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三国時代、三国志が有名ですが、世界でもこれほどの数の人間が戦った戦争は無いと思います。
人口は5分の1ほどになってしまったようなことも書いてありました。

数に誇張はあるかもしれませんが一回の戦闘で何十万という人間が激突し、死んでいくわけです。
物語では一揆うちのシーンが取り上げられていますが実際は兵士同士の泥臭い殴り合いだったと思います

当然、戦地には沢山の死体が置きっぱなしになるわけですが
それらは、腐敗してネズミや害虫、病原菌などを撒き散らすばかりではなく
常識的に考えて、川に流れ込んで赤潮などの大変な被害が出ますよね?


当時の人々は合戦場の死体を一体どうしていたのですか?

日本の大河ドラマでも戦争の殺し合いばかりが映りますが
人民の様子が全く見えてきません。

詳しい方教えてください

ついでに資料なんかあれば紹介してくださると嬉しいです。

A 回答 (1件)

なんたって中国人は白髪三千丈に代表されるように数字を誇張するのが大好きですからね。

あの南京大虐殺だって、そもそも30万人も当時の南京にはいなかったといわれています。

さて、三国志の戦争の実際がどうだったのかというともうこれはちゃんとした資料が残っていないので推理するしかありません。しかし、真面目に推理すればするほどその実数はかなり少数になるようです。
あの赤壁の戦いのときの曹軍はせいぜい数万程度ではなかったかと近年の研究ではいわれています。曹操軍を支えていたことで有名だったのが青州兵ですが、だいたい2万人くらいではなかったかといわれています。曹操が優れていたのは、各地に屯田兵を作ったことです。屯田兵は、普段は農民をやらせていていざとなると兵士として使う人たちのことです。
一方の孫軍はせいぜい数千程度ではなかったかといわれています。しかし曹軍が数万なら戦力比としては三国志演義などでいわれているほどの戦力差と近い数字になると思われます。

三国志の時代というと、武将が有名ですし、三国志演義などでは一騎打ちのシーンすらあります。実は当時の軍隊というのは勇猛な武将に率いられていた烏合の衆というのが実態です。武将がやられると普段は農民である一般兵は「大将がやられちまったらオラたちはもうダメだあ」と逃げるしかなくなるのです。
だから、おそらくですが私たちが思い込んでいるほど死傷者は出なかったのではないかと思われます。戦争というより、死人が出るスポーツの試合というのがイメージに近いのではないかと思います。

そもそも三国時代の中国の人口は、中国全土で戸籍に記録がある程度で1000万人程度ではなかったかといわれているそうです。前漢の平和な時代には全国調査で6000万人程度と推測されるそうですが、当時の農業技術ではそれが限界ではなかったかといわれているそうです。
例えば10万人の兵隊がいたとすると、一日2食としても毎日20万食必要です。1ヶ月の在陣なら、600万食です。それを維持することが現実的に可能であったのか?というのは考える必要はありますね。
また太平洋戦争末期の日本のように、「根こそぎ兵隊に動員する」みたいなことがありますが、この場合は全人口の1%程度が限界で、2%くらい動員すると社会の機能に大きな問題が出てくる(労働者不足など)そうです。なぜなら人口の半分は女性で、さらに男性にも老人や赤ちゃんがいるからです。
魏が仮に2/3を支配していたとして、600万人の人口がいたとしたら根こそぎ動員しても6万人が限界、そう思うと赤壁のときに動員した曹軍が数万の軍勢だったとしても「とてつもない大軍」であり、多くても200万人の人口にもならなかったであろう孫軍の軍勢が数千でも「持てる力を全動員」といえたかと思います。
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