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いつも 誰かに怒っています。
そして ある日 ふと 消えて  気がつくと また怒りの対象が別の人に移っています。

年がら年じゅう 誰かに怒っています。これは何故でしょうか?

考えると 昔からです。。。

でも、怒ってることは正当な内容ではあるとは思います。

相手が余りにも理不尽だったり 身勝手だったり 失礼だったり。。。

とにかく そう言う非常識な人が 多くて。。。

小さなものでも いちいちムカつきます。<私は小さなことでも失礼なことは言わないから余計にムカつきます。>
小さいものは比較的 すぐ忘れますが。。。
そんな時は次から相手への態度を変えたりもします。

だけど、お人よしで、また そんなことも忘れて 親切にしていたりします。そしてまた不愉快な思いをさせられたりします。
その度に自分の馬鹿さ?弱さ?おめでたさ?に残念な気持ちになります。

なめられやすいみたいです。
いい人 過ぎる!と言われます。  騙された経験も少なくありません。

人に いつも親切にする お人よしの自分は嫌いではありません。
困ってる人に つい親切にしてしまいます。ですが、結局 ズルイ人になめられ、傷ついて 不愉快になって 怒りが込み上げていたのでは自分が しんどいのです。


怒りも治めたいですが、根本的な原因と言いますか、一体 どうしたら 怒りからも解放され ズルイ人間に利用されず、上手に立ちまわれるようになるのでしょうか。。。

人と関わらない!親切にしない!では極端すぎるので。。。

色々 へこんでおりますので 優しいアドバイス お願いいたします。m(__)m

A 回答 (4件)

「怒り」は、人間の持つもっとも根源的な感情です。


喜びや悲しみ、苦しみを感じる事よりも、ずっと簡単で分かりやすい感情と言えます。

さて、あなたの場合、質問を拝見した限りですと、常に誰かに怒ってはいるけど、相手に対してその事を直接伝えている訳ではないと捉えてよろしいでしょうか?

あなたの中の怒りが断続的に続いてしまうのは、きっとそれが原因であると思われます。

そもそも「なぜ怒りを覚えるのか?」を考えた場合、根本的な話になりますが、「人は自分と同じではない」と言う事が、あまり理解出来ていないからではないか?と思われます。

人に親切に対応する。
人が良い。
人に失礼な事は言わない。

それが自分の中での当たり前。
だから人にそうしている自分も、人にそうしてもらって当たり前。。。

あなたは、自分が考え行動している事に対し、どこかで誰かに見返りを求めている部分が大きいのではないでしょうか?
それが叶わないからこそ、「理不尽」「身勝手」「失礼」と感じる気持ちも大きくなるのではないかと思うのです。

どんなに正しい事をしていても、だからと言って、それが必ずしも自分に取って有利な形で返って来るとは限らないのです。

自分の行動への見返りは、自分の心に求めるべきなのだと思います。

人に親切にしたり、お人よしな自分は嫌いではないのでしょう?
ならば、相手がそれをどう見ようが、どう取ろうが、自分に対して納得すべきです。

世の中、理不尽な事はたくさんあります。
正しい事をしても、正しいと認めてもらえなかったり、良い人が逆に損をして見たり。。。

でも、他人の評価がどうであれ、自分の行動に何も変わる所などないでしょう?

「怒り」は「抑えるもの」ではありません。
「怒り」は「変換すべきもの」なのです。

だから人間の「根源的感情」に成りえるのです。

あなたが「理不尽だ」「身勝手だ」「失礼だ」と思ったのであれば、その時に発生した怒りの感情を、あなた自身が正しいと思う行動に変えて行きましょう。
例え、人に「いい人と思われなくても」です。

怒りは相手にぶつけるだけにあらずです。
怒りを正しい方向に向けて考えれば、「ナメられる」事はなくなります。

文句を言いたいのに言えない。
間違っていると思う事に間違っていると言えない。

それらはもはや「お人よし」ではなく「気が弱い」だけの話ですよ。
「良い人過ぎる」と言われるのは、きっと、あなたが秘めている怒りを知らない人だから言える事だと思います。

現実的な問題として「相手に変わってもらう」事は、絶対に不可能なのです。
ならば、自分が変わるしか方法はないのです。

優しいアドバイスにはなりませんでしたが、どうかあなたの良さを最大限に生かせる生き方を模索して下さい。
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この回答へのお礼

お返事 ありがとう ございました。

怒りを変換。。。なるほど!と思いました。

繰り返し読んで 考えたいと思います。

ありがとう ございました。

お礼日時:2012/05/09 16:28

何となく言いたい事もお気持ちも解るような気がします。



195533サンは息抜きが苦手なのではないでしょうか。
私は現在4歳と2歳の子供を育てています。
育児をするにあたって不安や方向性を定める為に育児本を沢山読みました。そして子供の育児をしていく中で色々考える事あります。
子供は未熟で不器用だけど、それは素直で正しく心も身体も成長したいという過程で、育ちの環境・時代・関わる人との性格で変わってくるのだと思います。
だから些細な失敗や親や周りの人に対し嘘をついたり・隠したりなどマイナスに思える行動も、好かれたい・うまくやりたいなどの本人にとってはプラスの気持ちに基づくものです。
例えば、うちの子も隠れてつまみ食いして「食べてないよ」から始まり、お友達や下の子を叩いてしまったら自分は悪くないと言ったり…自分の物は自分の物、他人の物も自分の物など…親にとっては将来を心配するほど、うろたえて頭ごなしに注意してしまう事が多いです(^_^;)
気持ちを認めてあげて分かるように説明し根拠強く見守ってあげれば、あれだけ心配した事もいつの間にかなくなります。

話が反れたかもしれませんが、195533サンが成長の過程でルールが厳しめの環境で少し外れたら注意を受け、ただただ従順に正しい事はこうだと育ったから、他人が許せないのではと思いました。(単なる推測なので、不快な気持ちにさせてしまったらすみません。)

もちろん信じられないくらい非常識な人もいるし、育った環境が違うからと他人を認めるのは誰でも難しいです。
だけどルールは人間が決めたことです。

すみません…解決案ではないですね…。
そういう私も自分の性格に生きにくさを感じます。
色々悩みましたが、親になってわかった事は親が生きてきた環境・受けてきたしつけ、子供の性格からも育児は変わってくる…誰でも体当たりでするしかないのです。
誰かを責めたら自分がつらいし疲れます。
何だか話がまとまっていない気もしますが、自分の価値観で見えているものが全てではないヒントになればと思います。

笑って毎日を送れるよう祈っています(^^)
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この回答へのお礼

お返事 ありがとう ございます。
おっしゃる通り息抜きがへたで ストレスがたまりやすいです。

子育てで忙しい中 わざわざ ありがとう ございました。
子育て 頑張って下さいね。

お礼日時:2012/05/09 16:19

こんにちは。



その気持ち、良く理解できます。
お恥ずかしいですが、私も良く運転中に
色々思い出して一人で怒っていたり
しますから・・・。

多分、あなたと私に共通する部分があると思うのですが、
私はとどのつまり、自分に怒っているようです。
自分のふがいなさ、弱さ、そのことにとても腹を立てて
いるようなのです。

善良であろうとする心は、生い立ちによる所が大きいと
思いますが、最近では遺伝的なものを超えて、出身の
地域性さえありそうだと思うようになってきました。
地方人の気性、というものですね。

例えば豪放磊落、例えば大陸的、そして、私は
くそ真面目で馬鹿正直、そのくせ怠惰で根性なし。
死に方をいつも考えるくせに妙に他人を信じやすくて
従順だったり、悔しくてもひたすら我慢していたり。

決して侮蔑の意味を含めずに書いてるつもりですが、
実に自分の出身地方の田舎者だと、自分でも苦笑
することしばし、です。
自分らしさなんて知りませんが、その土地の人らしさ、
なら良く理解できます。

ええと、何の話をしてたんだっけ。

さて、結局のところ人の世は見た目、肩書き、実績、金。
現場においてはスキル、経験、人物などの総評価。
つまり、完全な実力社会ですよね。

これに抗ってあがくのにもいい加減、私は疲れました。
認めるしかありません。

まっとうな人間でありたいと願う、内面的な自浄努力は、
人としての美しさに通じるという気持ちは揺るぎませんが、
社会、それが小さな職場や学校でも、社会での私達の
立ち位置・・・評価、ですね。

それはやはり実力に乏しいと惨めな思いをすることが
どうしても多くなってしまいます。

尤も、くそ真面目な人間は、反面 カンペキ主義でも
ありますから、自分の理想像を高く持ちすぎていることが
少なくありません。

理想を心に持つことは、同時に自分を高い存在だと
特別視しがちな気持ちも生んでしまい、周りが馬鹿に
思えたり、集団の中で明確なアピールポイントを持てずに
埋没しがちな自分を鼓舞するように奇異な言動をして
引かれて浮いてしまう原因になったりもします。

自分を大切にし過ぎる余り、違う意味で人と違う
ヘンな奴だと思われちゃう。
でも、そんな奴が凄い数いるから、KYだとかハブるとか
日常的な話題になってる、その位沢山いるとも言えます。

くそ真面目な人は、傷つき易かったりもします。
自分で書いてて、あー恥ずかしいとも思うけれど。
ちょっとした他人の言葉や態度、表情、或いは無反応。

そういう一挙手一投足に「自分をちゃんと扱ってくれて
いるか」を探らずにはいられず、そして他人は皆、
自分のことで忙しいので構ってなどくれませんから、
馬鹿にされている、嘗められている、と感じて傷つく。

傷ついた自分を慰めるため、体勢を立て直すために
自分の考えを点検し(要するに自己正当化ですね・・・)
相手の非を責める鎧を纏う。

で、腹が立つわけで、立場が弱い、馬鹿にされていると
感じる、傷つく、自己防衛で怒る、態度が悪くなる、
周りの評価が落ちる、また馬鹿にされる・・・の悪循環に
陥り易い。

んー、でも程度の差も含めて考えると、あなたや私だけの
ようなダーク悪循環に悶々としちゃう人は、何か、物凄い数
いるみたいですよ。 もう、何百万人規模かも。うわー。

ところで、よくよく他人を観察してみると、実は自分を
馬鹿にしていると言うよりも、多くの人は力関係の上下で
無意識に表情や態度を変えているだけで、誰のことも
実は尊敬などしていなかったりします。

誰かを軽蔑する気持ちは、また別の誰かを尊敬する気持ちと
表裏一体です。 中には、自分を尊敬する、という厄介な
人もいる始末です。

だから、誰も尊敬していないということは、誰に対しても
そんなに軽蔑しているわけではない、ということになる。
まあ、理屈から考えれば、ですが。

つまり、意識的に、悪意を持ってあなたや私を蔑視して
いる人間は非常に少なく、またそのような極端に他人を
貶める人は誰に対しても辛らつで自分にはやたらに甘く、
そのせいで、誰からも実は好かれていなかったりします。

結局、私ばかりが嫌な思いをしたわけではなさそうです。

子供の頃、女の子にどう接していいか判らずにスカートを
めくったり、虐めたりする男の子がいましたが、あれの
大人バージョンみたいなものかも知れません。
嫌われ者の孤独な奴め、私に必要以上に関心を持つの
ではないぞ?・・・なんてこたないか。 あはは。ごめん。

本当のところ、スターとか遠い存在ではなく身近な誰かを
真顔で「尊敬している」なんて言えば、ちょっと引かれると
思います。
(それでも、私にも「尊敬する」という「痛み」を感じる人は
いるのですけど)

その位、他人は皆、バラバラなものです。

少なくとも、群れていられる頃を過ぎて大人になった人々は
自分の家庭や生活を維持することで頭も心も大半は
使い切ってしまうのですから・・・

逆に、私やあなたのように他人が自分をどう見ているかと
悩む気持ちが色濃い時があると、それは周囲から見ると
仕事なり勉強に真剣に取り組んでいないとみなされて
怒られてしまったりもするでしょうね。

すると理不尽に感じてまた腹が立ったりしちゃう。
その、もっと深い部分の心に降りてみたんです。

腹が立つ、その怒りの底のほうにダイブしてみたら、
意外なことですが、不安や悲しさ、哀しみ、寂しさ、恐怖など
中々に幼い自分がうずくまっている姿がぼんやり見えて
来ました。

幼い頃から、私はあまり変わっていないみたい。
少なくとも、深層心理というのでしょうか。

そこら辺の、深い部分の時間の経ち方は随分と遅くて
どこか同じ昼と夜を永遠に繰り返しているのではない
かしらん、と思ったりもするのです。

そうか、私は、怯えているんだ。

何故なんだろう?

正直、その答えが見つかる程の深度まで、まだダイブ
出来ません。 深すぎるんだもの。

でも、少しづつ、年齢と共に、自分の中の自分を特別視
したがる部分が廃れて来ました。
人としての機能劣化、なのかなあ。

でも、他の人の表情や態度から、その場の状況から、
他の人の感情を感じ取るセンサーがくっきりしてきたように
思うのです。
(生身の目のほうは焦点が合わなくなる一方なのにね)

あー、これが空気を読む、ってことなのかなあ・・・
皆、若い頃からこういう視線、というか感覚を持って
社会生活営んで、現実的な目線で頑張ってるんだ・・・
偉いなー、参っちゃったなー、私なんかこんな年齢で
やっとこさなのにな。

何か、プライドもヘッタクレもありませんね。
でも、自己否定とか、自虐心理ではないんです。
何故って、痛みや辛さを感じないから。

以前に比べて、何と言うのか・・・心が楽です。
勿論、今だって馬鹿にされれば心の痛みを感じるし
ミスをしたり上手く出来なかったりすると惨めだし
自分の存在価値が低く見えて辛いなあ、と思う。

それでも、必要以上に悪循環に陥らなくなりました。
何か、もう舞台裏見ちゃったし、みたいな感じかな?
自分も他人もそんなに特別に見えません。
私も皆も普通だなー、と。

気持ちが大分軽くなりました。
体重は随分重くなったけど。
ダイエットしなきゃ・・・

多分、「特別視」という濃いサングラスを掛けて
生きていたから、私は余り周りが見えなくて、
鏡に映る自分の姿も良く見えなくて、見えない
分を想像とか、妄想とか、夢想とかで埋め合わせて、
それを見続けていたから、ありもしないものに
怯えていたのかも知れないな、なんて思いませんか?

ねっ?

つまり、膝を抱えて、サングラスを掛けて、うつむいて
歩いていた・・・つもりだった、実はじっとしてただけ
だったんだと判ったら、これを外せば結構明るくなると
思いませんか?。

雨の日だって、サングラス越しに見るよりは、ずっと
ずっと明るくて色があります。

ずっと昔から。生まれる前から。

ずっと先まで。死んだ後も。

まー、何とか変わっていけます。
私達は、昨日今日湧いた存在じゃないだもの。

あなたにも何か枷になるものがあるなら、
それが早く外れるといいね。

何かあなたの参考になればいいな。

そう思ってキーボードから指を離すね。

じゃ、そろそろ行きます。

どうぞ、ごきげんよう。




もうすぐ今年も夏がやってきますね。
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この回答へのお礼

お返事 ありがとう ございます。

意識的に、悪意を持ってあなたや私を蔑視して
いる人間は非常に少なく、またそのような極端に他人を
貶める人は誰に対しても辛らつで自分にはやたらに甘く、
そのせいで、誰からも実は好かれていなかったりします

その通りだと思いました。 

ありがとう ございました。

お礼日時:2012/05/09 16:38

こんにちは。



質問者様の気持ち、すごくわかります。
私も似ているところがかなりあるからです。

>とにかく そう言う非常識な人が 多くて。。。

本当ですね。
私は、電車や路上、あらゆるところで非常識な人間には、年齢性別問わず、注意します。
家族は、逆恨みとか逆切れが多いから、やmてくれといいます。

でもできません。

これは性分です。


また、回答者様と同じように、すごくひとに親切にしてあげたりもします、
でも、相手は何とも思っておらず、がっかりしたり(見返りを要求しているのではありません)
してしまいます。
また、騙されないよう、本当に信頼できるとわかるまでは、ある程度の一線を画すように
しています。


世の中、鈍い人間の方が楽です。
本当にそう思います。

損な性格に生まれてきたなと思うことが多々あります。


性格は、多少の矯正はできたとしても、根本的に変えることは困難です(無理だと思います)。
よって、自分の性格とどううまく付き合っていくかです。

私の場合は、我慢せず、悪いことは悪いと注意します(但し喧嘩にならないよう優しい言葉で)。
また、騙されないよう、そのひとが余程信頼できるとわかるまで一線を画します。
それと、逆に警戒してひとと付き合わないのではなく、出来る限り、」多種多様な方と付き合う
ようにして、人を見る目を養うようにしています。
また、息抜き、ストレス発散(体を動かす)ことも重要です。身体をいじめると考えている暇が
ないですし。


全然アドバイスになっていませんね。

でもあまりに、共感できることが多かったので、口を挟んでしまいました。

失礼いたしました。
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この回答へのお礼

お返事 ありがとう ございました。
気持ちを分かっていただき また 自分も 同じような面があると。。。

そう言っていただけるだけでも 独りじゃない!と思いました。

ありがとう ございました。m(__)m

お礼日時:2012/05/09 16:41

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