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があるじゃない
もう人間として使い物にならなくなったから、自分の親をおんぶして山に置いて捨ててくるって話(問当然死ぬ)
この話って本当だったの?

A 回答 (8件)

人間として使い物にならなかったから捨てた……ではなく、口減らしのため……。

実際にあったと思います。 生まれたばかりの赤ん坊が犠牲になったり、幼い女の子が、家族が生きるため、子守り奉公や女廊屋に売られたり……。

この回答への補足

>人間として使い物にならなかったから捨てた

同じようなものじゃないですか
老人は老いて働いたりできなくて家計の負担になるわけだから

補足日時:2012/09/08 10:48
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社会学的には、姥捨て山のようなコロニーはどこでも存在する



ただし、それらは、”捨てられる”というものではなく、「捨てられたように思われる」ようなコロニーである
”排除された個体の群体によるコロニー”というのが姥捨て山というのが馴染むだろう

例えば、ライオンは、通常のコロニーであれば、一頭の♂と複数の♀とその血縁で形成されるが、
生殖活動に漏れた(通常のコロニーに入れない)ライオンの♂の群体のコロニーが存在する

このようなコロニーが姥捨て山のように観測できるだろう

解りやすく言えば、村八分の人間が生存のために、そういう個体が寄り集まってコロニーを形成する
そういう事例は、現在でも存在するものだし、不思議な話ではない

世界には、社会活動上において劣位な存在が寄り集まってコロニーを形成することがしばしばある
それが、マフィア・ギャング・ヤクザ・ネット右翼などのアウトサイダー同志で相互協調して、狭い社会を形成する傾向にある
ネット右翼などは、ネット右翼だけで群れて行動する様態であることを考えれば、それは姥捨て山のようなコロニーと言えるかもしれない

なお、質問の前提である「もう人間として使い物にならなくなったから、自分の親をおんぶして山に置いて捨ててくる」という話は実は存在する
この類の話は、例えば伝染病に罹患した親族を集落から排除したりする事例で指摘されるし、様々な村八分の状況において、村八分になった人間が、更に村八分になった人間を追いやる事例でもありえる

ただし、おそらく上記したように、姥捨て山のような事例は、「捨てられた」というものではなく、排除された個体が寄り添って形成されたコロニーであるものだろう。
もっとも、両者が最終的にハイブリット化している事例もあるだろう
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「楢山節考」ですね


昔話の「姥捨て山」だと、親孝行の息子が母親をかくまって、殿様の無理難題VSお祖母ちゃんの知恵という展開だ
(もちろん、勝者お祖母ちゃん、殿様は「お年寄りは大切に」というお触れを出す事になります)

本当かどうかは「判っていない」みたいです
諸説列挙しときます

「本当じゃなかった」という説
当時の文献を調べても「子減らし」の記録は残っているが、「姥捨て」の記録は残っていない
働けなくなるほどの高齢になること自体が珍しい
似た話がアジア各地にあり、それが伝わってきたのではないか

「本当にあった」という説
実際に「姥捨て」にまつわる地名が残っており、閉鎖的な山村部ではそのような風習があった
文献記録が無くとも、間接的に民話・伝承として残っている

「その他の説」
高齢者ではなく、業病に罹った者や不具者などを人知れず遺棄した、あるいは目につかない用に山奥へ隠した事が、いつの間にか「姥捨て」の話に変わった


その他にも、いろいろな論拠があるみたいですが、大雑把にはこんな感じみたいですね
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伝承としてはあるけれど、実際に「60になったら捨てる」というようなおきてがどこかにあったことは確認されていないそうです。

「小説楢山節考」は、ですから
完全なフィクションです。
なかっただろうというのがほぼ定説でしょうしそうでありたいですが、証明などはできませんね。
もう死にそうな老人をそのまま放置して死なすのは今でもあるし、それは”姥捨て山”ではないです。
老人は現存するどんな原始社会でもおおむね大事にされています。
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 皆様が述べられている通り、「使い物にならなくなった」からではなく、地域社会の食糧生産能力の問題です。



 つい150年ほど前までは、日本国内でも、他地域との交流がほとんど無い山間や海辺の小さな村がたくさんありました。

 そういった地域では、食糧は自給せねばならず、そして地域の食糧生産能力はもともと限界がありました。

 だから、60歳を超える老人がたくさん生きながらえるようになると、集落全体が亡びるようなことになってしまいます。(ちなみに、150年以上前の60歳は現在の90歳位くらいです。)

 そこで、親が60歳を超えると息子が山奥に捨てる、という取り決めが創られたのです。

 食糧事情の悪い地域では、姥捨てばかりでなく、生まれたばかりの子供を何人も土に戻すようなことは、明治以降にもありました。

 また、海岸部の集落には、月明かりの深夜に沖に出て、老人を海に捨てたという記録があります。

 捨てられる老人たちも、自分たちも行ってきたことだから、覚悟はあったのでしょう。
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『更級日記』に関して、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%B4%9A% … に以下のような記述があります。

書名の「更級」(更科)は、作中の「月も出でで闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ」の歌が、『古今和歌集』の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て(雑歌上、よみ人しらず)」を本歌取りしていることに由来すると言われている。



 また、福井達雨が編集した絵本『おばあちゃんをすてちゃいやだ!!』によると、パキスタンにも姥捨の風習があったところが、子どもに親を粗末にする習癖をつけてしまうということに気づき、止めるという展開になっています。
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姥捨て、間引きという日本語は使われなくなりましたね。

口減らしのために我が親を我が子を殺さなければなけれないという悲しいことは種、部族、家族の保存のためにやむを得なかったのでしょう。沖縄地方では妊婦に崖を飛び越えさせたとか、それなら子供を谷に突き落として這いあがってきたのだけ育てるというライオンの育児のほうが合理的ですね。ちなみに猛獣でも妊婦は.襲わないそうですから。

年寄りは使い物ならなくなったからポイではないですよ、世界の長寿国、100歳を超える老人がたくさんいる国、(コーカサス、パミール、南米メキシコでしたか)では老人が大切にされ尊敬されているようです。番組名が思い出せませんが長寿国の条件として
1自然環境がよくて
2食糧が豊かで
3年寄りが必要とされる、相談される(長年の経験、知恵が部族を救うことも)
ことをあげていました。

地球上で人類が採取だけで生きてゆくことができるのは1.5億人との数字があります。(どのように計算したのかは不詳)今の世界の人口は60億?とも。姥捨て、間引きが必要になるかも。ねずみは集団自殺をして種を保っているではないか、人類もそうしろといった話があります。戦争、公害、疫病等は人類の集団自殺を助けているのだという無責任な議論も聞きます。

マルサスの人口論ではありませんが人口問題は中国だけでなく世界的地球的問題ですね。最近の日本の少子化は世界に先駆けて取り組んでいるのでしょうか(冗談です)。

参考URL:https://sites.google.com/site/yashinokazenifukar …
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その話が本当かは、知りませんが、捨てられるのは「おばあさん」だけですよ。


なんせ、「姥捨て」だから。
おじいさんは、捨てられない。
おじいさんは、年とっても「戸主」だから1番偉いわけです。
おじいさんが死んだ後に残った「おばあさん」はもう必要がない。
飢饉になると捨てられるという話ですよね。
男尊女卑の話ですよ。
夫を亡くした妻は、「未亡人」と呼ばれるんですよ。
でも、実際は何もしないで威張っている「おじいさん」より孫の世話なんかしてくれる「おばあさん」の方が価値があると
思いますがね。
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