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ブータンは幸せな国と聞きますが
キリスト教徒にとってはブータン人は神を知らないかわいそうな人々
ということになるのでしょうか。

A 回答 (9件)

ブータンは、世界で唯一の仏教を国教とする国であり、


キリスト教のみならず、仏教以外の宗教的目的のために
集会を開くのは、個人の家であっても禁止です。
他宗教にとってかわいそうどころではありません。
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この回答へのお礼

そうなんですか。
信教の自由はないんですね。
それはとても考えさせられます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 21:10

大乗仏教は,ブータンに於いて完成されたのである.


それは,六波羅蜜によって衆生を救う行為とされる.

六波羅蜜を行う者は,己の仏性を悟り「勇気,努力,
智慧」の三位一体を体得しなければならないのだ.
これは日本の山岳信仰とよく似ているところである.
金剛経に習う,修験道もまた,かくのごとし.

これを幸せと呼ばずに,何を幸せと呼ぶのだろうか.
ボクは,自力で皆を救おうとする,菩薩の心意気に
惚れ込んだ,通りすがりの者です.

ああ,プラジュナ・パラミター・フリダヤ の世界.
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/23 07:53

蛇足ながら、チベット仏教は、アジア全域に広がる上部座仏教(大乗仏教側からすると小乗仏教)の中で、数少ない日本と同じ大乗仏教です。



ブータン人はその事をよく知っていて、「日本人は俺たちと同じマーヤナ・ブディズムを信仰している」と、強い親近感を抱いており、某尊師一行が来た時に、「日本から僧侶の団体が来る!」というので、迎賓館で国王以下、国を挙げて歓迎してしまった(T_T)
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この回答へのお礼

あー、そういえば数々の事件の起こったころに
そんなことが言われていた記憶があります。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/23 07:53

ブータン は仏教国?ラマ教、最近はチベット仏教と言われているようですが。


そちらではないでしょうか。
大分前、「死者の書」と翻訳されたチベット仏教の経典に目を通した事がありますが。
 輪廻転生=生まれ変わる が思想の基本教義になっているようでした。
釈迦の「輪廻」とは、三世世界(過去、現在、未来、一つとした世界単位)であり、
それは、縁起、によって繋がっている。という思想であり。
「瓜のツルにナスビはならない」 とか「カエルの子はカエル」 という形での、世代交番、は
、生まれ変わり、には違いないでしょうが。
個人の、心=霊魂 が、肉体が死んだ後、生まれてくる、人間や動物の、赤子、に乗り移る
、というのは、妄想、でしょうし。「心なる実体は存在しない」と言っている、釈迦がそんな事を
考える訳はありません。
チベット、と中国、に伝わった。北伝仏教、は、インドで、仏教がヒンズー教に吸収される形で滅んだ
後に伝わったものであり。北伝仏教=ヒンスー教、 あるいは、ヒンズー教の中のブッダの思想、
と思っていました。
しかし、先日の震災被災地の小学校での、ブータン国王の、「自らの内にある竜を育てなさい」
という話しや、質問者さんの、神を知らない(神のいない宗教)との話を伺い。考えさせられました。
神を知らないかわいそうな人々、との表現は、神が存在しない事を知らない人々の主張でしょう。

アジアの仏教国に、理想社会、を見た。と言っている西洋人もいたようでが、多分ブータンのことでしょうね。
また、本当の仏教は、チベット仏教の中にある。と明治時代に、教典を求めて、ヒマラヤを超えて行った、日本の僧侶もいたようです。
中国に伝わった、大乗仏教、より、チベットに伝わった仏教の方が、時代的に(距離的意味もあり)
早かったのでは?より釈迦の思想に近いものが伝わったのでは?
 
国王の竜の話しは
釈迦の思想の、基本部分、と言える
知恵=心 ではあるが
知恵×心=一定
知恵が想起している時は、心は想起していない。
心が想起している時は、知恵は想起しない。
だから、知恵を得たくば、心=執着、を捨てよ。心を想起させる事柄を避ける事を戒律とせよ。
なのです。
その、心を捨てよ、を代表する、釈迦の言葉が
「塚(人の心)を掘り起こしたら、いろんなものが出てきた、財宝も出てきた、ガラクタも出てきた、
虫やトカゲも出てきた。
ブッダは、
すべて、捨てよ。ただし、竜(悟り、真実、を求める心=知恵)だけは、そのままにしておけ」
と言われた。
プータン国王は、これを理解しており。小学生に話した。
う~ん です。
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この回答へのお礼

私には難しいです。
国民の一人ひとりが本当に信仰心をもって一つの宗教を信じていれば
幸福は実現できるような気がしますね。
すると、あとはいろいろなものが入ってこないよう
鎖国するとよいのではないかと思われます。

お礼日時:2011/11/23 07:50

>信教の自由はないんですね



これがややこしい事に、個人的に信じている分には、
「信教の自由」として違法ではないんです。
宗教的目的での集会=「布教の自由」がないだけで。
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この回答へのお礼

あら、ややこしいんですね。
いろいろ勉強になります。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/11/23 07:42

私は無神論者ですが、いやむしろ宗教否定論者ですが、かわいそうなどと考えること自体が傲慢で、無礼だと思っています。

本来、人々を救うはずの宗教が、宗教戦争に発展しており、愚かなことです。既に宗教を禁止すべき時が来ていると思います。
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この回答へのお礼

私も同じような立場です。
マザー・テレサはキリスト教徒でなくても
同じことをしたでしょうか。
だけど戦争となるとあまりにもマイナスが大きい。
難しいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 21:06

キリスト教布教の義務を負うキリスト教徒にとって、ブータン王国はチャンスの溢れている国ということになるでしょう。


キリスト教の布教を真剣に考えないなんちゃってキリスト教徒にとっては、興味のない国ということになるでしょう。
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この回答へのお礼

5番の方によるとキリスト教布教はブータンでは困難のようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 21:02

神を知っているのにかわいそうなキリスト教徒が世界中にいっぱい居るので「神を知らないとかわいそう」とは限りません。



始末に悪いのは、キリスト教徒が「自分がかわいそうな存在だと気付いていない」って事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 21:00

>キリスト教徒にとってはブータン人は神を知らないかわいそうな人々


ということになるのでしょうか。

「全てのキリスト教徒にとっては」という意味ならば、

ならないと思います。

「そう思うキリスト教徒『も』いる」かも知れませんが。
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この回答へのお礼

キリスト教徒もいろいろなわけですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/21 20:58

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