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太閤秀吉の辞世の句は、 「露と落ち 露と消えにし我が身かな 云々~」 ですが、この様な達観した詩を詠む人間が自分の臨終の際に家康の情に訴え、わが子秀頼の行く末を唯々頼み込む俗世に未練たらたらな姿が今一つ合致しません。秀吉はやはり晩年耄碌していた証拠でしょうか?

A 回答 (5件)

それだけで耄碌の証拠にするのは、チョット性急すぎます。



建前は達観した辞世の句、本音はこの世への未練タラタラ。
天下人も人間です。
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秀吉の病死のようではあるが、死因ははっきりしていない。



そんな中、あなたは秀吉が「死ぬ間際に」この辞世を即興で詠んだ、とお思いか?
どんな病気か知らないけれど、「病気で意識が朦朧としている時に」見事に一句捻られる人間がいるとでも?


こういったものは遺言状と同様、意識がはっきりしている時に作っておくもの。
公開せず、秘めておく。で、死を覚悟した時あるいは死後に初めて披露するもの。
そこに誰か「先生」、今風に言うと「ゴーストライター」がいたとしても、
それは歴史の闇に隠れてしまって、今では解明のしようが無い話。
(いたとは断じない。いたかもしれないよね、と言うだけ。)


> 姿が今一つ合致しません。

歴史なんてそんなもの。
精神論、ある種宗教や哲学的な話だが、ご容赦いただきたい。

「武士道とは」の言葉をご存知だろうか。
全ての武士・武家を名乗る人間が「潔い死」を選んでいるだろうか?
病に侵されると延命治療を請い、病魔が蝕むがまま、病魔に殺される。
死を覚悟し、見事に腹を切り、自ら散る事こそが武士の本懐ではないのか?

勇猛果敢であっても「潔くない、病に“殺される”道を選んだ」武士も多い。
それらを言い出したら全くキリが無い話ではあるので、気にする方が間違いなのかもしれない。




戦国武将を美化し、持て囃すのが流行のようではあるが、
ある一つのエピソードだけを取って極端な美化をするのはどうなんだろう?
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秀吉は下級武士から戦塵の巷を渡り歩き、教養とは無縁とも思われる前半生を送りました。

しかし、天下統一後は茶道や美工芸品を愛でる、貴族的な見識を養っていきました。激動の前半生とは対照的に、静かに達観した心境を歌を読んだのも、その教養の片鱗だと思います。

辞世の句は、生前の元気な自分に推敲を重ねて創った、自己の最高傑作を残しています。辞世の区がお粗末では、後世の笑いものになりかねません。歴史に名を残すつもりのある人物なら、そのくらいのことは心得ています。

また、一種のアートですので、ノンフィクションだと考えたらテイストがスポイルされます。
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あの… この「露と落ち~」の句は1596年のものです…秀吉がまだボケる前です


従って辞世の句では無い気がします…

ちなみに秀吉は晩年はボケていたらしいです
前田利家が言ってました
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私は、年代は分かりませんが


NO,4の方の意見と同じで

秀吉は、かなり前から、辞世の句を用意していたと聞きました

他にも『縁者の事を、心配して死ぬのは詰まらない者のすることだ!』

・・的なことも言ってますしね、その時は
息子生まれて、変わったんですかね・・

個人的には、かなり秀吉の辞世の句は好きなんですが・・

秀吉ざんねん!
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