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「運命」と聞いて思い付くことを教えてください。

私は
「この世には、人間にはどうしようもない力が働いているという感覚に基づく概念」です。

A 回答 (7件)

  なあ~んだ、もうー! 


<こんなお題を立てておきながらが・・どちらでも良いと、、。>
最初に言ってくれなきゃあー(笑)。実は私も、運命、あまり興味有りません。書く事懸命に捜しましたのよ(笑)。
<人は何の為に生きるのか?、人生の目的は?>知らんね。無いね!
「人は何処から来て何処へ行くのか?」あっち行け!解る訳無いやろ?
と言う事で同じく私も考えた事御座いません、間違った質問題は廃棄です。
 しかしまあ、逆境の時に運命呪う人いますね、そこでその運命を泰然と受け入れるには、やはり超越論的場が必要、とお答えしました。 そうでないと、超越的なものに頼る事になりますから。この違いは重大ですね。 超越・神、宗教ですが、。評価の定まった世界宗教なら、流石にその倫理観とか素晴らしい救いにはなります。でも一神教はどうしても排他的になりがちですね、同じアブラハムを信仰してたものが、。それを避けたければ、哲学が必要となります。宗教批判であり、顕揚でもあるよな。
 それと決定論や計算可能性は、将棋は未だですがチェスのプレーヤーにとっては存在が懸かった大問題だと思いますよ。チャンプがPCに負けましたよね。
<オッカムの剃刀>を哲学にも当て嵌めるのは注意必要です。無論、誰もがなるべく簡単に言おうとはしてますが、クリティカル哲学はそう簡単ではない。自然科学や論理学とは違います。
現象学的還元などのReductionism還元主義、簡潔なモデル作る為には現実の細部・肌理は切り捨てて「こっちに置いといて、」とやります。それで説明できるようになる事態有りますが、大変なモノが忘れられてる事よく有るのです。 鏡像界・想像界・象徴界のモデルはかなり有効でしたがそれで全て説明出来てる気になってる学者未だに居ますね。アンチエディプスはそれへの反旗でしたのに。
 ドゥルーズにはタオイストの手つき泳ぎつき(タオの老僧は逆巻く水流をつかんで河を泳ぎ渡る)、そんな身振りが文章に有ります。ミルプラトーの器官無き体の作り方は、老荘思想タオ(道)からですね。道教の身体修行も長い期間懸かるのと同様、あの哲学も長きに渉る修行法なんです。理想主義というよりも現実的Vitalism生気論。道と同じく本格的には厳しい修行ですね。私も自宅でタオ気功法仙道修行かなりの期間やりました、小周天と言います。台北の町には仙人居ますね結構(笑)。
 道教に出てくる話は殆ど本当です、脚色有っても。何百年生きたとか、分身が同時に離れた処に顕れたとか、。あれは単なる心象や想像(観念)ではないのです。彼らは驚くほど唯物論者で実利主義、笑っちゃう程、。でも残念な事にあれらの奇跡行を、実体(物質)と捉えがちなんです。そこが危ない。
あれは観念でも物質でもない、イマージュなんですね(イメージではないよ(ベルグソン・ドゥルーズによると)。そこが哲学との違いです。重要ですよ! だからそれを厳密に区分けする危急の必要性が有って、オッカムのように簡単には出来ない。ゆえに一見錯綜した論理が連なります。まあ稀有な道は困難(スピノザ)です。 哲学弁護しましたが、私は良く解らないのよトホホ、でも何となく役に立ってますよ!だって不幸でもいつも何故か楽天底抜けなのだもの。
 マルクスが理想主義に見えるのはエンゲルスのせい(お蔭)でしょう(笑)。哲学者としてのマルクスレーニンには驚くべきActuality現代性有りますね。そこを・・主義者は全く解ってない。
主様の絵は既に私有財産では無くなり、でも無論国有でもない。誰がしかの共有財産ですよね? そんな所有形態を「個体所有」と彼は言ったようです。マルクス主義者はその言葉が解らなかった、最近です、言及され始めたのは。 NetCommunism好むと好まざるに係らず、皆既にその恩恵に預かり自ら参加もしてる。フリーライドのコンテンツ山ほど。広告収入以外でも(我々の)膨大な労働と経済効果、換算したら凄い大きさでしょう。資本市場の外ですよ此処。
コミュニズムをどんなに否定しようと既に皆片足踏み入れてますね。ウヨもチュウドーもどんなに暴れてもマルクスの掌の平の上に居た孫悟空みたいなもんです。 それ程優れた哲学の射程は広いのです。  だから読める人は努々疎かにしてはいけないの~! では




 

この回答への補足

そろそろ締め切らせて頂きます。

それほど多い回答数ではありませんでしたが
それぞれ興味深い内容でした。

皆様ご回答ありがとうございました。

補足日時:2013/08/31 19:28
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この回答へのお礼

おお。
今回も熱いですね(笑)

お題に関しては、ひょっとしてもうお気づきかもしれませんが
一応、あいうえお順で立てて行こうかと思ってますので
「運命」は避けられませんでした(笑)
でも、仰る通り、質問を立てるそれ自体が重要ですよね。

後、マルクスやドゥルーズ等は、勿論、読み進めますので期待はしてますが
例えば「器官無き身体」とか非常に胡散臭いんですよね(笑)
それを覆されることを楽しみにしてます(笑)

「オッカムの剃刀」に関しては
確かに、西洋のことわざにもありますように
「風呂の湯と一緒に赤ん坊まで捨てる」ということはありますので
細心の注意が必要だとは思います。

でも、本来、出来る限り無一物に近い状態で生きたい私には
かなり、しんどいことではあります。

例えば、数学なんかだと、どれだけややこしい用語を使ってても
辛抱強く、証明を読めば納得感に至れますが
哲学の場合、本当にそうなのか、強い疑いを持ちます。

それでも、私も哲学から、すでに多くの恩恵を蒙ってますので
読むのは読みます。
スピノザが言う「無限の中で疑いつつ生きる」に近いですが(笑)

ではまた(笑)

お礼日時:2013/08/31 04:58

ボンソワーレ、幻祭だったかのように、


あの夏音楽祭と共に猛暑は去って、些か気も抜けて疲労の中、
ふと俯瞰する時に顕れるのが「運命」への絶対的な直接的意識でしょうか、主体客体も消えた純粋な内在、。
《運命愛amour fatiとは「運命destinは、必然とは違う!」ことを肯定する事》このドゥルーズの言葉、引用してるのは、Eテレ名著番組のアラン幸福論で評判になった、合田正人氏の小論文の中なので、原典は判りませんが、これは良き知らせ、だと思います。
スピノザは自由意志を否定しており、ジルもその流れですから、完全に決定論でありながら必然ではない、という、。解釈難しいけど、偶然と必然の事は多分違う位相の話なのでしょう。
そこで宇宙物理ではどうか? ペンローズ三角形は御存知? エッシャーから学び、又エッシャーの階段の絵に影響を与えたあれです。
それを発展させたペンローズタイル;wikiに出てます:平面を図形タイルの繰り返しで埋めてくヤツで、結晶の原理でもあります。3・4・6角の結晶は有るけど5重対称性を持つタイルの繰り返しは不可能と考えられてた、それをロジャーが見つけてしまった。電気剃刀の刃にも採用され、自然界の結晶にも発見されました。
問題はこの結晶の発展の仕方;タイルの埋め方の法則をアルゴリズムではシュミレート出来ない、チューリングcompletのフローチャートが書けないのです。普通の結晶の成長は隣り合った点で局所的に繰り返されますが、これは一回一回、局所と平行して全体のパターンも俯瞰されてなければならない不思議な現象です。
完全に決定論だけど、原理的に計算不可能なものが有る! ロジャーはゲーデルの決定不能性を敷衍して、脳の意識過程の決定不能性まで広げやがったよ。量子脳理論;茂木健一郎訳解説を今読んでる所です、ワクワクですが、トンデモ扱いもされてるようです。 確率的記述しか出来ない波動関数が収縮reductionする時に意識が生じる、そこで意識の計算不可能性が導入されるらしい。 研究巧く行けば自由意志と運命の問題にも別視点が出来するかもです。
運命には過酷な面があります、ヨブ記や、突然人生が終わる事も、。如何に運命を受け容れるか?
人が運命愛を感得できるのはやはり超越論的領野に於いてではないでしょうか。
ドゥルーズ最後のテキスト;内在:ひとつの生。何を置いてもこれを読んで下さい。2・3ページですから。批評と臨床に入ってるのかな?簡潔にして厳密、いつになく高揚した調子で、消える前の蝋燭の灯りのように、光輝と暖かみに満ちた美しい文章で、感動します、此の世を去る直前にこれだけは言って置こうというニュアンスが有るような、。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~fujika/prev/index63 この方の御説明は的確と思います。…幼子は皆似たり寄ったりで個性など無い、でも人称主体とは無縁の単独性Singlarite特異性がある、笑み一つしかめっ面一つにも、。力強い純粋な力能;痛みや弱さを通じた至福でさえある、ひとつの「内在的生」が乳児の人生を横切りtranscendentalしている。 主客意識の外と言っても超越的transcendentではなく、まして集合的無意識のような想像物ではない、一般性に抽象化され回収されるものではないのです。神秘化された集合的無意識等は西田哲学のようにファシズムを呼び込みますから、この区別は重要です。
一般性ではなく、まさに幼子一人一人の単独性;此性! 超越的実体こそ内在に含まれてる、と言う、。その超越論的領野を意識化する事は原理的に困難ですが、明らかに人の生を横切ってる。そこでこそ運命愛を感じられるでしょう。 私にとっての良き知らせ,はこの至福を巡っての事だと確信してます。神に頼らず、しかし正に最良の宗教の核心を明らかにしてくれる哲学の最良部分です。
皆同じ顔付きのダウン症児童や双子の願を変えて行くのもUne Vie生であり、それが個人的人生La Vieとなるのでしょう。
まあ未だ良く解らんのよー、主様が熟読為さってブログで解題して下さい。 超越論的内在の生、が如何に潜勢しており又、現働化するのか?は、カントとベルクソンを踏まえないと理解出来ないので、ジルとクレール・パルネ『ディアローグ』5章を参照して下さい、これ一番分かり易くしかも元気が出る本だと定評です。 では、あー疲れた!
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

>あの夏音楽祭と共に猛暑は去って

ホント、未曾有の大お祭り騒ぎでしたね。
人生何が起こるか分かりませんね(笑)

こんなお題を立てておきながら
実は、私、決定論であろうが自由意思があろうが
どちらでも良いと思ってるんです。

何故なら、例えば、将棋なんかでも指し手の組み合わせは
人間の能力からすれば、無限と言っても良い訳ですから
世界の未来なんて知りようが無いですからね。
でも、何かに挫折した時に運命を引きあいに出すのは嫌いです。

ただ、ゲーデルが「不完全性定理」を証明してくれたのも
大概、励みになりましたが
ロジャー・ペンローズが原理的に計算不可能なものが有ることを
証明してくれたのなら、それはそれで、随分「悦ばしい知」だと思います。
なにはともあれ、私は興味の赴くままに進むのみですが。

ドゥルーズはボチボチ読み進めてますので楽しみにしてます。
ご紹介のブログも興味深いですが
私もまた「オッカムの剃刀」に深く共感しますので
「現勢化」「潜勢的」等の用語が本当に必要であったのか
いずれ判断したいと思います。

そして、「内在の特異化からなる此性」等には共感を覚えますが
実社会では、「特異化された内在」より
いみじくも、あなたがおっしゃったように
「ファシズム」につながる「陳腐な内在」の方が多いように思います。

ですので、ドゥルーズもまた、プラトン、マルクス等と同じように
一人の理想主義者では無かったのかと推測しています。

でも、人間、なんらかの「理想」を持たないと
どうも元気良く生きられないようですので
私は、すでに、いくつか持ってはいますが
さらに、ストックを増やしたいとは思っています。
それには、明確な知識と技術が是非とも必要ですが
私には全く不足しています(笑)


ではまた(笑)

お礼日時:2013/08/29 22:04

命を運ぶ、舟。

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この回答へのお礼

お~。
詩のようですね。
素晴らしいです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/19 11:38

「運命」と聞いて思いつくのは


持って生まれた性格がその人の内的な運命だと言うことです。
もちろん容姿や才能などもその人の運命を決める要素だと思いますが、
性格的な事柄がその人の運命を引き寄せる上では一番重要な感じがします。
最近よく人間に対して「持ってるね」などと評価しますがまさにそんな感じのことです。
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この回答へのお礼

なるほど。そうですね。
私はコンピュータが出現してから
人間の性格は、コンピュータ・プログラムに似ているなと思っていましたが
良い性格の人は良い運命を引き寄せる行動をしているんでしょうね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/19 05:31

alterd1953さん、こんにちは。



>「運命」と聞いて思い付くことを教えてください。

 ですが・・・自分の言葉を持たぬ浅学の徒は先人の言葉を引くのであった。
 運命とは
『自分に与えられ、約束された情勢の下で作るもので(マルクス) とにかく私を楽しい道を経て、人生の終りまで連れて行ってくれるもの(ラ・ロシュフーコー)』
 どう転んでも
 食うて寝て やがて死ぬのが わが定め
 というわけで、運命とは
『幸運な時にはその存在を忘れ 不運な時には固く信じるもの』
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この回答へのお礼

どうもです(笑)

BGMまでありがとうございます(笑)

マルクスのはさすがに理屈っぽくて分かりにくいですが
後の二つは非常に納得出来ます。

ちょっと違いますが
ここのサイトでも、しょっちゅう
「生きる意味は?」とか「何故、生きるんですか?」とかの質問が立ちますが
私は生まれてこのかた一切考えたことが無いです。
常に「生きる意味と目標」があったからなんですね(笑)

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/18 22:32

因果律による歴史は一つしかない。

未来は既に決まってる。ですかね。
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この回答へのお礼

因果律が正しいとすると当然そうなって来ますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/18 19:55

ドミノ倒しのように,物理計算で成り立った私たちの行動の様子.


その途中経過を把握することで未来を全て見通す神こそがラプラスの悪魔.
一方で,ドミノの出発地点を把握できないことを藁と見立て,その藁にすがり付くように生きる私たち.
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この回答へのお礼

「ラプラスの悪魔」の意味を初めて知りました。
決定論に関する概念なんですね。
一方、不可知に希望を見いだす状態を藁にすがると表現するのは興味深いです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/18 19:25

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