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こちらのカテゴリでの質問は始めてとなりますので宜しくお願いします。

普段書物を開くとき、往々にしてその始めの部分に、「まえがき」とか「序文」とかの文章が、本文の終わりの後に「あとがき」とかの文章が載せられているという事を経験的にご存じかと思います。

そこで皆様に質問させていただきます。
皆様がこれまでに読まれた書物のなかで、特に印象に残った「まえがき」とか「あとがき」などありましたら、その書物の題名と共に、その印象的な文面を(差し障りのない範囲で・・・!)ご紹介頂けないでしょうか・・・?
また、その文面が何故印象深かったのかをお教え頂けますと幸いです・・・!

因みに当方の場合は・・・、
工学系出身で技術系職種なので読む書物としては所謂理工学書籍が多いのですが、その中で印象的な「まえがき」が書かれていた書物として・・・、
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1.「解析概論」(高木貞治著)・・・の増訂版(第三版ではない!!)に載せられていた「緒言」
・・・・理由は、使う用語についての弁解が端折られずに全文書かれているから!
2.「初等整数論講義」(高木貞治著)(この本は所持してはいないのだが、学生時代図書館で興味本位で何度か眺めた・・・!)の「序言」
===<整数論の方法は繊細である、小心である、その理想は玲瓏にして些の陰翳をも留めざる所にある>=== (←この文面をご存じの方は案外少なくないと思われる!)
・・・当方は(古典?)数学書によって(・・・!!)文体の美しさを見る事が出来たのと同時にそれまで以上に漢字に興味を持つ事が出来るようになった!!
3.「常微分方程式論」(藤原松三郎著)
===<凡そ一国学術の独立は先ず外国語によらずして其奥堂にまで達し得ることから出発する。・・・(中略)・・・、以て外国語によらずして数学全般を学び得る秋の一日も早からんことを望んで已まない。>===
何か当時の専門書事情が見て取れるように思ったのと、日本の学者の決意が込められていると感じたから・・・!!
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思い付きのような内容の質問ですが、宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

 私が読んだ範囲でもっとも印象に残った、あるいは有益だと感じた前書きは、


高橋康著『量子力学を学ぶための解析力学入門』講談社サイエンティフィク
の『量子力学をこれから学ぶ人への助言』ですね。これほど、量子力学を理解する
うえでの解析力学の必要性を明確に理解させてくれる文章はないと思います。

 この前書きにも書いてありますが、『それ(解析力学 回答者注)がなんだかたいへん
形式的で,”変分”したり,”変数変換”したり,いったいなんのためにこんな抽象的
なことをやるのかということである.』というのは、まさに私が教養時代に授業を受けた
時の感想そのものです。解析力学って、量子力学より先に習うのですが、無味乾燥な
機械遊びか、それともコンピューターが無かった時代に特殊な問題を解くぐらいにしか
役に立たない化石の様な理論って勘違いしてしまいやすいんです。その後、量子力学、
場の量子論と授業を受ければ、それらの学問における位置づけが理解でき、『そういう
事だったのか!それならば、もっとしっかりやってりゃよかったのに』と強く思うんです
がね。後の祭り。

 私が上記本に出会ったのは、もはや学生では無くなってからです。この本の前書きを
読んだ時に強く共感し、この前書きにだけにでも当時であっていれば、もっと楽しく
解析力学から量子力学を勉強できたのにと悔しく思う事しきりです。理学部で物理を専攻
するひとは勿論、工学部でも量子力学を使われる方には是非読んで頂きたいものだと
思います。

 なお、高橋先生他にもいくつか本をお書きになられていますが、そのいずれにおいても
その本で学ぶ内容をなぜ理解すべきなのかを、きちんと序で伝えられています。本文も
明解そのものですが、先生の本は序を読むのが楽しいんですね。
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この回答へのお礼

nzw 様

早速のご回答をありがとうございます。
当方は、何十年か前の或る大切な一時期に(自分の腑甲斐なさもあったかとは思うが・・・)「物理」という教科に完全に落ち零れてしまい、それが少なからず悪しき尾を引いた状態のまま現在に至っています。(ここら辺の事情を書くと血圧が急上昇し出すのと、nzw 様には何ら関わりのない事なので止めときます)

・・・なので、当時社会勤めをするようになってから自分自身で直接仕事に関係する「物理学」の知識を補填する必要が度々生じてしまうという事になってしまいました。
(爺になった今でも「古典物理」は生涯学習教科のようなものです・・・(苦笑))

当方は「物理学」関連書籍はそれほど多く所持している訳ではないのですが、基本的な考え方であろうと思われる「場(古典場!?)」のことについて盆暗頭でも立ち入る事が出来る様な本がないか探していたところ、偶々(古書でしたが・・・)、高橋 康先生の「古典場から量子場への道」(講談社サイエンティフィク)を見つける事が出来ました。(20年程前でしたが・・!)
当方がこの本を購入した理由として、「序」に---<この場は何を意味し、何を背負っているのか、この方程式はいったいどこからどのようにして生まれてきたのか、・・・(中略)・・・、そのような事を考えるとき、この本が何かの役に立てば幸いである>---、と書かれていた事と、第I章の前に置かれた、第0章[これから‘場’を学ぶ人への助言]があったからでした・・・!
自分的には「良い本が見つけられたかなぁ」・・と思っております。
(まぁ実際には、III章以降は当方にとっては可成りover specですが・・・!)
 
拙い質問にご回答頂き、ありがとうございました・・・!

お礼日時:2011/06/26 11:00

度々お邪魔して申し訳ありませんが、極め付きの二つ思い出しました。



一つは、99才で亡くなった葛飾北斎が、73才の時に『富嶽百景』のあとがきに書いたものです。短いのでそれを紹介しておきます。これだけのあとがきを書ける人が世界広しと言えども、他に誰がいるでしょうか。

『富嶽百景』初編跋:

「己(おのれ)六才より物の形状(かたち)を写(うつす)の癖(へき)ありて、半百の此より、数々(しばしば)画図を顕すといへども、七十年前画(ゑが)く所は、実に取るに足るものなし。七十三才にして、稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木(さうもく)の出生(しゅっしゃう)を悟し得たり。故に八十歳にしては、益々進み、九十歳にして、猶其(なおその)奥意(あうい)を極め、一百歳にして正に神妙ならんか、百有(いう)十歳にしては、一点一格にして生(いけ)るがごとくならん、願くは長寿の君子、予(よ)が言(こと)の妄(もう)ならざるを見たまうべし。画狂老人卍 」



もう一つは、クラウセヴィッツの『戦争論』の序論です。その中でヒンデンベルグの『火災対策論』からとった文章を紹介しています。クラウゼウィツはその紹介した引用文のようなことを自分の本では書きませんよ、と言っております。少々長い引用になりますが、私が皆さんに是非読んでもらいたいと常々思っている素晴らしい文章ですので、それも紹介しておきます。世の中にはこんな文章を書く人間もいるのかと、感心させられてしまう文章です。

「ある家庭が火事をおこした場合には、何よりもまず、その左側の家屋の右側の壁と右側の家屋の左側の壁を保護することに努力しなくければならぬ。何故ならば、例えば、左側の家屋の左側の壁を保護しようとしたとしよう。その家屋の右側の壁は左側の壁の右側にあり、ところが火事はこの両方の壁のさらに右側にあるだから(というのは、われわれは、家屋は火事の左側にあると仮定しておいたからである)右側の壁の方が左側の壁よりもいっそう火に近いわけだからである。したがって、家屋の右側の壁は、もしそれが保護されていないと、保護されている左側の壁に火が燃え移るより先に、燃える恐れがある。左側の壁もまた保護されていないとしても、それでもやはり、保護されていない右側の壁の燃える方が早い。だから前者を放置して、後者を保護することが必要である。このことをはっきり頭に刻みこむためには、次のように記憶していればいい。家屋が火災の右側にあるときには左壁を、家屋の火災が左側にあるときは、右壁を保護せよ。」

この文を書き写しているあいだ中、私は笑いが止まりませんでした。この文を書き終えた後、書き間違いがないかを添削するのも大変でした。
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この回答へのお礼

cyototu 様

度々のご回答をありがとうございます。
お礼は、こちら側に書かせて頂きます。

柳田國男氏の著作は一度も読んだ事がありませんので、当方の勘違いでしたらばご容赦下さい。
調べたところによりますと、「国語の将来」の中の[鴨と哉]という一節(一章?)の書き出しが
「私の話は思ひ切って問題が小さい。」・・・ということでしょうか?
だとすると「国語の将来」・・・で<著者の言葉>(或いは<自序>?)・・・に当たる部分が「まえがき」に相当するのかなと思っておりました。

学術論文における「序論」のことは当方の頭の中に無かったのと、物理学論文の「流儀」が全く分かりませんでしたので、
----学術論文の序論には幾らでも凄いのがあります。----
・・・については「そうなのですか」と言う程度のリアクションしかできません(スミマセン!!)。

--「私は6歳の頃から、ものの姿を絵に写してきた。50歳の頃からは随分たくさんの絵や本を出したが、よく考えてみると、70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし、110歳になったらどんなものも生きているように描けるようになろう。どうぞ長生きされて、この私の言葉が嘘でないことを確かめて頂きたいものである」---
(http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/hokusai.html)・・・より
確かに凄いあとがきですねぇ・・!
晩年の作「登り龍」・・・・は気迫に満ちていると思いました!

ヒンデンベルグの『火災対策論』からとったとされる文章については、当方の如き魯鈍者には解りかねました。
(折角ご紹介頂いたのにスミマセンでした)

拙い質問に三度もお答え頂きましてありがとうございました。

お礼日時:2011/06/26 14:58

#2に誤植がありました。



mからn音へ変遷するの本後の => mからn音へ変遷する日本語の

と読んで下さい。それと、一般に序論の役割に付いて各分野でどう重きが置かれているか私は知りませんので、私の専門である物理学の分野を念頭に書いてあります。その積りで読んで下さい。
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まえがき、と言えるかどうか知りませんが。

私が今まで読んだ本の中で、これだけ強烈だった出だしはありません。それは、柳田國男の『鴨と哉』の出だしで、

 私の話は思ひ切って問題が小さい。

で始まる文章です。この論説で、彼は「かも」から「かな」へと、すなわちmからn音へ変遷するの本後の推移を分析して、深淵で遠大な日本語論を論じて行きます。

『草枕』や『雪国』の出だしも好きですが、私にはこれに勝る強烈な印象を受けた出だしはありませんでした。

あと、教科書や本の序論と違って学術論文の序論は決定的に重要ですので、研究者は論文を書くときにそれに全精力を注ぎます。別の言い方すると序論に勢力を注がない人はまだ未熟な研究者と言うことです。ですから、学術論文の序論には幾らでも凄いのがあります。
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