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 私は地方の小さな川柳会に所属していて、川柳を詠んでいます。詩、短歌、俳句に比べて川柳は、一段低い文芸として扱われると、私の所属する川柳会の主宰がときどきぼやきます。川柳のどんなところが、文芸性が低いと評価されているのでしょうか。短詩系文芸に詳しい方、教えてください。

A 回答 (4件)

川柳そのものの文芸性云々の問題と会の主催者さんのぼやきは別問題でしょう。


他の回答者さんへの補足を読ませて頂きました
>詩歌文学館の館長は短歌界の重鎮だそうですが
とありますが、全く気にされる必要はありません。
自分の専門分野で功成り名遂げた大学教授上がりの人間などいうのは、自分の専門外とくに自分の専門に近い分野に対しては碌なことを言わない生き物です。
大体学者という生き物は、自分の専門が金科玉条で絶対です。
その分世間知らずです。
(世間にかかずらわっていたら学問の専門家にはなれません)
たまたま自分の専門に近いところで、自分と違う価値観で動き回る姿を見ると猛烈に反発します。

ということで、主催者さんにはよくお伝え願います。

川柳の文芸性云々については、世の中の人は決して低い評価はしていません。
素人が薀蓄を傾けるよりは、下記のサイトを御覧願います

視点・論点 「川柳のすすめ」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/165320.html

川柳総合文化論
www.doctor-senryu.com/senryu_bunkaron.htm

下記の雑誌はお読みにならていませんか
週刊「川柳時評」: 川柳が文芸になるとき
daenizumi.blogspot.com/2011/09/blog-post_23.html

最近学会も立ち上がったようです。
川柳学
shinyokan.ne.jp/senryugaku/

会員になられては如何でしょうか

立派な専門書も出ています
川柳総合大事典 尾藤一泉編 - ドクター川柳
www.doctor-senryu.com/08_sougouziten/sougouziten001.htm
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この回答へのお礼

 とても勉強となる、URLもご紹介くださりありがとうございます。「NHKの視点・論点」と「週刊川柳時評」のお勧めの記事にアクセスして拝読しました。「川柳総合文化論」はすでに読んでおりました。「川柳総合大事典」はまだ読んでおりません。「川柳学」は新葉館にアクセスしているので存じておりますが、加入はしておりません。川柳は大好きですので、しっかり詠んでいきます。

お礼日時:2014/03/19 18:08

 川柳が他の韻文に劣る、こんなことはないでしょうね。

もしこの理屈が通るなら、能に対する狂言や和歌に対する狂歌などといった分野の作品は、全て価値の劣る下賤の存在となってしまうとの暴論にもつながります。
 パロディは一つの分野として確立もされている立派な分野であって、それを殊更に卑下する理由も見当たりません。
 むしろその様にコンプレックスを抱いてしまうのは、自らの作品領域に対する自負もなく、以前からある存在に対する僻目といえると僕は感じます。
 世阿弥も芭蕉も最初はゲテモノやキワモノの扱いをされていました。それが世阿弥の作風が義満のお眼鏡に適ったことで世間の風向きも一転するに至り、西行を慕う芭蕉が何とか西行の形に少しでも近づきたいと工夫したのが芭蕉の求めるところと一致しただけの話です。好きなことをやっていることと文芸性の評価は別の問題であって、殊更に気にする必要はないとのことが僕の結論です。
 もし「短歌はかくあるべし」との定義が確立されているなら、種田山頭火の作品はことごとくそこから外れてもいますので、短歌ではないとの話になってしまいます。
 従って「~論」と称する本や議論に出会った時には、先ず疑って掛かるというのが僕のスタンスです。あれほど疑わしげなものも珍しい。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。短歌・俳句・川柳の文学史的な流れを踏まえたご回答だなと、勉強になりました。その中に出てきた「種田山頭火」は、私の所属する川柳会の仲間も愛読している人がいて、その山頭火に影響を与えた江戸末期の俳人、名前は忘れましたが、その句集まで読んで入る人がおります。私は、川柳をたゆむことなく詠んでいきます。

お礼日時:2014/03/19 18:19

<追記>



推測ですが・・・

◇歴史的な古さや先行より、元祖・本家・先輩意識があるのでは・・・(それは和歌と俳句でも、一部の方には暗黙の偏見差別意識があるようです)

◇有名作者とか名句として俳諧・俳句に名作とか俳聖とかのステータスがあると思う人も居るのでは・・・


◇川柳には季語や題材の制約が少なく、庶民的で生命保険会社の時事物やサラリーマン物の川柳のお題とかコンテストもあり、馴染み易さ・誰でも創作参加が、一部の俳句への思い入れ&プライドを持つ人には、17文字だけの共通点で同等に見られるのが嫌で、俳句への取り組みに対し誰でもが簡単に創作し参加する事を快く思わず有難味が薄く気に入らない潜在心理があるのでは・・・

◇上記のような心理心境から、婉曲に{文芸性が低い]というヤッカミ・皮肉・差別的な言い回しで川柳と俳句の格を違うと言いたく表すのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 #1のご回答に対するお礼に、蛇足を加えることになりますが、示唆に富むご回答ありがとうございます。
 私はサラ川に対する偏見はありません。毎年、100句の中から感心した1句選ぶ投稿はしております。

お礼日時:2014/03/19 17:50

>川柳は文芸性が劣るのか。




      ↓
主宰者の方の発言の真意や性格、その場のシチュエーションや雰囲気等が分かりませんが、主宰者の謙虚さや自嘲的な話し方から来た表現・言い方言い回しかもしれません。

でも、それは言葉足らずで不適切な決め付けにも繋がる、川柳愛好家や川柳作家&川柳撰者の方々に対しては失礼な発言だと思います。

個人的には、文才の無い私から見ると、文芸性の高さの概念や定義は分かりませんが、川柳は季語やお題への制約の少なく軽易即妙な17文字文学作品・事象や心情表現だと思います。

言い換えると、古典落語に比べて漫談が、能とパントマイムを比較して芸術性を論評するような物であり、本来、比較したり差別評価するのではない、それぞれの良さや楽しさを味わい技能を観賞したり堪能するのではないでしょうか?

野球とサッカーやラグビー、相撲と柔道を比較して論評するのは其々の関係者・愛好家、両方を愛する方にとって的外れな比較論であり、心外と思います。

川柳は川柳の、俳句や短歌には俳句や短歌の良さや難しさ、楽しさ味わいがあり、趣や文芸性の差異は優劣・高低の格付や評価とは別次元だと愚考します。

この回答への補足

 元気を与えてくださるご回答ありがとうございます。私の質問が舌足らずであったために、私たちの主宰が川柳界を貶めているかのような印象与えてしまいました。すみませんでした。補足いたします。
 主宰はかつて、岩手県の川柳界の代表の一人として、岩手県にある詩歌文学館において、川柳にかかる全国規模のイベントを開こうと、時の詩歌文学館の館長と折衝したさいの、悔しい経験を折に触れて話してくれます。昨夜の私の川柳会でも、その悔しい思いをポツリと口に出したのでした。詩歌文学館の館長は短歌界の重鎮だそうですが、川柳を、文芸とは思っていないかのような発言をしているそうです。幸いイベントは開けたものの、悔しい思いは未だ尾を引いているのです。
 詩・短歌・俳句の世界の方々が、川柳のどんな点を文芸性の一段低いと考えているのか、またはいたのか、知りたくなって質問した次第です。引き続きよろしくご教示ください。

補足日時:2014/03/19 09:55
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この回答へのお礼

私は所属している川柳会において、ボツ句が多数を占めるほど詠みの才が低いのですが、川柳が他の詩歌に比べて好きなことを、改めて感じております。おかげさまで、♯2と3の方の素晴らしい回答も頂戴できました。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/19 17:37

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