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ふと思ったので質問?です。
 
環境問題を真剣に考えている人っていますか?
 
私はあまりいないように感じます。
 
テレビで「異常気象が続いている」とか「なるべく公共交通機関を使いましょう」とか聞きますけど無駄ですよね?
 
確かにその時は「環境に優しいことをしよう」と思うかもしれません。しかし、少し時間が経つと「高速無料だから旅行しよう」と車をブンブン走らせたり、クーラーを28℃未満にしたりしますよね?
 
だから、環境問題なんてぶっちゃけどうでもいいんじゃないんですか?
 
いくらテレビで呼び掛けても無駄。それどころか明らかに環境に悪そうな事を報道したりしますよね?
 
私の家は少なくともそうだと思います。クーラーは一日中つけっぱなし。温度は26~27℃、車はブンブン走らせます。
 
 
だから、環境問題はその時だけ少し考えて、あとは環境に悪くても自分に便利な事を優先しますよね?
 
長々とまとまりのない文でしたが、みなさんはどうですか?
 
私が最終的に言いたいことは、「いくら環境問題を訴えても無駄ではないか」ということです。
 
消極的な考えかもしれません。考え方が浅いかもしれません。 
 
みなさんは上記の文についてどう思いますか?
 
まとまりがない文で申し訳ありませんがよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

すこしずれるかもしれませんが、環境問題がお金の問題と結び付けられていることが真の問題なのではないでしょうか。

おかねが行き場を失い自然環境を破壊する結果になっていうのではないかということです。原発にしても節電にしても高速道路にしても、お金の問題のようです。
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本当に「自然環境」に害を与えまいとすれば、死ぬしかありません。


だいたい、「環境問題」というのは、人間にとっての環境問題です。「自然に優しい」とか「環境に優しい」と言いますが、別に温暖化になろうが氷河期が来ようが「自然」「環境」はそれも変化の一つに過ぎません。

でも、テレビや新聞などのメディアで環境問題を紹介することが無駄とは思いません。
環境問題に対する対応事項を100とした場合、全体の1%の人が50の対応を実行するよりも、全体の50%の人が2つする方が、倍の効果があるのです。
ですから、「真剣に考える」人がいなくても大丈夫、できる部分だけをすることで効果は上がります。
クーラーを付けずに扇風機にした人もいますし、設定温度をあげた人もいますよ。私は元々のクーラー嫌いで、エコや節電に関係なく、できるだけクーラーは使いませんけれどね。

自分に不便のないことで環境にとっても良いことを選べば良いと思っています。
そうしたければ、「環境にとって良いこと」を知らないと、かえって無駄なエコもどきをする羽目になります。そして「環境にとって良いこと」を知る足掛かりがメディアでしょう。
100人のうち50人にとって無駄であっても、残り50人が影響を受ければ無駄ではありません。
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個人レベルと、集団レベルでは、集団レベルの取り組み効果の方が大きいので、ムダではありません。



例えば、企業や団体などには、社会的責任と言うものがあって、少なくとも経営者などの建前論は、環境問題に取り組むと言う姿勢ですから、質問者さんが会社や学校などへ行って、それを声を大にして言えば、トップと対立することになりますよ。

また、ゴミの分別回収なども環境問題対策であり、廃棄物処理法や自治体の条例で定められ、これに違反すれば罰則もあります。

個人の家の中や部屋の中ではご自由に。
しかし、ある集団に帰属した場合は、トップの意向や法令・規則に従わねばなりませんよ。

集団に帰属した際に、環境問題意識が芽生える人も皆無ではないだろうし、そもそもエコと言うのは「節約」ですから、自分の得として跳ね返ってくるモノです。
呼びかけることで、間違いなく効果はあると思いますよ。

たとえば実際に、家庭用のLED電球の売上は白熱球を超え、メーカーは生産を10倍にするそうだし、太陽光パネルの設置件数も倍増してるんだとか。
真剣に取り組むかどうかは、個々の判断ですが、多くの人が少し意識するだけで、効果は多大にありそうです。
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すでに省エネに洗脳されています。

どーでもいいと本当に思っているのならば、こんな疑問もでてきません。

「人間以外も含めて、自然環境や生態系は何でも保護する」というのならば、人間が滅びることが一番です。私はカルト教団でも環境テロリスト:シーシェパードでもないので、人間がそこまで環境保護する理由は無いと思っています。

「人間が生活しやすい環境をなるべく維持する」というレベルなら、日本は既に優等生のはず。日本がエネルギー消費量削減したところで世界レベルではほとんど減らないし、一般人が節約したところで大したことはありません。

>クーラーは一日中つけっぱなし。温度は26~27℃、車はブンブン走らせます。

 26度という設定が既に省エネに洗脳されています。クーラーも東南アジアとかでは設定はMAXが普通で、外は40度、ビルは20度といったような感じなので、向こうから来ると日本は相当暑いそうです。
 またいくら車を走らせたところで国土が狭いのでアメリカ人の移動距離にくらべたら大したことはありあません。鉄道は充実しているし、狭い敷地の狭い家に密集して住んでいる(これだけでもエアコンの使用電力は少ないはず)し、車の燃費もいいし、車しか交通手段が無い地方は軽自動車ばかりだし、既に十分省エネが考えられています。だから少しくらいで罪悪感を感じることはありません。

 テレビで環境問題とか言っても、一番の節電はエアコンを消すよりテレビを消すことだというレポートが出たのに、テレビはもみ消したとか。こんな奴らに環境問題なんぞ語る資格はありません。「節電をして熱中症にならないために、今すぐテレビを消してエアコンをつけて下さい!」ってテレビ局が言うのだったら、我々も節電に協力すればよい。
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 人間は全ての問題について真剣に考える事が出来るほど優秀な脳味噌を持ち合わせてはいません。


 大部分の人間は自分が生活することで精いっぱいであり、社会問題については自分の生活に余裕がある場合に、その余裕分で考える事が出来る程度です。それが限界なんです。

 その限界の中で、ちょっとしたプチ努力で参加することで「自分はチョットだけイイことをした」という気分になれます。それによって(仕方ないとはいえ)問題を真剣に考えていなかった自分の罪滅ぼしができ、小さな罪悪感を解消し、安堵感を得る事が出来ます。ほんの自己満足に過ぎないかもしれませんが、それでも何もしないよりはマシです。

 社会問題に全ての人が全力で立ち向かう事は絶対に出来ません。できる範囲でしかできないのです。
 できる範囲でしかやってないから、真剣じゃないから、どうでもいいということにはなりません。
 できる範囲でやっているのであれば、真剣じゃなくても、真剣に取り組んでいる事と同じように意義があるのです。五十歩百歩のたとえと同じで、50歩進だろうと100歩だろうと、進んだという意味では同じなのです。
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その様な呼びかけに関係無く率先してエコな生活をする人が1割。



呼びかけに応じて積極的に実践する人2割。

呼びかけに応じて、時々実践する人4割。

呼びかけの効果が一切無い人3割。

何もアナウンスが無ければ、全体の9割が非エコライフのままだが
呼びかけがあることで、少なくとも半分程度の人はエコに対する関心が生まれる。

結局この問題は、日本人だけがエコな生活を送ったところで世界的な規模で見ればという観念派というか悲観派や、本当は環境問題自体が存在しないのだという陰謀論者などいろんな意見が生まれるのは仕方が無いこと。

だからといって問題を座視するのではなく、各自が出来る事を実践しようと言うのが良識的な考え方
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「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」


「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」
「赤信号みんなで渡れば恐くない」
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