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池田晶子さんの本を読んでいたら
時代や状況によって変わってしまう「外」の価値は本当の価値じゃない、本当の価値は君の「中」にあるんだよ
と書いていました。

まだいまいちピンときてないんですけど、この言葉がなんとなく好きです。

という事は、私達が普段、嫉妬や見下しの軸にしている
金、学歴、容姿等の社会的な価値は、単なる「飾り」でしかないという事でしょうか?

では中にある本当の価値とは?

A 回答 (13件中1~10件)

池田さんのご本は読んだことがありません。

しかし、精神現象学や木田元さんの影響など、たぶん同じ系譜のものを吸収していると思いますので、ご参考までに述べます。

自分というものを決めるものさしには、atribut(属性) と identite'(自己同一性)があります。
アトリビュというのは、まさに、学校名や職業、容姿、家柄、居住地、国籍、などなどを意味します。
これは状況によって変わるもの、変えうるもの、うつろうもので、他律的です。

裏口入学も美容整形手術も髪の色も、お金で買うことができるでしょう。
学歴や家柄を詐称すればそれが影響力を発揮します。
給与額や預金高が高くても国家が破綻すれば、持てる紙幣は紙屑同然です。
戦争や亡命では、居住地も国籍も変えるか隠すことさえあります。
こういうものは、自分を説明するのに便利な事柄なのですが、アトリビュであり、外からの力で剥がされ、奪われ、あるいはあてがわれているものです。

もう一方のイダンティテ、英語だとアイデンティティのほうは、自分自身であること、ただそれだけを意味しています。
自分であることをやめてしまいたい、他の人になってしまいたい、自分を殺してしまいたい、というようなネガティブな気持ちにならないための、本来備わっている根源的な力なのです。
精神不安定によって、自分についての記憶や主観や感覚が、錯綜したり混乱したりせず、自分を振り返ることができる、自分の考えを持つことが出来る、ということ。
そうして、自分のイメージという鑑を、心の中にしっかりと持っているので、自分の心に照らして善悪や道理を判断することができ、自分を導いていけるのです。
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外見上の価値(=入手しやすい)すら手に入れられない者どもに対して、内面の価値(=難易度が高い)の方が重要などと説教するとは、池田女史も意地悪よのぅ。



>金、学歴、容姿等の社会的な価値は、単なる「飾り」でしかないという事でしょうか?

ということではなくて、

金、学歴、容姿等の社会的な価値は、入手しやすいのだからますぞを残らず手に入れなさい。
それらの外見上の価値を手にれてみれば、次の段階として内面上の価値を望むことになりますよ。
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この回答へのお礼

社会的価値に翻弄され、ろくに意味を考えずに「勝ち」を求めれば
貴方のような傲慢な人間になるという事は分かりました。

反面教師にさせていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/24 12:32

考えてみるべきこと



>中にある本当の価値とは?

道筋として示しますと

単純に存在論です。

あぽろーち

まず、中という漢字を観察します。

古典的個別課題=

「□(しかく)」が存在しているのでしょうか・「I(ぼう)」が存在しているのでしょうか?

----------------------
回答への前提条件

池田さんの意見では、基本的に「もの」は存在していません。

以下勘違いの例を 数個 あげます・・・

誤謬1
価値とかという言葉がダメなんじゃ とか (表現の問題である!)

誤謬2
当然 四角であるじょ!(質問の仕方があれなのに 騙されて答えてしまう!)

誤謬3
神は存在する! 生活の問題である!
(とにかく自分の神論は正しく 他人は耳の穴をかっぽじってよく聞くべきだと
 鼻息を荒くする!)

誤謬4
俺は信じているから永遠の命である!(知らない人の落書きを読んで騙されろ!)

という 老人男性のふく「ほら」=さまざまな誤謬に気をつけろという戒めです。

基本的にほらを吹くボケ老人は 真っ先に死んでしまうようです。

作者の意図について

俺は生まれてきたから権利がある!おとこである!

おれさまの権利を認めろ!



世話をしてくれている人をしいたげることによいしれる 
おろか者を戒めているのです。


論証
トマス秋茄子によりますと 人は考えるという行為をするとき 

理性を通じて 時空という形式で 理解します。 

存在とは 時間空間という次元ではとらえれないものである等 とのことです。

「中にある」というったえた時 

形式的ことばで 時 に 関して 声をあげ 言葉 を 使っています。

「俺1 は 生まれてきたから2

価値3が 

ある4」

といった とき

とき という 誤謬は ある とした そういう前提のもと

価値があるのは一体どこにあるのでしょうか

 言葉の中に手掛かりがあるとすれば 意見が分かれるところであるようです。

1 おいぼれ(♂)は 「俺」にある と 主張してうるさいようです。
2 母親たちは 「うまれて きた から」 の 背後にあるという 原因にその根拠があるといいます。
3 客観論を唱える方は 価値そのものにあると考えるようです。
4 実存主義的には ある が その根拠で ある そうです。
 
しかし
池田さんの立場は、 そのなかのどれでもなく

あなたの心にあるといいます。 中というのは 感じている

あなたの 心が動いている さま である という 考え で あるようです。

「ある」 と 「わたし」を関連づけているのが 心 で ある ということです。

哲学用語では エンティティー と いいます。

「草がそこに生えている」という考えには 「ある」 という言葉が はは として その 起源として 存在しており、 

ある という言葉の背景には 

中という漢字が表現するような 「体系的関連」=

その要素の一つ一つが欠けることなくひとつの形を作り上げることによってのみ 
生き生きとした 「立ち現われ」 が 可能であるという 神妙 です。

生命保険などとは全く関係がありません。下劣で低級な思索は及ばない純粋な考えです。
くずは 自分を大切にしてもらうために屁理屈を唱えなければなりません。
そのために 全部大切だという。 だから役立たずのおれも大切であるということです。

悪人は、 自分の悪を隠すために 世界のすべては善であるという。 つまり俺も善の仲間であるというわけです。 パンをぬすんで人に叱られたのがいまだに忘れられず、自己正当化をし続ける。反省がない=救いようがない人間になっては 駄目であるということです。

まんびき老人の言い訳> 
万引きしたのではない! かりただけだ!
かえすから つうほうするな!
パンは生きるために必要だった!みのがせ という 盗人猛々しい態度です。
親は金持ち 金庫にかけはたまっており 年金もがっぽりの業突く張りが どれでも万引きをするというはしたなさ そういう穢(けが)れを 行ってはならないという戒めです。

(最近の研究で明らかにされたことは 愚か者という言葉は悪口ではなく 成績が悪い奴という言い草が名誉棄損となるそうです。そういう へりくつ一般に対する警告です。)

「中にある本当の価値」 と いう質問文に立ち返ります。

価値は、言葉としては 「ある」 に よって示唆されています。
の という 助詞が 起源・正起の源 を 表しています。
本当 という 言葉の中に かけがえのないことがら が 「ある」といえるでしょう。
いえるという 可能性が一つ
本 という 感じが示す「内」容
回答として上に述べました通り 「本当」とは 心のありさまです。

ほんとは 死んでしまった人の心です。
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 こんにちは。



 ★ では中にある本当の価値とは?
 ☆ おそらく――そしてまた イヤミにも聞こえましょうが―― 《価値》という言葉を用いるところから おかしくなるのでしょうね。

 生まれて来た《わたし》は とうといものです。すでにそれだけで掛け替えのない存在です。タカラです。

 このタカラが生きる。わざと嫌われ者の路線をすすむなら たとえ一食のパンをぬすんだとしても 人が生きて行くというそのことが とうといものです。
 そのあと・そこに《価値》を 人びとは見い出したというのでしょう。生命保険を掛けておけば安心という価値が得られるというまでに 《われ考える。ゆえにわれあり》はすすみました。

 生きるのに 中も外もたいせつです。
 問題は 価値かどうかです。価値で測るとしても どういう価値かです。
 《飾り》だって たいせつな場合があるかも知れません。生きることです。
 人によっては《嫉妬》を持ったから その一定の期間 生き長らえ得たという場合だってあるかも知れません。
 生きること・また共生すること ここにタカラを据えて見て行きましょう。そうすれば何もかも大事であるようにも見えて来ましょうし もはやすべては飾りであってそれらは要らないというようにも見えて来るでしょう。
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>具体的にどんな風に?



 深みとか、魅力などが増すのではないでしょうか。

>容姿の価値は年齢によって変わってしまうでしょう。

 自分の年齢によって、他者に対する容姿の価値観が変わっていく という意味ですか?
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特段、金や学歴が飾りだと言っているのではなくて、あなた自身について言うなら、要は、外があなたをどう評価しようが、あなたの価値を決めるのはあなた自身でしか有り得ないという当たり前のことを言っているのですよ。

外は単なる情報、中はあなたの「自由」ということであって、惑わされるなという戒めです。
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生きる事は、お金をもうけるためや、罰を避けた結果ではなく、


自分自身の生きる喜びを感じるためだよ、という事かな?
人は、他人にどう思われるかを気にし、他人の評価に依存して
自己認識しがちだけど、それは逆で、全てのものの価値を
決めるのが自分自身の方だ、ていう。
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容姿は残る。

と思います。

人間見た目(見る目をもっているなら)。 

内は外に現れ出る。


肥え太った醜い、金持ちで名声のあるババアより、金がなくて名声もないが、しかし美しい女性のほうが良い。

この回答への補足

>内は外に現れ出る

具体的にどんな風に?
容姿の価値は年齢によって変わってしまうでしょう。

補足日時:2011/11/21 20:31
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是は『自身の中に存在する、命の働きに気が付く事』を言っていると感じます。

つまり『もう一人の自分』です。

もう一人の自分は、自分が『ない時の自分です』

自分は計らって、行動の成果を求めて生きていますが、もう一人の自分は『何も求めていません』求めなくとも働いている者です。

自分は有限の壁の中で、有限の壁を越えられないじれったさを感じていますが、もう一人の自分は、有限の壁を突き抜けている存在です。

その者との出会いを禅では『見性』と表現しています。キリスト教では『神と和解する』と表現しています。

その者は『無意識界の主人公です』人間は『意識がない時が在りますが、誰も気が付かないかも知れません。』

心が苦しい時の『苦しくさせている者です』この者を説明している動画を載せてみますので参考にして下さい。

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1)>時代や状況によって変わってしまう「外」の価値



2)>本当の価値は君の「中」にある


こうしてみれば、「中の価値」とはその人の中にあって、ずっと変わらないもの ということになります。
ずっと変わらない、というよりも外部から影響されないものということでしょうか。


外の価値:金、学歴、容姿等の社会的な価値

そのとおりだと思いますが、あなただけではない、多くの人がこれらの価値に大いなる関心を寄せ、判断の軸にしているとおり、とても”単なる飾り”ではないとおもいます。多くのひとにとっては今も昔も重要な価値で有り続けるだろうと思います。無視はできません。

池田晶子さんの本を読んだわけではありませんが、私が思うには、そういった外の価値というものは、ほとんどが外面から見える、誰にも明らかな価値だということです。つまり、そんな外面の良さを追求するあまりに、他人の目ばかりを気にしてはならない。そんなことよりも、もっと重要なことは、自分の内面に目を向けるべきだ、自身のすべてをしっかり見つめることで見えてくる(他人にはわからないけれど)自分自身の価値があるはずだ、それは自分にしかできないことだし、と言っているのではないでしょうか。

当然それは外部からは影響されにくいことですし、自分にとって重要なことであることは自明です。そういった自身の力が、ひいては自分自身を磨きあげて外面の良さへ反映させる可能性を実現することにもなるのです。

>では中にある本当の価値とは?

あなた自身が見つけなければどうしようもないことでしょう。
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