この人頭いいなと思ったエピソード

1555年に今川方の三河松平勢が海路から尾張の蟹江城を攻めて落城させていますが、落とした後に城主となったのは誰だったのでしょうか?
あとこの蟹江城はいつごろ織田信長に奪還されたのでしょうか?
ご存知の方お教えください。

A 回答 (2件)

一応、信長公記の様な一次史料や勢州軍記など見ましたが



信長公記の首巻には蟹江の名が散見されず
勢州軍記には武略忠勤に励んだ滝川一益に蟹江城を賜ったとあります

織田信長という人物は極めて成果主義的なところがあります
単に媚びを売るような人物に城址を任せるような人間ではありません
従って蟹江城は滝川一益が単独で武略ないしは調略で落としたか
若しくは蟹江城攻めの織田軍中で抜群の功を立てたと推察できます

推測ですが
滝川一益は蟹江城主になって北伊勢諸郡を調略や武略により順調に支配を拡大しますが
滝川一益が城主になったとしても配下の動員兵力は限られます
どうしてもかなりの兵がいる場合、信長に出陣を求めます
そんな信長が北伊勢に初出陣したのが永禄十年、1567年ですから
滝川が蟹江城主になり北伊勢攻略を始めるのはそれ以前

信長が尾張を平定し今川義元を討ち家康と同盟して東方の憂いを無くすまでは安易に動けないと察すると
1562~66年に織田方が蟹江城を陥れたのではないでしょうか

推測ですみませんが
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回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/03 18:32

これは解釈が非常に難しいですが、一般的には1555年の合戦後、「蟹江城」は長島城の『服部友貞』の支城として、織田氏に対する今川氏の拠点として機能しています。

ですから城主は『服部友貞』であります。今風に言うと、服部友貞は長島城本社の社長であり、蟹江城が支社という事になります。普通は支社長、支店長を置くものですが、実際は織田勢との対抗手段として、要塞としての機能しか果たしていなかったので、長島社長としては、別に支店長はいらんだろう、という事になったわけです。

>あとこの蟹江城はいつごろ織田信長に奪還されたのでしょうか?

=織田信長の没年は1582年です。一方、蟹江城合戦が発生したのは1584年です。ですから織田信長が奪還したというのは誤りです。1583年(天正11年)、滝川一益は賤ヶ岳の戦いの後に羽柴秀吉に敗れ、織田信雄の家臣、佐久間正勝が蟹江城城主となります。ですから織田家に奪還されたのは、織田信雄の家臣である佐久間正勝が城主になった1583年という事になります。
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回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/30 18:35

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