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キリスト教では神がこの世を作り そして神がマリヤと通してキリストを地球にもたらした(?)とキリスト教の友達に教わりました。では釈迦はどうなのでしょう?白い像が天から舞い降りて釈迦が誕生したと聞いた覚えがあるのですが その前はどうだったのでしょう?キリスト教はキリストの前に神が存在するけど仏教は釈迦の前の話がないと言われました。本当なのでしょうか?教えてください。

A 回答 (14件中11~14件)

イエスの生誕は約、2000年前、釈迦の生誕は約2500年前と聞いております。



イエスは神の愛を人々に説き、釈迦は八正道で悟りへの道を説いたと聞いております。
共に神の御心をその時代・環境の中で現し、人々を本来の道へと誘っていたとも聞いております。
また、イエス、釈迦共に人の子として生まれ、様々な事を
追求(疑問のなかより)し、その中で神の御心を感じられて(一般には悟りだと思いますが)
法の流布を広めていったとも聞いております。
イエス、釈迦共にその時代を本当はどう生きておられたのかは、様々な文献があると思いますが、
二人の没後、後世の人々が脚色したくだりが大いにあるのではと思われます。?
イエスに関して、ある村人がある男にイエスを知っているかと尋ねた時に、「私はよくはイエスを知らない」
しかし、私はそれまで、酒飲みでだらしない人生を送っていたがイエスと出会って、私はその人生から離れて
人として大切な生き方(まごころだっと思いますが)をするようになりました。イエスとはそのような方で
あると語ったという事を聞いた事があります。
又釈迦についても弟子の1人の中にチュウラパンタカという方がおり、
釈迦の話を中々、心にとどめる事ができず、悲しんでいる所を釈迦より、白い布を渡されて、手を拭くように
言われ、手を拭くと白い布は汚れてしまい、その白い布と同じように、心も同じなのだと諭され、その後
パンタカは説法にいった兄弟子の履物を毎日、毎日きれいにしてあげる事で兄弟子達との絆を深めて、
こころの交流によって悟りを開いたと聞いた事があります。
イエス、釈迦共に人々を深く受け入れて、本当に大切な生き方を生きられた方ではないだろうかと思います。?
(私の浅き理解ですが)


又イエス、釈迦共に神の御心を説く以前は様々に法を求めていたとも聞いております。

<神の存在>
現在、宇宙誕生はビッグバン説が有名ですよね。
ビッグバンが起こり、そして銀河が形成されて、その一部の銀河の中で地球が存在している事になります。
地球誕生は45億年とも聞いております。
そして、生命誕生、人類誕生などは様々な文献の中で進化論、降臨論等等、多くのことが言われています。
ビッグバンが起こった理由などはどう、考えればよいのかという事が疑問としてあります。
宇宙は偶然に出来たとは思えないのですが。?

始めに意識ありて、そしてビッグバン(宇宙膨張論)が始まったという事を聞いた事がありますが、この意識こそ、
「神」の存在という事になるのではと思うのですが。?

確か、シュバイッツアーかアインシュタインのどちらかだったと思うのですが、
科学と宗教は一体であるということも言っていたと聞いております。
科学の理論の中に宗教の教えがあり、宗教の教えの中に
科学の理論があるとも聞いています。
私も深いことは解らないのですが、なにかそれぞれが分断した考えが多い中で、本当は連なっているものが
あるように感じてなりませんが。?

未知で神秘的でそれでいて、不明なことが多くあるこの世ですが、科学と宗教が一つに繋がって言った時には、
今まで見えなかったものが見えてくるのではと思っております。人類は本当は何を求めているのでしょうね。?
未知だけど、何故か引かれる壮大なロマンですよね。?

人生は疑問追求であるとも聞いておりますが、
もの事の理解については浅い段階から深い段階へと深化してゆくものであるとも
聞いておりますので、決定づけられるものでは無いように思います。
疑問追求の中に真実を深めてゆく事ではと考えております。

生命の神秘を思う時、そこに何の存在を感じるかであるとも思うのです。
そして、その存在は生命を頂く私たちに何をせよと言っているのかだと
思われてなりません。

浅き理解ですが、如何でしょうか。?

この回答への補足

ビックバンに関しては色々な説があるみたいですね。でも時間も空間もない所で何故 どうやって大きな爆発があったのか。。ここで科学者達はつまづき”神の一撃”としてるようですね。キリスト教では これを”神が地球を創ったとしているのかな(・・?) と でもそうすると旧約聖書だけ焦点を向ければ ユダヤ教等でも良いと思われるのですが。。

補足日時:2003/11/01 17:22
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お釈迦様は、ゴータマ・シッダールタとしてこの世に生を受ける前に


何度も生死を繰り返し、その都度善行を重ねていたそうです。
その中の一つ、自らの身体を犠牲にして飢えた虎を助けた話が
「捨身飼虎」として有名で、法隆寺の玉虫の厨子の絵柄にもなっています。
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お釈迦様本人の生誕という事であれば、たしか以前読んだ本の記憶によると、ネパールのルンビニという地区で生まれた王子様でした。



当時の社会現象に悩んで修行に出て、菩提樹の下で悟りを開き仏教を開いたはずです。

その時、彼が何教徒だったのかわかりませんが、世界史の記憶からするとおそらくバラモン教徒ではないかと思われます。
cf.
http://www.onyx.dti.ne.jp/~rinri/2/012.htm

キリスト教がユダヤ教の世界観から、イエス・キリストという預言者の誕生により発生したのと同じく、おそらく仏教もバラモン教という世界観からお釈迦様(仏陀=ゴーダマ・シッダールタ)という預言者により発生したのではないかと思います。

仏教には釈迦の前の話がない、といういうのはなぜかわかりませんが、ひょっとしたら、元となるバラモン教の教えと随分異なる教えになったからかもしれません。
(お釈迦様は当時民衆が苦しんでいる事に悩んでいて、それはバラモン教の教えのせいだったような記憶もあります)

ちなみに「白い像が天から舞い降りた」というのは、お釈迦様が誕生するまえに、お釈迦様のお母さんが見た夢のようです。
cf.
http://koizumi-.hp.infoseek.co.jp/lmbini.htm

また蛇足ですが、「預言者」とは「予言者」とは異なり、神(仏)からの啓示を神に代わり、民衆にもたらしてくれる人のことをいいます。

現代にも自ら「預言者」を名乗っている人がいますけど(^_^;;
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釈迦は、生きること、死ぬこと、病むこと、老いることなどに悩んで、悩んで、悩んで、悩み抜いた後、諸行無常を悟ったわけです。


このメカニズムは、どうやら脳が出す脳内麻薬に関係すると思われます。
つまり、人間脳内で考え抜いていいアイデアとかが出て脳が開放されたとき、脳内麻薬が分泌されるみたいなのです。(あまり悩まない人とか考えない人には無縁)その時の気持ちは、体が中を浮くような、ものすごくいい気持ちになるんです。それが悟りを得る気持ちなのでしょう。
そのことを人に教えて、多くの人が、難行苦行しましたが、なかなか体験できるもんではありませんでした。

おっとはなしがそれましたが、釈迦は普通の人(王子様)、その前には、普通に両親がいて、普通に育ちました。なんら私たちと変わりありません。
だから、仏教は普通の人に浸透していく宗教なのです。
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