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日本書紀には、よく 「九月甲子朔戊辰」 などと、まず、暦(日付)が書かれてから出来事を書いてあります。
 XX月XX朔XX XX月は、簡単に「九月」は理解できます。
 次のXX朔XXが、どうして、「XX日」になるのかがわかりません。

干支(十干十二支)で、辛亥革命は、辛亥の年(60年周期)に起こったので辛亥革命といわれる。ここれは、西暦との対応表があるので一目瞭然なんですが・・・・。

「朔」の文字も、月暦で満月と新月(旧暦の1日と15日)を示すとありますが、なぜ、干支と干支の文字の中に「朔」が必要なのかわかりません。
どなたか、簡単に説明をお願いいたします。

A 回答 (1件)

干支が60年周期で同じものが回ってくるのは既にご存知ですよね。

この順番を紀日にも使っているのです。
甲子は1番目、戊辰は5番目なので、「九月甲子朔戊辰」とは「九月は一日が甲子で、その戊辰にあたる日=5日」ということになります。
一月が30日固定であったなら、二か月単位で干支と日にちが特定されるのですが、そうではなかったため、毎月の一日の干支がずれてゆくので、このような紀日法となっています。
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この回答へのお礼

いつも、とばして読んでいた暦が、親しめるようになりました。

では、景行記のこの日付は、十七年春三月戊戌朔己酉

戊戌(35)
己酉(46)
46-35+1=12
 景行17年 春 三月十二日 という事ですね。

三年春二月庚寅朔

このパターンは、景行三年 春 二月一日 (一日は、庚寅ですよ)

こんな感じですかね?

よく理解できました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/31 06:25

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