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誰かに恨みを抱いたことのある方。誰かに恨まられることをしたことのある方。にお聞きします。
その恨みを晴らすこと。または、恨みを晴らされることは適当でしょうか?
勿論、自分が晴らすのは良いけど、自分が被害を受ける分には問題だ。と言う、自分勝手な意見は無しでお願いします。

人に恨まられることをした。
それは甘んじて受けるべきだ。と世間は言うでしょう。恨まられる人は納得がいかないかもしれません。
しかしながら、その無責任な意識によって被害を受けた人がいた。
だからこそ、それは報復されても仕方のないこと。とされると思われます。

恨みを抱いたとして。
恨みを抱くほどツライことを強要されたのかもしれません。
それを晴らすことに問題はないでしょうが、限度を知らないことは問題的です。
昨今の事件だって、そういった人への恨みの報復で、限度をわきまえないことから問題になっています。

恨みを抱くにしろ、恨まられるにしろ、
報復するにしろ、報復されるにしろ、
先に手を出した。酷いことをされたは、さておき。
その責任感の無い行動に問題があるのではないでしょうか?
自己の福利を損なわれたとして、自身が強要されているストレスを発散するとしても、
または、自身の精神的快楽を得るために、相手方にストレスを強要するにしても、
やはり、相手の損なう利益を考えない、責任性に問題があると思われます。

知らなかった。分からなかった。
日本の刑法では、そういった責任能力の無さを露呈した方が刑罰が軽くなる傾向があります。
自分の犯した過ちを悔いて深く反省した姿勢を見せるより、
知らなかった。だから、自分が行き過ぎた行為をしたことは、自分が問題では無い。と言った方が良いのです。
また、世間一般にも言えることでしょう。
様々な責任を追及される場面で、知らなかった・分からなかった(だから、しょうがないんだ)。で済ませる人が非常に多いです。
だとしたら、知らなかった。で被害を被った人の損益は、仕方の無い。もので済まされるものなのでしょうか??
知らなかったで済ませる人が、他人の知らなかったで被害を被ったとして、同様に知らなかったから仕方の無い。ものとして済ませますか?
それは納得がいかない。でも、自分だって、同じ穴のムジナなんですよ。
自分は知らなかったで被害を及ぼしても良いけど、自分が知らなかったで被害を被るのは良くない。とするのは、非常に自分勝手ではないですか?
まあ、これは最初に述べたことなのですが・・・

こういったことの問題点は、自身の行動に責任を持たないで行動する人が多いこと。
また、他の人の立場なんて100%分かるワケがないことから、他人を自分よりも蔑ろにすることが問題なのでしょう。
誰だって、自分が一番大切でしょうが、諸々の人間関係でのトラブルは、そういったことが起因してるのではないでしょうか?
人間関係を円滑にするには、まず他者を尊重することから始まると思われます。

それを踏まえた上で、恨みを買うことをした。報復をした。
行為自体には問題はないのでしょうけど、いずれにも責任を持った行動が求められるのではないでしょうか?

長文失礼します。
いろいろと正論を述べたつもりですが、私自身も完璧ではないので、多くの偏見を持っております。
他の人のことを考えないので、そういった意味でも無責任でしょう。
ですので、誠に勝手ながら、皆さんの意見を聞きたく存じます。
お手数ですが、ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。
それでは、よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

よくよく、言われることですが、


「足を踏んだ人は、そのことを忘れるが、踏まれた人は忘れない」
というのが、あります。
実際、マイナス感情というのでしょうかね、そういうものほど記憶に残るものです。
上司に御馳走してもらったスキ焼の味は忘れても、解雇された時のことは忘れない。
このことは、いつの時代でも変わることが無いものです。

何気に見るテレビのサスペンスでは、犯人の動機は常に恨みで、主人公サイドは、
いつでも報復は何も生まないと訴えます。
実際、そうなのでしょうか。
報復は連鎖を生むというのは、よく言われることでかの有名な「OK牧場の決闘」は、
決闘では決着など着かず、その後の報復合戦で泥仕合となり、軍隊が出動して治める羽目に
なっています。
保安官という行政サイドの人間ですら、こんなことになるのですから。
だから行政側の意見としては、仇討、報復はダメだというのでしょう。
日本でも明治に入って、仇討は禁止されました。

しかし、被害者は納得できるんでしょうか。
仇討は禁止、これは論理として理解できる話ではあっても、
感情として理解できるものではありません。
かといって行政側は、建前上、犯人を処罰するのは更生をも目的としているわけで
無茶なことができるはずもありません。
何より「痛み」を知るのは被害者だけなのですから、処罰に関しても納得できるとは
限りません。

法律上の犯罪ですら、このようなことなのですから、法律で救えない案件は
どうすれば良いのでしょうか。
「行政サイドの大ミス」=>「失業者続出/自殺者続出」「戦争」「不況」
憲法上、責任を負わせられないということになっている以上、何の責めも負いません。
無論、取り返しもつきません。
個人ではなくても、海が汚れる、街が消えるという環境に影響することも多々あります。
こんな時に、何に納得すればいいのでしょうか。
政治というものでは、極めて重い責任とよく言われますが、実のところ、
戦争でもない限り取らされることはありません。
市井の市民の解雇と、総理大臣の辞職は等価ではありませんから。
イスラム教徒ばかりが行っているイメージのテロ活動ですが、別に宗教が理由というわけでも
ありません、むしろ生活苦が動機としても大きいものです。
市民が狙われるテロリズムが納得できないのは確かですが、同期としての恨みを持つ理由に
言及してるメディアがどの程度あるでしょうか、私は少なくともテレビではテロの動機に
言及している報道を見たことがありません。
また、テロの報復で、軍事行動しているのは。いくらでも見ますが、そう考えた場合に
テロだけが理不尽というわけでもないはずです。
戦前の日本でもテロリズムがあり、血盟団事件というのがありましたが、
首謀者は社会に恨みを抱くには十分すぎるほど不幸な生い立ちの人です。

相手を傷つけない場合の仇討/復讐は、世の中では驚くほど肯定的に捉えられています。
メディアでプロスポーツ選手の動機に、リベンジという言葉は幾度となく登場しますし、
これが経済関連でも、驚くほどリベンジという言葉は使われます。
リベンジという言葉は感情的です、この言葉を使う以上、恨みが無いわけがありません。
そして、裏を返せば 、世の中では、恨まれることをするのは当たり前という暗黙の了解と
恨むことを当然、場合によっては肯定的に捉えていることになります。
これは理想的な人間でもなければ、論理の世界もありません。
恨みという言葉は使われなくても、驚くほど恨みは受容されているのが事実です。

恨みの相手が知らなかったということで済むかという部分ですが、
これには、責任というモノが付随していくことになります。
国家というコミュニティに所属する上で、知っているのが当然とされているのが法律です。
法律は、コミュニティに所属する上で最も優先的に従わなければならないルールであり、
もっとも基本的なルールとされます。
法律は知らなかったでは済ませることはありません、積極的に知ることを要求しています。
つまり、基本的には知らないということで、回避できることはないのが、根本に
なっています。
実世界では、司法の場面で知らないが免罪符として使われる場面も多いですが、
法律を守らない責任を免れるものではありません。

そんなわけで恨みが有るからには、報復というのは、極めて当然な感情的振る舞いと
思います。
社会的には明言はしていないですが、程度の場合がありこそすれ、報復は許容されている
と思っています、良いかどうかはわかりませんが。
これだから、真の意味での人道主義は未だに無いのかもしれませんが、人間として感情が
有る以上、動物的な振る舞いを持つのも当然の成り行きかもしれません。

自分が正直、もう他人にも現実世界に関わりたくないと思っていても、関わらざるを得ないのは、
恨みが理由の一つとしてあります。
報復する気はありません、諦観しているだけです。

そんなわけで、あなたには、恨みが何も生まない とかいう綺麗ごとが言えませんが、
報復が自分のペナルティにならないようにすることを期待します。
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