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趣味の山登りで遭難している人をみて、僕は自業自得だと思う。
道楽で山に登り、それで遭難するのだから仕方がないだろう。
助ける必要もないし、そもそも好きな山で死ねるのなら当人も本望であろう。

では、海外旅行ではどうだろうか?
少なくとも日本よりは治安が悪いところへ行く、という自覚はさすが皆あると思う。
したがって事件に巻き込まれたら、なるべくしてなった。という事もいえる。

また海外旅行などいけない貧乏人のひがみで、自業自得と考える人もいるだろう。
僕などはその貧乏人の思考で、海外旅行など贅沢の極みで、そこで何があっても
同情はしないほうである。

みなさんは どーおもいます?

A 回答 (14件中1~10件)

自業自得というよりは、自己責任なのかなと思います。




海外に移住して住んでます。
旅行とは違いますから、また別の視点と思いますが、参考程度にお読みください。

まず、ぜいたくはしていません。日本で暮らすよりお金かかってないと思います。

日本に大災害が起きたときは、寝る間も惜しんで心配していました。
募金にもチャリティにも協力しましたし、日本人だけでなく外国人もとても協力的でした。
千単位、万単位の募金を、先を争うようにしていました。
海外にいる利点を生かし、避難者の受け入れをしている家庭もありました。
家やご家族を失われた東大生の方も来ておられました。


災害時、同じくこちらに住んでいる日本人の友人がたまたま日本に帰国中で、
しばらく連絡付かずものすごく心配しました。
日本への帰国は、私たち移民にとっては海外旅行なんです。
お金がないとできませんから皆うらやましがりますが、だれも自業自得とは思いません。

逆にこの国で何かあったときは、住んでいるのだから自業自得だと言われるのなら、
それはとても残念だなと思います。
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普通遭難してる人がいれば助けてやりたいなと思うのが人であって、そう思わないというのは道徳心のかけらもいと言わざるをえないです。

遭難してる人や海外旅行に行った人に対して怒り狂って『こいつら全員死ね!』と僻んでるのと同じです。
 まあ劣等感コンプレックスですね。
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自業自得かと同情するかどうかは別の問題なので、別々に考えます。


まず自分の人生なんだから何が起こっても自業自得だと思っています。
同情するかどうかに関しては、『運がなかったね』とか『タイミングが悪かったね』とは思います。
貧乏人と言っている人が、ネットを利用できるという環境には驚嘆します。
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自己責任であるのは事実だが、たとえば登山で遭難しても、


救助は、自己負担と公費によるものと2通りある。
日本は法治国家であり、海外渡航も政府の許可(パスポート)
により、政府の庇護のもと、行っているのであり、だからこそ
渡航勧告において制限や禁止しているのである。
パスポートにも「日本政府の要請により安全に旅行させるように」
と記されている。

その上で事故が起きた時には、政府の保護がなされるのは
自然な事である。
もちろん、政府が渡航禁止を出した所に、それを破って渡航
したのであれば、そこから先は権利ではなく、人道的な判断
以上のものはないが。
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んー?自業自得という見方は、逆様なんじゃないですかね?


車のハンドルを握るのなら、事故を起こす・巻き込まれる覚悟
をするのは一応、当たり前
飛行機に乗るのなら、墜落覚悟で乗るのは一応、当たり前

ただ、ほんとは当たり前の覚悟や弁えが及ばず、欠落するのが
人の当たり前、などなど

ま?、、国・行政が、雪山登山を認めている事や、サメがいる
海でのサーフィンを許可してる事など、世の中、疑問を感じる
事だらけですけど・・・
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siyuusukexxxさんこんばんは。



海外旅行には金はかかるが、同情には金はかからない。

腹ペコになるほど同情しなければ良いだけである。
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ひがみ、妬みも程々に。


あんまりやってると、自分が通り魔になるよ。
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生まれてこのかた幸せな人はそういう発想は浮かばないらしい。

俺もうらやましいが。
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自分だけ安全ならばそれで良いという人の同情は入りません。

ただ、あなたの家にトラックが飛び込んで台所から火が出ても、助けは確実にきます。地震で屋根の張りの下に閉じ込められても救助は来ます。

この救助隊は「自業自得だろ」とは言いません。そう思う人は救助隊にもボランティアにもなりません。

登山も釣りも万全を喫しても事故に巻き込まれることはあります。安全対策が未熟なこともあります。被害者が子供のこともあります。

世の中は助けて助けられてのお互い様です。

この質問は「海外旅行者」とは書いてあるものの、実は自分よりも行動的に充実した生活を送っていると思われる人へのひがみの匂いがします。
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そのトラブルは「自業自得」なんていう道徳的な言葉で表現しても、新たに開眼することはないでしょう。

なぜなら、そのトラブルこそ「楽しみの極み」であり、冒険である人生のかけがえの無い貴重な経験だからだ。

山登りの好きな人だって、遭難しそうになって登頂できず引き返した時の記憶の方が、すんなり登頂できた時よりも、感慨深い良い想い出となり心に刻まれる実例からしてみても「自然相手のトラブルなら楽しみの極み」という事は明らかである。

(逆に、対人相手のトラブルほど嫌な想い(精神的充足の逆)はない。)

私の実体験では、暴風雨や台風でカミナリが近くに落ちまくっている状況で、妙に気分が高揚し「うお~~!!」と叫び、「カミナリよ我にパワーを与えよ。我は地球の一部じゃ、この星くらい守ってみせる!」と怒鳴りました(アホかいな)。

映画のシーンの話に変えて言えば「フォレストガンプ」の中でエビ捕り漁船のマストの上で、主人公の上官が『元気よく』叫んでいるように、自然の脅威など元気の元であり、ある意味「栄養ドリンク」です。もちろん、規模が大きすぎて犠牲者が何万人も出る自然災害でも、客観的に見られる位置にいれば同じ「栄養ドリンク」ですが、運悪く巻き込まれる位置にいたら、単に死ぬだけであり「願わくば苦しまずに死にたい」と思うのみ。

この全宇宙が自分というちっぽけな鍵によって顕在化していることが、量子論的世界観として明らかになってしまった以上、そうした登山家は、わざわざ「死ぬか生きるかの一か八かの賭け」を、しに登山へ行くこと自体、上記のような危険と隣り合わせの「大幸福感」を得るのが好きな「強欲登山家」と言える。

その強欲家が仮に「うっかり死んだから同情してくれ~」と言いますか? 言わないでしょう? なら「同情」は最初から無意味な価値基準であり、「自業自得」という道徳的役割を与える言葉さえも、既に死んだ人間は受けとめられない。だから、この自業自得は生きている人間の「単なる自由な意見」にすぎない。
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