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49日法要まであまり泣くと故人が心配して良い所へ行けない
と聞いたことがありますが、そうなのでしょうか?

A 回答 (5件)

こんにちわ。



個人的には“成仏できない。”というのとは少し違う様に思いますね。
そして、推測にすぎないのですが、余りの悲しさに耐えきれず、号泣したり/泣き崩れているのをみて毎日こんな状態では身体が持たない/参ってしまう/と考えた結果のものだと思いますね。

いくら泣いても、もう「戻っては来れないところに行ったんだよ。」と分かってもらう為の/悟ってもらう為の/そうした遺族に充てた「意識的な観念」ではないかと思われます。

泣いている人に向かって「もう泣くな!。」といったところで納まる訳は無いですよね。
なので、いつまでも泣いているのを見たら「故人はもっと悲しいおもいをしているんだよ。」と言って挙げる事により、「もう、泣くのはよそう。」とした“心”の働き(意識の変化)を狙ったものではなかったかと思われます。

そうした姿をみて哀れんだ末の“考慮”だったのかもしれないですよね。
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仏教的な意味合いは、他の方が詳しく書いているので割愛しますが、お葬式をあげた後になると、「本当にいないのだ」と言う実感がひしひしとのしかかってきて、同時に寂しさが襲いかかってきます。

泣いて過ごす人も多いことでしょう。

このため、泣いても亡くなった方は戻らない、泣いてばかりいてちゃんとした生活を送れないというのでは、今現在を生きている人が参ってしまうため、区切りである49日を使い、立ち直るためのキッカケを作っているのではないかと思われます。

泣いている対象の故人がちゃんと成仏できなければ困る、と感じますものね。どんなに哀しくても。
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仏教のことは、それほど詳しいわけではありません。


只お寺の方丈様と話す機会が多く色々耳学問で
聞いたことがありました。

亡くなった方は 既に「仏様」 になられました。
仏とは真理に目覚めた人という意味ですので、
仏様は迷うことはありません。迷い悩むのは
生きている我々だと。。。

ですから、故人は行く道は迷うこと無く歩んで参ります。
そして迷い人、悩み人である我々を見守って下さって居ます。
それを往生というのだそうです。
即ち、「往って生まれる」という意味ですから、
阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
大安心大満足の身となって、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、
阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれかわることだそうで

故人が悩んだり心配したりする事は無いそうです。
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故人は、亡くなった日から7日毎に、生前の功徳に対する裁判を受け、49日目に閻魔大王によって最終的な審判が下されます。


従って、その7日毎の裁判が良い結果を得られるように法要を営みます。
(初七日、二七日、三七日、四七日、伍七日、六七日、七七日)

で、四十九日で、それまでの法要の結果、故人が極楽浄土へ向かえると決まるのです。

四十九日までに泣いてばかりいると、十分な法要ができず、7日毎の裁判に悪影響を及ぼすということでしょう。
この間は、ひたすら故人の冥福を祈り、霊を慰める、ということですね。

まあ、亡くなったことだけに囚われていると、心身ともに衰弱して前に進めなくなってしまうから、ということもあるのかもしれませんが。


>そうなのでしょうか?

信じるかどうかは人それぞれです。
浄土真宗ではこのようには考えていませんし・・・。
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阿弥陀仏に帰依すれば、49日をまたず、


自力でなく、阿弥陀様の他力本願の力で、
死亡した、その日の内に、浄土に行き成仏させていただけるので、
心配いりません。(浄土真宗)

自力成仏目指すときは、悟り開いて涅槃に行くまでは、
故人の心の状態で、どこへ、転生するか決まります。
いずれにしても、他人が泣いても笑っても、個人の行き先が
左右されることは、ありません\(^^;)...
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