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日本でアクション映画の制作が極端に少ないと思います。
近年では、SP等の映画がありますが、規模にしては小さいです。
アメリカではホワイトハウスや、軍事基地が爆破される映画が多く公開されています。(トランスフォーマー、ホワイトハウスダウン、エンドオブホワイトハウス)日本ではそれに類似した映画、皇居や首相官邸、自衛隊基地が襲撃、破壊される、それに対して各人物が孤軍奮闘する映画、または今の情勢に鑑みて、北朝鮮や中国が日本の各都市を制圧し、市民が反撃する映画、アメリカでは(レッドダウン)このような脚本、日本映画に近年出会ったことがありません。
莫大な予算で作ったとされるSF映画、ガッチャマン、宇宙戦艦ヤマトでさえ、登場人物の現実性の欠如に、予算の無駄遣いがみうけられます。
よく著名人がハリウッド映画に対して今世紀見事な脚本と演出、魂揺さぶる感動と、ハリウッド映画を絶賛していますが、ならば誰もがあちらに対抗しうる映画を作成しようと考えないのか?そして、テレビ局が映画を制作する現状を打開しないのか?
アメリカではテレビ局が映画を制作するなど聞いたことがありません。
必ず映画スタジオ、ワーナー、20世紀スタジオ、パラマウント等が作ります。アメリカでは芸能人のCM出演もあまりありません。映画俳優は映画撮影、芸人はテレビとして分かれているのがあるまじき姿だと言えます。アイドルたちの俳優進出や、それに対して興行収入を得ようとするテレビ局が、日本映画を堕落に導いているのではと考えます。

A 回答 (6件)

>>日本でアクション映画の制作が極端に少ないと思います。



その理由は、

・アクション映画に必須の銃器が十分に使えない。実銃を改造したステージガンが無い。空砲用の弾薬が使えない。
・公共の場所でのアクション物の撮影許可が出にくい。
・火薬を十分に使えない。
・世界上映を念頭にした洋画のような予算が組みにくい。

押井監督のアニメ「攻殻機動隊」には、さまざまな銃器が登場します。アニメですから絵は自由に描けるとしても、リアル感を出すには、やはり実銃での射撃シーンを知らないと描けませんし、その発砲音の再現も難しいといいます。
ですから、数秒のシーンを描くために、海外での実銃を使ってロケを行っているそうです。
監督が銃器に特別のこだわりがあるからできることでしょうね。

なお実写の映画でも、海外のアクション映画であれば、出演者たちは、実弾による射撃訓練とプロによる指導を受けて、銃の扱いに慣れておくそうです。
007の映画で、受け取ったワルサーPPK/Sを手にして、装填の有無を確認する短いシーンを観ると「ああ、この人は銃器に慣れている人だなあ」なんて思ったりしますからね。

ちなみに、海外ドラマで、登場人物が犯人を射撃するシーンを見ますけど、実際の射撃競技会で見るのと同じような射撃速度で撃っていて「あのスピードでの射撃は、実弾を使ってないとしても、凄いなあ。」なんて思うことがあります。

まあ、海外の特殊部隊は、走りながらマシンガンを撃って、それでも頭部に着弾を集中させるといいます。

やはり、銃器に縁が遠い国では、アクション映画は難しいってことでしょう。
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No.3 です



>>日本が占領され、それにある人たちが奮闘して奪還、
というものなら「ファイナル・ジャッジメント」があったと思います
とある宗教団体が作った映画ですね。

あの映画は、私もエキストラとして寒い中、ロケ地だった震災後の福島に行って参加したんです。
監督は「今は秋の設定だから、冬にみえるものは全部脱いで!」なんて指示されました。

あの映画で侵略側の使っていた銃って、M-16のモデルガンでしたが、「なんで米軍側の銃を登場させるんだ?」とか、ボルトフォワードアシストが、MGCモデルガン独特の形状のものがあったり、銃身が曲がっていたり、射撃したときに空薬莢が飛ばないなど、ちょいガッカリものでした・・・。

それから、似たようなストーリで、アニメ「神秘の法」も作成していますね。こっちも、世界展開を考えて、流れる血を赤で表現できないといった制限があったようです。

どっちも、みる人が見れば、侵略国家として中国を想定しているのは明らかなんです。
だから、そういうストーリが問題とされて、それまで使えていた東宝系の映画館が利用できず、日活系で公開することになったため、地方では使える映画館が無く、公民館などを借りて上映することになるところも出ました。

また「日本が占領された後の、日本人への弾圧シーンをもっとリアルに描かないのか?」なんて意見もあったのですけど、現状のものでも、子供が泣いちゃったので、きちんと作ったらR-18になってしまう。だから、ゆるーい感じで作ったそうです。

まあ、いずれにしても日本でリアル感のあるストーリでアクション物を作るのは、難しいってことでしょう。

これを書いていたとき、ちょうど「ネイビーシールズ」を見ていました。
現役のシールズ隊員と家族が登場し、本物の兵器、本物の戦術、そして実弾を使った映画は違います。実弾を使う撮影なんて、武器の素人だと、危なくてできなかったでしょうね。
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やはり他の方のいうような予算や場所やそういったことだと思いますが



質問者さんは「大規模映画」としていますが

例として挙げてるのはリアルなテロや紛争、ってことですかね。

爆発の派手さとかそういったものではなく…

予算やセットやそういった壁に日本は特撮やアニメという方向に行ったんじゃないかと思います。
日本が占領され、それにある人たちが奮闘して奪還、
というものなら「ファイナル・ジャッジメント」があったと思います
とある宗教団体が作った映画ですね。

自衛隊が全面協力してあれこれやった映画だと
「亡国のイージス」とかもあったと思います。

具体的な仮想敵国を出すのは、この国では難しいでしょう。

それは非常に窮屈で、不自由な問題であると同時に
それはある意味日本の良さでもあると思います。

私はむしろ、ハリウッド映画に「うーん、日本なら特撮やアニメ程度の内容だなぁ」
と思ってしまいますし

脚本に至っても、こちらのものをリメイクしたりも結構ありますよね。

そういえば機動警察パトレイバーのpart2はリアルに描かれた東京を
自衛隊機が破壊していくさまはなかなか哀愁あってリアルでした。

あと、リアルタイムで戦争したり、しようとしていたりという国では
そういった戦いへの意識を高揚させるような映画が多くなるのは自然だと思いますし
同じようなものを日本で作ったら国内でもそれほど受けるかわかりませんし
まして、世界でじゃあアメリカで対抗しうるかというと日本の国際的立場を考えると
非常に危険な傾向とされて、商業的にも売れないと思います。

アイドルたちの問題はまた別で
映画に限らず深刻だと思いますよ。

必ずしもテレビと映画の間に格やすみわけが必要とも限りませんが
やはり、映画向きの演技、ドラマ向け、舞台芝居向けの人
ただただ表現するという一点で優れておりなんでもできる人、いると思います。

でもどうしても有名なだけのアイドルを起用するのは確実な客足が望めたり
そのためのスポンサーの付きやすさなどがあると思います。

お茶の間に受ける知名度、アイドルがもてはやされるのはすべてにおいて問題だと思います。
日本では、純粋な技術よりも「知ってる人が活躍する」方がうれしいというのもあるかと思います。

今オリンピック報道でも選手の心境や人生に隠されたドラマをやたら掘り下げます
その人物を理解し、良く知って応援する、という。
テレビで見ていてその人の好物や悩みを知っていても、採点基準はよく知らないまま観戦、というのも
あり得ることだと思います
福原愛は知っていても、卓球女子の日本一は知らない人も多いでしょう。
ヴァイオリニストに高島智佐子を挙げ、五嶋みどりを知らない人もいますし
なぜか草刈民世は知っていても、吉田都は知らない、という現象が起きます。

本格的なもの、高い技術よりもよく知っている名前、顔
繰り返し語られるその人のドラマ。のエンターテイメントになってるのが問題だと思います。

この問題は今回の詐欺作曲家にもつながってるかもしれませんね。

ただ逆に言うと日本は「そういうものを望むところがある」というのがあると思います。
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制作費等の問題もあると思いますが


道路や公共施設などの使用許可を取るのが難しいのだと思います

地元で申し訳ないですが、北九州市は積極的にロケを誘致しており
「図書館戦争」では中央図書館、市立美術館等で爆破シーンを撮ったとのこです。

時代劇ではなく、現代を舞台の映画は地方公共団体の協力がないと難しい
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日本映画の歴史的には昔は娯楽の王様だったわけです。

TVがない当時映画しかスターに会えるものなく、したがって裕次郎や加山雄三などの「アイドル」映画や寅さんやクレージーに代表されるホームドラマ的な映画が作られました。内容的には娯楽作品です。その一方で小津安二郎や黒澤明などの大作が作られます。これらは海外、特にヨーロッパで壮絶な支持をうけ、あちらの映画のお手本になっていくのです。
例えば東京オリンピックの記録映画(記録映画は開催国が作成します)は市川崑が撮影し、選手のアップやスローを多用した記録映画として初めての芸術作品になっています。日本国内では記録にならんと酷評。でも海外ではドッカンと大好評。フランスではクロードルルージュによる冬季オリンピック映画「白い恋人たち」がこれに真似て作られました。
でもTVの進出で映画産業は斜陽産業になり、映画会社は倒産がつづき、すべての駅にあった映画館は殆どつぶれます。
それを打破しようと角川映画が新規に参入。まずハリウッド並の製作費、TVや新聞でのCM攻撃。これを実施。これにより映画はそれなりにヒットしますが、映画界からは敵であるTVと組むとは何事だと大批判。賞のノミネートからも外されるなどされます。
しかもこの過剰なお金もかけ方、ハリウッド俳優の抜てき、本物の戦車、ヘリ、潜水艦などを使った撮影で、角川春樹の道楽として、お金がもたず撤退します。
しかし映画が生き延びるのはTVと組まなければだめかも、ということでTVドラマに出演さえしなかった映画俳優もドラマに出るようになります。その代表は石原裕次郎や笠 智衆、吉永小百合、高倉健です。特に石原裕次郎は映画のこだわりがつよく、初主演ドラマにも自分のシンボル「太陽」を名付けます。はい、「太陽の季節」「黒部の太陽」につづく「太陽にほえろ」です。こういった試みが成功し、映画俳優もドラマに出演がおおくなり、垣根がなくなります。
そしてTV局がお金を持ち主導をにぎると1990年ごろから、ドラマの続きということで映画を作成することになりますが、あくまでもスポンサーの為、ドラマを引き立てるため。配役も脚本もスポンサーの意向。キャッチーなだけのろくな作品ではありません。角川映画のようなお金をかけるだけの娯楽悪品はTV局がたくさんお金を集めて作ればよいということになります。
しかし日本映画の本質は小津安二郎や黒澤映画のような芸術なのです。映画人はハリウッドとは違う作品を目指しているのです。事実ハリウッド映画は世界中では評価されていません。はっきり言って僕も見ません。本来の日本映画は日本を描くことであり、日本人を直に描くことです。それが世界で受け入れられようとかどうとかは、まず関係ありません。正しく日本人を描けなければ、嘘で世界向けに作っても意味もありませんよね。
昨年「そして父になる」があれだけ世界中で評価されているのは脚本や演出が素晴らしいからに他なりません。地球の裏側まであの映画は浸透しています。ちゃんと伝わっているのです。地味でもそういう風な作品を日本の監督は目指してます。それに共感している俳優が映画俳優であり、タレントではありません。堺雅人も満島ひかりや麻生久美子など地味でもいい俳優が映画から生まれます。そしてTVドラマに抜擢され一般の人も目にするようになりますが、本来映画の人。そういう俳優がいるのも確かなんです。
彼らはまず映画、でもTVでもいいものがあれば出演する。そういう方針。出資が誰でも作品がよければ出演するというスタンスはアメリカでも同じですよ。ただアメリカドラマは日本より脚本がひどいですから、それに長いのでイメージもつきやすい。出演しないのはそれだけの理由です。
言える事は日本の映画はハリウッドを目指していない。そういうのを作るのはTV局の出資だけ。さらに世界から見るとハリウッドなんか目指している国は無い。そういうことだと思います。
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一番の問題は「誰が金を出すのか」ってことですね。


世界を相手にしているハリウッドと、日本国内を相手にしている日本とではまったく勝負になりません。少なくとも「商売」なのでリスクを伴う作品を作る勇気とお金がないのです。

 またアクションにかぎらず映画オリジナル脚本のものが殆ど無いのも、やはりそれだけのものを作る勇気とお金がないからです。原作ものの映画化はすくなくともある程度の観客動員が望めます。
小説が原作、TVドラマが原作、アニメが原作ってものですね。

 だからこそ宮﨑駿の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」などはオリジナリティがあり、しかも観客動員も記録に残るものとなりました。彼の作品でも彼のオリジナルでないものは個人の好みの問題もありますが、ちょっと質が落ちる気もします。

 ちなみに歴代日本映画興収成績をみるとアニメ以外の実写映画ではほとんどがTVドラマの映画化、コミックやアニメの映画化、原作のあるものの映画化です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E4%BB%A3% …

 興行収入が多いものはスポンサーにとって「いい映画」なのですね。儲かった映画ということです。
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