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日本史に殆ど詳しくないのですが、最近大河ドラマなどで坂本竜馬とか八重の桜とか幕末?あたりのストーリーが多くて、最近感じるのですが、

「もし倒幕が失敗していたら、未だに徳川の世が続いていたんだろうか?」

と。


考えても仕方無いことですし、だから何だという話なのですが、大河とか見終わって布団とかに入ると薩長同盟が破れていたら、現代の日本は…というようなアナザーストーリーを想像してしまいます。

2013年も年貢の取り立て厳しいなーとか言ってたりするのかな…とか、廃藩置県もなくて、県知事ではなく大名が幅を利かせているのかなとか…
(さすがにそれは無いと思いますが)


日本史が好きで、親切な人がいらっしゃったら、倒幕失敗していたら現代の日本はどんな感じになっているという想像をお聞かせいただけませんか?


あともうひとつ。
第二次世界大戦で敗戦していなかったら、どうなっていると思いますか?

言い方に語弊があるかもしれませんが、北朝鮮のような感じの天皇主権の軍事国家のような日本になっていたでしょうか?
(↑この例えに悪意はありません)

よくわかりませんが、戦争の話はシビアな問題かもしれませんので、私の質問がグレーゾーンな質問でしたら、こちらは触れずにスルーしてもらってもかまいません。
単純に、戦争に勝った国として、軍事力に力を入れて産業の発展には力を入れなかったのかなとか、未だに大日本国憲法だったのかなとか思っただけで。


良かったら、想像をお聞かせください。


※想像に正解はありませんので、気軽に聞かせていただければと思います。

A 回答 (8件)

質問が2つに別れているので、わけて考えます。



Q1.「もし倒幕が失敗していたら、未だに徳川の世が続いていたんだろうか?」
倒幕失敗にも、いくつかのシナリオが考えられます。

1-A 徳川幕府がそのまま存続。大政奉還なし。薩長が幕府・一桑会に成敗される。
この場合は旧態依然とした支配体制が続き、近代化に大失敗。中国で改革の機運が高まるも西太后がのさばって潰したのと似た展開になり、イギリスあたりに植民地化される。

1-B 慶喜が大政奉還した後に、諸侯連合政権ができる。
諸侯連合の舵取りが非常に難しい。英仏の代理戦争と化す可能性が高い。

などですが、近代化の要件として、四民平等、徴兵制導入、廃藩置県、義務教育、試験による官僚制の導入、など、武士階級のidentityのcoreにかかわる問題があり、これらを徳川幕府が存続したままで行うことは、極めて難しいと思います。
小手先に洋学所や造船所を作って武士がお勉強するくらいではダメなのです。
さらにこのあと発生する、日清、日露、WW1、WW2で到底勝ち目は無いでしょう。
どこかの段階で、中国、ベトナム、ミャンマーなどの東アジアの国が辿った苦難の植民地化への道に入ると思います。他国の近現代の歴史を学んで比較することをオススメします。

Q2. 「第二次世界大戦で敗戦していなかったら、どうなっていると思いますか?」
第2次世界大戦で、日本が1942年あたりの適当な段階で切り上げて、講話に応じていたら、天皇制と軍部は温存されていたでしょう。WW2を切り抜けても、ソ連や中国の共産化で冷戦が発生し、東西どちらかの陣営に入る必要があります。
それでもたぶん、フランコ独裁のスペインのように国際社会からわりと孤立。1970年代あたりに民主化できれば御の字でしょう。ただ、この場合は日本の技術力が目覚ましく発展したり、貿易立国、経済大国になったりできず、アジアの2流の半農業国で、今のスペインくらいの地位になってたのではないでしょうか。。
こういう想像の話がお好きでしたら、Hearts of IronというPCゲームで、いろんな第二次世界大戦の可能性が楽しめるので一度プレイしてみるのをオススメします。
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”倒幕失敗していたら現代の日本はどんな感じになって


 いるという想像をお聞かせいただけませんか?”
    ↑
これは、近年になって学者らも色々と研究していまして
倒幕が失敗しても、それほど変化は無かっただろう、という
説が強いようです。

薩長が勝利したので、だらしがない幕府と清廉潔白な勤王の志士
という図式が刷り込まれて来ましたが、当時の幕府の対応を
分析すると最善を尽くしていることが判ってきました。

あのまま徳川幕府に委ねていても、同じだったろう
ということです。


”第二次世界大戦で敗戦していなかったら、どうなっていると思いますか?”
    ↑
勝利していたら、ということですか?
対外的には、日本とドイツの間で、冷戦なり戦争なり
の状態になっていたと思われます。

対内的には、北朝鮮のようにはなりません。
日本人は権力の集中を嫌います。
ヒトラーのような独裁者は日本にはいませんでした。
これは集団主義をとる日本人の体質です。

将軍がいますがお飾りです。
お飾りですが、将軍の命令には逆らえません。
将軍の下には老中がいます。
老中は集団合議制をとります。
老中になれるのは、小さな藩の大名だけで大藩の領主は
老中にはなれませんでした。
これは権力の集中を嫌ったからです。

江戸奉行所は南北二つありましたが、これも権力を
集中させないためです。

そんで、これも形式的でしたが、将軍の上には天皇が
いました。
天皇は権力を持っていませんが、誰も正面からは逆らえない
という不思議な存在です。

このように、日本は独裁がやりにくい国なのです。
強引に独裁をやると信長のように夭折します。
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「もし倒幕が失敗していたら、未だに徳川の世が続いていたんだろうか?」



幕末の段階で、慶喜やその辺の人間が想定していたのが

有力大名家連合、公武一体

明治初期の政体
総裁・議定・参与の三職からなる官制が施行された。総裁には有栖川宮親王、議定には皇族・公卿と薩摩・長州・土佐・越前などの藩主が、参与には公家と議定についた藩主の家臣が就任した。
(WIKIPEDIA、明治維新より引用)

総裁:徳川慶喜
議定:有力大名藩主、佐幕派の公卿
参与:議定についた藩主の家臣+旗本(総裁の家臣)

幕末のギリギリの段階では、政体としては慶喜等が想定していたものと明治初期の実現されたものとは同じで、倒幕派が「攘夷」を実行しなかったように、佐幕派も攘夷を実行しない。

有栖川宮親王が、明治時代に何ら実体を持たなかったように、また、議定になっていた人物が明治政府では有力者にならなかったように、総裁徳川慶喜の元、参与になった人間がいつの間にか明治の元勲になっているんじゃないかなぁ。
※ ここまで来ると歴史の偶然要素が強くなるので、一意に予想はできないが。

戊辰戦争の軍事的成果を背景にしての強圧的な行動が取れないと考えると、廃藩置県とかできないので、もあぁっとした政権になっていたかと。
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「もし倒幕が失敗していたら、未だに徳川の世が続いていたんだろうか?」



国民国家にならなければ当時の世界では生き残れなかったはずだから、徳川が続いたとしても、武士の幕府という支配体制は変わらざるを得ないでしょうね。変わらなければ列強に植民地化されてたでしょうから。

倒幕に失敗ということは、戊辰戦争に徳川慶喜が逃げずに戦い抜いて徳川が勝つということでしょうか。具体的なシナリオはわかりませんが、薩摩・長州・土佐・肥後などが徳川、会津など幕府側の藩に置きかわるだけで、史実とさほどかわらない明治時代を迎えたりして?


「第二次世界大戦で敗戦していなかったら」

どの時点で史実から分岐するのかによって、色んなシナリオが考えられますが・・・

軍国主義や天皇主権が続いて北朝鮮みたいになるって想像も多いですが、そもそも軍国主義になったのは、世界恐慌など経済が悪くなり政治が腐敗し軍に期待が集まり・・・って流れだから、勝つこと(講和?)で経済が立ち直れば正常に戻ったかもしれませんね。実際大正あたりまでは順調に民主主義が進んでいたのですから。

ただし、その後台頭してくる共産主義圏、ソ連の台頭に対しては、日本自ら(冷戦?)戦わなければなりませんね。大東亜共栄圏を建設し、超大国となっていれば戦えるかもしれないけど、アメリカとは結局組むことになりそう。


そんな感じで、誰が勝者になるか敗者になるかが変わるだけで、歴史の大きな流れは史実とさほど変わらないんじゃないかと私は思います。
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ものすごく難しい話です。


なぜ討幕されずに江戸幕府が続いたことになったのか。
その原因をどう設定するかで全く話が変わってきます。

大政奉還がもっと早くに行われたことによる討幕失敗。という竜馬が夢見た形がなったとします。
そうなれば、近代化話されることには変わりがないので、大名が残るなどはないでしょう。
薩長中心の新政府体制でなく、もっと幅広く人材が登用されたかもしれません。
そうすると海軍と陸軍の派閥などももっと少なく、第二次世界大戦の起こり方も変わってきたかもしれません。

イギリスがもっと幕府を援助して勝った場合はイギリスの言いなりになって、植民地になっていたかもしれません。

薩長同盟が途中で破綻し、バラバラになったために討幕に失敗した場合は、日本が分裂していたかもしれません。

ただ、質問者さんがおっしゃる戊辰戦争に突入した時点での歴史の枝分かれでは大名が残って江戸時代のような国家組織として続くことはなかったでしょう。
大政奉還がなされた後なので、国家組織の変革は間違いなく起こります。

江戸時代のような国家組織が残るとしたら、ヨーロッパで産業革命が起きなくて、そのために黒船が日本に来なかった。
くらいまで時代の枝分かれを戻さないといけないのかなと思います。


同じように第二次世界大戦もなぜ敗戦しなかったのか
もともと戦争が起きないようにうまく立ち回れた。
日本の発展をあきらめ、どこかの国の属国になることを決めたから。
もともとアジアの解放まで考えず満州国までで満足しようと考え戦力を拡散させないで済み、諸外国も満州くらいは認めてもらえた。

様々な理由によってその先は変わってきます。

そして歴史好きな人がそんなことを考えようとしたら、細かいことまでちゃんと検証して考えるでしょうから、この解答欄では書ききれない、小説のような回答になるでしょう。
そこがこの回答の一番難しいところかもしれません。
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 幕末には徳川氏も欧米のような国民国家への脱皮を図るような動きを見せていたのは事実です。

薩長との違いは、徳川氏が中心となる形での国民国家への移行です。明治維新政府、というのは結局薩長中心の国民国家への移行に過ぎません。

 なので、薩長が武力討伐に失敗していても近代化(=国民国家の形成)は避けて通れない歴史の必然であったと思います。

 ここからはIFとなりますが、徳川氏も天皇の存在は無視出来ません。というか尊皇であったことは間違いありません。したがって、天皇を国王とし国家運営は徳川氏が握り、薩長政権=明治維新政権が行ったような中央集権化も徳川氏中心のものとなった可能性が高いと思います。

 薩長独裁(有司専制)が批判を受けて議会政治に移行したように、徳川一門独裁の国作りもやがて議会政治に移行したのではないかと思います。

 
 もう一つの第二次大戦ですが、徳川氏中心で国民国家への移行が進んでいた場合、東アジアの国際関係が明治政府とは異なる道筋を辿った可能性があります。したがって第二次大戦での立ち位置が違ったしまった可能性もあります。
 つまりその前の日清戦争、朝鮮併合、日露戦争、日中戦争が起きなかった可能性があります。となると第二次世界大戦には巻き込まれたとしても、対米戦争が起きなかった可能性がゼロとは言い切れません。

 そうしますと、前提の建て方により第二次大戦の敗戦国とはなら勝った可能性さえあるということです。あくまでもifです。

 
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>「もし倒幕が失敗していたら、未だに徳川の世が続いていたんだろうか?」


日本史が好きで、親切な人がいらっしゃったら、倒幕失敗していたら現代の日本はどんな感じになっているという想像をお聞かせいただけませんか?

歴史にifは無意味だと思うが・・・推理想像の世界に思いを巡らせば、期待も込めて


歴史に学べば「清国:清王朝」の様に、内部の腐敗や内紛と民衆弾圧で支持を失い疲弊し、内なる対立と外からは欧米列強からの不当な要求や侵略で、体制維持に国益や領土や主権の切り売りに明け暮る。
翻って、我が国射置き換えては、幕府や雄藩が英・米や仏・露等の後ろ盾・利権を持った勢力に分かれ、列強の利権と宗教が絡んだ代理戦争を始めて、日本は内戦が続き、4分5裂の状況に成り、小さな紛争や領土争いが続く。

明治維新が起こらず、数か国に分かれて競合しての、地域性もあるがバックに着く列強の意向に沿った植民地的(信託統治)な国創りが行われる。



>あともうひとつ。
第二次世界大戦で敗戦していなかったら、どうなっていると思いますか?

形式的には天皇親政の国だが、軍部の威光&意向を反映させた政治が行われる。
その軍部は対戦の勝利に驕り、論功行賞での対立や内紛で権力闘争が何度か起こり、皇道派や統制派という区分以外にも地域・学閥・身分階級・所属部隊他でトラブルが絶えない。
また、徴兵制が続き、軍事産業や財閥の巨大化と主要産業の支配化にて、より大きな格差社会・血縁学閥のコネ社会に成っていると思考します。

しかし、旧態依然とした政治システムは国際的な孤立を招き、諸外国の自由主義社会の発展からの情報や文化交流で、民主主義の勃興と産業の近代化が統治統制システムの溶解を促し、やがては別な意味で遅かれ早かれ選挙制度の進展が媒介し平成維新(民衆革命・平和クーデター)が起きる。
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「歴史にIFは禁物」 という格言もあります


検証が不可能であり、どのような身勝手な別歴史も書けるからです。

ではその身勝手な一例
「倒幕が失敗し疲弊した1900年頃に 英国により武力で植民地化される。」
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