【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

ある人のブログからの引用ですが、明治38年8月9日の記事です。

「日本に桂太郎とよぶ男がある、其の官職は陸軍大将総理大臣で、古の大臣大将で位人臣を極めてゐるが、個人としては実に鼻下の寸尺ののびすぎた人種と見え、聖天子上に国事を軫念し給ひ、数十万の生霊征戦に困苦しつゝあるに拘はらず、身分柄も辨へずに竟に数千金(或は数万金)を投じて新橋の醜業婦照近江のお鯉なるものを購ふた。人身売買は日本法令の禁ずる処であるのに、桂太郎は黄金で醜業婦を買つたのだ、実に呆れた始末でないか。」

日露戦争のさなかに内閣総理大臣・桂太郎がお鯉という名の妾をもったという話で、実話です。
このような内容の記事を何のお咎めもなく掲載できたのは何故ですか。
ジャーナリズムが強かったのか、それとも売れりゃいいので過激に書いたのか、あるいは桂太郎はこの程度の内容であれば“言わしておけ、捨ておけ”くらいの度量があったのでしょうか。

東京における萬朝報の1904年10月の発行部数は16万部で、報知新聞14万部を押さえて1位ですから、決してちっぽけな新聞ではありません。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

後期高齢者です。



今時の新聞社の概念で考えるからおかしくなります。
黒岩涙香の作った会社ですね、よろず重宝から付けた名前。(^^)

その昔、新聞記者は羽織ゴロ(ごろつき)と云われ、世間一般から見れば無頼の徒。

給料は無く新聞社の名前の入った名詞をくれる。
其れを持って街中で羽振りの良い商店などを訪ねて名刺を出すと金をくれる(口止めと書いてほしいと両方あったそうです)

萬朝報と云うのは世間で云うゴシップ、醜聞記事、など一般の商店主などの妾の名前や家族名などあらゆる物を載せて其れを売り物にしたもので、今の概念で言う処の新聞では有りません。

その上、涙香の書いた小説を連載してましたから良く売れたと思いますね。

男に甲斐性さえあれば妾を権妻と称し一つ家に住まわせてもかまわない(同じ家に正妻と妾が同居しても構わないと言う法)と云う法律まであったそうで、世間も別に其れを不信の目で見ることも無い世の中でした。

遊女や女郎を妻にする事(教養があった為、店の存続の為にも万金を積んで身請けした。身請けする時の芸者の年齢は大体20歳位、25歳ではもう薹の立った姥桜ですから)も江戸時代から大きな商家の主が争って行っていた訳ですから明治になっても其れが不思議な事でも何でも無いのです。

今時のタレントや映画俳優や歌手のブロマイドに相当するものは当時全て芸者のブロマイドでしたから、芸者を権妻にしたり、別宅に囲ったりしても誰も何も言いません。

ましてや桂太郎が芸者を一人二人囲ったりしたのを羨ましくは思っても非難する人たちは皆無でしょう。

其れを面白おかしく報じることで世間の野次馬根性を満足させて金儲けが出来るという程度の赤新聞(この手の新聞と称するものは一時深紅の紙を使ったから)ですから、政府の要人とて其れを咎め立てはしません。

うちの婆さん(慶応3年生まれ)も時折見てましたから良く知ってますがあれは今で言う新聞ですかね?

私が5歳の時に廃刊になりました。

当時の新聞と称するものは面白おかしく世間で起こった事を羅列しただけのものです。

真面目な物もありましたがそう云うものは読者が少なく廃刊の憂き目。

興味をお持ちなら「生方敏郎」(家内の父親の友達だったようです)の「明治大正見聞史」を一読される事をお勧めします。

乃木大将殉死時の各新聞記者の態度なんて酷いものです。

まあ今でも変わりないですけれどね、記事など見ていると、偏見と欺瞞に満ち溢れて居て、何処の国の新聞だろうか?・・と。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>今時の新聞社の概念で考えるからおかしくなります。
>萬朝報と云うのは世間で云うゴシップ、醜聞記事、など一般の商店主などの妾の名前や家族名などあらゆる物を載せて其れを売り物にしたもので、今の概念で言う処の新聞では有りません。

なるほど、そういうわけで、少々過激に書いて売れさえすればよい、ということですね。

>その昔、新聞記者は羽織ゴロ(ごろつき)と云われ、世間一般から見れば無頼の徒。

しかし、明治38年(1905年)当時でもそんな状況だったのでしょうか。
幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三、石川三四郎などのリベラルな記者が明治36年まで朝報社に在籍していました。

また、「男に甲斐性さえあれば妾を権妻と称し一つ家に住まわせてもかまわない(同じ家に正妻と妾が同居しても構わないと言う法)と云う法律まであったそうで」ということですが、明治15年1月から施行された旧刑法(明治13年7月公布、太政官第36号布告)では、妾に関する条項はすべて削除され、これ以後、法規定上での妾は消滅したはずです。
もちろんその後も、現実の社会には多くの「お妾さん」が存在し続けていたのも事実です。
桂太郎も公然と妾をもったその一人ですが、萬朝報が「今の概念で言う処の新聞ではない」としても、よくこのような記事が書けたものと思いました。

お礼日時:2013/12/22 20:17

 別に不思議でもなんでもない。


 あの頃の新聞はなんでもあり。(エロ・グロ・ナンセンス)
 たとえば「わが軍~万人が~港に上陸」などという、いまでは軍事機密まで垂れ流していた。
 (ベトナム戦争時のアメリカ軍みたいな感じ。そのあと規制が少しづつ厳しくなった。)

 そういった国家レベルに比べれば、個人の妾の話などどうってことはない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!そういうことですか。納得。
政談も性談も明治人は肝っ玉が大きい。

お礼日時:2013/12/23 20:04

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