プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

先日,日常的に車椅子を使う方が,都内の飲食店においてサービスを拒否された「事件」がありました。この「事件」にかんする「社会的教訓」には,どのようなものが考えられるでしょうか?

この「事件」については,当事者のみならず,インターネットを通して,数えきれないくらいの,多くの人々によって議論される出来事となりました。さまざまな意見がでて,そこから,建設的な,あるいは,前向きな意見があがれば良いのですが…。

ところが,この「事件」の直後,当事者にたいする中傷,パルチザン攻撃,個人攻撃など,人間の尊厳を著しく傷つける「コメント」をだした人々が,多くいました。当事者にたいする個人攻撃は,社会正義にのっとった,「正当な行為」といえますか?

A 回答 (6件)

こんばんは


確かに、様々な意見や議論からより良い流れが生まれることが好ましいと思いますねぇ。

さて質問の「当事者に対する個人攻撃は社会正義にのっとった正当な行為といえるか?」という問題ですが。
一般論としては、正当な行為とは言えないと思うし、そんなものに社会正義など存在していないと思います。

しかしながら、いくつか考慮、というか問題を残している部分があるように思うんですよね。
まずは、当事者の社会的影響力。
ほかの回答者さんも言われている通り、強い影響力を持つ者はその言動に責任を持つ必要があるだろうという事。
やはり、無責任な発言には、社会的制裁としてのバッシングを受けるリスクがあると心得るべきなのだろうと思います。
この意味では、一種の社会正義の発現としてバッシングが機能していると考えられなくもありません。

しかし、個人的な意見の吐露、誰しもが持つ不平不満を漏らすことさえ出来ない、というのはちょっと行き過ぎてしまっているように思います。
あくまでも「私人」として述べた言葉でも、言葉だけ、あるいはその言葉が引き起こした騒ぎだけが一人歩きをしてしまう事が起こりうる。
昔なら、(お互い気心が知れている)ご近所だけで留まっていた話が全世界に発信されてしまうんですからねぇ。
このあたりを上手く加減する事が今のネットの仕組みでは出来ていない。

今回もよくよく見れば、お店の対応態度の問題だったようで・・・
それを差別だの人権だのに絡めて騒いだのは、当事者ではないみたいですね。
つまり、発言の内容自体が歪んでしまい、真意ではない捉えられ方で流布されてゆく事がある。
それを元に、バッシングを受けるのは明らかに理不尽ですね。

しかし、社会的認知度のある人が自分の発言に責任を持つというのは重要なことです。
特に、身体的ペナルティや差別問題について当事者が社会的認知度を上げてゆくことによって、問題解決を図ってゆこうとするスタンスの持ち主であれば、なおさらです。
発言に誤解を受けないような配慮が必要でしょうねぇ・・・
それでも、どんなに配慮しても誤解する人(わざと曲解する人)もいる。
それに対する牽制手段が不十分なんですよね。

ネットでは、情報の受け手側が能動的に動かないとならない部分があります。
一歩引いた位置から見ている視聴者感覚のユーザーは特にそうです。
テレビなんかと違って更新された情報を逐次流してくれているわけではなく、ちゃんとしたことを知りたければ自分でソースをチェックしに行かないといけない。
多くの人はこれを中々やらないので、背びれ尾ひれのついた末端情報に化かされる事になる。
そして、化かされてる事に気付きもしないまま、ってケースも多いように思います。
つまり、ソース側に修正・牽制情報が提示されていても、それが正確に認知されるまで時間がかかるという事。
そしてその間は勘違いしている連中がバッシングしてくる・・・
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>>では,その一方で,彼にたいする「個人攻撃」のみならず,一般的な障碍者にたいするパルチザン攻撃については,どのように考えているのでしょうか?



攻撃じゃなくて、反撃にあったということでしょう。

向こうはネットで反撃できないと思ったんでしょうね。
また、フォロアーも味方ばかりと勘違いしたのでしょう。

一般的障碍者に対して?
知りませんが印象を悪くさせた責任もあると思います。

カレは障碍者からも批判されていましたから。
ではなぜ同じ苦しみを持つ障碍者からも批判されたのでしょうか?
障碍者からも、カレの態度が礼儀を弁えない横暴な態度に映ったからでしょう。

先に「知人が聞いた話」を、さも自分で聞いたかの如くネットで店名を公表して断罪したのは、カレです。
これが無ければ、ネットユーザーからの批判が相次ぐことも無かったのです。

介助とは、サービスであり、強要するものではありません。

セルフサービスの店で、持ってくるのが客商売だろ?と言っているようなもんです。
そんなのただのクレーマーです。

この回答への補足

 

補足日時:2013/05/23 11:26
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私は、#3さんの回答に賛同します。



この障碍者の人は、俺には権利がある、従って店には
それに従う義務がある、と考えたので、話がやたら
とんがってしまっただけのように思えます。

お互いに、日本的に処置すれば済むことだったのでは
ないでしょうか。
それを権利だ義務だ、正義だ、などと大上段に構える
から話が大きくなるのです。

こういうトラブルにならないよう、日本には昔からの
知恵があったはずです。
それを欧米流の権利義務に翻訳しようとするから
おかしくなるのです。
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乙武の店に対する個人攻撃は悪いと思います。

この回答への補足

では,その一方で,彼にたいする「個人攻撃」のみならず,一般的な障碍者にたいするパルチザン攻撃については,どのように考えているのでしょうか?

補足日時:2013/05/23 01:23
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社会的教訓は、


「お互い、気持よく過ごすための気配りをしよう」ということ。

お店の側は、お客様が不快に感じないように、
来店いただいた感謝の意を伝えるなど緩衝材になる言葉を挟んだ上で、
やんわりと車椅子は構造上受け入ることが不可能である事を伝えるべきでした。
事前に言えば対応可能だったなら、後日に設定しなおすことを提案するなど、
妥協案は出せたと思います。

車椅子の方も、サービスを受けられて当然と思うのではなく、
エレベーターの有無、通路の幅など、事前に確認すべきでしたね。

今回の事件は、お互いにその気配りを怠ったがゆえのトラブルだと思っています。
例えば、店の対応が上記の通りだったとして、
車椅子の方も「サービスを受けて当然」という姿勢でなかったなら、
お互いに感謝して、気持よく取引が済んだと思いますよ。

それにしても、第三者がとやかく口を出したらこじれるだけですのにね。
(あえて、煽っている部分もあると思いますが。)
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片方の方に関しては「公人」といってよく、公人らしからぬ行動に批判を浴びてもやむ得ないと思う。


私のような市政のオヤジなら、物事に対する無知から思わぬ行動をとってしまっても、それをネットに晒され個人攻撃はいかがなものと思うが、芸能人や政治家、作家というある程度影響力のある人間は自分の言動に責任を持つべきで、一線を越えてしまえば批判を浴び、社会から抹殺されても自業自得。
たとえば人気芸人が暴力団との交際を理由に芸能界から去りましたが、あの御仁も「(暴力団との交際は)この程度でも引退になることを後輩に知らしめたい」「自分ではセーフと思っていたが、芸能界のルールではアウトだった」といっております。
今回は犯罪とは関係ないですが、公人であればより高い規範を求められるのは当然かと思う。

もう一方の当事者は完全な一般人ですから、過度な非難はいけないことと思う。

私の考えでは、芸能人や政治家などの公人は一般人に比べ影響力(権力)を持っていますから、暴走を止めるという意味で個人攻撃も社会正義だと思う。
嫌ならマスコミとは縁を切り、本当の市井の人となればプライバシーも守られるし、過度の攻撃もなくなる。

この回答への補足

マスコミは,あなたが指摘するところの「市井の人」をターゲットにすることもあります。

補足日時:2013/05/23 11:27
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