1つだけ過去を変えられるとしたら?

昭和20年8月27日、陸軍士官学校生徒隊長,八野井宏大佐(陸士35期)の訓示のなかに、終戦直後の「海軍部」の混乱を批判した個所があります。
この訓示は個人のHPで偶々見つけたものですが、当該個所を抜粋します。

相武台精神は此の際の一糸乱れざる行動となりて発揮せられざるべからず。彼の海軍部に見る如き無統制なる惨状は実に皇軍の恥曝なり。大石内蔵助の赤穂城明渡しに見る如き粛然たる態度と節度こそ将来の為の無言の盟約なり。宜しく統帥系統に基く指導に服し相互相戒め常に粛々として整然たる行動を為すべし。

「彼の海軍部に見る如き無統制なる惨状は実に皇軍の恥曝なり」とありますが、どのようなことがあったのでしょうか。教えて下さい。
よろしくお願いします。

「銀座一丁目新聞 追悼録431 生徒隊長の別れの訓示」
http://ginnews.whoselab.com/111001/tsuido.htm

A 回答 (3件)

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この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。
「厚木事件」という事件があったのですね。
ピタリと符合します。
よく解りました。

お礼日時:2012/09/18 09:26

    #1さん(海軍の一部には徹底抗戦の動きがあった)、と#2さん(海軍は陸軍から見ればあっさり敗戦を受け入れすぎた)という正反対のご意見を伺って、「皇軍の恥辱」にもいろいろあるんだな、と思いました。



    どちらが正しいと言う問題でも、何を「統制」ある行動とするか、と言う問題でも、基準の「ゆれ」が見られ、改めて、歴史って一部だけを見たり、当時の基準を憶測することによって作り話になってしまうのを感じました。

    たった70年で、X が、何を根拠として Y という結論に達したのか分からない訳ですから、、、
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>歴史って一部だけを見たり、当時の基準を憶測することによって作り話になってしまうのを感じました。

私も、そう思います。

お礼日時:2012/09/18 09:47

「海軍部」という表現は、文字通り取れば大本営海軍部のような何らかの組織をイメージしますが、この場合は普通に海軍、あるいは海軍上層部ぐらいを指す言葉だと私は考えます。



ポツダム宣言を受諾する昭和20年8月15日の玉音放送(“玉音”とは天皇の肉声のこと)と前後して、一部の軍人などが「御聖断」(天皇の決断)をよしとせず、連合軍との徹底抗戦を目的として反乱の行動をとりました。陸軍で代表的なのが宮城事件(“宮城”は“きゅうじょう”と読み、皇居のこと)。海軍では小園安名大佐を司令とし神奈川県の厚木飛行場にある第302航空隊が公然と反乱しています。映画『日本のいちばん長い日』(1967年)で、多少のフィクションを交えながらも詳しく描かれてますよね。

こうした反乱のうち陸軍の宮城事件は玉音放送の前に収まり、事件の首謀者で主だった者は早々に自決しています。しかし海軍の第302航空隊は天皇自身のメッセージにもかかわらず、関東地方の陸海軍部隊などの上空を飛び徹底抗戦を呼びかける檄文(げきぶん=アジテーションのビラ)を撒いたり派手にやってます。こうした反乱が、小園大佐には海軍上層部や高松宮の説得があったにもかかわらず、8月15日のあとも5日以上も続いたわけです。

以上のことは有名な話ですから、わざわざ詳しく書く必要もないかもしれませんが、これは天皇に逆らったことに等しい、当時の軍人とくに親任官、勅任官、奏任官という天皇の直接の家来であるはずの将校の価値観からしたら、とんでもないことです。

また、反乱に対する処置も海軍は陸軍に比べ手間取っているし、小園大佐は身柄を拘束され後に軍法会議で有罪となりますが戦後も永く生き、自決して責任をとった陸軍の将校たちとは(自決が良いか悪いかは別として)対照的だといえると思います。陸軍では反乱を鎮圧した側の田中静壱大将でさえ、責任を取って(陸軍の反乱は宮城事件だけではなく15日以降にもありました)質問にある訓示がされた数日前に自決しています。陸軍大臣だった阿南惟幾大将も天皇および内閣の決断と徹底抗戦を訴える一部の勢力の板挟みとなり15日未明に自決していますが、この自決は陸軍の反乱が比較的早期に解決した遠因と考えることもできるかもしれません。しかし、一連の反乱騒動で海軍ではどれだけ自ら責任をとった者がいるでしょう。

こうしたことを考えあわせたとき、陸軍では涙を飲んで天皇のために徹底抗戦を諦め、しかも自らの命を断つことによって潔く責任を取った軍人が多かったのに、それと違う海軍の有り様は(当時の陸軍の主流である価値観から見れば)「無統制」であり「皇軍の恥暴」と表現する者がいても私は不思議には思いません。個人的な意見ですが、陸軍は「天皇のための軍隊」「皇国のための軍隊」(これはこれで今の価値観では激しく批判させることですが)という気風が強いのに対し、海軍は「海軍のための海軍」という臭いを感じることがしばしばあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
丁寧に解説して下さったのでよく解りました。

「海軍は海軍のための海軍」
今のどこかの組織にも似たようなことが言えそうです。

お礼日時:2012/09/18 09:33

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