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ぼくは数学が好きです 
そして理科は嫌いです
なぜ理科が嫌いかというと理数系だとかいって数学と同じにされるのが気にくわないです
理科と数学は全然違うと思います
数学は考える教科は確かです
でも理科は社会のように丸暗記する教科だと僕は思います 思考もいりません
なぜ理科と数学は同じにされるのでしょうか

A 回答 (11件中1~10件)

理科は、決して丸暗記する教科ではありません。


理科を学ぶためには数学が必要です。特に物理は、数学と密接な関係のある分野です。むしろ、数学は物理学を学ぶための手段と言っても良いくらいです。
その他、化学でも生物でも、数学と無関係ということはありません。
せっかく数学が好きなのですから、その数学を使わないと学ぶことのできない理科にも興味を持っていただきたいと思います。
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数学は数理言語ですかね。

質問文は自然言語です。数理言語で何を質問できますか?

パソコンの言語は文字も単語も英語由来です。もし英語がパソコン以外に全く不要な物ならば英語は理系の履修科目に分類されているでしょう。
数学は理科の言語になるから理系なのです。もし理科が数学を必要としなければ、もっぱら経済学や統計学の言語ですから、数学は文系科目にされていたでしょう。

暗記も論理もありません。その評価法が数学馬鹿です。
どれほど精緻な論理でも数学それ自体には何の価値もありません。国語の方は単独で価値を持ちます。
ちなみに計算は記録によって処理されます。

数学を極めても、ご質問の答えが導けないという現実を反省されるべきです。数学にしかない欠点は数学は現実を完全無視したまま論理が成立する事です。宗教よりも閉じているのです。

中世の人が全員現代の数学を完全マスターしても中世は変わりません。デカルトは霊気のようなものが身体を動かしていると分析し、ライプニッツは物質を構成する最小単位は精神の粒のような物だと演繹しました。まったく非科学的です。数学が理科の精神にはならない証拠です。理科の精神は現実と共にあります。

以上のようにおっしゃるとおり数学と理科はもっとも違うものどおしですが、元はと言えば現実を無視しないタイプの数学者が理科の研究を数学言語でしたのが始まりで、その後はすっかり理科に認められてしまった道具という立場が理系の数学です。理科が嫌いなのは思想の自由です。ただ、理科と共に存在しない数学、つまり理科系ではない数学は、現実的にほとんど無価値でしょう。
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その場で実験をしないので理科を好きでないか。

多分そんなことだろう。
数学は設問で思考を要求するから考えると言うのだろう。
   
然し、化学は高校ぐらいから、暗記を必要としても思考をしないと答えを出せなくなる。
理論を当てはめて、結論を導く必要がある。
物理にしても、気象予報で必要とされる考え方だ。暗記だけでは答えを出せない。
   
数学の公式、数式が一般論になるとき、理科に下りてくる。数学は、必ずしも先端ではないが、言語を用いて一般化する。そこで、国語の成績が左右する。大学受験では、歴史を学ぶ必要があるので、国語は数学の理解には影響しなくなる。そこで大学以上の数学は学ぶ人が少ない。
国語も理論化され、数学以上に困難な、理解を深める必要がある。文系でも高校の基本数学は必要だろう。理系でも論文を書くとき言語力が求められる。説明を英文で行なうなら理系、現代文で行なうなら文系だろう。これは、戦争で負けたから。枢要な発想力が英米に押さえられた為。
   
理論を説明し、思考は実験を通して考察し、結果を導くのは理科。社会実験もあるが。最近、欧米並みに、基礎研究が行なわれ、文系、理系では収まらなくなってきた。もう募集の学部も変節していないかな。高校でも英語で理科、数学を教えているところがある筈だ。
学際を研究するときに、英語だけでは行なえない筈だ。その理論化で現代文を必要としている筈だ。
応用研究であっても、現代文を無視しては進められなくなっている。
   
高校で英米に近い勉強をしてしまうと、発想力で独創的な研究はできなくなる。英米の後追いに収まる。社会の求めている思考力は、島国と言われようが自らの経験を踏まえて実験してゆくべきだ。
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理科の分野は高度になればなるほど、数学の素養が必要だから。


特に、高校物理や化学は数学ができないと解けないです。

その他の科目は、数学の素養が全く必要ありません。
まあ、歴史の年号などで足し算引き算は必要かもしれませんがw
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でもね。

ノーベル賞には数学はない!!(理由はあるので調べてね)
数学が理学部にあることは、ある意味おかしいかも。

自然科学--科学--scienceという分野の学問は、本来は
観察される現象がなぜ起きるかの理由を(迷信や言い伝えではなく)推論して、それを客観的な事実--実験や観察--で証明していく手続きそのものなのです。
 「聖書に書いてある」とか「先輩の説明では」ではなくね。

 科学を学ぶ最も重要なことは、
1)「なぜ?」という疑問を持つこと
2) それがなぜ起きるかを推論すること
3) その推論が正しいことを実験や観察など客観的な事実で証明すること
  ---誰でも試せなければなりません---
 このステップが科学(理科)なのです。遠い昔は数学も自然科学のひとつでした。直角はどうしたら求められるかとか、三平方の定理とか、ピラミッドをどのようにしてつくるか・・
 数学は、科学の重要な手段--道具として発展してきました。科学の発展に数学は欠かせないものでした。

 しかし、数学はいつしか科学とは別の道を歩み始めました。数と言う世界に閉じこもって現実世界と遊離していきました。
 しかし、最近では数学のそういう分野も科学で利用される事も多くなりました。今では再びかってのように科学の仲間に戻ってきたといっても良いでしょう。非ユークリッド幾何は物理で、行列などは計算科学で・・

 数学以外の科学が、暗記科目と言うのはあなたがめぐり合った教育自体の問題でしょう。理科の指導要領には、はっきりと
「自然の事物・現象に進んでかかわり,目的意識をもって観察,実験などを行い,
科学的に探究する能力の基礎と態度を育てるとともに自然の事物・現象について
の理解を深め,科学的な見方や考え方を養う。」
 ⇒新学習指導要領・第2章・第4節 理科( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youry … )
 と書かれています。
一方、数学を見ると「科学(理科)」の雰囲気すらないです。
 ⇒第2章 各教科 第3節 数学( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youry … )

wikiにも、自然科学について
【引用】____________ここから
数学や哲学などの抽象的あるいは理論的な科学とは区別して用いられる
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ここまで[自然科学 - Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6% … )]より

 理科は数学以上に「科学的思考」が必要なのですよ。暗記???それはどの学問でも必要ですが必須ではありません。数学が苦手な子に聞いて御覧なさい、「数学は覚えることが多くて嫌だ」と言われますよ。私は理科は覚えなくてもすんだので好きでしたが、数学は覚えることが多く、しかも何の役にも立ちそうになくて嫌いでした。

「そもそも何の役に立つの?」
 たとえば、「3 以上の自然数 n について、xⁿ + yⁿ = zⁿ となる0でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない」(フェルマーの最終定理)が解けたからって何の意味があるの?
 ・・と言われたらなんと応えるのですか。

 ただ、数学や哲学は理科の仲間に入れてもらえないことも多いことを忘れないでね。指導要綱もWikiも科学(理科)としては見ていない。ノーベルが数学章を作らなかったのとは別の理由で(^^)
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 こんにちは。

理系と文系科目の違いですが、何れも根本にあるのは「論理」つまり「筋立て」です。質問者様はまだ本格的な学問に接していないからわからないのかもしれませんが、ものごとを支えているのは「問題と解答」であり、その橋渡し役をなす作業を「説明」と呼ぶ。
 単純な例を示すなら「○○が××であるのはなぜか」との問題が示されたなら、「それは~だからである」との理由があり、その理由に相当する内容を合理的に裏付けるのを論証と呼ぶ。こうした一連の行為(過程)は思索するとの意味で「哲学」の領域に属することとなります。
 質問者は「社会科」を暗記科目とお考えの様ですが、社会科も実は暗記科目などではありません。受験科目では一問一答式に「答だけ」が要求される場合が多々ありますが、ここで示される「答」それ自体も「最初から用意されたもの」ではありません。実際に「鎌倉幕府の成立年」が試験問題で出題されたとします。けれど、これにも「幾つかの答」が実際にはあります。1192年との答もあれば1185年との答もあります。なぜでしょうか。それは「幕府というもの」をどう理解するかによって「異なる見解があるから」です。ではなぜこの様な現象が起こるのか。それは鎌倉幕府について研究する研究者の視点が異なるからです。言い換えれば「事象に対する評価」の問題です。単に暗記するだけではこのような意見の相違はないことになってしまいます。
 理科でも同じです。典型的な話をするなら「地球上に生命が誕生した理由」に関して、キリスト教的価値観に基づく説明もあれば、有機タンパク質の合成に基づく説明もあります。こうした事象は暗記だけでは理解を求めることが適いません。「考える」→「その裏付けとなる証拠を探す」→「それに基づいてもう一度最初に得られたデータの正当性を検証する」→「それが合理的説明になると判断されたならば、その見解を他者に示して判断し合理性を検証する」、こうした過程の繰り返しです。ですからそこには「論理性」が必要とされる。
 数学も根本的には論理の学問であり、それはギリシア・ローマはもとよりパスカルやライプニッツ、オイラーなどの数学者にも共通した部分であることを付け加えさせていただきます。
 なお、こうした「論理」を表すのは「言葉」ですから、国語や英語といえども努々(ゆめゆめ)疎かにすること心して避けねばなりません。
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こんばんわ。



ときどき見かける質問だと、以下のようなものがあります。
「●数学なんてぶっちゃけ人生には何の役にも立ちませんよね?」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5981044.html

わたしも回答させてもらいましたが、
いまの質問者さんもこの問いと立場は変わらないと思います。
いずれにしても、一方的な立場からしか見えていないではないかと。

昔から物理といわれる理科の一分野には、
数学を基本として理論が作られるようになっていますが、
最先端の数学だと、逆に物理の考え方を持ち込むことで問題を解決しているケースもあります。

また、理科には数学が絶対ついてきます。
いま学んでいるところでは、別々に感じるかもしれません。
高校生ぐらいになれば、つながってくるようになってきます。
そんなところからも、「相棒」になるのは自然なことかとも思います。


「好き・嫌い」はあると思いますが(わたしもあります)、
学問そのものを真っ向から否定してしまうのはもったいないと思いますよ。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5981044.html
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数学好きですか。

結構なことです。
大学生になる頃には、数学や理科(物理)が
暗記科目でないことがわかるでしょう。
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>なぜ理科と数学は同じにされるのでしょうか



まだ子供だからです。

大人になると、自然科学(理科の様なもの)と数学は全く違った学門です。
数学は自然科学ではなくて、論理学の一種であり、公理系を選択することが出来るという意味でも根本的に自然科学とは異なります。


なぜ、子供時代は数学と理科が同一視されるかというと、数学や理科は個人の意見を述べる部分が少ないからです。
社会や国語、芸術などは、人の意見・好みで色々と見方が変わるものですが、数学や理科には個人の意見が入る余地が少ないという意味で共通性があるからでしょう。
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どちらかと言えば数学も覚える教科ではないでしょうか?(質問に質問で返してしまいすみません)



なぜ一緒にされるのか?
についてですが、理科(科学)には計算(と言うよりは式)が必要です。
また、考えるという観点で言えば
数学は・・・この式はどうやって解くのだろう?
理科は・・・どうしてこうなるのだろう?
こんな風に考えたことはあるかと思います。

社会は・・・どうしてこんな事件(行動)を起こしたのだろう?
       どうしてここに〇〇(地名)があるのだろう?
社会でこんな風には考えませんよね。英語・国語もしかりです。
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