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遭難した人が救助されたのに『心配掛けて迷惑だ』って感じで怒鳴ったり殴ったりする人の心理ってなんですか?

インドネシアで行方不明になった人が助かったニュース見てもそんな人から恫喝されるんじゃないかと思ってドキドキします。

A 回答 (10件)

業務命令に従って仕方なく危険を冒して遭難するということもありますが、


趣味の範囲で登山やマリンスポーツなどをして遭難するということは、多かれ少なかれ遭難者側にも責任があると思います。
なぜなら、遭難しないように最大限の配慮をすることも、そうした趣味の最重要事項のひとつだからです。

とはいえ程度問題です。
ベストではないにせよ概ね妥当な遭難回避策が取られていたが、それでも遭難してしまうことはあります。
たとえば雪山登山をする場合。経験豊富な者が、綿密に計画を立てて、十分な装備を持って登山を行っても、予想外の雪崩にあって遭難する場合もあります。この場合はなかなか遭難者を責められません。
これがもし、十分な防寒具も非常食も持たない登山者が雪山で寒さと飢えにより遭難したとなれば、非難されると思います。

象徴的な事故が「玄倉川水難事故」です。この事故では、生存者も厳しく非難されました。
もしご存じなければ、一度ウィキペディアの記事をお読みいただくとよいと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%80%89% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/19 16:12

>心配掛けて迷惑だ』って感じで怒鳴ったり殴ったりする人の心理ってなんですか?



現地の人は、また観光客には来てほしいのでそんなことはしません。

>怒鳴ったり殴ったりする人

たいていはバリなんかへいけない貧しい人間がTVで見て、(自分はいけないのに、という)嫉妬に狂った貧しい心でバリ憎言をほしいままにするのでしょう。

無視するべきです。
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 なんだか俺には、車乗って事故ひとつでも、車は事故するものと自己責任にすり替えた論理にしか見えないね。

そういうヒトほど、いざ自分に危険が迫ったら、「俺から助けろ」なんだろうけど。残念だねぇ。
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税金の無駄遣いだから。

馬鹿に税金を浪費するのは、まともな納税者は望まない。ドキドキ? それは病気です。
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ろくな装備も身につけずにピクニック気分で冬山登山して遭難すれば、アホと言われても仕方がありません。



今回のインドネシアのダイビングも、お任せの部分があまりにも大きかったのでは無いですかね。自分の命は自分で守るという考えが根底にしっかり無いと、命がいくつあっても足りませんよ。自分で状況判断して、中止する勇気は大切です。
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個人の趣味で、登山やスキューバして、遭難して、救助されたら、


ある程度は文句言われても仕方無いと思います。

そもそも、山登りとかスキューバとか、危険が付き物なので、
それを理解った上で、万全を期するものなので、
予想外の事が起きたなんて、理由になりません。
何故なら、あらゆる危険の可能性を想定しなかった、
危険予知を怠った結果に過ぎません。
趣味なので、完全に自己責任です。
それを、多数の方々に迷惑と心配をかけて、捜索救助して貰うのです。

例えば、震災だったり、今回の様な大雪等の自然災害による捜索救助とは、
全く意味も趣旨も異なります。

ましてや、本来自己責任である筈なのに、
個人の趣味を楽しんでいる最中に遭難したのに、
捜索救助の費用は、税金ですからね。
文句位言われても仕方ないですよ。

これも、税金の無駄遣いの一つです。
趣味で自己責任の場合、捜索救助に掛かった費用は、
全額遭難した人が負担すればと思いますが、
生憎、現在の法律はそうなっていません。



怒鳴る人は、その人の身近な方で、本当に心配していた方なんじゃないですか?
もし、全く無関係で、知らない相手であれば、それは異常者でしょう。

ま、全く無関係でも、税金の一部が遣われる訳なので、
迷惑だと感じる人も居ます。
でも、だからと言って、正常なら怒鳴ったりしません。
せいぜい、テレビでそのニュースを見て、「自業自得なのに迷惑な人」と
思うか、つぶやくか程度ではないでしょうか?
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 身内なら、異常な緊張感から解放された、自分の気持ちの保護回路が働いたもの。

他人なら、不幸せな状況のヒト、異常者。
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どんなに装備をしっかりした登山でも、スキューバでも趣味でやってる限り自己責任です。


富士山で気象観察のために登るのではないですからね。
慎重な準備などないです。行かないことです。必然性はゼロです。
それでも行きたいなら、遭難したときには捜索不要と念書を書いておくべきでしょう。
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まあ、気が緩んで気力が無くなる場合もあるので、励ます、気合いを入れる、という意味がある場合もあります。

程度問題ですけど。
親父に聞いた話ですが、戦時中、乗ってた軍艦が撃沈され、まあ、かなりはそこで死ぬんですが、それでもかなりが生き残って漂流する訳です。ボートなんて大層なもんじゃなく、浮いてるものにつかまってね、何時間も・・・
で、やっと救助されると、その場で「日本軍人たるもの、おめおめと生き残りやがって」と何発か制裁を食らうそうです。で、そのショックで死んじゃったり・・・かわいそうに。
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そういう人がいるんですか?



ま、いるとして、勝手に想像してみました。


『遊びで、しかも自分の不注意でこういう羽目になった。
 それに対し、仕事とはいえ、こっちは命がけで
 救助活動をする。
 訓練を受けているとはいえ、俺にだって家族がいる
 んだぞ。』

こういう状態に、救助出来た、という気の緩みが加わって、

『いい加減にせいよ!』


という心理じゃないですかね。
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