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ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

A 回答 (15件中1~10件)

○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。


「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83 …

この本によると次の6項目が大きな日本軍の敗因として取り上げられています。

(1)情報戦の大敗。日本海軍の暗号が解読され、米軍は日本軍の計画を察知していたのに、日本軍は敵情がよくわかっていなかった。

(2)心のゆるみ。開戦以来の戦果から心にゆるみが生じ、作戦の計画と実行に慎重さを欠いた。

(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

(4)航空戦様相の事前研究、訓練の不足。索敵、偵察、報告などの地道な訓練及び、空母の被害局限対策の研究が足りなかった。

(5)5日の航空決戦の指導の誤り。二度の兵装転換によって弱点を作った。

(6)戦艦主兵思想の転換の不十分。戦艦部隊が後方遠く離れて航空決戦に寄与できなかった。


○ちなみに当時、敵であったニミッツ太平洋艦隊司令長官は戦後に出した著書の中で、「勝利は主として情報による。・・・日本軍は奇襲を試みようとして日本軍自体が奇襲された」と述べています。また日本軍が空母戦力を分散してアリューシャン作戦を行った事を批判し、その戦力分散が無ければ米艦隊が敗北していた可能性があると述べています。

○なお、アメリカ海軍公刊戦史を編纂したサミュエル・エリオット・モリソン少将はミッドウェー海戦について、日本の空母が最も脆弱な状態の時に、米爆撃隊が偶然に日本の空母を発見し攻撃できたという、幸運に恵まれた事から「100秒足らずの時間に起こった事実の相違で、日本軍はミッドウェイに勝ち、太平洋戦争にも勝利をおさめたかもしれない」と日本軍にも勝利の可能性が十分あったことを述べています。

○英国の著名な戦史家リデルハートはその著書で日本の敗因について、十分な数の索敵機を出さなかったこと、戦闘機の援護不足、空母の防火対策が不十分、空母での兵装転換時に敵に向かって航行したこと等、他にも色々指摘していますが、最後は「・・・これらの過失は自信過剰から生じたと言っても過言ではない」と述べており、日本軍の「自信過剰」を問題視しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。これは説得力があり大いにうなずけました。ただ、素朴な疑問を感じたんですけど、日本が連戦連勝で気の緩みがあったのは事実だったとしても、日本より更に強大な戦力とポテンシャルを有していたアメリカはなぜ慢心や自信過剰に陥らなかったのか。この日米の差は何だったのかなと思いました。

お礼日時:2013/06/11 06:08

そもそも記事を書いた人が無理矢理こじつけた感じがするのですが…



アベノミクスはそもそも最初の段階で三段階存在するわけです。
先の戦争に置き換えると
シンガポール→フィリピン→インドネシア攻略作戦
みたいな物です。
海軍の作戦には当初、ミッドウェイ攻撃は存在しません。
ドゥーリットル空襲を受けた結果、敵の進入路を塞ぐために急遽計画したものです。
株価が大暴落したんで慌てて年収150万増を喚いたならミッドウェイですが、そうではありません。

先の戦争に勝敗の趨勢を決したのはガダルカナルです。海軍の無謀な計画に陸軍がかき乱されたのです。海軍も貴重な航空戦力をすり身にしました。

ミッドウェイの敗因は稚拙な作戦計画が原因です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。くだんの新聞記事にもあるように、「ミッドウェー」は「勝敗の帰趨を決する大一番」みたいな意味でよく使われますけど、でも僕が無知でした。本当に趨勢を決したのはミッドウェーではなくてガダルカナルだと今頃言われて知りました。

お礼日時:2013/06/12 15:06

No.11です。

お礼にあった・・・

>ただ、素朴な疑問を感じたんですけど、日本が連戦連勝で気の緩みがあったのは事実だったとしても、日本より更に強大な戦力とポテンシャルを有していたアメリカはなぜ慢心や自信過剰に陥らなかったのか。この日米の差は何だったのかなと思いました。

の部分について少し・・・

慢心や自信過剰という点では、アメリカも幾つか陥っています。
例えば・・・

(1)開戦劈頭、ハワイを奇襲された事。
ハル・ノートを日本側に渡した翌日の11月27日に、米海軍のスターク海軍作戦部長は、ハワイのキンメル太平洋艦隊司令官にあてて警報を発しています。「本電を戦争の警報とみなせ。日米交渉は終わりを告げ、日本の攻撃的行動がここ数日中に予想される。・・・」と。
米陸軍のマーシャル陸軍参謀総長も同じ11月27日に、ハワイのショート陸軍部隊司令官に警報を発しています。「日米交渉は日本政府から継続の申し入れが無い限り終わったように思われる。日本の今後の行動は予測できないが、すぐにも敵対行動が始まる可能性がある。・・・」と。
そして、この警報を受けとったハワイでは、その日のうちに会議が開かれます。
しかし、そこでの判断は日本軍によるハワイ攻撃はありえないと判断するものでした。
そしてハワイ周辺の哨戒については月曜から木曜まで毎日、訓練を兼ねた哨戒機を飛ばしていましたが(北と北西にも哨戒機を飛ばしていました)、金曜から日曜日にかけては、哨戒機の整備とパイロットの休日にあてていました。
そして、ハワイの現地時間で12月7日の日曜日に、日本軍による真珠湾奇襲を受けます。
このハワイに奇襲を受けた事について米国は原因を究明するために調査委員会を設置しますが、キンメル太平洋艦隊司令官に誤りがあったと結論が出ました。
キンメル太平洋艦隊司令官がこの真珠湾奇襲についてどう言っていたかというと・・・
「私はあのような遠距離の渡洋作戦は無理だと思った。日本の空母は足が短い。ハワイを奇襲するなど不可能に近い。また、日本の海軍機の事もよく知っていた。だから真珠湾攻撃の結果と方法を見た時、目を疑ったものだ」
さらに当時、太平洋艦隊作戦参謀だったマクモリス大佐は・・・
「真珠湾は、日本からの距離が遠すぎるので、燃料補給が難しく、とても攻撃は無理だろうと考えた。さらに艦船への雷撃も真珠湾の水深は12メートルしかなく、戦例を調べてもそんな浅いところで使用できる魚雷もない。我々アメリカ海軍自身が、日本本土に対して効果的に渡洋奇襲を決行できるとは思えないから、日本にもできるわけがないと考えた」
このキンメルとマクモリスの証言から分かるように、アメリカ太平洋艦隊司令官とその参謀が日本軍を侮り慢心していた故の油断から真珠湾を奇襲された事がわかります。

(2)開戦初期、フィリピン防衛に失敗した事。
日本軍がフィリピンを攻撃して来た場合、米軍はバターン半島に撤退して抵抗する作戦でした。計画では4万3千人の6ヶ月分の食料を運び込み、米本土から救援が来るまで6ヶ月間持ち堪える作戦でした。
しかし、開戦してもマッカーサーはなかなかバターン半島への篭城準備命令を出さず、2週間以上経った12月23日になってようやく出しました。しかし、この遅れは致命的で食料は2ヶ月分しかバターン半島に運びこめず、抵抗の準備は遅れました。
しかも、その後のマッカーサーの指揮ぶりも優れたものを見せる事はなく「カムバックした元チャンピオン・ボクサーが久しぶりのリングの上でとまどう姿を思わす」と酷評される始末です。
日本軍を侮っていたマッカーサーの自信過剰と慢心からフィリピンは早期陥落となりました。早くに戦争準備を開始していれば、フィリピンがあのように早期に陥落する事は無かったでしょう。

(3)潜水艦の魚雷問題。
開戦初期、米潜水艦は魚雷の低性能と不良品に泣かされました。
日本の輸送船、第三図南丸などはいいで例で、米潜水艦から5本も魚雷を命中されましたが、なんと全部不発で爆発しませんでした。
米潜水艦の艦長達は魚雷の欠陥の報告をしましたが、米海軍軍需局と魚雷研究センターは魚雷の欠陥を当初は全く認めず、攻撃が失敗するのは米潜水艦の艦長と乗員の腕のせいにしました。
最終的には魚雷の欠陥を軍需局も認めますが、新型のまともな魚雷は1943年秋になってようやく配備されるようになりました。つまり、米潜水艦は開戦から約2年近くもの間、欠陥魚雷を使わされ、戦果を台無しにされ続けていたのでした。
これは米海軍軍需局と魚雷研究センターの慢心のせいと言えるでしょう。


○開戦前、アメリカは日本を侮っていました。
しかし、開戦後は真珠湾奇襲、フィリピンやマレー半島、インドネシアが占領され、シンガポール要塞も陥落し、英国艦隊も撃破されるに至り、日本を侮る風潮は著しく退潮します。
それどころか、米本土への日本軍の攻撃に怯えるような事態となります。下に貼ったウィキを読めばわかりますが、1942年2月25日には、米軍は幻の日本軍相手に戦闘しているぐらいです。

「ロサンゼルスの戦い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5% …

なお、これより前の1941年12月8日にはサンフランシスコが爆撃されるとか、12月9日には日本艦隊がサンフランシスコとロサンゼルスとの間を航行中とか、12月11日には日本の主力艦隊がサンフランシスコ沖に到着などという情報が、米本土西海岸を防衛する米第三軍司令部に寄せられています。
当時の第三軍司令官は12月11日の日記に「全軍警戒態勢を発したが、どう対応すべきか見当もつかずに部屋をぐるぐる歩き回るばかり」と書いています。
米陸軍では日本軍のアメリカ本土上陸を防ぐのは無理と判断したり、ルーズベルト大統領は日本軍がアメリカ本土西海岸に上陸してきた場合、中西部のシカゴで反撃するという構想を描くほどでした。

つまり、アメリカは開戦前は日本軍を過小評価し侮っていましたが、あまりの日本軍の攻勢とその戦果に、今度は日本軍を過大評価するようになりました。

○また、アメリカの開戦前における潜在的軍事力は巨大ではありますが、だから言って戦争開始後すぐに全ての物が十二分に揃うというものではありません。
アメリカの経済が軍事中心に切り替わるのには時間がかかりますし、軍艦を建造するにも、新兵を訓練するにも時間がかかります。
だからミッドウェー海戦で出撃したアメリカ軍のパイロットの中には、訓練が終了していない者もいました。それほど、当時は追い詰められていました。
ミッドウェー海戦の三ヶ月後には、アメリカ軍では無傷の大型空母が0隻となるいう状況に陥っています。
ちなみに新造の大型空母のエセックス級の1番艦が完成したのは開戦1年経った1942年12月で、それから完熟航行と訓練を行い実戦に投入されのは1943年9月です。
アメリカの巨大な生産力により戦力が充実してきたのは1943年以降の事です。

■つまり、それまでの間、米軍も戦力に余裕があるというわけではなく、慢心や自信過剰に陥るような情勢にはありませんでした。
その後、戦力が充実してきた後については、他の回答者さんの回答にもありますが、台風に2回も艦隊を突っ込ませて大損害を被るなどしていますが、この頃には日本軍の戦力が低下しすぎて、その機会を生かす事などできない状態でした。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。大変参考になりました。本当に僕が無知なだけで、実はアメリカ側もこんな行き当たりばったりの対応をしていたとは知りませんでした。敗因をどう分析しても結局最後は「地力の差が出た」としか言えない気がしてきました。

お礼日時:2013/06/12 14:52

>日本より更に強大な戦力とポテンシャルを有していたアメリカはなぜ慢心や自信過剰に陥らなかったのか。

この日米の差は何だったのかなと思いました。

 第二次大戦中の米軍の慢心に由来する損害なんて、日本軍の比ではないですよ…。

 例えば、昭和19年12月17日~18日、昭和20年6月5日の二度の台風で受けた航空機の被害(要は米軍の単独での自滅)はミッドウェーでの日本軍の被害に匹敵します。
 (鎌倉時代の元寇とおなじく、神風はちゃんと吹いていたのですよね…。)

昭和19年12月14~16日

 駆逐艦3隻が転覆沈没したほか、軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡1隻、駆逐艦7隻、護衛駆逐艦3隻、その他補助艦艇などに損傷を受け、航空機146機を失う。

昭和20年6月5日

 戦艦4隻、正規空母2隻、軽空母2隻、護衛空母4隻、重巡3隻、軽巡4隻、駆逐艦以下17隻の合計36隻が損傷を受け、航空機142機を失う。

 しかも、この二度とも同じ司令官(ハルゼー大将)がやらかしてます…。


 沖縄戦でもアメリカ第10軍司令官(沖縄上陸軍最高指揮官)サイモン・バックナー中将が戦死(日本軍の反撃を甘く見て前線視察中に…。)しています。
 (現在に至るまで、アメリカ軍史上において最高位の戦死者)


 ぶっちゃけ、第二次大戦のアメリカ軍なんて日本軍が一切のミスを犯さなかったとしても、降伏が数ヶ月程度先に成るだけで体勢にはたいした影響が出ないほど強大です。
 (史実の日本軍だってミッドウェー海戦後に奮起して、太平洋上の米軍の可動空母をゼロにする様な戦果を挙げたのに、米軍は直ぐに戦力を日本軍の数倍まで強化させて復活する。)

 日本から見たら、当時の米軍は殺しても殺しても、その次の戦いではより強大になって登場するゾンビみたいな物です。
 
 勝ち目なんて無いのです…。時刊重爆撃機[約1時間毎に1機]、日刊護衛艦[約1日毎に1隻]、週間護衛空母[約1週間毎に1隻]、月刊正規空母[約1ヶ月毎に1隻]という生産力には…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。これだけの生産力の差を見せつけられると、改めて絶望的な気持ちになりますね。確か開戦前に行われた当時のシミュレーションでも「負け確定」って結論が出たのに、突入しちゃったんですよね。

お礼日時:2013/06/12 14:34

再び失礼します。


慢心や自信過剰とありますが、戦争に勝つには、
全局面で勝つ必要はない。将棋でも投了までに、
一つも駒を取られないなんてあり得ませんから。
前進と勝利、後退と敗北の区別もつかなかったん
でしょう。単純な兵力と資源の差を考えれば、戦争
しないという選択肢しか無いわけです。

この辺りの話は、アニメの銀英伝を見てください。

だからこそ先の大戦の戦死者は英霊ではなく、クソまずい
作戦で犬死にさせられただけなのです。それを
英霊と誤魔化すのは欺瞞に過ぎない。
そんな感じですw 蛇足ですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。そうした歴史観も確かに1つの見解だと思います。

お礼日時:2013/06/11 17:29

ディスカバリーチャンネルで


http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid …

歴史の分岐点:太平洋での戦い

なんてのをやっていた。
アメリカ視点ですが

1 暗号を解読していて、日本側の意図を察知していた
2 この方が、諦めずに頑張った
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9% …

確かに上記の人物が燃料不足で引き返していたら、日本空母は大丈夫だったんだろうなぁ。

ちなみに上記の番組では、ミッドウェイの前珊瑚海海戦の段階で、米軍の戦略的勝利としている。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。本当に敗因って考え出すとキリがないですね。色々な要素が複雑に絡んでいて、どの視点から捉えるかで結論は変わり得るとしか言えない気がしてきました…。

お礼日時:2013/06/11 05:55

No.4です。



「日本海軍の暗号がアメリカに解読されていて、ミッドウェーの陸上部隊・航空部隊、3隻の空母全力で待ち伏せされていた」
のは、No.4の回答で述べたとおり事実です。

なお、他の方が言われる「実は暗号がばれたのは、アメリカがミッドウェイで雨水のろ過装置が呼称したというニセ情報を流したところ「攻撃目標で水が不足しそうだ」とすぐ暗号で報告したからなんですね」という話は、アメリカが、日本が想像も出来ないほどの人手をかけて暗号解読作業を行った最終段階で「日本が攻撃目標にしているのはどこか」をどう探知したか、ということで、膨大な暗号解読作業から見れば些細なことです。「アメリカが、日本海軍の暗号をどのように解読したか」は、一冊の本が書けるほどのテーマであり、今でも詳細なことは解明されていません。

さて
「暗号が解読されてた時点で負けは決まってたということでしょうか?」
ですが、暗号が解読されていたとしても、日本海軍が持てる戦力を「ミッドウェー近海でのアメリカ艦隊捕捉撃滅」に集中していれば、勝つことは可能でした。

No.4の回答で示したように、
「史実で、重要性の低いアリューシャン作戦に振り向けた龍驤・隼鷹、内地で待機していた瑞鶴を参加させれば、日本海軍はずっと楽な戦いをできただろう」
と言えます。

「戦勝の要諦は先制と集中にあり」
という言葉は将校なら誰でも知っている言葉で、これに反する作戦行動を「必要がないのに」取った時点で、負ける可能性が濃厚になった、とは言えるでしょう。

ただ、「アメリカは日本海軍の暗号を読んでいた」事実があった以上、仮にミッドウェーに日本空母の全力(史実プラス3隻)が向かった場合、敗北を恐れるアメリカ側が、迎撃を行わず、ミッドウェー島を占領しただけで終わってしまうことも有り得ました。

なお、一般にミッドウェーでの4空母喪失の責任者とされる南雲忠一中将は、ミッドウェーで実際に戦った機動部隊を指揮していましたが、
「対空レーダーは、ミッドウェーに向かう機動部隊に配属されている榛名と霧島に装備する」
「ミッドウェーに向かう機動部隊に、龍驤・隼鷹・瑞鶴を加える」
などという権限は持っておりません。

このような権限は、連合艦隊司令部、あるいは軍令部や海軍省が有しており、南雲中将は、与えられた兵力で、天皇の名で出された作戦命令を実行する立場でしかありませんでした。

南雲中将の指揮が完璧でなかったことは、No.4の解答で文献として示した森史朗氏の「ミッドウェー海戦」を読めば分かりますが、ミッドウェーの敗北の責任は、このような作戦を立て、差し向ける兵力を決めた連合艦隊司令部にあると言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、暗号が解読されたのは敗北の一要因であっても、決定的要因はやはり戦略ミスだということが分かりました。

お礼日時:2013/06/11 05:50

ミッドウェー海戦では海上戦力において劣勢の米軍は、


情報戦で日本軍に対し優位を保つことで勝機をつかんだと言えます。
また柔軟な部隊運用も日本海軍とは一線を画しています。
日本海海戦時のような慎重にして柔軟かつダイナミックな発想は、
日本軍が官僚的な軍組織へと移行するなかで失われていったようです。

このような状況下での初戦からの連戦連勝ムードによる慢心が重なり、
大敗北へとつながったように思います。

ただしここで仮に4隻の主力空母を失わずに米軍の2隻の空母を仕留めたとしても、
最終的な結果に大きな差は出なかったようにも思います。
日本海軍が4年の歳月で葬った連合軍艦艇は相当数におよびましたが、
戦った相手国のアメリカは短い年月でその数倍の戦力を回復しています。

代表的な工業生産品の自動車生産においてみても1:100ほどの開きがある、
この工業生産力の差は如何ともしようがありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。米側の情報戦略と柔軟な部隊運用、これは重要なキーワードだと思いました。逆に日本軍は組織として硬直化しすぎていたのかなと思いました。

お礼日時:2013/06/11 05:44

mkfdhさん、こんばんわ。




この作戦は日本の焦りから生まれたものだと思います。それは日本が初めて空襲であったドーリットル空襲がきっかけでした。
ミッドウェー作戦はまず、敵を惑わすためにアリューシャン攻略作戦があり、そしてメインのミッドウェー島攻略作戦がありました。この作戦の主眼はミッドウェー島を攻略すると見せて、おびき出した敵空母をたたくという作戦でした。しかし、ミッドウェー島の攻撃がうまくゆかず、さらに偵察行動が不十分なため、敵空母を見逃し、そのためにミッドウェー島攻撃を考え、雷装を爆装に切り替えたときに、敵空母を発見して大慌てでどうしたらよいか考えているうちにアメリカの急降下爆撃機に赤城、加賀、蒼龍が攻撃され、大破してしまいました。
そのあと、一隻残った飛龍だけで敵空母ヨークタウンを撃破しますが、飛龍も損傷激しく、結局四隻とも味方駆逐艦によって沈没処分されました。日本はその他に重巡三隈を失い、たくさんの航空機を失いました。アメリカ側も空母ヨークタウンと駆逐艦一隻を日本の潜水艦によって失いました。
この戦いは日本軍にとって不運ばかりが目立ちました。図上演習でもかなりの損害が出たというお話もありましたし、第2航空戦隊司令官山口多聞少将はこんな虫のよい作戦が成功するわけがないと漏らしたとか。
もう二隻の空母翔鶴、瑞鶴は珊瑚海海戦で損傷や航空機を消耗し、参加できませんでした。歴戦の指揮官淵田中佐も盲腸で攻撃に参加できませんでした。そして、日本の暗号もアメリカに筒抜けになっていました。有名な蒸留装置の故障のお話です。そのためにミッドウェー島にはかなりの準備がなされていました。また、珊瑚海で損傷を受けた空母ヨークタウンがたった3日で修理を終え、作戦に参加したことです。日本はこの時点で空母はエンタープライズ、ホーネット二隻だけと考えていました。また、日本海軍側の問題としてはすべての判断が作戦重視、情報軽視の思想だったためこういう結果を生んだと思います。

詳細なことはURLを参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。本当にお話を聞けば聞くほど、日本軍は不運と不手際の連続で、初めから神に見捨てられてたような惨敗だったんですね…。

お礼日時:2013/06/11 05:40

逆に質問したい。

強かった日本軍とあるが、その情報はどこから?
負ける戦争をやらかしただけやん、しかも惜敗でも何でもなく「惨敗」ですし。

どのサイトを呼んでも情報がザルというのは共通しています。あと、Wikiを読んだ
印象ですが、兵力運用と戦略眼において、やはり日本軍はドシロウトだったという事です。

また、質問者の言う緒戦の快進撃なんて、アメリカのやらせに過ぎない。
敵に先制させ、世論を高揚させて大義名分を明確にしただけなのですから。

第一、兵力に差がありすぎる。旧日本軍が戦端を開いたのはただのヤケクソですから。
どうにもならんわw
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、負けるべくして負けた、と言うより初めから勝てる要素が無かったということですね…。

お礼日時:2013/06/10 19:07

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