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なぜ、山形市役所の最上歴史館は、史実捏造するのか?


徳川実紀に、最上出羽守義光が遺領五十一万石とあるのに、山形市役所の最上歴史館は、57万石と捏造しています。また、慶長検地では、もとは13万石→関が原後の加増で20万石くらい?のようです。捏造??

○六日出羽國山形城主最上出羽守義光が遺領五十一万石を。その子駿河守家親につがしめらる。

A 回答 (6件)

 「歴史書」に関する基本中の基本。


「公式記録」として権力者によって編纂されたモノと「民間によってつづられた史書」の二種類があり。前者を「正史」後者を「野史(または稗史)」と呼ぶ。
 現代でも同様であるが、権力にとって都合の悪いことを正式文書にそのまま記載することなどありえないのは当然であり、歴史学としての役割の一つは「その様にして作られた偽造の化けの皮を剥がす」ことでもある。
 質問者は「どうしても『信長公記』の正当性」に拘りたいようであるが、それならば叩き台としてキチンとした論文を作成した上で『歴史学研究』『日本史研究』『史学雑誌』などの学術誌に発表することでその是非を問うことがオーソドックスな手順と手法である。
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単純なことである



『徳川実紀』上の記述と公承(証)の時間の差異である

もっと資料を精査しよう

そもそも、『徳川実紀』を史実とするのが大前提として適否の問題がある

質問者のような人間が、史実を評論する資格がないことは、回答者諸氏が指摘する通りであるが、

これが日本の歴史評論の現実なのであることを踏まえて歴史を俯瞰することを指摘しておきたい

同時に石高計算の方法(単位問題)もあるが、そのレベルまで加味するだけの知性は質問者にはないだろうから、解説しない・・・

まぁ、これを読んだ回答者の要請があれば、別だが・・

以上
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大体公には少なく申告するものですから徳川実紀は51万石なんじゃ?




最上藩の表高は57万石と言われてるので合ってるんではないですかね。

「最上家家臣分限帳」によると実高は77万石らしいですし(77万石分の家臣がいるということ)。

だいたい米の取れにくい東北で米で換算してる自体が無理があるわけですし。

最上家の実高は酒田港と最上川の水運と銀山の経営で実質100万石あったらしいです。


山形藩史
http://roadsite.road.jp/history/chishi/hanshi/de …


山形藩
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/mutude …
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 公式なものと、言葉は悪いですが「裏」と、石高が違うのなんてふつうだという事情をご存じではないようですね。



 読み仮名部分は省略して引用しますが、

【表高】
知行充行状知行目録に書き載せられた禄高。実際の収入高とは相違した。#内高。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

【内高】
江戸時代、内検地などによって実際の生産高をとらえた石高。年貢を課する対象となる石高。実高。#表高
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 という具合にふつうの「辞典」に載るくらい、石高を表す数字が違うのは、ふつうのことです。

 むしろ、同じだったらその藩などの殿様や武士は何もしない怠け者だと言ったほうがいいでしょう。


 実は更に現実は異なっていて、広辞苑には載っていませんが、「裏高」とでも呼ぶべき禄高があるのもふつうでした。

 それは、知っていても目をつぶっていた部分(池の浅瀬など)と、武士も知らないもの(隠し田など)などから上がる石高です。

 前者は、例えば、とりあえず池の浅瀬に稲を植えるのです。

 池なのでふつうの年はあまり稔りません。ですから藩などの武士はお目こぼししました。

 が、いったん旱魃になって、ふつうの田の稲が稔らない状態になると、そこの稲が生きてくるのです。

 後者については記録に載らなかったでしょうが、前者はなにかの(非公式記録)には載った可能性があります。

 というのは、明治維新になると、支配権は薩長に移動し、それまでの家族的な、持ちつ持たれつ関係は無視されて、そういう所まで「田」として地租の対象になったケースがあるからです。

 隠し田のように、いっさい記録にのらなければ、そんな事態にはならなかったと思うのですよね。

 新潟の場合、「潟」という地名からわかるようにそういう場所が多かったのに、明治政府は通常は米なんて取れない場所にも「田」として課税しました。

 昔のように、出来高の4割とかじゃないのです。できてもできなくても、●●円払え!という、イマと同じ制度。

 課税されても税金が払えない(稔りがないのだから払えるわけがない)農民が、金持ちにその土地の権利をタダでもらって頂いたケースもかなりあります。

 人助けのつもりでもらってあげて、代わりに税金をはらっていた土地が、戦後になると・・・ 。嗚呼、情けは人のためならず。


 話が横道にそれましたが、質問者さんがあげられた2つの数字は、どれですか?

 参照した記録が異なれば、数字が異なるのは当たり前。

 その2つは、同じ記録をもとにしていながら、片方がねつ造したのでしょうか?

 ねつ造したという論拠は?

 最近、信長公記のような、一定の意図を持って書かれた小説との違いをもとにねつ造とか書いていらっしゃる人をみかけましたが、論拠がはっきりしない間は、そのような言葉を使うのはいかがなものでしょうか。

 質問者さんがマジメに歴史検証をしたいのであれば、おやめになることをお勧めします。
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徳川実記の記述を根拠にすればそのとおりでしょうが


http://www4.plala.or.jp/nakatsukasa/mogaminozitu …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC% …
そもそも「完璧な歴史資料」などはないのですからどうしても「諸説」があります。
最上歴史館では通説を採用したということでしょう。
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 ねつ造であるとの基礎資料と文献を提示して、間違いを正す様に指摘してみてはいかがですか?



 史実と事実と後に作られた文献には必ずと言っていいほど矛盾やねつ造があります。
 というのは「歴史を良い方向に向けたいから」という心理があるからでしょう。

 で、真実を知ってどうします?

 過去は過去だし、未来への正しい歴史認識に弊害があると主張するなら、誰にでも提示できる資料を持っていくのが良いでしょう。そしてその資料が正しいことも証明しなくてはいけません。

 どうも「○○くらい~」と曖昧の様ですからもう一度資料を精査しなければいけませんね。

 歴史の資料は書いた方に都合の様ように変更されていることは間違いはないでしょう。

 また、それを知ったからと言って誰が得をするのかという問題ではないので、頑張って戦って、正しい歴史を後世に残すために尽力を尽くすのは悪い事ではないでしょう。

 まずは行動してみたら?

 まだまだ隠された事実は多いかもしれませんよ。
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