牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

過酷な受験生活の中でふと悟りや解脱とかいうものは、こんな感じなんじゃないかと思う時がある。
もしそうなら、受験生活をすることがそのまま苦行を意味して、経験的に前へ進めるかも知れない。

そう思えべ思うほど、手っ取り早く仏教の全体像及び本質を学びたいという思いが強くなる。手っ取り早くといったのには二つ意味がある。一つは時間がないから。もう一つは、仏教を学ぼうと思って書棚の前に立っても、訳の分からない(著者が自分の意見を好き放題述べてるようにしか思えないもの)書籍しかおいてないからだ。だから、もし、仏教に対する高度な形式知、暗黙知、および経験的なものをすでに習得済みの方がおられましたら、是非お勧めの書籍一冊を教えて頂きたい。

ここで一冊といったのは、その一冊が著しく質の高い書物なはずだからであります。

どうかよろしくお願い致します。

A 回答 (12件中1~10件)

No.10です。



最後の数学と仏教というところだけ。

仏教はσ(・・*)の場合、大乗仏教曹洞宗、数学は代数学。

これは表現が難しいのだけど、

「同じようで、違う。違うようで同じ」

それこそ「空」の考えに近いかもしれません。

 #般若心経の頭のほうに、色即是空 空即是色 ってあるけど。

できるだけ簡単にたとえてみようと思うけれど、難しかったらごめん。


空集合って考え方があるね。

集合の中身はない、ただそこに器だけはある。

空集合は何もない って言うとウソになる。

要するに 器だけは存在するんだから。

 #ちゃんと数が数えられる。


集合の要素がひとつだけある、{1}としましょう。 

 #1 が要素ね。

こうすると、器がなくても 1 って言う要素があるから

集合として成り立っていそうだけど、実は成り立っていない。

あくまで器がないといけない。

やっぱり器はあるのね。どこまでいっても。


ところが、ものすごくたくさんの要素がある集合 と考えると

 #整数全体の集合とかね、-∞~+∞まで 数え切れない。

器の意味ってだんだんなくなっていく・・・。


でもね、やっぱり器は器。 部分集合って考え方になるんだけど、

中身がない集合というのは、必ず存在して、それは「器だけの集合」なんです。


集合を考えるときに、「器」の存在がどうでもいいときもあれば、

やはりどうやっても存在する! といえる。

あってもなくても、関係ないのね。

 #どっちとも取れる・・・。


また別もあって、「不完全性定理」って言うのがあります。

こういうものなんだけど、

「あらゆる公理的体系は、自分自身の無矛盾性を証明することが出来ない」

簡単に行くと、「数学の正しさは、数学では証明できない」。


自己完結は絶対に出来ない。そこには何か別の考え方がいる(物理や化学とか)。

必ずね。

数学の答えは、数学でしか正しくないとも言える。


そう考えてあげると、おかしいんですね。


σ(・・*)たちは虚数を普通に使うけれど、

 #虚数+実数 を 複素数 と言うんだ。これ以外と間違えるから^^;

実際に虚数が何を意味しているか? って言うのは

自然界でどういう役に立つのか? って言うのは、

なんともいえない。 i=√(-1) これだけのことなんだけど。


数学は万能じゃない!とσ(・・*)は思う。

もちろん、仏教(宗教)だって万能じゃない。

σ(・・*)だって万能じゃない。

完全なものなんてどこにもない、だから求める。

それを探そうとすることが悟りなんじゃない?

 #実際に多分ない。ただ探してみないと分からない。

 #その探す作業が、悟りへの道なんじゃないかなぁ?なんて^^;


4色問題っていうのがあるけど、1973(σ(・・*)生まれた年)に

アッペル&ハーケンだっけか、コンピュータを使って解いてる。

しらみつぶし、しかも部分的だから、完璧ではない!という人も多い。

そんなのがいっぱいあるんですよ~。


自然界を突き詰めていくと、神の存在に気がつく。って人がたくさんいる。

 #それだけ調和が取れてる。きれいに出来ているんです。

σ(・・*)は、そこに空を見るんです。ただそれだけの違いだと思うな。


「受験勉強は大切なもの、だけどそれはすべてではない」

こう考えて、遊ぶんじゃなくね^^; 他の勉強、

歴史見ながら、あれ?この人何を考えてこんなことしたんだろうって空想するとか、

古文読みながら、古今和歌集だっけかな、木登り名人は。

途中で飛び降りた弟子を叱った人がいる話。

何で木に登るのが仕事なんだろう? って考えてみるとか。

 #これはすぐに分かるけど。


こんな風に、ちょっと余裕が出来ると、ただの「苦行」ではなくなると思うよ。

それは立派な修行だとも思うよ。

「受験勉強は大切なもの、だけどそれはすべてではない」

今はこれだと思うよ。 もう今は気がついているから、質問を上げられたときより

登れていると思うよ。


仏教って死んだ後のことを考えるのではなく、今をどう生きるかだったりしますからね。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
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この回答へのお礼

ありがとうございました<m(__)m>

お礼日時:2012/06/01 01:45

貴公が何を目的に受験勉強をなされていらっしゃるかも問題はあります。

もし、学歴神話という神話でお勉強なされていらっしゃるのであれば、可愛い苦です。僕の苦は、世界の神話に対する、苦ですが。信徒ではないのですが、個人崇拝しているのは、キリストと仏陀です。キリスト教でもないし、仏教でもないのです。僕は常に孤独で、孤絶しています。それは、家族という最もコアとなる、核家族の中でも、地位がビリになるときもありますよ。^^
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ちこっと、お邪魔します。

防人僧○代目嫡男です。

 #つまりはご先祖が坊さん。今は違うよ。

 #σ(・・*)は代数学の元非常勤。病気で死んでます(o`・ω・)ゞデシ!!

全体像~ となると、かなり広いですよ。

大きく分けると、大乗と小乗 (だいじょう、しょうじょう)仏教

そこからさらに細かく分かれていきます。

σ(・・*)は 大乗の曹洞宗ですから、大乗のほうだけでも

禅宗、それほど禅は重視しない(密教系に多いかも?)、

法華経宗(こんな言葉はありませんが。お経中心の教義だったり)

と、やはりそれぞれに幅が広い。


No.3 さんが書かれてあることは、おおむね大乗仏教のことのようです。

空の思想、因縁、欲(貪瞋癡 とんじんち)、六道、輪廻・・・。

曹洞宗かもしれない というくらいに、似ていますね。


歴史的経緯で難しいのですが、日蓮宗がまず最初。

ところが、これは権力に屈して、徳をお金で売ってしまい

腐敗してしまいます。 日蓮上人の知らないところで・・・。

 #日蓮宗は 法華経なんだけど、阿含経に準じてます。


それから分家が始まるんですね。 道元は中国曹洞宗を持ってきて

日本式曹洞宗を作り出す。

空海(弘法大師)は、密教に光を求める。

日蓮宗は、日蓮真宗と生まれ変わり。

 #日蓮正宗は邪教ね。

枝分かれをしていきます。

と、同時に小乗仏教も出てきます。


この違いを書いておきます^^;

大乗仏教は、自分が悟りを開き、多くの人に伝え広めようとしよう!

小乗仏教は、一人一人が悟りを開けばそれでいい!

 #一人の悟った人に、大きくたくさんの人が乗るのか、

 #一人の悟りに、小さく少ない(実際は0、誰も乗らない)かの違い。

考え方に違いはなかったりしますよ。

悟りの開き方です。圧倒的に違うのは。


>著者が自分の意見を好き放題述べてるようにしか思えないもの

これは仕方ない。そもそも人によって考え方が違う。

数学じゃないから、答えがぴたっと決まらないよ。

だから解釈は自分でやるしかないと思っています。

お勧めの本、σ(・・*)は 「原文のお経」。

般若心経でいいと思うよ。 漢文だから、読めると思います。

自分の解釈がそのまま、自分の仏教で構いませんよヾ(@⌒ー⌒@)ノ


仏教とて宗教。

宗教は人を助けるためのものではないんです。

気休め程度だよ。人を助けられるのは人でしかない。


だから人に頼る前に、自分の解釈。

仏具屋さんか、お寺か(曹洞宗が無難)行って見て?

お経はくれると思う(お寺はね)、仏具屋には売ってます。

般若心経1つ覚えてご覧?

これはなんだ? と疑問に思えば、調べればいい。

分からなければ自分で勝手に解釈して構わない。

般若心経は、「空」が書いてあるお経ですからね、お勧め。

Ps.σ(・・*)が曹洞宗だから、曹洞宗を薦めているだけ。

基本、邪教と呼ばれるものでなければなんでもいい。

1つ、お経を覚えてみて? これは断言するけど

「世の中変わって見えるよ」

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=) 長文失礼。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。かなり理解が進みました。

成程、大乗仏教と小乗仏教の目的の違い(多くの人に広めるか否か)は理解していたのですが、悟り自体は似ているものなのですね。

御回答頂いて、たぶん自分は悟りの意味を正確に捉えきれてないため、少しストレスを感じてるのかと思いました。『悟り』が非言語的なものなのに、言語として議論するために『悟り』という言葉を仕方なく当ててるのかなという気がします。

そしてその『悟り』を理解するために有用なものがお経の原文の暗記ですか。これは初めて教えてていただきました。ただ、何事も痛みを避けて通れないものだと思うので、少し自分にはとっつきにくいというか難儀なものかもしれませんが、時間が出来たら挑戦してみようと思います。

般若心経ですね、楽しみです。

数学と仏教に精通しておられるのですか。一見、対極にあるように思えるのですが、おもしろそうですね、どちらも領域としては壮大かつある意味論理的に精緻に積み上げられたものかと思いますが。それともやはり両者は全く考え方が違ってるのでしょうか? 

どうなんでしょう?両者は考え方思考方法まったく別のものですか?それとも意外に通底している部分はあるのでしょうか? 再度質問してしまってすいません^_^;

お礼日時:2012/05/26 18:00

ここで回答を書かれていらっしゃる、回答者さん自身の人生自体が、只の「苦」ではないです。

僕の人生の方が「苦」で、負けています。
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恐らく、質問者さんは、受験勉強で忙しくて、回答に答えられるような時間のゆとりさえないのではないでしょうか?まぁ、優しく見守って、行きましょう。

^^
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2012/05/26 17:43

spongetak です。


ご返答ありがとうございます。

他の方の回答にもありましたが、シッタカブッタは入門として良いですね。
十牛図なども、ポイントをおさえた10コママンガで、良いと思います。
(もしご存じなければ、wikiなどで)

私の一冊というのは、
ハバードの『思考の原理』です。
次にくるのは、同著者の『ダイアネティックス』です。

仏教とは関係ないといわれる方が多いかと思いますが、私の考えでは、仏教の行きつく先を描いていると思います。
大学・大学院で現代思想を中心として、古今東西の思想・宗教を比較研究してきましたが、今のところ、私の結論です。
評価は分かれますが、興味があれば、ご参考までに。
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この回答へのお礼

十牛図初めて知りました。自分は今図1です。ありがとうございます。

お礼日時:2012/05/26 18:11

nisihigasi_6様、こんばんは



>「ここで一冊といったのは、その一冊が著しく質の高い書物なはずだからであります。」
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生老病死と四苦八苦



生きることは、苦である。
老いることは、苦である。
病を患うことは、苦である。
死ぬことは、苦である。

愛する者と別れることは苦である。
憎む相手と出会うことは苦である。
欲しいモノが手に入らないことは、苦である。
五感が訴える感覚(自己の世界観)も苦である。

苦だから、庶民感情を汲み取れるのであって、苦は、滅してしまうことはあり得ませんし、苦だから、お互いの生活苦を共に出来るのではないでしょうか。

心を売っても、誰ひとり、同じ心は描けませんし、持てませんが、人間はひとりでは生きてはゆけません。

実年齢も聞いていません。避けられない死を待つのみの患者さんも多いです。ですから、苦を共にすることこそが、相手の心情を無限大に察することのできる、不可思議な魔法ではないでしょうか。

僕は仏教徒ではありませんが、人生が暗転してきて、キリストを信じていますが、人生自体は、どんどん、暗転してゆく一方で、毎日が平和な我が国でも命拾いをするような思いばかりです。

何故でしょうか。

恐らく、僕の本性が凄く、悪いと思いますが、荀子のように、性悪説は、書けません。(^^;
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この回答へのお礼

御回答どうもありがとうございます。
>苦だから、お互いの生活苦を共に出来るのではないでしょうか。

このことは随分前から感じていました。だから、苦というか、内面的なものに向き合ってきたと自分では理解している仏教に興味がわいたのです。現在はキリストを信じておられるのですね。

お礼日時:2012/05/26 17:46

「過酷な受験生活」? 「呑気な受験生活」の間違えやおまへんか?



「過酷」ってのは、アウシュビッツの収容所やシベリヤ抑留者や満州からの引揚逃避行の経験を表現する言葉ちゃうんですかね。

国語力は関係しない試験を狙っておるのですよね?

まあ、愚拙も国語力が弱いので大作の仏教書は読みこなす自信がなく、片っぱしからWikipediaに書かれている内容を書写しましたよ。しばらくすると、なにがキーワードなのかが見えてきて、こんどはWikipediaを離れてそのキーワードを調べる。21世紀ならではの勉強法と思っております。
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仏教の解説書はたくさんありますが、私は仏教の真髄の書かれた解説書を見たことがありません。


探されてもおそらく見つからないでしょう。
そこで、私は国訳一切経の阿含経という原始仏教を何度も読み、やっと理解することが出来ました。10年以上かかりました。
その内容は解説書からは大きく離れる内容でした。
真髄をかいつまんで説明します。

(1)仏教で一番大事な真理は『空の論理』です。
『この世は空である。』とは『この世は幻である。』という意味なのです。

(2)この世が幻であるなら、悪い心が悪い現象を造り、善い心が善い現象を造るということが真理になります。これが『因縁の法則』です。

(3)人間がこの世に生まれるのも因縁の法則に従っている。
人がこの世に生まれると言うことは、この世の幻がはじまるということです。
では、どういう力によって幻がはじまるのか。
それは欲望の力です。夢と同じで欲望が幻を造っているのです。
欲望を『貪瞋癡』といいますが、この貪瞋癡の強さによって、幻の世界が違ってきます。その幻の世界は六道(地獄・畜生・餓鬼・人間・阿修羅・欲天)のいずれかを生まれ死にを繰り返しています。これが輪廻転生です。

(4)では、六道の幻の世界から脱出する方法はないものだろうか。
その方法は欲望(貪瞋癡)の滅尽の修行です。その方法をお釈迦様は三十七菩提という修行法を発見されたのです。
この修行を行うことによって、六道から解脱(脱出)して色界(天界)に生まれることができるというのです。
色界には『病気事故災害戦争飢餓』などはなく寿命は永遠です。


これを理解することが悟りであり、これを実践することが解脱です。
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この回答へのお礼

MooonStar様 こんばんは。

>仏教の解説書はたくさんありますが、私は仏教の真髄の書かれた解説書を見たことがありません。

その理由は何ですか?

根本的な質問ですいません。

(1)~(4)の内容拝見させて頂きました。時間がある時、ゆっくり考えさせて頂こうと思いますね。

お礼日時:2012/05/24 00:23

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