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ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

それで僕は、緒戦の快進撃から一転、大敗北を喫したミッドウェー海戦の敗因とやらをどうしても知りたくなった次第です。

A 回答 (15件中11~15件)

みんな細かく書いてるね~


ド素人と言われるならもうちょっと簡略に書きませう。

原因は暗号がバレてたこと。
何時何分にどこを狙ってここを通ると知られてたら簡単に待ち伏せできるでしょう。
攻撃前に命令が何回も変わって予定が遅れたのもありましたね。

実は暗号がばれたのは、アメリカがミッドウェイで雨水のろ過装置が呼称したというニセ情報を流したところ「攻撃目標で水が不足しそうだ」とすぐ暗号で報告したからなんですね。
素直すぎるというか単純というか、今の日本人もそういえますねえ。
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この回答へのお礼

簡潔明瞭な回答ありがとうございました。ご意見は大変参考になりました。

お礼日時:2013/06/10 17:47

まず、戦後長らく言われてきた「最後の5分間」説、すなわち


「南雲機動部隊は、米空母への攻撃隊の発艦準備を終え、後5分あれば攻撃隊が発艦を終えていたはずの所を、アメリカ急降下爆撃機の攻撃を受け、三隻の空母が瞬時に炎上した」
という説は「虚偽」であることが既に明らかになっております。

この説は、戦後間もない時期に、『機動部隊』奥宮正武・淵田美津雄に初めて記述され、同じことを第一航空艦隊の参謀長だった草鹿竜之介中将が著書に書くなどして「当事者がウソを言う訳がない」ということで定説になっていたのですが、

* アメリカ急降下爆撃機の搭乗員の証言では、三隻の空母の上には、上空直掩の零戦が数機あった程度。攻撃隊が発艦準備を終えていたという証言は一切ない。
* 3空母が被爆するしばらく前に、アメリカの飛行機が撮影した日本空母の写真を見ると、飛行甲板の上はクリアである。

などの証拠により否定されました。

また、「爆装 → 雷装 → 爆装」の再三の装備転換命令で攻撃準備が著しく遅滞した、南雲司令部は無能であった、というのも従来の通説でしたが、これも最近の研究で否定されました。兵装転換命令は確かに出されたのですが、30分も経たずに撤回されたので、魚雷を対地爆弾に換えた艦攻は僅かであり、大勢には影響なかったようです。

「利根の偵察機の発進遅延」の件も、仮に計画通りに飛行していれば、逆にアメリカ艦隊を発見出来なかった可能性が高いと指摘されています。

現在の最新の研究成果は、下記の本で概ね知ることが出来ます。ミッドウェー海戦についての正しい理解を得るためにぜひお読み下さい。

森史朗
「ミッドウェー海戦 第一部: 知略と驕慢」 (新潮選書) http://www.amazon.co.jp/dp/4106037068/
「ミッドウェー海戦 第二部: 運命の日」 (新潮選書) http://www.amazon.co.jp/dp/4106037076/

===

さて、「ミッドウェー海戦の敗因」ですが、簡単に言うと、
「赤城・加賀・飛龍・蒼龍の4隻の空母戦力で、ミッドウェー作戦(ミッドウェー島攻略、米艦隊撃滅)を果たすのは戦力的に無理だった」
ということです。

ミッドウェー海戦の段階で、日本海軍の暗号は概ね解読されており、アメリカは、ミッドウェー島の陸上部隊・航空部隊、3隻の空母で待ち構えていました。日本側が、「アメリカが迎撃準備を完全に整えている」ことを知らなかったのは当時の状況では致し方ないことです。

ミッドウェー島の陸上機+アメリカ空母3隻の搭載機は、4空母の搭載機数をかなり上回っていました。
従来の定説「ミッドウェー海戦では、空母4隻を有する日本側が優勢だった」は誤りです。日本側の方が戦力が少ないのであれば、マトモに戦えば日本が不利となり、日本側に失敗が出れば「日本が負ける」のは当たり前のことです。

そして、現在の「アングルド・デッキ」で、艦上機を発艦させるカタパルトを備えた空母なら、発艦と着艦を同時並行で出来るのですが、当時の空母では、発艦の際には飛行甲板の前から戦闘機・艦爆・艦攻の順に並べねばなりません。逆に着艦の際には、飛行甲板をクリアにして、空母の後ろから飛行甲板を一杯に使って飛行機が降りてくるようにしなければなりません。

早朝にミッドウェー島空襲部隊を発艦させた時点では日本空母部隊はアメリカに発見されていませんでしたが、その後発見され、ミッドウェー島を発進した飛行機、アメリカ空母を発艦した飛行機が五月雨式に空襲を続け、日本空母部隊は、防空戦闘機の発艦と着艦(機銃弾と燃料の補給)、爆弾や魚雷の回避に追われ、最後まで攻撃隊を飛行甲板に並べることが出来ず、燃料を満載して爆弾や魚雷を装備した攻撃隊が、日本空母独自の「密閉型格納庫」に待機していました。

アメリカ急降下爆撃機の爆弾が飛行甲板を破って格納庫内で炸裂すると、それだけで格納庫内で大火災が起きます。格納庫内には、「燃料満載の飛行機、魚雷、爆弾」が山のようにありましたので、燃料が燃え、爆弾や魚雷が次々に誘爆しました。火災が機関部に回り、あるいは格納庫と機関部を隔てる甲板が真っ赤に焼けて機関部員が蒸し焼きになり、機関部が壊滅しました。機関部が壊滅すると動力が止まり、消火のためのポンプを動かす電力も断たれるので、後は洋上を漂いながら燃え続けるだけとなります。

3空母の中でも一番破壊状況が酷かった加賀の場合は、沈没の時点で、二層の格納庫はほぼ全て吹き飛び、ノッペラボウになっていたそうです。

===

日本海軍の当時の状況(珊瑚海海戦で、瑞鶴・翔鶴の第五航空戦隊は大きな損害を受けてミッドウェー作戦に参加出来ない)であっても、出来ることがありました。

* 日本海軍では、対空レーダーを開発し、伊勢と日向に装備したが、この2戦艦は、空母部隊ではなく遙か後方の「主力部隊」に配属されており役に立たなかった。
仮に、空母部隊に属していた2隻の高速戦艦、榛名と霧島にこの対空レーダーが装備されていれば、アメリカ急降下爆撃機の奇襲を受けることはなかっただろう。

* 内地にいた瑞鶴は、飛行隊は大きな損害を受けていたが、無傷であり、「飛行機を載せずにミッドウェー作戦に参加する」ことは可能だった。
また、史実でアリューシャン作戦に参加した龍驤と隼鷹は、ミッドウェー作戦に参加可能だった。
この3隻の空母がミッドウェー作戦に参加していれば、
「ミッドウェーから戻ってきた攻撃隊を収容し、再武装させる」
「空母部隊の防空戦闘機を着艦・発艦させる」
などが可能でした。

この場合、史実でミッドウェー海戦に参加した4空母は、攻撃隊の発艦準備に専念できるので、史実よりずっと早く攻撃隊をアメリカ空母に向かわせることが出来ました。仮にこうなれば、ミッドウェー海戦の結果は大きく変わっていたはずですが、想像はこのくらいにしておきます。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。素人の僕には勿体ないくらいの解説で、大変参考になりました。暗号が解読されてた時点で負けは決まってたということでしょうか?

お礼日時:2013/06/10 17:33

同じ新聞かはわかりませんが論調は「戦術に溺れて中長期的戦略はあるのか?」という風に書いてあるように感じました。


公務員改革の断行なくしてアベノミクスの成功はありません。

細かい史実で伝えられている点は既に回答が出ているので割愛しますが要は

・卒年、学閥で上下が決まる公務員
・責任を取らない公務員
・適材適所でない公務員

以上の点がWW2当時から現代にも続く国家転落、滅亡の原因です。

WW2当時の上級公務員は死をもって償ったのでまだ良いのですが現代の公務員は未だに自分の保身のみで行動し犯罪クラスにならないと責任も追求されません。

余談ですが地方公務員に「能力給制度」の導入を提案したところ7割超が反対したそうです(伝聞ですが)
楽して安定したいという志望動機、そんな連中が利益の再分配している限り経済復興は無理。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。ご意見は参考になりました。僕もこのご意見には納得できるところがあります。

お礼日時:2013/06/10 17:39

先ずは当時の戦力ですが空母だけでいえば日本4隻に対しアメリカは3隻ほぼ互角とはいいませんが、日本やや有利です。

では何故という話になります?まずは当時の海軍全体の油断が考えられます。連戦連勝、アメリカは大したことはない今回も勝利だろうと浅はかな考えのもと作戦会議でも沈没判定の加賀を復活させたり。暗号もあっさり解読されています。また情報が入っても例えば敵空母発見時すぐ攻撃を掛ければいいのに艦上爆弾に間に合うだろうとわざわざかえさせています。。空母対空母はいかに早く敵をみっけて攻撃するかがものすごく大事です。まとめるといかに海軍上層部が情報を大事にしていなかったそして油断していたのが原因と思います。。戦争全体には負けたとしてもミッドウェーは勝てた海戦だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。戦争自体は負けてもミッドウェーは勝てた戦いだったというご意見は大変印象に残りました。

お礼日時:2013/06/10 17:38

・攻撃目標は、軍令部の「ミッドウェー島」と連合艦隊の「出て来る米機動部隊」の二つが有り、南雲司令長官の頭の中では、どちらが主か明確に絞り込めていなかった。



・上記のように主目標が不明瞭で、空母上で爆撃機の兵装の交換を2度も行い、甲板に爆弾や魚雷がゴロゴロ転がっていて、非常に危険な状態だった(機銃で撃たれたら爆発して即アウトな状態)

・日本側はアメリカ側に暗号を解読され、日本機動部隊の動きを筒抜けに読まれていた。

・日本側は、真珠湾攻撃以来相次ぐ勝利で驕り高ぶり米海軍を舐め切っていた。

・南雲中将は、飛龍、蒼龍がはぐれた時、無線封止を破ってしまった。

・重巡利根のカタパルト故障で、偵察4号機の発艦が30分遅れた。

・空母群の配置が、米海軍のように輪形陣では無く、1か所に集中していた。

・「あと5分利根4号機からの空母に対する報告が早ければ・・・」「あと5分あれば、全機発艦出来たのに・・・」だった。

等の理由により「南雲第一航空艦隊司令長官の指揮に最大の問題があった」とされているのが普通です。

要は「アホウが指揮して負けた」んです。
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この回答へのお礼

明瞭簡潔な回答ありがとうございました。解説は大変参考になりました。

お礼日時:2013/06/10 17:35

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