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(最初に、キリスト教について専門的なことや宗教的なことはわかりません)

おおきく分けて旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)があるのは知っています。
私の個人的なイメージでは(本当はもっと複雑で到底一言では言い表せないとは思いますが)、

前者は、保守的・荘厳・戒律・神父さま・カトリック教会・ローマ教皇

後者は、宗教改革・比較的自由・牧師さん・ルーテル教会・ルター派

さて、本題です。
意外なこととは、あのマタイ、ヨハネ受難曲をはじめロ短調ミサ曲など宗教曲や普遍的な作品の数々を書いた大バッハがプロテスタントで、かたやちょっと世俗的・旋律的でオペラの影響が強いとされながらもしかし美しいモテット(k165)やアヴェ・ヴェルム・コルプス(k618)など珠玉の宗教曲も書いたモーツァルトがカトリックだったなんて・・・

私の中では正反対のイメージがあったものでなおさら驚きを隠せません。
(でもモーツァルトに関しては、確かにザルツブルグという土地柄はカトリック色でしょうね!)

バッハは絶対カトリックだとばかり思っていましたので・・・(今更ですが、荘厳・厳粛・禁欲さが作品に表れています。でも彼は結婚してて子供も多かったそうですね?やはりプロテスタントかなぁ?あ、別にプロテスタントが自由で世俗的というイメージでは決してありません)

このことに関してどう思われますか?

A 回答 (6件)

私も同じように感じていました。


作曲者の宗教的背景を知ってから、後で音楽を聞くと、
初めの印象とギャップを感じることもありまよね。

日本のキリスト教の、大雑把な関係を記載しますので、
また、ご参考にしてください。学校名は聖職者養成学校です。

プロテスタントとは、カトリック以降に派生した教派総称です。
当時堕落したカトリック教会に、異議を唱えたのが宗教改革です。
カトリック⇒ルター宗教改革⇒ルター派教会⇒日本ルーテル教団(ルーテル学院大学)
カトリック⇒カルバン宗教改革⇒長老派教会⇒日本キリスト教団(東京神学大学)権威的
カトリック⇒イギリス宗教改革⇒イギリス国教会⇒アメリカ移住(ピューリタン革命)
     ⇒メソジスト派⇒日本キリスト教団(関西学院大学)民主的
カトリック⇒イギリス宗教改革⇒イギリス国教会⇒アメリカ移住民(ピューリタン革命)
     ⇒会衆派⇒日本キリスト教団(同志社大学)民主的
カトリック⇒イギリス国教会⇒日本聖公会(聖公会神学校)

日本の信者数で言うと、
日本キリスト教団>日本のカトリック>日本聖公会>その他プロテスタント、東方正教会
戦時中は、キリスト教はプロテスタントが統合され、
日本キリスト教団と日本のカトリックだけでした。
戦後、日本キリスト教団から多くが離脱しました。
ですから、プロテスタントでも固い厳格な教派から、民主的、比較的自由な教派まであります。
ゆえに、簡単にカトリック的、プロテスタント的と、分けにくいものがありますが、
日本での印象はカトリック=バチカンのイメージで
jupitanさんの、保守的・荘厳・戒律・神父さま・カトリック教会・ローマ教皇と
イメージがはっきりしているのに対し、
プロテスタントはよくわからないので、その逆というイメージが一般的かと思います。
実際いっぱいありすぎて、一言で言えないのです。

バッハはルター派のプロテスタントでした。
ルター派はその中でもかなり厳格な教派です。
バッハの生まれたアイゼナハは、ルターの宗教改革とたいへん縁の深い町でした。
バッハがミサ曲などのカトリック音楽を作曲していますが、
それは、音楽的名声と、生活を支える為でした。
カトリック音楽(ミサ曲)の作曲は、収入がよかったのです。

モーツァルトの父は厳格なカトリック教徒で、その影響を強く受けました。
ですが、カンタータは、ルター派の礼拝のために作られた音楽で、
ミサ曲のルター派教会ヴァージョンです。

いずれにしても、二人とも宗教世界の中で生活し、作曲していましたが、
一つのキリスト教会派の枠の中にとらわれない大天才であった。
ゆえに、私たちがキリスト教を知らずに、ただ音楽として聞いても、
心が動き感動してしまうと言うことでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

とても詳しくご説明頂きよく分かりました。

バッハとルター派、アイゼナハ、そしてミサ曲の作曲が音楽的名声と生活の為、等々の関係が理解できました。

また、モーツァルトはじめ大作曲家達は単にキリスト教の教会派という枠を超えて普遍的かつ音楽として万人を感動させる素晴らしい音楽をつくったといえますね。

お礼日時:2011/03/31 21:51

第2バチカン公会議後は、逆にカトリックのほうが自由です。


シスターが仏壇を持っていたりします。
知り合いのプロテスタント信者は、これが罪になるなどと
かえって保守的なことを考えているようです。

バッハはプロテスタントだということは知っていましたが
ミサ曲(もちろんカトリックです)を書いていたような気もします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

カトリックの方が自由なところもあるのですね。

バッハの場合、逆にどうもプロテスタントは厳しかったようですね。

お礼日時:2011/03/31 21:38

>>このことに関してどう思われますか?



 バッハは、教会とは無関係で、有名な『農民カンタータ』Mer hahn en neue Oberkeet BWV212や、『コーヒーカンタータ』Schweigt stille, plaudert nicht BWV211のほか、結構な数の世俗カンタータを書いた、音楽の方でも多産な、幅の広い人です。

 もし二人の内、バッハが保守的に見えたら、日本に西洋音楽を紹介した人たちの影響かもしれませんね。

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

バッハは~音楽の方でも多産な、幅の広い人です

なるほど、納得です!笑
確かに音楽の教科書などでもバッハは「音楽の父」と教えられ、近寄りがたく絶対的で雲の上の遠い存在の人っていうイメージがありました。それらが保守的=カトリックと勝手に思いこんだ要因かも知れません。

お礼日時:2011/03/29 22:20

横から一言



キリスト教は大きく分けて、
1.正教(ロシヤ正教、ギリシャ正教,....)
2.カトリック(旧教)
3.プロテスタント(新教)(ルター派、カルヴァン派、聖公会....)
になると私は思います。

正教(東方教会)を忘れると、全体像が見えなくなると考え、投稿いたします。日本では、東北、北海道に信者が多いと聞いております。
又日本ではルターが有名ですが、信者数ではカルヴァンが始めたカルヴァン派が多いのではないでしょうか。聖公会は英国国教会のことで、プロテスタントに分類されますが、教義はカトリックに近いと思います。 

直接の答えでなく申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

キリスト教についてのご説明とても参考になりました。

お礼日時:2011/03/29 22:12

 宗教は、個人個人で勝手に選ぶものではなく、その人が生きているコミュニティで決まる、ということだと思います。

特に、人が大きく移動することなく、狭い社会で生きていた19世紀以前では。

 ヨーロッパでは、オーストリア(ハプスブルク帝国)、南ドイツ(バイエルンのあたり)、フランス、スペイン、ポーランドなどはカトリックです。
 ルター派は主に北ドイツです。
 イギリスは特別な英国教会、ロシアはロシア正教です。
 ところどころに集まって生活してたユダヤ社会ではユダヤ教。
 人の移動が盛んになった19世紀後半以降では、こういった宗教地図もかなり入り混じっていると思いますが。

 カトリックは、基本的に「教会」が中心で、強い権限を権限を持ち、ローマ教皇がそのトップに立つ巨大な組織です。教会でのミサはラテン語で行われ、従って宗教音楽はラテン語の歌詞です。

 これに対し、プロテスタント、特にルター派は、信徒1人1人が直接神とつながるべきと考え、教会・牧師はその仲立ちをする、との考え方です。ルターは、信徒が自分で聖書を読めるようドイツ語訳しました。宗教音楽も、その土地の言葉の歌詞で、バッハの受難曲やカンタータの歌詞はドイツ語です。北ドイツのハンブルク生まれのブラームスは、カトリックのウィーンで活躍しましたが、ドイツ語歌詞の「ドイツ・レクイエム」を作曲しています。

 宗教音楽なので、宗派によらず、基本的には「おごそか」「厳粛」「真摯」「真面目」というイメージは共通と思います。ましてや、個人の性格と宗派は全く関係ないと考えるべきでしょう。
 でも、プーランクの「グローリア」のように、ちょっとポップで、色っぽいところもある宗教曲もあります・・・。(宗派はカトリックで、歌詞はラテン語ですが)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

当時の、特にヨーロッパでは宗教は今考える以上に国や政治と強く結びついていたのでしょうね。
その宗教観が建築や美術、音楽にも影響を及ぼし見事に一体となっているように思えます。

特に音楽では大バッハ(ヨハン・セバスチャン)の登場で高い精神性・普遍性といった、それまで教会の付随的なものであった音楽が飛躍的に発展し、音楽専用のホールで独立して演奏される足がかりをつくったとも思えます。彼の受難曲のコラールなどを聴くと何というか全てを超越した何かを感じ、私なんかでも厳かで敬虔な気持ちになります・・・

ブラームスについて貴重な情報をありがとうございました。

お礼日時:2011/03/29 11:05

率直に言って。



バッハをカトリック信者と思い込んでいる人がいることのほうがびっくりです。

バッハの音楽に興味のない人ならそもそもバッハがカトリックだろうがプロテスタントだろうが気にしないでしょうし、バッハの音楽に興味を持ちながら、バッハの音楽がルター派の信仰と切っても切れない不可分の関係にあることを知らずに過ごすというのもかなり難しいことのような気がします。

そもそもバッハの宗教曲の大半はルター派の教会で演奏されるために書かれたものです。
受難曲、教会カンタータ、これらはルター派教会の求める音楽形式であり、他のプロテスタント諸派およびカトリックの教会で演奏されることはありません。

例外はミサ曲ロ短調。
ミサ曲はカトリックの典礼で使用される楽曲なので、これをなぜバッハが作曲したのか?その理由がむしろ問題とされています(いろいろな説があります)。


>前者は、保守的・荘厳・戒律・神父さま・カトリック教会・ローマ教皇
>後者は、宗教改革・比較的自由・牧師さん・ルーテル教会・ルター派


プロテスタントにも各派があり、それぞれかなり色合いが違います。
私も詳しくはありませんが、ただプロテスタントが生まれた経緯を考えると「形骸化したカトリックの信仰に異を唱えた」プロテスタントのほうが敬虔実直生真面目というイメージがあります。この辺はバッハの音楽に対する世間一般のイメージと重なるように思います。

この回答への補足

いろいろと調べたのですが、16世紀カトリックではマタイ、ヨハネといった受難曲も結構書かれていました。また、バッハは特に晩年において、そもそもカトリックとプロテスタントに分けるということについて本来のキリストの教えから逸脱していると考えるようになり、音楽において厳密な振り分けをするといったことに抵抗を感じていたようでもあります。カンタータでも結構、世俗的なものも書いていますよね。うーん、なるほど先見の明をもっていたバッハならではしょうか・・・

補足日時:2011/03/29 10:29
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

はい、あまりにも自分の無知さに今更ながら恥ずかしい限りです・・・汗

バッハの偉大さには常に尊敬の念を持って接していましたが、仰せの様にプロテスタントのルター派とは切っても切れない関係であるという根本的なことを理解してなかったようです。いま一度、音楽を聴くにあたり勉強し直す必要アリですね。あと、ロ短調ミサ曲に関しては確かにカトリックの音楽ですね。調べてみるとバッハが例外的に作曲したとの説が有力みたいですね。

お礼日時:2011/03/28 23:33

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