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歴史家マコーレーの著した『英国史』の中で、チャーチルの先祖であるモールバラ公が裏切り者として批判されていたという事を、僕は最近聞きました。

それでチャーチルが先祖の汚名を濯ぐため文献を調べ上げて、全四巻600ページもの大巻を仕上げたという話を僕は最近知りました。

それで質問なんですけど、チャーチルのこの功績は完全に認められて、マコーレーの『英国史』は間違いだったと完全に証明されたのですか?

因みに僕は歴史に全然詳しくないので、これは素人の質問であることをご了承下さい。

A 回答 (1件)

マルボロ データの出所はここですね。



 「モールバラ公は17~18世紀の天才的軍人でブレニムの戦いで大勝し、ルイ14世の野望を挫(くじ)くのに力があった。しかしフランスに逃亡していたジェイムズ2世と連絡し、祖国イギリスを裏切る行為があったとされていた。マコーレーの『英国史』の中で、モールバラはコテンパンに批判されていた。何しろマコーレーは蓋世(がいせい)の大歴史家であり、その『英国史』はイギリスの読書階級の必読の書とも考えられていたから、チャーチルは自分の先祖を恥じながら成長したわけである。ところがチャーチルは還暦を迎える少し前に、父の友人であったローズベリー伯爵(首相でもあり読書人でもあった)から、モールバラ公の裏切り説を否定する文献がフランスにあることを示唆された。チャーチルは躍り上がって喜び、若き俊秀モーリス・アシュレーらを助手とし、リンデマン教授らの助けを得て、自国とフランスの文献やヨーロッパの戦跡を徹底的に調べ上げ、見事に先祖の恥をそそぐことに成功したのであった。4巻二千数百ページに及ぶ大著はその結果である。
1953年(昭和28年)に政治家として最初のノーベル文学賞を与えられたのには、この著述が大きな役割を果たしたといわれた。」(渡部昇一)

 マコーリーは高名な著作家ですが、亡くなったのは明治維新より前の人です。また史実よりドラマを好んだことでも知られています。いわゆるホイッグ史観の創始者です。その流麗な文体で現在も読まれていますが、それは文芸作品としてであって、歴史書として真偽を問うといった内容ではありません。

 初代マルボロ公爵は軍人としては傑出した才能の持ち主でしたが、貪欲で知られ横領や賄賂で悪評高い人物です。裏切りがあったかどうかは別にして、そう簡単に恥を灌ぐことは無理だったのではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7% …

 チャーチルは政治家として、また文筆家としても著名ですが、歴史家として評価されているわけではありません。松本清張や司馬遼太郎も文献をよく読みこんでいることで知られていますが、それだけでは歴史家といえないでしょう。

 チャーチルのノーベル文学賞は歴史家としてではなく、文学者にたいし与えられたものです。
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