No.2ベストアンサー
- 回答日時:
布施弥平治著 「日本死刑史」 巌南堂書店 によると
諸藩の刑罰のやり方は、藩独自のものが多く、しかも
資料は処刑記録も含め殆ど残っていないとの事です。
従って各藩の切腹の際の介錯人については、殆ど不明
と思われます。
介錯人については幕府の関与したものだけが、多少残って
いるのでしょう。
その例は5万石の大名の浅野内匠頭の介錯人、磯田武太夫
は徒歩目付(500~1000石)で、大名の介錯人としては
身分が低すぎます。
大石内蔵助の介錯人の安場一平は細川家の徒歩頭(かち
がしら 今の小隊長みたいなもので 300石位かな)で
浪人の大石の介錯人には高過ぎる身分です。
所般の事情を考慮して介錯人を決めるので、罪人の身分に
応じるのは当然ですが、一律ではないと考えた方がよいで
しょう。
足軽、徒歩、徒歩頭から選ばれるのが普通と考えます。
この回答へのお礼
お礼日時:2012/01/03 16:40
回答ありがとうございます。
江戸時代の介錯人の文献はあまり残っていないのですね。
もし介錯を生業としていたとしたら、
あまり身分の高いものではないと言うことは想像できますね。

No.1
- 回答日時:
キッチリした回答で無くて、申し訳ありませんが。
ご参考までに。
↓
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/sepuku.htm
↑
「介錯人」の場合、
先ず「人の首を、バッサリ斬り落とせる腕が第一」で有る為に、決まった身分の者が勤める類の職種では無かったようです。
「首斬り浅右衛門」として知られている「山田浅右衛門」も代々続いていたとはいえ「世襲制度」では無くて、やはり「剣の腕を要する者」が家を継いでいたようです。
身分も「浪人」というのは意外ですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0% …
予断ですが。
「公儀介錯人」という『子連れ狼』で御馴染みの名称は、これ「架空」の役職だそうです。
この回答への補足
ご回答ありがとうございます。
syu1958さんのご説明の内容はもうしわけありません、調べ終えていました。
「介錯人を職業としていた武士がいた」という話を聞いたので質問させていただきました。
確かに山田浅右衛門のように腕が悪いものが生まれたときに困る職業だから
世襲制ではないのかもしれませんね。
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