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 歴代天皇の漢風諡号は、平安時代に淡海御船によって撰ばれたそうですが、国風諡号は、いつ、どんな人によって撰ばれた(つけられた)のでしょうか。諡号ですから、生前ではないと思います。とすると、葬礼の時?誄の中で?
 また、お坊さんが戒名をつけてくれるのと同じように、諡号をつける特権を持っていた人がいたのでしょうか。

A 回答 (1件)

0.部分的にしか答えられませんが。



1.仲哀以前の国風諡号は安閑以降の創作でしょう。
  何故なら、応神~継体の国風諡号は、実は本名と考えられるからです。

2.諡号奉呈の時期は、普通は最後の誄の時、と考えられます。
  というのも、誄には、皇位継承に伴う権力空白期における新帝の承認儀礼という意味が認められ、国風諡号の奉呈も、先帝を皇統譜に組み込む政権の承認儀礼として位置付けることができるからです。
  確実な例としては、『続紀』大宝3年12月17日条・慶雲4年11月12日条が、それぞれ持統天皇・文武天皇について伝えています。また、聖武天皇の場合、彼が出家していた関係から、最初は諡号を送らなかったのですが、後になって追上されています(『続紀』天平宝字2年8月9日条)。

3.諡号の奉呈者は、もし2が正しいのなら、最後に誄を行った人となります。
  先程の持統天皇・文武天皇の例では、いずれも当麻真人智徳という人が奉呈していますが、彼が如何いう人間で、また如何なる根拠でそれを行ったのかは不明です。聖武天皇の例では孝謙天皇自身が詔勅を発しています。

4.諡号の選定者は、何らかの有識者によるのでしょうが、具体的には分かりません。
  ただ、先述したように聖武天皇は始め諡号を贈られなかったのですが、その『続紀』天平感宝8歳5月19日条に「更に諡を奉らず。所司知るべし」とあり、諡号を司る役所があったようにも思えます。なお、岩波新大系のそこの注は「職員令16の治部省の卿の職掌の中に『諱』のことも含まれているので、『諡』に関する所司も治部省か。」とします。
  
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この回答へのお礼

 何度となくお世話になっています。ありがとうございます。
 なるほど、そういわれてみると、応神~継体の国風諡号は、本名のように思われますね。
 当麻真人智徳は、当麻寺に関係がありそうな名前ですね。当麻寺は、日本で最も古い~(~の部分は、忘れてしまった)の寺といいますし。当麻氏が葬礼に関わる職にいたことは、私にとってすごい収獲です。ありがとうございます。
 当麻蹶速と野見宿禰の話も宗教戦争だという説もあるようですし。いろいろ夢は(ロマンでしょうか)広がります。
 ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/24 14:38

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