先日、TVでヨーロッパの漁師の特集をやっていたのですが、
タイやマグロ、タコやイカといった日本とそう変わらない魚を捕獲していました。食べ方は、そのまま揚げて食べたり、煮込んでブイヤベースにしたり、といったところが主流のように見えました。
「新鮮なのに、なんで刺身で食べないんだろう」と思いました。
また、東南アジアでは独特の魚醤(発酵)文化がありますが、こちらも生で食べるのはあまり見かけい気がします。焼き魚も乱暴に焦がして焼いたりしていて、日本の炭火で焼く魚のほうが美味しそうに見えました。(一方でバナナの皮の蒸し焼きといった、日本にない料理はありますが)
そこで質問ですが、何故日本では刺身や焼き魚といった、魚の素材をそのまま楽しむような食べ方が発達したのでしょうか?
1.島国で新鮮な魚介が多く、寄生虫の心配も少なめであった点、
2.日本は包丁文化であり、高い刀工技術があり刺身に最適だった点
3.醤油・わさびといった魚介類にあう調味料の発明があった点
など適当に思いつきましたが、実際はどんな感じでしょうか? 私見で結構ですので考えをお聞かせ頂けたら幸いです。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
日本で魚食が発達したのは、島国であることと、牧畜が発達しなかったことが関係あります。
そもそも日本では大陸でみられるような牧畜はまったく発達しませんでした。平安時代には仏教の影響で肉食を禁止していますが、逆をいえば法律で肉食を禁止できるぐらい、肉食は一般的ではなかったということでもあります。
大陸の歴史を見てみると、牧畜は農業と同じ時期に発生し、4大文明の地域には農業と牧畜がいずれも発達しています。
つまり人間の文明の最初から人間の食料は「農産物と牧産物」だったわけです。つまり魚は河川に住む少数民か沿岸にすむ少数民(大陸の内側の圧倒的な人数に比べれば少数)しか食べず、内陸へ運搬もできませんから、魚食が広がることはなかったのです。
イギリスは古い時代から大陸からの移民があり、牧畜の発達した国ですので、日本と同様の島国でも漁業はそれほど発達しなかったのでしょう。
バイキングも牧畜をしながら漁業と交易を行い、必要に応じて略奪などを行っていたので、日本のように漁業しかなかったということはないのです。
ですから日本か文明と接しない未開の民族でないかぎり、人類の食料は野菜・穀物・肉であり、穀物については「小麦文化圏」と「米文化圏」に分かれているのがよく知られてます。
さて日本においては、米の文化圏であり、肉食(つまり牧畜)が根付かなかった唯一の地域だといえます。
どれほど牧畜が根付かなかったかというと、中国の制度輸入(仏教や律令制輸入)のときに肉食を禁止できたこと、宦官を受け入れなかったこと、牡馬の去勢が江戸期まで行われなかったことなどがあります。
宦官とは人間の男性を去勢し、子孫を作れなくする制度です。これは現在でも優等なオスしか交尾させず、優秀な子孫を残す牧畜の方法から発案されたものと言われています。
また江戸期に初めて西洋からやってきたヨーロッパ人は日本人が馬の去勢を知らなかったことに驚きます。牡馬は去勢しないと暴れることがあり、馬車などに使えないぐらい荒さが残ってしまうからです。
日本で馬車の歴史がないのは、馬の去勢を知らずよほど練習しないと馬を制御できないし、もし荷車や旅客車をつけた馬車の馬が暴走すれば大きな被害がでるために、去勢を知らない日本では馬車を作ることができなかったのです。
さて、上記のような理由から日本には「牧畜」がまったく根付かず、それがゆえに魚食になって行きます。もちろん、生魚は海岸沿いでしか食べることができませんが、漁をしてからその日のうちに、50キロ程度までは運ぶことができたようで、これなら関東平野と大阪平野を除くほとんどの地域の平野部で魚を食べることができます。
もちろん、生魚は高価ですので一般的には干物や鮨にしたものが食されていたわけです。
そして京都はさすがに沿岸から遠いため、独特の魚食文化が生まれます。ひとつは鯖街道で知られる若狭湾からの鯖をはじめとした日本海の魚を塩漬けにして食べる文化、そして棒鱈などの保存食をおいしく食べる文化です。
また、広島県の山間部ではワニ料理(鮫料理)というものもあり、鮫の肉は他の魚と違って2週間程度腐らずに保存できるため、これらの山間部でも正月などの祝い事のときにワニの刺身を食べてた、という歴史もあります。
これらの魚を食べることによって、日本人は動物性たんぱく質やカルシウムを絶対量としては足りないながら、補給することができたのです。
この際に多くの人々があこがれたのが「新鮮な魚」です。海外では生魚を食べないように言われますが、実際には漁業に従事している人々は船の上で調理した生魚をよく食べています。
昔は、漁船の上で火を使うことが難しかったので、生で食べたということもあるのでしょうが、新鮮な野菜特にセロリなどのハーブ系の野菜をみじん切りにし、オリーブオイルをかけて刺身と一緒にパンにはさんで食べるのが地中海の漁師料理にあるのですが、漁師ではない人々は「生魚」そのものに拒否反応があるので、観光料理としてはまったく出ないのです。
いずれにしても、魚を食べる人々にとっては新鮮な魚はおいしい、という共通認識があります。肉は有る程度熟成されたもののほうがおいしいという常識がありますので、魚とは違います。
日本人にとっては山間部でも海魚を食べれるように干物などにしてから流通されており、彼らにとっても「新鮮で生で食べられる魚」は憧れだったようです。
ただ、江戸時代になると様相が異なるようになります。江戸に幕府が開かれ、大量の人口を膾炙できるだけの新鮮な魚が目の前の海(東京湾)で手に入るようになるからです。
これにより、それまで特別だった刺身も一気に庶民の口に入るものになります。寿司も現在の形は江戸で生まれた「江戸前寿司」が原型ですが、当時は若い独り者の多い江戸の町で、さっと夕食として屋台で食べるものだったようです。大きさも4倍ぐらいでネタもコハダやアジなどの近海ものを、サッと酢〆にして乗せて食べるファーストフードでしたし、鉄火巻きと呼ばれるマグロ巻きも賭博場(鉄火場)で賭け事をしながら手を汚さずに食べられたから、という説もあるぐらいです。
このようにして、江戸前の魚と寿司が庶民の口に上り、生魚を気軽に食べられるようになったことが、のちのち「刺身」を日本食の代名詞として押し上げる原動力になったと思われます。
さて「刺身はおいしいのに・・」というのはたしかにあるのですが、大陸の人々が肉を食べるのには別の理由もあります。
それは「肉を食べる文化を持たない民族は体が小さい」という理由です。
実際に、ローマ時代のイタリア人の主食はパン(小麦粉)と果実とチーズとオリーブオイルで、肉はほとんど食べなかったようです。少なくとも現在のドイツやフランス人の祖先であるゲルマン人やガリア人のようには食べなかったのです。
そのため、組織だった軍隊で勝てた時代のローマは体が小さくても勝てましたが、ガリア人やゲルマン人が戦い方を学んできた後は、苦戦するようになっていくのです。
当時は戦いに敗れれば、民族消滅もあるような時代ですから「戦争に勝てるからだ」は重要な要素だったのです。魚食が中心では残念ながら体は小さいままです。
そういう点でみえば、最近の若者はまだよいものの、40代以上の男性だと日本人はアジアン人としても背か低いほうです。
もちろん、体が小さいから戦争に負ける、ということではありませんが、体大きいほうが有利であることは事実です)
ということで、大陸に住む多くの民族は肉を食べるのが普通である。魚は補助食品である。
それに対して日本人は肉食をするための放牧を知らなかった(伝わらなかった)ために、肉食が一般的にならず、島国であったので魚食が中心となった。
刺身は昔からおいしいことは知られてたが、流通保存技術がない時代は「刺身」は沿岸部に限られていた。江戸時代になると沿岸部に大都市江戸が作られたため、刺身も一般的なものになり、現在の寿司の原型も生まれた。
ということでしょうか。
日本人は刺身の感覚で肉も生で食べたがりますが、結構危険な食べ方であることは事実です。そのため、肉食が中心な地域では生でたべることはしません。
生で肉を食べない以上、魚を生で食べることもほとんどしなくなり、漁民など日常的に魚を扱うごく少数の人々だけが必要に応じて生食をしています。
No.7
- 回答日時:
前の方がきれいな水など指摘していますがそういうことであり日本民族がきれい好きかどうかでしょ。
だから平均的日本人でない私なんかはわざわざ魚をおろして刺し身なんか面倒臭くてしません。ぐちゃぐちゃで血や内臓が飛散して食い物じゃなくなります。内臓掻き出して適当に火を通した方が手間がかからないわけです。質問者はせっかく生の新鮮な魚をもったいないという視点ですがそれが日本文化なわけです。水の中の生き物(fishes)を生で食うのはゲテモノでしかないのです。
まず魚に価値がない。しかし日本人は有り難いと大切に考える事から始まります。工夫になり技術になり料理になり江戸時代から庶民的になり戦後日常的に普及という事でしょうか。戦前は川魚が多いという時点で現在とは事情が違いますね。鮒やドジョウは刺し身じゃなかったでしょう。
だから刺し身というのはファッション性の料理なんですよ。
これは生のファッションですから、信頼感のある、平和ボケた日本の国内文化でしょう。
フランスの一流シェフが刺し身を衛生的に造ったとしても私は嫌ですね、そういう感情論料理です。
単に食材環境の問題ではなく日本人だからなんです。地理や理科や輸送や技術ではなく
なるほど動物&自然VS人間という対立項で考える欧米県と、道祖神のような融和・自然崇拝の日本では違いますね。日本でも一般的でない魚は外道と考えますしね
No.6
- 回答日時:
日本人と刺身
肉食が少なかったので、その分魚の食い方のバリエーションが増えた。
このへんじゃないですかね。
No.5
- 回答日時:
魚を生で食べるのは、食文化が未発達たったからだろうと私は思います。
きれいな水が豊富だったというのはあるかもしれませんが。アフリカでも東南アジアでもフランスでもいいのですが、地元の普通の人がさばいた生魚を料理として出してきたら、私には食べる自信がありませんw
No.4
- 回答日時:
意外に思うかもしれませんが、生魚を食べる習慣が全国に広がったのは戦後になってからです。
流通の発達と冷蔵庫の普及によるものでした。戦後も流通と冷蔵庫が発達するまでは、新鮮な魚を食べられたのは海沿いの地域の人だけで、ちょっと内陸に入れば魚は干物で食べるのが当たり前でした。
もっというと、戦前の日本人は、米しか食べてなかったんです。明治から大正時代にかけて日本人の国民病として広まったのが脚気です。脚気はビタミンB1の不足でなる病気です。戦前の日本では、毎年1万~3万人が脚気で死んでいたといわれます。脚気で死ぬほどビタミンB1が不足する原因は、白米しか食べないからです。玄米を食べているなら脚気にはなりません。だけど、白米しか食べてないと脚気になっちゃうのです。日本人の米の消費量は、昔は今の倍以上あったんですから、今の倍の量の米を食えといわれたら、おかず食べてる場合じゃないでしょ?
戦前より昔の日本人は、米と味噌汁と野菜くらいしか食べてなかったのです。あと海沿いで魚を食べて、運べる範囲で干物が食べられました。
戦後になって急速にパンを食べるようになり、肉を食べるようになり、生魚を食べるようになったのです。
ちなみに明治時代の脚気対策で、こんな話があります。当時脚気の原因は分からなくて、ヨーロッパではほとんど見られずに日本だけではよく見られたので風土病だと思われていました。だけど江戸時代に経験的に「そばを食べると脚気が治る」といわれてたりしたので、食べ物が原因ではないかともいわれていました。んで、食べ物の違いは何かと注目したらヨーロッパではパンが食べられていて日本では米なので、パンを食べれば脚気にならないのではないかと考えたのが当時の日本海軍。ところが水兵にパンを食べさせようとすると「こんなモンを食うくらいなら死んだ方がましだッ!」という奴が続出。困った海軍が試行錯誤の末にたどり着いたのがカレーライスでした。
ちなみに陸軍は軍医総監であるあの森鴎外先生が細菌原因説に執着したのでそういった対策はとられず、日露戦争などでは兵士の脚気に苦しむことになりました。
だから魚を食べられた人たちはそういう意味では限られていたので、生魚を食べるのが魚を食べる人たちの間では広まっていて、それがそのまま魚の食べ方として全国に、そしてやがて世界に広まっていったというわけです。
生魚を食べるといえば江戸前寿司の影響がとても大きいと思いますが、その名の通り、江戸前寿司は江戸で発生したもので、せっかちな江戸っ子のために考えられたファーストフードです。江戸前寿司が全国に広まったのも戦後の話しで、地方各地でも寿司はありますが、ほとんどが押し寿司のような塩や酢で〆たものです。
ちなみに夏の京料理といえば鱧が有名ですが、鱧が京料理のレシピに加えられたのは、「夏に腐らずに京都まで運べた魚が鱧しかなかったから」に他なりません。しかし鱧というのは小骨が多くてそのままではとても食べられたものではない。だからあの細かい包丁を入れて食べられるようにしたのです。職人の苦労がしのばれますね。
あとふたつ寿司のトリビア。今では高級品になっているトロは腐りやすかったので江戸時代は「猫もそっぽを向く」と食べられていませんでした。最初に食べられたのは大正時代頃だったらしいのですが、一説によると、トロを握りにしたのは仲間内の「罰ゲーム」だったそうです。それで食ってみたら意外に美味いとなって広まったとか。
また、回転寿司の一番人気のサーモンも、発祥は回転寿司からです。今でも回らないお寿司屋さんでは出さないところが珍しくないですよね。サーモンが寿司ネタにならなかったのも、江戸ではとれない鮭は塩漬けにして焼いて食べるのが一般的だったからです。あっ、そういえばイクラって戦前は食べたのかなあ。北海道生まれの婆ちゃんが生きているうちに聞いておけばよかった。
No.3
- 回答日時:
1.島国で新鮮な魚介が多く、寄生虫の心配も少なめであった点、
素材が新鮮というよりも、使われる水が清潔であった、ということの方が重要です。
水質が悪ければ、素材を洗浄する意味がありません。
結局煮沸することになり、同時に素材も煮るほうが安全で簡便です。
清潔で無味無臭の水が潤沢に手に入るというのは地球上でも極めて限られた地域です。
島嶼国では河川が短く真水は潤沢には入手できません。
魚は河川、湖沼、海など身近で潤沢に採取できたのも原因の一つです。
鮭や鰊は季節になれば浅瀬に群れをなして押し寄せてきます。
大型の動物を捕らえるよりも捕獲が容易であったことも原因の一つです。
結果として、新鮮な状態のまま食べていたのだと思います。
冷凍技術のない時代には腐りやすい魚を輸送保存するのは不可能でした。
結果として、水に恵まれない大陸では魚食は発達しなかったのでしょう。
腐敗の恐れが少ない極地地方では動物の肉は生で食べられています。
ハンバーグの元であるハンブルグステーキは生肉を使いました。
日本には動物の肉を生で食べる技術は発達しませんでした。
一頭の動物から得られる肉の量は一度で食べきる以上のものが手にはいりますから、当然保存技術が発達します。
動物の肉を保存処理する過程で生まれた燻製という技術は日本では発達しませんでした。
2.日本は包丁文化であり、高い刀工技術があり刺身に最適だった点
包丁文化は刃物が発達した後からの文化で、むしろ手先が器用だったことによるものでしょう。
動物の肉のように纏まった肉が手に入りにくい魚(骨、小骨が多い)を処理するのには欠かせない技量です。
石器でも材質と製作技術次第で刺身は作れます。
>焼き魚も乱暴に焦がして焼いたりしていて
小骨の多い小型の魚を焼く場合と、肉の多い大型の魚を焼くのとでは火の通りが違います。
大型のものを焼いて火が通るようにするには、表面が炭化するまで焼く必要があります。
この必要性と、動物の肉を焼く際技術が取り入れられた取り扱い方法が、日本人の目には乱暴に見えるのでしょう。
3.醤油・わさびといった魚介類にあう調味料の発明があった点
むしろ、逆です。
魚を賞味するために取捨選択された結果として醤油やわさびが定着しました。
複数の野菜類を煮詰めてつくるソースの類は動物の肉の味覚には合いますが、魚には合いません。
調味料はあくまでも食材に対して発達しました。
臭気の強い動物の肉の臭いを消すために香辛料が発達しました。
No.2
- 回答日時:
歴史的、科学的な根拠はまったくありません。
日本人のDNAに、素材をよりおいしく食べようとする創意工夫の精神が宿っているのでは、と思います。
魚介類が捕れる場所は世界中にありますが、手間を掛けるということでは、世界トップクラスでしょう。
また、火を通せば病気にならない、ということは世界共通であったとしても、生でということになると、日本は希有の存在でしょう。
魚がうまかったんだと思いますよ。
まあ、フグなんかはどれだけの人が死んだか分からないですが、それでも調理法が確立したというのは、やはりフグがうまかった、以外に考えられません。
「とにかく火を通す」で止まってしまったのとは逆に「火を通さなくてもうまいものはうまい」と考えるのとでは、その後の食文化は大きく違ってきますから。
今や世界中の人達が、日本の刺身はうまいって言ってるわけですから、日本人だけの味覚ではないですしね。
No.1
- 回答日時:
4.わさびと言えば日本ですが、
わさびに殺菌効果があることに、気がついた。
5.すべての人が、火を使う調理器具(かまどなど)
を持っていなかった。
6.体が丈夫だったので、生で食べても大丈夫。
いや、むしろ生のほうが、栄養があることに
気がついた。
エスキモーが、生肉を食べる理由に似ていると思います。
それと、生魚といえば朝鮮半島もそうですが、
たとえば韓国の刺身(フェ)とは、なにか違うような気がします。
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