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共産主義もお金は使いました 電子マネーも無くなるわけではありません

しかし漠然とですが 理想的な世界が実現するなら お金もなくなりはしないかと思います

しかしすぐには無理でしょうけど

無くすとしたら何時頃 どのようにして無くなるでしょうか

出来れば分かりやすく簡潔に意見を聞かせて頂ければ嬉しいです。

どうかよろしくお願いします。

A 回答 (8件)

僕は実際に、お金の価値がない場所(ヒマラヤ山中の


ブータンの、更に首都からバスで3日)に3年間暮した
ので、「実現しますか」と聞かれると笑ってしまいますが。
住んでいたカンルンには、バス停の所にホコリをかぶった
インド製品の雑貨屋と郵便局があるだけで、ブータン人に
とって、ブータン人にとって、つまらないニュースだけの
ラジオの電池か、たまに県庁所在地に出かけるバス代ぐら
いしか、お金の使い道はない。
彼らは坊主と役人以外は農民で、衣食住(住宅は農閑期に
村人が順に建て替える。下の写真)とも自給自足なので、
お金を必要としないのだ。
だから、農民ではない僕が野菜を調達しようと(皆んな
農民なので八百屋がない)、田んぼで「これを売ってくれ」
と言うと、必ずタダでくれお金を固辞するばかりか、自宅
に招いて食事をごちそうしてくれる事も多かった(たぶん
僕が食料に困っていると同情された)。

彼らの自給自足が破れているのは、冬に山から降りてくる
遊牧民のチーズやバターと農産物を物々交換する時のみで
あるが、それにより例えば中国のような平地では仲が悪い
遊牧民と農耕民が、高山植物を好むヤクの遊牧民と、温暖
な中腹でしか育たないジャポニカ米の農耕民が、互いに助
け合うという稀有な複合文化が数百年根付いているのだ。
この物々交換が、更に多様な分業化をして、大量生産に
よって流通も広がるにつれ、そうした“助け合い”的な
センスによる物々交換ではなく、お金という物体に交換
価値を託したため、消費者を助けるために作るのでもなけ
れば、生産者に感謝して受け取るのでもなく、ただお金と
いう物体を、騙しても盗んでも手に入れれば、汗水流して
人の役に立って得たお金と全く同じ価値を持つ。

要するに、「同じ価値」を持たないようにすれば良いのだ。
分業の複雑化と市場の拡大により、根源的な助け合いの
事実が見えなくなり、目先のお金を欲しがる事で他律的に
社会行動をとらされる(お金をもらうためにイヤイヤ働く)
ようになったものを、そうした助け合い=自己の生命の
社会的拡張を把握できる認識を育てる事で、自律的に社会
行動をとれるようになり、お金や出世といった“馬車馬の
目の前のニンジン”は不要になるのだ。
人が生きるのは、お金や物欲のためではなく、精神的充足
の最大化のためであり、そのような自己存在の本質に根差
した意志の、深い認識における達成の把握は、最大充足を
可能にする。

以前は、そうした「認識の深まり」だけで何とかならない
かと思っていたが、その後のIT化において、認識の側から
の社会性への拡張だけでない、社会や物体の側からの認識
への社会性の誘引が可能になっている(多少楽になった)。
インターネットと個人端末、国民総背番号制、オンライン
マネー化によって貨幣を廃止し、泥棒も汚職、不正蓄財も
不可能になる。
給料も徴税、福祉、社会保障も、同じ帳簿上に1本化され、
更に商品タグにつけられたICチップを個人端末で読み取る
事で、例えば赤ん坊のいる家庭は粉ミルクが安くなる、更
に貯金が少なければタダになるといった具合に、個人的な
条件によって物価が変動する、個人変動相場制が可能になり、
そこに徴税(累進課税)や社会保障なども一括される事で、
政治家のポケットマネーとして税金を集めた後で、社会保障
などに配分するという、利権や癒着だらけの迂回路を経ずに
(福祉税とか言っておいていつの間にか公共事業に回されず)、
明快な計算式に基づいた自動的な支出にできる。
もちろん多様な条件を「明快に」割り切ろうとすると、誤差
も出るが、それは運用しながら補正していけば良く、少なく
とも「不明瞭だから、不明瞭な政治家や官僚に差配させよう」
というのは、主客転倒である。
そうして、需給をつなぐ情報=社会生命としての人類の血流
であったお金が、その物質性ゆえにマネーゲームに鬱血して
いたのを、再び情報に還元する事で、人の意識に社会情報を
還流させる双方向のものにできる。
「お金のない社会は実現しますか?」の回答画像5
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この回答へのお礼

くわしくありがとうございます。

成る程と思いますねえ。

お礼日時:2014/03/02 15:06

パンにみに生きるにあらずという言葉が皆分かれば。


そう、パンを無くせばいいのか。
知を得るは難しい。
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この回答へのお礼

お金もうまく使えば良いのでしょうね

未だに人間はお金の使い方が分かってないのかもですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:18

お金は、流通手段としては非常に便利ですので、お金がない世界は理想的とは言えません。


いわんとしているのは、お金が持つ問題点であると類推します。
そして、おそらくその問題点は解決できます。

問題点の一つ目は「資本主義」です。
二つ目は「利子」であり、三つ目はそれに付随する「銀行システム」です。

結論から述べると、この三つを解決するには、、
世界の資本主義から民主社会主義への緩やかな移行。中央銀行制度の廃止。金との兌換再開、もしくは紙幣の減価制度の導入。
という点が考えられます。
ただし、世界で最も権力を持っている支配者層との戦いであり、彼らは三世紀近い時間をかけて構築したシステムなので、世界的な革命を起こさない限りは、三世紀以上をかけないと実現できないと思われます。

以下詳細述べます。
「資本主義」は、平たく言えば、金を使って金を増やすことを至上目的とするという主義です。
資本主義を選択した時点で、グローバル化と二極化は決定します。資本を増やすための手段として国境は邪魔ですし、区によって税率、労働資本コストが変われば、安いところに行くのは必然となります。
そして、コスト圧縮によって生まれた利潤は、規模が大きくなればなるほどのその経済性が発揮されますので、やがて市場の寡占化、独占化を生みます。そして、当然企業が利潤を上げることを目的とするならば、コストとなる給与などには還元されなくなるのが当然であり、今の日本が企業の利潤が回復する中で、給与のも上がらないというのも必然です。
これを変えるには、社会主義に代わる必要があります。社会主義は、本来は市場への介入や福祉体制を強めることで、現在の北欧のような状態です。まずは全体の所得を平均化することが必要で、そのあとで社会福祉の充実を図る方向が必要です。

「利子」は、まずそれ自体が無から生まれているものです。100万円貸して、110万円返して、という理論は、もし経済規模が変わらなければ、必ず10万円の損失をどこかの生じさせるという点で問題があります。この問題は、古代から認識されていたため、ギリシアの哲人も宗教でも禁止をされていました。
利子が存在することは、すなわち経済規模を膨張させ続けなければ、必ず損失を生んでしまうという罠にはまることになります。
特に問題となるのは、複利です。全体ではなく、一年ごとに利息がかかる計算では、雪だるま式に増えてしまいますが、現在の利子制度は、基本的には複利で計算されています。
まずは貸し出し時の複利の禁止が良いですね。

そして、これをもとにさらなる問題をはらむのは、銀行です。
銀行システム、と敢えて言っているのは、ここには信用創造の問題、中央銀行の問題、不換紙幣の問題が含まれているからです。
信用創造は、まさに世紀のペテンで、人の金を元手に、それ以上にお金を創造して利子を取るという仕組みです。
また、中央銀行は、現在先進国はどこも国債を発行して中央銀行が買い取る形で紙幣を刷ります。当然国債は利子がついており、その返済は税金でなされますが、おかしいのは、通貨発行権は本来国が持っている権利なのに、中央銀行に預けています。中央銀行は通貨安定をさせるための金融政策をとることになっていますが、バブル崩壊を演出したり、景気回復時にすぐに利上げして景気後退を促したりと、機能していないことは歴史を振り返ればわかりますが、誰の意図か、是正されません。
まずはこの廃止からでしょうね。

そして、最も問題なのは、不換紙幣の問題。
お金が暴走を始めたのは、実はここ数十年で、それはひとえに金との兌換停止にあります。
今までお金は銀行が信用創造しようにも、金との兌換が義務付けられていたので、物理的な価値を有していました。ところが、1971年のニクソンショックでブレトン・ウッズ体制が集結し、金との兌換を必要としない世界となりました。
ここから、紙幣は、物理的な価値の裏付けのなんらない紙切れとなり、いくらでも刷れるようになったのです。これがきっかけで、金融は現実とかい離したバーチャルな世界へと変わりました。
なので、一度お金の物理的裏付けを実施させるようにする必要がありますが、現在の通貨の流通量は、とても物理的に裏付けができませんので、もう一つの手段として、減価させるという手段があります。
お金は価値が変わらないという不自然なものです。すべてのものは価値が減っていきます。それをお金にも当てはめることで、流通の促進ができて、まんべんなくお金がいきわたることになりますので所得の平準化を促しやすくなります。
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この回答へのお礼

確かに資本主義には問題がありますねえ

資本主義という主義は人間が考えたのではないのでは?

お金を使ってるうちに自然いそうなてしまったのではないでしょうか

利子で儲ける銀行は 確かに生産的じゃないですねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:27

自給自足ならお金は要りませんが、ニュースを聞くためのラジオを作ったり、隣村に行くバスを作ったりするのにはお金が必要ですから、おカネの無い世界はやってこないと思います。

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この回答へのお礼

成る程 そうかもしれませんね


どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:29

>理想的な世界が実現するなら お金もなくなりはしないかと思います


天国や極楽にはお金はありません。
欲しい物や必要な物は身の廻りにあります。
但し、そこに居る人達は欲というものがありませんから、欲しいとも思いません。
死ぬこともありませんから食べる必要もありません。
病気の心配もありません。
暑くも寒くもありませんから、着物の心配もいりません
楽しいこと?
楽しいとか、楽しくない、というのは欲があるから出て来る心の働きです
欲がないから、楽しいことも楽しくないこともありません。
こんな世界で宜しいでしょうか?

仏様のおられる世界には時間もありません。
だからこそ、何百年たっても同じお姿で人間世界に現れます。

朝起きたら母親が作ってくれた朝飯があり、昼になれば昼飯も出て来る
着るもの、使うもの、欲しいものは父親が買ってくれる。
遊びにいきたければ、小遣いを貰える
ボーとパソコンをいじっていても誰も文句を言わない。
これは天国や極楽に近い生活ではありませんかね~

飯は作ってくれる人がいるから喰えます。
材料と道具とガスや電気があるから作れます。
どこかに、材料や道具やガスや電気を作ってくれる人がいるからこの世に存在します
作ったものを運んでくれる人がいるから手元に届きます。
これを全部他人にやらせていた社会が昔ありました、
働いていた人を奴隷と呼んでいます。
こんな世界でもいいですかね。

禅坊主も、托鉢で食い物を施してくれる人がいるから修業が続けられます。
修道院の尼さんも、寄付してくれる人がいるから聖書を読んでいれます。

全部ロボットにやらせてスーパーコンピューターで管理する?
どの程度の数のロボットとコンピューターが必要ですかね~
早い話しが人間などという面倒くさいものがいなくなればもっと簡単なシステムで済みます
人間やめますか?
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この回答へのお礼

人間は辞めたくないですねえ お金を大切に使いたいと思います

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:32

“理想的な世界”というモノがどの様な世界かで議論が分かれるところでしょう。



しかし身も蓋も無い事を言ってしまうと、現実社会では実現不可能でしょうねぇ。

お金と言うものは本質的に蓄財と流通の為に存在し、その原初の形は「穀物」に象徴されます。

農耕の開始までの社会では食料の蓄積は難しく、そもそもが収穫の為に消費するカロリーと獲得カロリーのバランスがギリギリでした。

それが農耕により始めて安定的に一年の計画を立てられるようになり、それに基づいてインフラの整備なども出来る様になりました。

そして一日の労働の対価として、一日分の食料を支給する形が完成したのです。


つまり生活の安定を理想とすれば、「金」は手放せず、無欲を理想とする場合は、一日中食料を探し回り、「飢え」と共にある生活を選ばなければいけないと言えるかもしれません。


人間が本質的に蓄財をする理由は、「明日」に病気や天災等の不安があるからです。

この世で生きていて、この人間の社会を維持する限りは、「金」は手放す事は難しいでしょう。
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この回答へのお礼

成る程 お金を手放すのは大変そうですねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:39

自給自足の社会ならお金はいりません。


だから、無人島で一人で生活している分には
お金は無くなるでしょう。

それから、物々交換で自足出来る社会も
お金は不要です。

しかし、物々交換は非常に効率が悪い訳です。
米を作っている人が肉を手に入れるためには、
肉を持ち、かつ米を欲しがっている人を
探さねばなりません。

しかも、米や肉は品質の差が大きく、これまた
非効率に拍車をかけます。

こんなことをやっていたのでは、生産に専念出来ません
から、生産量は上がりません。
また、専門家も育ちません。

かくして、西洋では麦、日本では米が物々交換を
媒介するモノとして利用され、それが発達して
貨幣になった訳です。

貨幣が発明されたお陰で、分業化、専門化が可能に
なり、経済が発達して、人類が地にあふれるほど
繁栄できたのです。

そういう段階になった人類が貨幣を不要とする
社会はどんなものか。

欲しいモノが、それがどんなものであれ、
いつでもどこでも、誰もが努力しないで
手に入るような社会になれば、お金も不要に
なります。

そういう社会になればお金も無くなるでしょう。

しかし、それが理想的であるかは別問題です。


”無くすとしたら何時頃 どのようにして無くなるでしょうか”
    ↑
生産活動は、総てロボットなどがやり、
欲しいモノが無限に生産されるような社会です。

モノには土地も含まれます。
無限の広さの土地を誰もが欲しがって、その欲求を
総て満たせる社会、というのはちょっと想像できません。

モノには人間も含まれるでしょう。
クローン人間でも大量生産しますか。


”理想的な世界が実現するなら”
   ↑
欲望を無限に満たせる世界が理想でしょうか。
そんな世界になったら、人類の発展は停滞し
地獄の底まで堕落することになりませんか。

 
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この回答へのお礼

欲望を無限に満たせるのは中庸ではありませんが

人権が守られる世界がいい世界なのではないでしょうか?

どうもありがとうございます☆

お礼日時:2014/02/02 18:16

理想的とは言えない社会でしたが、今から35年ほど前に貨幣を廃止して原始共産制に移行した国があります。

クメール・ルージュが支配したカンプチア人民共和国(カンボジア)です。しかし、苛烈な原始共産主義のもとで大虐殺が行われ国民の100万人以上が殺されたと考えられています。

クメール・ルージュが最初からこのような暴虐を行おうと考えていたのか、(毛沢東の大躍進政策や金日成の千里馬運動のような)理想と現実の極端な乖離が産んでしまった結果なのか回答者には判断できません。

そもそも、理想的な社会というのがどんなものかわかりませんよね。多くの作家や思想家が思考実験の結果として社会の行き着く果てにディストピアを描いているように、本当に理想的な社会を現在の私たちが思い描くことは出来ないのかも知れません。
かつては北朝鮮が左翼思想家によって理想の社会、この世の天国と喧伝されていました。プロパガンダもあったのでしょうが、彼らは結構本気で信じていたようです。それを思うと暗澹とした気持ちになります。
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この回答へのお礼

絵に描いた餅ほど恐ろしいものはないのでしょうねえ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/02/02 18:41

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