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司法試験に合格しそこなった、なんてイメージを持っちゃいますが法律について研究するってどういうことなんでしょうか?
そんなに法律のことをどうにかしたいんなら、司法試験をうければいいのに、って思っちゃうんですが根本的に法曹界の人間と法学部の教授は求めていることが違うんでしょうか??

A 回答 (12件中1~10件)

NO6の者です。


大学の教授が司法試験を受けなかったことに関してですが、学生当時の彼らは
「自分は教授になる、時間がもったいないので司法試験は受けない」と考えた方が多いと考えられます。
司法試験を合格することは人生の多くの時間を犠牲にします。その犠牲の見返りがあるのかどうか?
弁護士などになる場合は勿論見返りがあるかと考えますが、教授に関しては優位に働くことはあまりありません。そのコストリターンを考えてのことだと言えます。

確かにおっしゃるとおり、教授職に就いている人の多くはそれほど優秀でないでしょう。
私は前回示した有名大学における教授とその大学に通い司法試験に合格した人との比較をしていました。
私は偏差値50程度の普通の大学の講義を受けたことがないので細かいことは言えませんが、おそらくそうなのでしょう。ただそのような方は「司法試験なんて無理、受ける気にもならない」と考え、教員の自分の研究したい法学を選んだ可能性はあります。

文系の研究についてですがおそらく
(1)文系は学問を定義することもまた学問の一部
(2)現象確定に要する時間が長大で未だ確定したことがない
(3)人間による行動のため、流動的に変化する可能性が高い・既知を使った戦いになり予測不能
があげられると考えています。

(1)に関してですが「政治って?」という経済に対する定義をすることも政治学の一部です。
理系に関しては現象として研究内容が確定し、その学問がなければ近いものを融合して新しい学問ができますよね?文系に関してはその現象をどの学問が担当するか、もしくはどことどこを融合するかも結構悩みます。
政治に関して面白い考えがあります。
早稲田大学では政治経済学部政治学科ですが
慶應義塾大学では法学部政治学科になります。
政治に関して早稲田は経済に近いのに対して慶應は法学に近いと考えています。

(2)ですが理科の実験などはほんの数分の場合もありますが政治などは短期間にできません。
そのため理系に比べ実験結果としてのサンプルが少なく理論形成に至っていない状態が多いです。
そのため一応現状ではこの理論が正しいという表現が本当は正しいと思います。
また事件時間が長いことから、想定される理論が正しいかの実験も長時間を要します。
(たとえがいいかわかりませんが車の衝突実験と販売をこれをかきながら思い浮かべました。
衝突実験は車の製作中に多くできますが、その車が売れるかどうかの実験は長時間かかりますよね)

(3)文系の分野である新しい理論が発見されたとします。ある一定期間はその理論が通用しますがいずれ駄目になります。その理由は周りもその理論を知るからです。文系の科目は研究対象が人間がほとんどです。研究対象にその理論が知れ渡ると研究対象は別の行動をとることが多いです。
たとえば「株価は○○な動きをする」という理論を発表した場合、その情報が一部の人間のものでは通用しますが周知になると、皆がこれを真似します。理論発表当時はこの内容を誰も知らないから通用したのですが皆が真似をすると現象そのものが変化し理論が通用しなくなるからです。
理系に関しては「人間が星の軌道を発見したから軌道が変わった」なんてことはありませんが文系は対象が人間なんで相手に知られるところに違いがあります。

大学の教授は司法試験合格と同等の資格があるというのは文字通りです。
一般の方は司法試験合格後に日弁連の研修があり、この研修後に晴れて弁護士になります。
教授の場合、試験はなく(申請が必要)研修に参加して資格を得ます。在職5年以上の制限はありますが。
弁護士の資格付与を決定しているのは最終的には国です。この規定を見る限り、教授にはその程度の知識があると認定していると言わざるえません。
(自動車の免許だって10年運転してない人でも運転できることを公に認められていますよね。)
最も、そんなことより法学に関しての貢献性が大きいので資格ぐらいはやろうと考えてるかもしれませんが。
長くなりましたがご参考までに。
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例えば理系の世界で言うならば、教授は基礎研究者で、弁護士は技術者のようなものではないでしょうか。


基礎研究で、この生物がこんな物質を作り出すということを発見した学者と、それを応用して人々の役に立つ製品とした技術者の、どちらが偉いとは言えませんよね。

法律の研究者は、過去にこのような法律があったとか、その法律が社会にどのような影響をもたらしたとか、この問題を解決するためには法律をどう整備していくべきかとか、そういう基礎的な研究をしている人が多いです。

対して弁護士や裁判官は、現行法規に熟達して、争議事項を解決するのが仕事ですよね。

法律に対するもともとの立ち位置が違うので、どちらが優秀とかいう問題ではないし、例えば古代ギリシャの法律を研究している学者が、研究対象でもない現行法規を暗記して、司法試験を受けることに意味があるとも思えません。
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この回答へのお礼

確かに、「役に立つ」ことが「立派」なのかどうか、と問われれば、YESとは言えない部分も大きいですね。
だから研究者は役に立つ立たないじゃなく、自分の知りたい学問を追究していこうと思って日々研究するわけですね。

>法律の研究者は、過去にこのような法律があったとか、その法律が社会にどのような影響をもたらしたとか、この問題を解決するためには法律をどう整備していくべきかとか、そういう基礎的な研究をしている人が多いです。

そういう具体的なことを知りたかったです。
なるほどそう言われれば大学教授も立派な仕事ですね。
これは知らないから伺うのですが、仮に大学教授が研究してこういう風に整備していくべきだ、と考えたとして、それを発言する場所は皆一様にあるんでしょうか?
たとえば理系であれば役に立つのか立たないのかわからない研究でも何年後かに何かの研究の過程で見直される、なんてこともあるでしょうし、それは別に立派な会議でなく一研究室でも実践できるわけですが、法律は唱えてナンボって気もするんですよね。。この発想自体が理系に偏りすぎてるのかもしれませんが。
実際に法律を成立させる場所は国会であるってことは政治家のブレインとして活動する教授が一番自分の意見も反映されやすそうですが。。

お礼日時:2011/06/21 22:49

ちょっと違う話ですが、ギリシア時代の博物学者に、君は理論だけで何の役にも立たないね、といった俗人がいました。


その学者さんは、天候を予測し、農作物への投資で大儲けして見せた後、また、何の得にもならない博物学の研究に没頭したそうです。
私は、学者さんと実業家は、興味も資質も違っていると思います。法曹の人は、ある意味、実業家さんですよね。
世の中を知りたい、と、世の中をよくしたい、は、どちらも目的に手段にもなり得るんです。

先に挙げた博物学者さんは、博物学を使って金儲けできたり、役に立つことを確認したくて試してみた。で、実際に、できる という真理を知った。だから、もうそれ以上は興味がなくなった。
誰れかを見返してやろう、という話ではないかと。

法学が道具・手段に見える人と、目的・対象に見える人は、相入れないこともあるかも。どっちもOKって人もいるでしょうけど。
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この回答へのお礼

面白い昔話ですね。

理論を研究することと
実践することとの違いということなんですね。

お礼日時:2011/06/21 22:41

NO6の者です。


野球の解説者に関して不足があったので補足をします。あくまで解説者は外部の視点から専門家を呼んだということで例にあげました。質問者さんの経験者ですが、では解説者の全員が監督経験者なのでしょうか?
 解説者だって一部に経験があってほとんどは未経験の世界のはずです。4番・エース・監督、若手のうちから活躍・苦労人で10年目でスタメン などの試合に出場している選手の全員の経験をすることは不可能だからです。
実務家の弁護士などは業務内容が本当に狭く、ピッチャーの仕事しかしないのにたいして、教授は自分に関する分野に関して広く勉強されているという趣旨で書きました。説明不足で申し訳ありませんでした。

 司法試験に関して相当に敬意を払っていられるようですが、では司法試験を作成しているのは誰でしょうか?以前、慶應の法科大学院の教授が問題を漏えいしたのではという報道がありましたよね?
司法試験の問題作成に大学の教授はかかわっています。
作成者より回答者が優秀では東大の法学部の教授は高校生に負けてしまうことになりますが…?
(大学受験において、もちろん東大の入試は教養学部が作成してますが、責任者は法学部の先生に帰属していることを前提として)
すると高校生の方が司法試験合格者より優秀となります。
(回答者である司法試験合格者の方が作成者の大学教授より優秀だから)
そんなことはありませんよね?

ちなみに2010年度の司法試験合格者の上位5校の合格者は834名います。その大学の教授は363名でした。毎年発生する司法試験合格者に対して教授はそれほど誕生しません。また教授は司法試験合格者と同じ資格があるのに対して逆はありません。それだけでも回答として十分な気がしますが…。
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この回答へのお礼

野球の例えの部分、よくわかりました。
そういう話なら納得です。

本当に根本的な話ですが
>教授は自分に関する分野に関して広く勉強されている
法律の勉強ってなんなんでしょうね、、
いわゆる判例だったり、妥当性、正当性、時代に即しているか、必要かどうか、ということでしょうか。
やっぱり自分が理系の人間だからなのかわかりませんが、それって答えはあるんでしょうか?
100人中90人が賛成すれば正しいというのか、80人が賛成すれば正しいというのか
そしてそれが正しいとして実際に法律を作成するのは政治家なわけで教授じゃないと。
じゃ政治家たちに助言できる教授もいるでしょ?となるわけですが、実際にそんな教授一握りでしょう。その他の教授たちは一生懸命100人中80人の中の一人になるために頑張るわけでしょうか。。。

文系の研究ってやっぱり理解できないところがありますね。
あ、もちろん無駄だと言っているわけじゃなく自分が単純に理解していないだけです^^

>教授は自分に関する分野に関して広く勉強されている
そうなんですか!そんなことも知らない自分がよく質問したなぁとあきれてしまいますが
それだけ法学に精通しているプロフェッショナルということなんでしょうね。。

>教授は司法試験合格者と同じ資格があるのに対して
同じ資格とは具体的にどういったことでしょうか?弁護活動ができるということですか??
ということは教授は下手すれば司法試験を受けても合格できるほどの知識を持っているということでしょうか??

お礼日時:2011/06/21 03:06

民法にしても憲法にしても、条文によっては


通説・判例、適用否定説、適用肯定説、趣旨類推適用説などに分かれるなど、
法律の条文はいろんな解釈がとられる場合もあります。

でも、少数説でも持論を曲げない人は多いものです(どこの世界でも同じことなのですが)。

理系の学問は、そのアプローチの方法はいろいろあっても、結論は一つの方向に集約していく
と思うのですが、文系学問というものは理系の人たちから見れば、単なる言葉の遊びに思える
かもしれませんね(ホント、「趣旨類推適用説」なんておかしいですね)。


>たとえば英語が好きなら実力を見るために英検を受けるような感じでそんなに法律が
 好きなら司法試験を受けたい!って思わなかったんですかね??

1、目指すところが当初から違うからだと思います。・・・・これが一番大きな理由です。
  やはり法律といった学問そのものを研究することに燃えている人が多いですからね。
  
2、(偏見かもしれませんが)博士課程まで行く人は、やはり経済的にも余裕のある方が
  多いと思われるので(国立大学の授業料がこれだけ高くなると、以前に比べても
  経済的に余裕がなければ9年間も大学へ行くことができない時代になってきていますから)
  あえて司法試験を狙おうという気にはならないのだと思います。

3 仙石さんも政界転出時に「15年で弁護士が嫌になった」と話したのは有名ですが、
  人生の闇部分を争う裁判の仕事は世間が思う程、立派でおいしい仕事ではないからです。

  それにどうしても裁判の勝ち負けで、「お金のやりとり」が発生しますからね。
  学者の方には、どちらかというと不得意の分野であり、魅力を感じない世界でも
  あるからです。


 司法試験の勉強しているときは「弱者の味方」、弁護士になったら「強者の味方」と
 嘆いている弁護士は多いですよ。
 世間では金のある社長や大地主ほど、アクの強い人間は多いですからね(笑)。   

 
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい説明です!ありがとうございます。

1・当たり前のことかもしれませんがびっくりしたのは「法律は学問である」ということです。
法律って学問としてとらえる感覚がなかったので驚きました。。
そう考えたら教授と法曹界入りは別目的かもしれませんね。。

2・仰る通り、博士課程を3年で卒業したら順当にいっても27歳、立派な大人ですよね。
そんな長い間仕事もせず(?してるか。。。)勉強だけに打ち込めるなんてよほど経済的に余裕がないと無理ですよね

3・つまり営業ですよね。裁判官や検察官は営業不要ですが弁護士は営業しないと食っていけない、という記事も見ました。国選弁護人なんて昔は割に合わないからってやりたがらないのに、今は逆に国選弁護人待ち、みたいな弁護士がいっぱいいるとか。。

法律は弱者救済のためのものじゃなく、その法律を知っているものの味方になるものであるって(確か)ナニワ金融道で言ってましたから。。
弱者救済なんて考えられないでしょうね。

お礼日時:2011/06/21 02:58

各大学の大学院法学研究科の内容を探っていけば分かり易いと思いますよ。



大学の法学部の院である法学研究科は法科大学院と研究大学院とに別れており、
前者はあくまで「法曹実務理論教育」を目的としており、法曹要請に特化した
教育を行っています。 まあ、こちらが実務家です。

後者は「法学の基礎理論の研究」から「高度先端化する社会に対する総合的な学術研究」を
目的としています。基礎的・学問的な視点と先端的・学際的な視点の両方から法理論の研究・
分析を行っていくものです。 こちらは研究者です。

法学も経済学と同様に、その歴史から考察していかねばなりません。
そして、この長い歴史の考察から生まれてきた様々な法解釈(論理解釈や目的論敵解釈)
というものを学び、法律概念の相対性や具体的妥当性などの理論を研究していきます。

憲法や民法といった一つの法律の中の、たった1条の条文の中だけで、いろんな学者が
様々な考察でもって持論を述べています。

日本国憲法でも、いろんな著名な教授の学説でもって見解が分かれていますから、
上諭、前文、1条~103条までしかない憲法なのに、どの専門書も分厚いものばかりです。

佐藤先生や高橋先生などは、司法試験を勉強した人間ならばだれもが知っている憲法学者だし、
最近は55年組みと呼ばれる粋のいい先生方が活躍されています。

こういった多くの先生方(教授)が、高度化、複雑化する日本社会の中で、その時、その時の
世の中の流れに対応した理論研究も行っていかねばなりません。 (例)自衛隊派遣など

しかしながら、このような学説の研究、新しい理論の構築には時間がかかりますし、
お互いの利益が相反し結果が急がれるところの裁判(特に民法や刑法の裁判)の当事者
である一般市民にとっては迷惑にもなるような話です。
ですから、こうした裁判は法曹三者による適切で迅速に処理されることが望ましいのです。

実務家と研究者、法学部にとっては当然にどちらも必用だと思いますよ。
車の両輪みたいなものです。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすい説明ありがとうございます。
回答を読む限り、本当に法学も必要なんだな、と改めて思いました。

ただ、ちょっと気になるのは、
>こういった多くの先生方(教授)が、高度化、複雑化する日本社会の中で、その時、その時の
世の中の流れに対応した理論研究も行っていかねばなりません。
実際に研究したところで、それを発表したところで、採用されなければむなしいだけですね。
たとえば何かの国の会議に呼ばれて熱い議論をする、とかならまだしも日本のどこかで小さくつぶやいたツイッターみたいに議論したところで、何のために?なんて思っちゃいます。。

あと、別の方への回答でも申し上げましたが
たとえば英語が好きなら実力を見るために英検を受けるような感じでそんなに法律が好きなら司法試験を受けたい!って思わなかったんですかね??

お礼日時:2011/06/21 00:05

それはありません。


大学の法学部の教授になると法律に関しての貢献性か司法試験と同等の資格をもらえます。

弁護士などの実務家と教授では方向性が違うので比較の意味自体ない気がしますが…。

私の解釈では野球で言う解説者が教授で選手や監督が弁護士に相当すると考えています。
解説者は野球の構造や戦術に関して解説をしますが、中に入ってプレーすることはまずありません。
教授も一部実際の世界にかかわることがありますが質問者さんの意向に関係ないのでこのようなたとえを使いました。
ご参考までに。
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この回答へのお礼

うーん、、
解説者の例えでいうとちょっと違う気がします。
野球の解説者は必ず現場を一度経験してます。そのうえで解説します。
でも、教授は法曹界を経験していないですよね?

法律についての歴史だったり考え方については一流かもしれませんが
覚えている法律の量に関していえば圧倒的に司法試験合格者だと思います。
難易度でいっても 法学教授<<司法試験合格 でしょう。
そんなに大学在学中から法律が好きだったんなら司法試験うけてみようと思わなかったのかなと。
いや、実際に受けたけどダメだった、でも法学好きだからってことで教授になったのかな、と思ったんですよね。

お礼日時:2011/06/20 23:58

建物の設計をする人や建物の構造の研究をする人と、


現場の労働者の違い。
後者は基本的に理屈や理論や理由などどうでもいいから、それで非常識トンチンカン極まりないことを時にやる。
そう決まってるんだから俺知らねぇよ、って。
前者がムキムキのマッチョマンである必要はないし、体力筋力テストを受ける必要もない。

司法試験が難しくなったのは、ひょっとするとここ30年の話かも知れない。
それまでは国1の方が上で、国1のなり損ないが法律家。
オールラウンダー国1に対して法律のことしかできない技術屋という位置づけ。
だから中央のような二流大学が強かった。
今でも、やっていること自体は、国を動かすような大事ではなく、つまらない個々の事件の後片付けでしかない。
果たして大学教授が法律家のなり損ないなのかどうか。
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この回答へのお礼

現場と理屈屋ってことでしょうかね。

ただ、大学教授が法律の成り立ちという歴史を語るのはわかるとして、今まさに成立させようとする法律を自分で一生懸命考えたところで、それを論文にしても実際に論文が完成しているころにはその法律が成立または廃案になっているでしょうから、何を一生懸命考えたんだろうってならないんですかね、、

それは理系的な発想なんでしょうかね、、
文系的に考えれは必要だと思ったものが必要なんでしょうから

お礼日時:2011/06/20 23:54

経済学の学者さんになぜ投資家にならないか、政治学の先生に、なぜ政治家にならないか、ってことかな?

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この回答へのお礼

なるほど

経済学に関しては金融派生商品を開発したり、経済そのものでもミクロとマクロの違いだったりがあって研究するのは実際に投資家になるのとは別の才能、感覚だと思うので違う気がしますが
政治学は議院内閣制と大統領制の違いについて研究するのとか政治そのものの在り方やり方を模索することと、実際に政治を行う人になることとの違いを考えれは法律も同じかもしれませんね。

お礼日時:2011/06/20 23:50

ご存知かもしれませんが、念のため参考までに。



弁護士法第5条1項後段
http://www.houko.com/00/01/S24/205.HTM#s2

法学部教授は司法試験を受けなくても弁護士になれる場合がありますよ。
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この回答へのお礼

いや、知らなかったです。びっくり!
市役所の一部の人は、特例で裁判所の何かになれるっていうのと一緒のようなもんですね。
実務的にずっとやってきた人は専門職になってもいいよってもんでしょうか。。

お礼日時:2011/06/20 19:09

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