思いはしません。

養護学校の時から「障害のある分、人より努力しなさい」と言われて育ちました。
障害というハンデをカバーしようと勉強したり、知識見分を広めたりしなきゃと思いますし、
努力とは思わずそれを楽しんでいます。
私自身が「体は不自由だけどこんなこと出来るんだよ」と無意識に優位に立とうとしているのかもしれません。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/23 21:22

こんにちわ。


No13です。『補足』となりますが、一人、ひとりの『回答』者様に対しての『お礼』文を拝読させて頂き、とても自分自身、改めなきゃいけないと思う内容文がたくさんありました。
*********
・・・人間は生涯、学習だと思っているんです。それはどんなことでもいい、身近なことから
仕事のこと、世界のことまで。日常から学問まで。人はいつでもどこでも学べると思っています。
*********
ですから、学ばない人は好きではありません。本(あるいはそれに準じたもの)を読まない人、
勉強が嫌いという人は正直に言って好きではないですね。
たぶん「自分は出来ないから勉強が嫌いといって放棄する人」や「勉強は社会に役立たないと
思っている人」が好きじゃないんです。
実際に出来る・出来ないはどうでもよくて、やろうとしないことが嫌なんですね。
やろうとしない、覚えようとしない、そういう人に「頭がよいね」なんて言われても「?」って
なりますよね。
*********
つまり「たいしたレベルではないと思っている自分」に対して人は「頭が良い」ということに
納得がいかないんですよね。
*********
嫌な言い方ですが、「知的レベルの格差」っていうことを自分の中に持っていて、
無意識に人に対して態度で示してしまうのでしょうか。
*********
何か物事をする時、私は「こんな手順でこんなふうにすれば効率がいい」と
事前に考えたり、仕組みや構造を知ってどうしたら問題解決できるかなど考えます。

・・・こればかりでは無いですが、これらはすべて私にとって(個人的に)とても感心の深い意見と受け止めております。理路整然とされているので有る意味“背中を押して”頂いた様な、とても気持ちの良いものを痛感致しました。・・・ちょっと考えてみれば誰にでも(?)解りそうな事であっても、そこに辿るまでが何故か“ぼんやり”としてしまっている・・・。“やれない”のではなく“やらない”のだと言う事だということ・・・。“生涯、学習”仰るとおりです。

私は、学生でもなく、若くもなく、施設生活を余儀なくされている父の介護をしている者です。(母は去年の今頃に亡くなってしまいました。)在宅介護から始まって、もう13年目になります。こちらのことはどうでも宜しいのですが、いろんな“知識欲“はその人を豊かにしてくれますよね。
とても意味深い、中身の濃い『質問』なり、『回答』を聞けてとても嬉しく思いました。
突然でビックリされたと思われますが、その点はご勘弁をお願い致します・・・。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

自分のお礼を読み直してみて「偉そうなこと言ってんなー」と思いました^^
私だって失敗もあればさぼりもあります。
ひとつ思うことは、もし障害を持っていなければ今の私ではない私だったかも
しれない。体が動かない分、人より少し出来る人になったのかもしれません。
それを羨ましく思われることは複雑ではありますが^^

お母様を亡くされ、お父様の介護をされているとのこと。
介護される身ですから、お気持ち良くわかります。
実は私も一昨年父を亡くし、祖母は認知症の為施設生活、母と2人暮らしで
ヘルパーさんがいなければ成り立たない暮らしをしています。
母も年老いており、これからあと何年一緒に暮らせるのだろうかと思います。
経済的にも楽ではありません。

>いろんな“知識欲“はその人を豊かにしてくれますよね。
そうですね。何かを知らないで損することはあっても、知っていて損することは
ひとつもないと思います。

人間とは皮肉なもので、恵まれているとみえる人よりも、大変な生活を
している人から何かが生み出されるのかもしれませんね。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/27 21:33

こんにちわ。


やはり、人は自分の知りえない事や、難問を解いたりすると、“凄いなぁ”って思ってしまうものです。自分の知識を遥かに超えていれば普通にそう思われるとおもいますよ・・・。

確かに、仰られる様に周りから“エンドレステープ”の様に同じ“セリフ”ばかり聞かされていたら“イヤ気がさす”というものですよね。私の場合、お頭の方はよくなかったので『頭が良い・・・。』なんて一度も言われたことは無かったですが、見た目の面で、周りの人より身長があって、よく『大きいねぇ。』とか『○○みたいだねぇ。』(女子プロレスラーです。)なんて言われましたね・・・。(若い頃ですが・・・。)

言っている方は悪気なく、思ったことを言っているだけとは思うけど、言われた方は“またか・・・”ってなってしまう。だからと言って“人の口に戸は立てられぬ“の様に・・・とてもイヤでしたね。

>私は自覚なく人を馬鹿にするような態度をとってしまっているのでしょうか。
・どうして「頭が良い」と言われることが苦痛になってしまったのか、
理由として考えられることはなんだと思いますか。
・褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。

一言で言ってしまえば“気にせず右から左に流すこと”ですが、ちょっとゲーム感覚で今日は何人の人に言われた、として『正』の字で毎日書き込んでいったら面白いとおもいますよ・・・。
“イヤだ”の繰り返しではなく、『表』の様に(棒グラフなり、折れ線グラフなり)して遊んでみられたら如何でしょうか。・・・真に受けてはストレスとなります。遊び感覚(ごころ)を用いてみられたら如何でしょうか。
少しでも参考になれば宜しいのですが・・・。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

まずはこちらの回答についてお礼を入れさせていただきます。

ゲーム感覚で記録するって面白いですね。
毎日何百何千と言われたらきれいなグラフが作れそうです(笑)

私は背が低いのでスラっと背の高い人を見ると「ああ、いいねぇ、
背が高いと洋服が似合うし、見栄えがいいよねぇ」と褒めます。
言われた本人はおそらくコンプレックスだろうと思いますが、
コンプレックスは武器にもなると思うんです。
コンプレックスがあるから人より頑張ろうとも思えるのですよね。

学生時代に成績が伸びなくて悔しい思いをした人からみれば
私の悩みなどは贅沢なんだろうと思います。
そうはいってもなかなか素直に受け入れるのは難しいですが^^

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/27 21:20

「頭いいんだね」「物知りだね」の前に、「へえ!」「よく知ってるねえ!」


「一コ、賢くなったわあ」…等の素直な感動の反応があれば本気で褒めてるわけで、
ひょっとして、それがないんじゃないですか?
「頭の良さ」は記憶力や知識のほかに、当意即妙・臨機応変の反応やユーモア…いわゆる
「回転のよさ」というのがあって、実社会ではそのほうがモノをいいます。

普通は、褒められて素直に喜ぶ人は少ないと思います。
私は照れて恥ずかしくなります。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

そうですねぇ、物事についての関心よりも「その話題には興味がないから
早く終わりにしてほしいなぁ」とか「どうせ私とは世界が違うんだ」みたいな
ニュアンスを感じることが少なくないですね。
話題に興味のある人はわざわざ「頭いいんだね」とか「物知りだね」とは言わず、
その話に食いついてきたり、良い質問をしてきます。
人によっては「自慢げに話す」とか「何につけ面倒くさいようなことを話す」と
思われているかもしれません。
私は受け答えはたぶん早い方だと思いますし、なんとか相手を笑わせたいなと
思ってバカっぽいことをしてみたり、失敗談なども話してみるんですけどね。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/27 20:55

>同じような経験をされた方いますか。


以前は貴方と同じように嫌でたまらなかったが、10年ほど前から余り気にならなくなった

>私は自覚なく人を馬鹿にするような態度をとってしまっているのでしょうか。
そういうケースもあるのかもしれない
同じ事をしても受け取り方は千差万別

>どうして「頭が良い」と言われることが苦痛になってしまったのか、
>理由として考えられることはなんだと思いますか。
これは貴方が初めに書いている「人間なら当たり前の筈のこと」を、「出来ない」若しくは「しない」人が増えてしまったから
現代社会は人々が未熟で私利私欲のために平気で殺しあっていた時代とは違い、平和で生き抜くために様々なことを考え続けなくてはならない時代ではなくなっている
貴方から見て「当たり前の事をしているのに優れていると判断する人」は、貴方には「自分がしていないだけなのを正当化している」ように見えてしまうのだと思う
時代が時代なだけに、その人達は特別手を抜いている訳ではなく、また悪とも言えないと分かっている
そのため人にではなく、その行為に嫌悪感が湧くのだと思う

>褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。
「人は褒められれば喜ぶ」というのは固定観念なのでは?
何故、褒められたら喜ばなければならないのか
子供ではないのだから、褒めらる事に喜びを感じ何かを学ぶ時期などとうに過ぎている
個人的には、考え方を変える必要はなく、寧ろ自分がどう感じているかを明確に伝えるべきだと思う
何故なら価値観の相違とは、互いが正確に認識し互いに受け入れなければならないものだから
その時は自分も相手の価値観を受け入れるために、相手の褒め言葉を言葉通りの意味に取るのを止めなくてはならない
「頭いいな」ではなく「よくそんなこと知ってるな、俺(私)は知らなかった」
「頭いいな」ではなく「よくやった、他のやつじゃこうは行かない」
現代人は明らかに会話を利便性で行う傾向にあるので、状況に応じた正確な判断をしなくてはならない
嫌味や皮肉で褒める人間は適当にあしらって置けば良い
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

みなさんの回答を読んで自分なりに回答を模索していますが、回答はひとつなのではなく
いくつかの複合要素で成り立っていそうだなと今考えています。

その中のひとつが、
>「自分がしていないだけなのを正当化している」
です。
私の基本姿勢は「まずやってみること」なのですが、これをせずに「あなたは私より出来る」
「あなたは私とは世界が違う」と言われることに対する反発心なのだと思います。
もちろん人には出来ることと出来ないことがあって、誰もがイチローになることはできません。
でもイチローは自分に与えられたものに気付き、それを活かし、伸ばす努力をしています。
だから「スゴイ!」と言えるんですよね。
しかし世の中のほとんどの人は人から言われたことだけをやっている、言われたことも
やらなかったりする、忙しいから、出来ないから、などと言い訳をして。
「気がつかない」のではなく「気づこうとしない」「考えようとしない」人もいます。
私から見れば「体が自由に動いてなんでも出来るはずなのに、何故自分を磨こうとしないの?
何故やってみようとしないの?何故もっと考えないの?」と思ってしまうわけです。

>「人は褒められれば喜ぶ」というのは固定観念なのでは?

これは目からウロコでした。
そして、時と場合・相手にもよりますが、こう言われて今までどう感じてきたのか、
多少なりとも不快に感じるということなどを伝えていきたいと思います。

>嫌味や皮肉で褒める人間は適当にあしらって置けば良い

一度でいいから相手に「これくらいのことわからないんですか~?」って
言ってみたいです(笑)
まぁそれは冗談ですが適当でいいのかもしれませんね。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/27 21:12

>同じような経験をされた方いますか。


あります。質問者さんにとても共感しました。
小学生くらいから頃から「頭いいね」と言われ続けて、今は大学生ですが未だに言われます。私もそれが嫌でたまらないです...。別に私より頭の良い人は周りに沢山いますし、私も勉強出来る/色々と知識を持っている=頭が良いではないと思います。性格はどちらかというとバカっぽいですし;;

>私は自覚なく人を馬鹿にするような態度をとってしまっているのでしょうか。
質問者さんを知らないのでなんともいえませんが;; 
私はどちらかというとお酒や騒ぎ、馬鹿なことが好きでおっちょこちょいなので、おおよそ頭の良さそうな態度はとっていませんが、なぜか「頭いいね」と言われますから、たぶん態度はあまり関係ないと思います。
けれど、もし「頭が良い」というのを嫌味っぽく言われた経験が多いのでしたら、もしかしたらそんな態度を取ってしまったこともあるのかもしれませんね;;

>どうして「頭が良い」と言われることが苦痛になってしまったのか、
理由として考えられることはなんだと思いますか。
私の場合は周囲からの過度の期待と、優等生に対する反発でした。
親が優秀だったので、私がそれなりの成績をとっても「数学が駄目だな」などと言われているうちに他の人から”勉強が出来る”と言われても、なんだか苦痛で「どうせお世辞なんでしょう・・・」と思うようになってしまいました。
また私は適当で授業も教科によっては嫌いでよくさぼっていたので、優等生や先生にクラ好かれている"良い子"からよく説教じみたことを言われていたのも、原因の一つです。
あと周りからは、自分に自信なさすぎる、卑下しすぎている、言われます。
質問者さんに当てはまるものはあるでしょうか?

>褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。
考えてみましたが、難しいことですね; 
褒められて嬉しい人からの褒め言葉は素直に受け止められるので、なぜ他の人では「うっまた言われた・・・」となってしまうんでしょうね;;
いい考えが浮かびません^^; なんとなく観察してると、自分に自信のある人は結構褒め言葉を素直に喜べるみたいです。

まとまりのない回答ですみません。ちょっとでも役に立つといいのですが^^
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あなたが、他の人に『すごいね!』とか『そうなんだ、知らなかったぁ』と言うことはありますか?



私も、相談者様とおなじような気持ちを持つことがあります。
自分が調べたり、勉強したりして説明してるのに、’あんたは頭がいいよね’と言われると腹が立つこともあります。

ところで、人はみんないいところと悪いところ、得意なことと苦手なことがあります。
相談者様は頭がいいんだと思います。褒め言葉でも嫌味でもありません。
情報を集めて、順序よく整理し、それを説明できる方なんだと思います。
それがあなたの得意なことです。
では、苦手なことはなんですか?
それを人に見せたことはありますか?
自分の失敗や間違いを人に話したことはありますか?
まわりの人にいいところだけ見せようとしてませんか?

自分の会社での経験なのですが、ある社員にあったばかりのころに’頭いいもんねぇ’と言われて、素直に喜べないことがありました。
そのあと、月日が経つにつれ、私がおっちょこちょいなことや、失敗することがあるとわかってくると’意外とだめなとこあるよね。でも、頭の回転ははやいよねぇ’という表現に変わってきて、素直に聞けました。
相手が、頭の良さではかなわないかもしれないけど、他では私のほうがしっかりしてるもん!と思ってくれたことで、バランスが取れました。
実際に、頭を使う難しい仕事は私が手伝うし、根気が必要な単純作業は手伝ってもらう、という風になっています。

また、あなたは本を読んだり、勉強することが嫌いな人のことをどう思っていますか?
ひとりかふたり、思い浮かべて、その人たちの良いところを言えますか?
もし、思い浮かばないとしたら、あなたがその人たちを下に見ているということです。
あなたが苦手なことで、彼らが得意なことが必ずあるはずです。
相手のいいところを見つけて、その部分を認めてあげると、会話の様子が変わるかもしれませんよ。

おそらく、あなたは『頭が良い』ということに自尊心が高いんだと思います。
だからこそ、人に言われたときにいろいろ考えてしまうんだと思います。
で、人はそれぞれにそれとは違うところに自尊心を持っています。
あなたがそれに気づいて、褒めたり、関心したりすることができるようになると、『頭が良い』と言われた時の聞こえたが変わってくると思いますよ。

うまく説明できず、長くなってしまいました。すみません。。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

>あなたが、他の人に『すごいね!』とか『そうなんだ、知らなかったぁ』と言うことはありますか?

もちろんあります。私は物知りでもなんでもないし、世の中には本当に物事を知っている人が
たくさんいて、いつになったらそんなふうになれるのだろうか、と思います。

苦手なことももちろんありますよ。人にも見せます。失敗や間違いを話してみんなに
笑ってもらったりすることもあります。「バカだねぇ」と言われた方がよほど気が楽なんです。
ただ、他の方のお礼にも書きましたが、苦手なことは苦手じゃなくしたい、得意にならなくても
人としてここまでは知っておきたい・出来るようになりたい、と思います。

人間は生涯、学習だと思っているんです。それはどんなことでもいい、身近なことから
仕事のこと、世界のことまで。日常から学問まで。人はいつでもどこでも学べると思っています。
(もちろん環境的に出来ない人はべつですが)
ですから、学ばない人は好きではありません。本(あるいはそれに準じたもの)を読まない人、
勉強が嫌いという人は正直に言って好きではないですね。
たぶん「自分は出来ないから勉強が嫌いといって放棄する人」や「勉強は社会に役立たないと
思っている人」が好きじゃないんです。
実際に出来る・出来ないはどうでもよくて、やろうとしないことが嫌なんですね。
やろうとしない、覚えようとしない、そういう人に「頭がよいね」なんて言われても「?」って
なりますよね。
ただ、彼ら(彼女ら)にとって、やる気がないんじゃなくて本当に出来ない、つまり私が
易しいと思っていることが根本的に出来ない人がいるのかもしれない、と最近思ってみたりします。
下に見ている、とかじゃなくて、速く走れる人とそうでない人がいるみたいに。

>ひとりかふたり、思い浮かべて、その人たちの良いところを言えますか?

言える人もいれば言えない人もいます。言えない人は…たぶん苦手なタイプの人ってことです(^^

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/23 21:44

・褒め言葉を素直に喜べるようになるにはどう考えを変えたら良いと思いますか。



褒めてくれていることに対して裏を読まずにすぐに喜ぶのがいいと思います。
相手は質問者さんの機嫌を損ねようとして褒めているわけではない可能性があります。

もちろん質問者さんに媚びるために褒めている可能性もあります。
質問者さんを見下しているかもしれません。

ただ、あくまで可能性であり、本心を知りうることは難しいです。

考えても無駄に近いことに尽力するなら、
褒め言葉には素直に喜んで、喜んだ後は思い返さないようにする方が気持ちが楽だと思います。


相手がどう考えているかは分かりづらいものです。
勝手に自分の中でストーリーを膨らませて、正しい結末に辿りつかない悪循環に陥っているのではないでしょうか。

他人の常識と自分の常識は違うので、
「頭が良いね」と言う場面や言い方、その他色々な事が自ずと異なるはずです。

答えが出るものなら考えてもいいですが、
もし出なかったり、悪い答えしか出ないのなら、
考えることをやめる努力も必要だと、私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

おっしゃることはよくわかるんです。
確かに褒め言葉は裏を読まずにそのまま受け取るのが一番よいし、
気に入らなきゃ流せばいいと理解はできますが、感情がついていきません。
本心はわからないけど、でもやっぱり感じてしまう何かってありませんか。
答えは出なくても、あるいは悪い答えになっても、私はそこにある人間の
営みを見たいと思ってしまいます。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/23 21:26

1、同じような経験かどうかはわからないけど、ありますよ。


私の場合はつまるところ「話題誘導」をしてるだけで、そのときにポン、と「話題と答え」をセットで提供してあげてるだけですから、物知りかというと、たいしたレベルじゃないんですよね。
何でそんなことするか?っていうと「話のきっかけを作ってあげたい」と思うから。
黙って顔を突き合せるよりは、みんなで笑いたいじゃないですか?。
だからそうしてるだけなんですが「頭がいいね」と言われても…自分じゃそんなことないのは知ってますから、ただ「ありがとう」って感謝です。
気持ちに感謝してますし、素直に嬉しいです。

2、本当のところはどんな状況かはわかりませんけど、1でも書きましたけど「サービスの仕方」っていうのを、ちょっと間違えると「イヤミ」になりやすいんですよね。
あと「誰にでも出来る」か?っていうと、そういうものじゃないです。
それは自慢でもなんでもなくて「他の人が出来ないこと」をスムーズに出来るということ自体が、案外とすごいことなんですよ。
だから「聞く人が面白いと思ってくれるかな?」と、考えながらしゃべると、フランクな感じが出ると思います。

3、想像ですけど「自分を恥じて」ませんか?。
理由はわかりませんけど…でももしそういうところがあるなら、それは「捨てた」ほうがいいです。
もう40超えたのだし「裸」になっちゃいましょう。

4、「足りないところがあるにかかわらず、感心して褒めていただける…」つまり「感謝」です。
詳しい人は自分のほかにももっといる。
もっと話し方が上手で、心を軽くしてあげられる人だっている。
…相手の人が言う言葉が、本当に心がこもったものかどうかはわからないけど、それでも「一度口から出た言葉」そのものを疑ってかかるくらいなら、最初から「話さないほうがいい」ということです。
相手がほめてくれるなら、そのためにこそ話すべきでしょう。
自分にとってもそうだし、相手にとってもそうですが「足りる」ということは…難しいです。

特別、素直になる必要なんて無いと思います。
ただ「互いが足りない」存在なんだ、ということが実感できれば、自ずと「感謝」は出来るようになると思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

それはあるようでないようで、ないようであるようで。
劣等感は特にないですし、過剰ではない程度の自信もあります。
障害のことは確かにコンプレックスではありますが、そこにばかり執着しているわけでもないです。
ただ、一般の人たちがする受験やレベル分けに縁がなかったせいか、
自分の知的レベルがどうなのかわからず、低めに見積もっているっていうのはありますね。

自分で言うのもなんですが、茶目っけはある方だと思うんです。
この間も外出先で何食べるか考えてばかりいたら肝心の用事を忘れちゃったとか、
世間のこと、自分のこと、いろいろな場面での面白い話、為になる話、いろいろするし、
スポーツネタだけはあまり興味がないけど守備範囲も広い方で、たいていどんな方とも、
あるいはどんな人とも一応の話は出来る方だと思うんです。
また、興味深い話を聞いたり、相手の関心ごとがわかれば、そのことについて
勉強したり調べてみたりして次回もう少し詳しい話が出来るようにする方です。
そういうのがイヤミになっちゃうんでしょうか。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/23 21:04

女子大生です。

私も、似たような経験があります。
初めてそれを感じたのは、一学年3クラスのやや小規模の中学校に入学してからでした。中学受験をしたわけではなかったので(私の地元(関東の地方都市)ではあまり一般的ではないので。)、県内トップ高レベルの実力が当時有った私は完全にクラスの女子からは浮いていました。――友達の条件は学力ではないのに、「頭が良いから・・・」と、距離を置かれます。学級委員だったのも一因でしょう。規則をどうしても破れない固い所もあり、まさに優等生タイプでした・・・。おそらく、(私はそうですが)人より知的好奇心が旺盛で、疑問を解決するところが「頭がよい」と思わせるきっかけになったのかもしれません。

■自覚無く馬鹿にする態度を取ったか
あなたは誰かを馬鹿にしたわけでは無いはずです。馬鹿にした相手を誉める人など、普通は居ません。純粋に誉められているのでしょう。

■どうして苦痛になったか
少なくとも私は、周りより勉強ができるためにクラスの女子に馴染めなかった事が原因です。もしかすると質問者様も、それがその理由の一つではないでしょうか。「頭が良い」と思われることが人付き合いを深める妨げとなり、どこか寂しい思いをされているのではないでしょう。私はそうです。「しっかりしてるから――(そんなことしないでしょ?)」みたいに、仲間に入れてもらえないことが多いです。私は「皆と同じ、普通の人」って思って欲しかったです。

■誉め言葉を素直に喜ぶには
相手の言葉をどう解釈するかはあなた次第です。相手はあなたを誉めているのに、あなたが上手く喜べないように・・・例え本当にあなたの頭の良さが羨ましくて言っていても、それをあなたなりの解釈で“喜び”に変えてしまっても良いのではないでしょうか。少なくとも相手は、誉め言葉を使っているのですから。また、周りの人を、別の言葉で良いから誉めるようにしたらどうでしょう。他の方が誉められて喜ぶ姿を見て、自然とあなたも喜べるようになるかもしれません。
誰かに誉められる事って、いくら望んでもなかなかされることではありませんよ・・・?そう考えるだけでも、誉めて頂けることって凄いことではありませんか?“誉める=あなたが素敵”だと思います。喜ぶべき事だと思いますよ。

若者が偉そうに――参考になるとは思えませんが、長々と失礼致しました。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

私の育った養護学校というところはいかに障害を克服しカバーしながら
生きる力を身につけるかということが中心で、勉強は二の次でした。
学習進度も遅れに遅れ、その中でトップをとって「頭が良い」と褒められても
正直なところうれしくなかったんです。
自分では「普通学校の人たちはもっとレベルが高い勉強をしているし、
社会にでれば私の知的レベルなどたいしたことはない」と思っていました。

大学は入学試験のない某通信制大学。まわりにライバルもいません。
大学院になってようやく人と自分との知的レベルの差を知ることが出来ました。
勉強しながら仕事もしているのですが、以前勤めていたところは優秀な人たちが
集まるIT関連企業。今度は自分の出来なさを痛感しました。

偏差値など知らなくても良いことかもしれませんし、人と比べるのはナンセンスですが
自分がどのくらい出来るのか、どこまでいけるのか、知りたいという気持ちは今でもあります。

つまり「たいしたレベルではないと思っている自分」に対して人は「頭が良い」ということに
納得がいかないんですよね。
「疎外感」もありました。友達を学力では選んでいないし、あほなこともするし、
たいていのことは出来るけど不得意なところもある。ちょっと失敗すると「あら、
頭の良いmulti_ponちゃんらしくない」なんて言われたり「お前の頭はコンピュータじゃ
ないな」などと叱られたこともありました。

>馬鹿にした相手を誉める人など、普通は居ません。純粋に誉められているのでしょう。

人間関係を維持する為には嫌いな相手、馬鹿にしている相手を褒めなくてはならない場合もあります。
私はお世辞は言えませんが、言う人もいるんですよね。
お店の人って「お客様は色白でなんでもお似合いですね」なんて褒めますが
お世辞と知りつつ普通はいい気分になりますよね。
そんなふうに受け取れたらいいのに、と思います。

お礼をお読みいただき、また何かお気づきの点がありましたら
お願いします。

お礼日時:2011/02/22 17:10

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