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 こんにちは。よろしくお願いします。
 親鸞聖人は景教(東周りで東洋に伝わったキリスト教)の『世尊布施論』を読んでいて、その原本を西本願寺が隠し持っているという説なんですが、景教の研究者川口 一彦氏によれば武田科学振興財団杏雨書屋所蔵の『世尊布施論』の原本が発見されたことによって西本願寺に原本はなく、親鸞聖人が『世尊布施論』を読んでいたという説は崩れたと述べておられます。

 ここで、私が気になったのはなぜ『世尊布施論』だったのでしょうか?
 たとえば、『大正新脩大蔵経』の中には「景教」用語だけでも『波斯教殘經』『景教三教蒙度讃』 『大秦景教流行中國碑頌』の三つがヒットしますし、また景教書籍としては『序聴迷詩所経』というのも含まれています。しかし、『世尊布施論』はその中には含まれていませんし、『世尊布施論』は『一神論』という書籍の第三巻のようなんですが『一神論』も含まれていません。

 では、なぜこういった大正期以前に大蔵経に含まれていたことは判明している景教書籍ではなく、『世尊布施論』でなければならなかったのでしょうか?


 何人かの方がこのことを書籍に書いているようですが、その一人副島隆彦氏は『隠された歴史-そもそも仏教とは何か?-』の中p168で

 比叡山で読まれていた経典の中に、キリスト教の聖書そのものがあったのである。大谷大学・龍谷大学(浄土真宗の学問をする)では、皆でひそひそと語っている。京都在住で私の弟子だった葭川邦弘君が10年前にその経典(お経)を見つけて私に教えてくれた。
 その名を「世尊布施論」という。この経典が西本願寺に宝物として保管されているそうだ。(略)

と書かれているのですが、副島氏は法然聖人親鸞聖人が修業時代比叡山で『世尊布施論』を読んでいたというのですが、当時の比叡山の一切経の史料を私は未だ見たことがないのですが、どこかに『世尊布施論』の名前が書いてあるのでしょうか?また、副島氏のお弟子さんの葭川氏という方は、どこで『世尊布施論』を見つけたのでしょうか??


 またケン・ジョセフ氏は、『〔隠された〕十字架の国・日本』(こちらはインターネットの転載ですので、ページ数はわかりません)には、ジョセフ氏が西本願寺に尋ねた様子が載っています。

 私は実際、西本願寺に行って、この『世尊布施論』について聞いたことがあります。寺の人に、「景教の書物がこの寺に保管されていると、本で読んだのですけれども、それはありますか。見せてもらえないでしょうか」と聞きました。しかし、何人かに聞きましたけれども、「いいえ、そういうものはありません」と言う。
「でも、こうやって写真まで出ているじゃないですか」と、私が持っていた本を見せました。それでも「知らない」と言います。そのうち、私がねばっていると、奥の方から責任者らしいおじいさんが出てきました。
「はい、たしかにあります」
と言ってくれました。「でも、大切にしまわれているものですし、古くて傷みやすい状態なので、普通はお見せしていません」とのことでした。「でも、どうしてもと言われれば、お見せすることもしていますが、それを撮影した写真がありますから、普通はその写真を見ていただいています」と。
それで、写真を見せていただきました。それは私の持っていった本のものと同じでした。こうして、西本願寺に景教の書物があるのは本当だと知ったのです。あの浄土真宗の開祖、親鸞が、これを何時間も読んで学んだということは、私にとっても感慨深いものでした。

とあります。このジョセフ氏が持っていた本には『世尊布施論』が西本願寺にあって、親鸞聖人がそれを読んでいたことが記されているようなんですが、そちらの本が読みたいのですがなんという本なんでしょうか?


 長い文章になってしまってすみません。どなたかお分かりになる方教えてください。

A 回答 (1件)

>どなたかお分かりになる方教えてください。



東ローマ帝国のキリスト教一派のネストリウス派がインドにおける浄土思想に影響を与えたということは知っていますが、文献まで探そうとは思いませんでした。この意味では、私には回答する資格はないかもしれません。

マグダラのマリアを認めるか?観音様、弥勒菩薩は誰々だ。新約聖書のどこそこのが『世尊布施論』と対応する。なんてどうでもいいのではないでしょうか?

親鸞が『世尊布施論』を読んでいた。なんてどうでもいいのではないでしょうか?確かに一生懸命読んでいたかもしれません。でもどうでもいいことではないでしょうか?

親鸞がいかにして「悪人正機説」を完成させたか?法然の思想にも「悪人正機説」はありました。しかしそれは一部の例外を含んでいました。阿弥陀菩薩の第十八願の但し書き「五逆罪謗法罪を除く」と「仏説無量寿経」「仏説阿弥陀経」に書かれてあった箇所を解決するために、「教行信証」を老年になるまで書き続けたのではないでしょうか?「大般涅槃経」に「五逆罪謗法罪」を免れるすべを頼りに、すべての人間を救おうとしたのではないでしょうか?これは、親鸞が当時の現実と向き合う際に、景教といかなる関係があるのでしょうか?

宗教・哲学・思想、その他人間に関わるものすべては、その時々の現実と向き合う人間の働きかけこそが一番大切なことではないかと思う今日この頃です。

禅宗しかり、老荘思想との区別が見分けられないほど類似しています。良寛は荘子の書を持ち歩いていたと言われています。

地球上の大陸・島々は人の住む場所、海はひとつ、世界にひとつ、海は人間の心、各大陸・島々に至る人間の心のつながっている場所。キリスト教の一派が浄土思想とつながっていたって何の不思議はない。

南方仏教(切一切有部)と大乗仏教の違いとて、インドの民俗宗教バラモン教との生き残り争いであったはず。イスラム教が、本来仏教がになうはずの役割を受け継いだのはなぜか?インドにおける仏教の形態の変遷。ついには、ヒンドゥー教の中のひとつの神になってしまった仏陀。なぜか?

かなりの大きなテーマです。景教と浄土思想。日本人がずっと信じてきた浄土思想は、実はキリスト教の一派ですと世界中に向かって叫んで、キリスト教の勝ちなのか、仏教を信じてきたアジア人の愚鈍さなのか?

日本人は実は騎馬民族なんです。南方民族なんです。それはそれ。今の日本人が現実にどのように働きかけるかが問題なのではないでしょうか?

副島隆彦氏は海のそこにある火山の小さな噴火口を見つけるのが上手な人です。しかしそこを見つけたあと長続きがしない。やりっ放し。いっときは小沢一郎氏を崇め奉ったあと、何かサポートしているのでしょうか?彼の高い能力に一時は驚嘆したものです。しかし、その研究は長続きがしない。龍樹のことを何やかやとおっしゃっていますが、なぜ龍樹の空思想が出てきたのか、つづきとして、なぜアサンガ、バスバンドゥが独我論とも言える「唯識」を論じたのか、インドでなぜ仏教は滅んだか、さまざまな研究課題は潜んでいるはずです。ごくごく海の底の火山の噴火口を見つけ、鬼の首を取ったように公言するのは悪い癖です。

もっと地道な課題として取り組むべきことは景教より他にあまりにも多くあります。。徳川幕府の本末制度が昭和の時代まで影響を残していたこと、現在の檀家制度。戒名・葬式仏教。現代の日本を取り囲んでいる仏教界の問題は山ほどあります。禅宗の葬式で「ナムアミトー」と「南無阿弥陀仏」を称名していること矛盾点はあまりにも多くあります。

学者であられるなら『世尊布施論』を公にし、どこぞやの「本学思想」論争のように、このような学会でもない場所で公にされるのは、私はあまりにも残酷なことだと思います。どこぞやの質問の回答の最後に「南無阿弥陀仏」という称名を残された意味は何なのでしょうか?
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 ただ、ちょっと私の立場を誤解しておられると思います。

>>学者であられるなら『世尊布施論』を公にし、どこぞやの「本学思想」論争のように、このような学会でもない場所で公にされるのは、私はあまりにも残酷なことだと思います。どこぞやの質問の回答の最後に「南無阿弥陀仏」という称名を残された意味は何なのでしょうか?

 私は学者ではありませんよ。正確に研究者側の一線からはもう退いて、知識の泥棒に徹しています。それに、『世尊布施論』に関しては、私が公にするより前に上記のお二人が書籍にして発表されております。しかも、学会という点においては景教の研究者川口一彦氏の主宰する日本景教研究会が発行している学会誌で親鸞聖人が『世尊布施論』を読んでいたという説は崩れたと、私がどうこう言う前にすでに発表されています。まぁ、それに対して上述のお二人の返答は今のところないようですし、これからもないでしょう。

>>もっと地道な課題として取り組むべきことは景教より他にあまりにも多くあります。。徳川幕府の本末制度が昭和の時代まで影響を残していたこと、現在の檀家制度。戒名・葬式仏教。現代の日本を取り囲んでいる仏教界の問題は山ほどあります。禅宗の葬式で「ナムアミトー」と「南無阿弥陀仏」を称名していること矛盾点はあまりにも多くあります。

 こちらはこちらで取り組むとして、ちょっと禅宗における称名念仏に対する誤解がりますのですこしだけ書きます。そもそも、日本浄土教における主流は法然聖人に端を発する浄土教ですが、これは中国の道綽善導流の流れをくむものです。ちなみにこの道綽善師・善導大師は両名は禅僧です。道綽禅師に関しては呼称が「禅師」ですし、善導大師も日本においては「大師」と呼ばれることが多いのですがこれは法然聖人の影響であって大正大学の廣川堯敏氏の説によれば善導大師の呼称は中国においては「善導禅師」のほうがメジャーだったようです。つまり、浄土教において祖師と仰がれる方は本来禅僧なんです。そもそも、念仏自体、「仏を念ずる」ということですから、心のうちに仏および浄土を観想する禅観法の方がメインに説かれていました。浄土三部経の『観無量寿経』も「十六観経」という別名がありますから、称名念仏ではなく観想念仏の方が中心的に説かれています。そういった思想の中で、観想念仏はシロートさんには難しいので口で称える念仏をすればいいよってことになり、あくまで観想念仏のサブであった称名念仏を道綽善導流の流れの中で称名念仏こそが弥陀の本願であると積極的にとらえなおしたのが現在の称名念仏の流れです。ですから、禅宗で念仏称えても全くおかしくはないですよ。そもそも、禅宗から現在の念仏につながっているんだから、わざわざ称えない方が後々になってからの軋轢だの作為を感じますね。
 あと、南方仏教を「説一切有部」としておられますが、確かに部派仏教の中でも正量部の伝承には現在の南方仏教の流れである分別説部は説一切有部の主流派から分派したと記されていますが、大衆部なんかだとそうは考えられていないようですし、少なくとも現在の南方仏教の中でも日本において有名な日本テーラワーダ仏教協会さんは分別説部の流れをくむ赤銅鍱部の中でもスリランカで大成した大寺派がタイに伝わって、スリランカで一度仏教がほろんだあとタイから逆輸入したシャム派で、戦後にできたマハーシ式瞑想法を中心に置いた方々ですよ。ですから、正量部の伝承によっておられるのかもしれませんが、説一切有部というよりは分別説部とした方がよいように思います。

 質問内容に話を戻しますと、jjubilee氏は「そんなことはどうでもいいから、もっとほかに考えることがあるだろう」ということなのでしょうが、私はそんなどうでもいいことが気になるのですよ。あしからず。
合掌 南無阿弥陀仏

お礼日時:2013/05/26 14:02

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