プロが教えるわが家の防犯対策術!

 とりあえずこのカテで質問させてください。

 明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏が以前TV番組で
こんな話をしていました。

 電車に乗っていると茶髪のバカみたいな大学生が
「日本って昔、アメリカと戦争したんだってな」
「えっ、マジかよ。で、どっちが勝ったの」
というような会話をしていたそうです。

”たかじんのそこまで言って委員会”という番組ですが
番組内では竹田氏はかなりのオチャラケで、話の真偽の
ほどは分かりませんが、昨今のゆとり教育はそんなことも
教えていないのでしょうか。

 こんな若者ばかりなら、中韓の反日思想など理解できないし
国の中枢の役職に就かれたら無茶苦茶になるんじゃないでしょうか。

それともただこいつらがバカなだけでしょうか。

A 回答 (29件中1~10件)

「日本って昔、アメリカと戦争したんだってな」


「えっ、マジかよ。で、どっちが勝ったの」


…これはまずいですね。
そんなことも知らない大学生が、たった一握りでもいるというのは、やはり日本の歴史教育が崩壊しているとしか言えませんね。
中学→高校と、歴史教育は通史での詰め込み型で、現代史は結局は学年末でやり残されてしまうケースが多いでしょう。
ちなみに僕もそんな感じで、近現代史をまともに中学・高校などで教えてもらった記憶がありません。
ゆとり教育の以前も以後も、同じような状況なのではないでしょうか。

現代史について、自分で興味を持っていろいろと調べたリしない限り、上記のような人が増えてしまうのかもしれませんが、若い人に限らず、日本人全体が、まともな興味さえ持っていないのでは、とも思います。
韓流ドラマに溺れるおばちゃんたち、競馬新聞と週刊誌しか読まないおじさんたち、彼らだってまともに現代史を語れるとは思いません。
歴史認識、現代史に関して、日本人は興味が薄いのが現実なのではないでしょうか。
また、日本人は戦争と言えばすぐに第二次世界大戦のことを話しますが、しかし同じレベルで朝鮮戦争やベトナム戦争や湾岸戦争やイラク戦争のことを話すとは思いません。
もちろん、かく言う僕も、そうした第二次世界大戦以後の戦争に対しては、あまり大きなことを言えるほどの知識は持ち合わせていませんが…。



ただ、上記の会話の何が危険なのかは、第二次世界大戦を「知らない」ということより、『どっちが勝ったの』と返答していることです。
戦争は子供のケンカではないのだから、重要なことは勝ち負けではない。
なぜ戦争になったのか、なぜ回避できなかったのか、戦前と戦後で何が変わったのか、などについて、本来なら興味の対象を向けるべきです。
善と悪、単純な二元論で割り切ることのできないものだから、勝ち負けといった結果だけに、件の大学生の興味が向いてしまっているとしたら、非常に恐ろしいことです。


「日本って昔、アメリカと戦争したんだってな」
「えっ、マジかよ、知らなかった。でも、なんで戦争になっちゃったの」

…という会話であれば、まだ正常だと思うんです。

知らないことは許されないと思う人もいるかもしれませんが、知らないことは、後からいくらでも学べばいいと思います。
ですから、戦争を知らない人がこの国の中枢になっても構いません。
しかし、後から、戦争を知る・学んだとしても、その姿勢が、単純な二元論で切り分けるような人であったら、この国の未来はないでしょうね。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

 おっしゃる通り、異論はありません。

「お兄ちゃん、夕べお父さんとお母さんケンカ
したらしいよ」「へぇー で、どっちが勝ったの」
ではおかしいですよね。「なんでだよ」が普通ですから。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 14:26

今さらですか・・・



こんな話は、もう20年も前から言われている話ですよ。今の30代ぐらいから下は「かつてアメリカと日本が戦争したことを知らない」層を一定量ふくんでいるのです。

わたしがこの話を始めて知ったのは大体20年ぐらい前のテレビ番組(たぶんTBS「噂の東京マガジン」)です。そのテレビの女子高生や女子大生ぐらいの若い女の子が料理を作る番組で、スイトンか何かを作るときに戦争の話題になって「えーー、知らない・・」と発言したのを聞いて、ショックを受けたのを今でもよく覚えています。

私は当時25ぐらいで親は父が戦中生まれ(ただし2桁ですが・・)母が戦後生まれで、親父が「豆ご飯や芋ご飯は嫌いだ!」と疎開時のひもじさを語っていたので戦争のこともよく知っていたのですが、それから5歳下や10歳下になると殆どが戦後生まれの親になって、そういうことを知らない(教えない)親も居るようになっていたのでしょう。

もちろん、今の時代でも仏壇に若い軍人姿の遺影があって「おじいさんの兄弟は戦争で戦死したんだよ」と聞かされている人もたくさん居るはずですので、若い世代だからといって、何も知らないということはないはずです。

ただ、年々ギャップは大きくなっていくでしょう。


いずれにしてもゆとり教育は関係ないですね。むしろ、管理教育や受験戦争時代のほうが「近代は受験に出ない」として教えていないはずですから、私達40代であっても、もしかしたら戦争があったことを(和高校生ぐらいのときは)知らない人もいるかもしれないですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 核家族化の影響もあるでしょうね。

 小生の実家には祖父の賞状があって”陸軍上等兵○○何某”と
なっています。聞くともなしに僅かですが戦争の話も聞かされています。
 
 うちの親父は昭和4年生まれで長男ですが、祖母(父の母親)に
近所の手前、頼むから戦争に行ってくれと、やいやい言われたと、今だに
恨み言を言います。結局行かなかったですが、要は親に死んで来いと
言われてたんです。終戦時、満で15才です。まあうちの地域なら中国、
アジア戦線行きでしょうが。祖父はスマトラまで行ったそうで、
同じ町内にはインパール作戦に従軍して帰ってきた人もいました。

 インパールから五体満足で帰ってきたこの人は化け物か、という位な
認識は幼少からありましたね。今の若い者はインパールってどんな真珠?
でしょうか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 16:04

私の父親は、日米開戦当時の内閣総理大臣だった東條英機1個人だけに戦争責任を負わせるつもりはなく、当時の陸軍首脳部の暴走に日米開戦責任があったという認識です。



また、このような認識を多くの日本国民が当時は持ってたから、戦後の極東国際軍事裁判で絞首刑に処せられた東條英機元首相を始めA級戦犯達に当時の日本国民は私の父親を含めて「ざまぁ見ろ」という国民的感情だったのでしょう。 

この方の述べている事は間違いです。そもそも、大東亜戦争集結の機会を潰したのは陸軍首脳部の独走ではなく、海軍がシナ事変集結の機会に反対したからです。そういう史実も知らずネットに投稿しないでほしいです。また同じ同胞の日本人が外国人から処刑されるさまを自分の父親が「ざまぁ見ろ」と言った。日本国民の国民感情だった。など同じ日本人として恥ずかしいです。こういう事をネットで拡散する事が左翼の手口なのです。人の生き死にを自分の父親が「ざまあみろ」などと言う事自体、人間としておかしいと思います。

戦後に、昭和天皇が崩御まで明らかにしなかった者の中に東條英機が含まれてたかは私には分かりませんが、A級戦犯が靖国神社に合祀されたことに不快感を持ったことは確かなことで、日独伊の三国同盟締結に関与した松岡洋右元外務大臣(A級戦犯)と白鳥敏夫元駐イタリア大使(A級戦犯)が合祀されたことにも不快感を持ったことも事実でしょうけど、A級戦犯が合祀されてから靖国神社に陛下が一度も行かなくなったのは事実です。

当初と述べている事がまるで違います。他人の回答をみてから当初の主張を変えて付け加えるやり方も左翼の手口です。こういう方がいるから、若者たちが我が国の史実を調べようとしなくなるのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 まあ戦争の話は右翼側から見たらあれでよかったんだ、となり
左翼側からみたら亡国の指導者たちと映ります。

 たとえ国が統一見解を示しても万人が承服するものでは
ありえません。
 戦争で犠牲になる人、儲ける人さまざまです。

 日本は憲法第9条で戦力の不保持となっています。
素直に読めば、じゃあ自衛隊の戦闘機や戦車、潜水艦ってなによ?
となります。前出竹田氏は憲法論者で、その解釈を説明しました。
言葉のマジックのような、でもさもありなん、あぁなるほどなぁ~、
言われてみれば納得できます。9条を素直に読んだらじゃぁ自衛隊はなんだ!
となるが解釈を素直に聞いたらおっしゃる通りで、となります。

 それでも納得できない人がいるから、政党でも社民党は反対の立場ですし
民主党政権時の仙谷官房長官の暴力装置発言になるのです。

 小生は無理矢理な解釈だと思いますが、でも間違いではないのです。
考え方、受け止め方人それぞれでいいんじゃないですか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 15:16

私の父親は、日米開戦当時の内閣総理大臣だった東條英機1個人だけに戦争責任を負わせるつもりはなく、当時の陸軍首脳部の暴走に日米開戦責任があったという認識です。



また、このような認識を多くの日本国民が当時は持ってたから、戦後の極東国際軍事裁判で絞首刑に処せられた東條英機元首相を始めA級戦犯達に当時の日本国民は私の父親を含めて「ざまぁ見ろ」という国民的感情だったのでしょう。

戦後に、昭和天皇が崩御まで明らかにしなかった者の中に東條英機が含まれてたかは私には分かりませんが、A級戦犯が靖国神社に合祀されたことに不快感を持ったことは確かなことで、日独伊の三国同盟締結に関与した松岡洋右元外務大臣(A級戦犯)と白鳥敏夫元駐イタリア大使(A級戦犯)が合祀されたことにも不快感を持ったことも事実でしょうけど、A級戦犯が合祀されてから靖国神社に陛下が一度も行かなくなったのは事実です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 東条ら戦犯のうちの軍人が銃殺刑ではなく
絞首刑というのは、一般の凶悪犯扱いですから
国民が ざまぁ というのも理解できなくはないです。

 でも東京裁判の映像で判決の時「ヒデキ・トージョー
バイ ハンギング」という宣告は衝撃を受けました。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 14:17

平成生まれのいわゆる「ゆとり」です。



どんな教育をしようがアホは絶対数生まれてくるものです。

ちなみに、大東亜戦争に関しては小学5年生か6年生で習いました。そのあと、中高と深度を深めながら同じことを教わります。
勉強していれば知っているし、していなければ知らないというだけです。あなたの周りは全員常識人でしたか? 私は年配でも常識のない人を山ほど見ています。

先達の政策やそれを煽った世論によってバカな大卒は確かに増えたかもしれません。けれど「ゆとり」と十把一絡げに呼ばれることにいい加減辟易しています。一部を取り上げて不特定多数の人間を評価すべきではありません。
物を知らない奴は確かにいます。しかし、実際に多くの若い世代と接したことはありますか?

もしそれでも物を知らない、浅はかだと思うのなら、それは先達に大きな責任があります。それを忘れて批判だけを繰り広げるのはお門違いです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 う~ん、まあ中学校までの義務教育で終了した者と
大学まで進学した者の学問的知識が同じなら、その
非は個人に由来しますね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 14:00

〉とにかく、私の父親は東京極東国際軍事裁判の判決で東條英機元首相ら陸軍首脳部が絞首刑に処せられた時は拍手をして「ざまぁ見ろ」と歓声を挙げたという事実です。

 

なぜなら、真珠湾奇襲攻撃を海軍に命じた張本人こそが、日米開戦当時に陸軍大将から首相に就任したばかりの東條英機元首相らであったからです。

これも間違いです。日米開戦は、近衛内閣時には御前会議に於いてもはや殆ど決定済事項で東條英機が首相になった時には、誰が首相をやろうとも、どういうやり方をしようとも、我が国の敗戦は決定的です。史実を理解した歴史家で東條英機をせめる方は殆どおりません。また、戦地に行った方などシナ事変から参加している古参兵はシナ事変前の近衛内閣政策から当然理解しておりますから東條英機の悪口など言わないはずです。私の祖父もシナ事変から徴兵されましたが、帰国後、東條英機の悪口はもとより、同胞が処刑された事を「ざまあみろ」など軽々しくペラペラ口をわったりしませんでした。もし東條英機をせめるのでしたら、東條内閣時に日本勝利できる要因がありそれを東條英機が潰した場合のみです。その事すら証明できずに東條英機を批判する事は理不尽な話です。

〉また、昭和天皇が崩御するまで頑なまでに靖国神社の礼拝をしなくなったのは、戦後になって昭和天皇は具体的な名こそ明かさなかったものの「一部の軍首脳部の暴走を止められなかった自らを悔いていた」お言葉があったのは、その首脳部の一人になるであろう東條英機らが靖国神社に合祀されたことが最たる理由でしょう。 


これも、まるで間違いです。昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったのに東條英機の合祀が原因ではありません。富田メモが示す通り、大島浩、白鳥敏夫等三国同盟を推奨した者の合祀です。陛下は戦後「東條はよくやってくれた」と東條英機の事を認めた発言をしております。

誤った史実をネットで若者たちに拡散する事をやめるべきです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 小生は東条英機を嫌います。

 理由は、戦陣訓で死して虜囚の辱めを受けず
と指導し、多くの日本将兵を無益に玉砕、自決させているくせに、
自分はGHQに逮捕される前に自決に失敗して逮捕されている。
 阿南惟幾のように介錯もつけず切腹して、戦場で散った者と
同じ苦しみをと、のたうち回って自決した人と、はかりにも天秤にも
かけられない、こんな男が日本のリーダーで戦争指導の中心人物では。
 そりゃ東条も山本五十六も最初は対米戦に反対していたのだが、
やるからには命を懸けねば。山本五十六はあれは自決覚悟で
ブーゲンビルへ行ったと言われている。

 やってきたことに対する幕引きが見苦しかったということです。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 13:47

とにかく、私の父親は東京極東国際軍事裁判の判決で東條英機元首相ら陸軍首脳部が絞首刑に処せられた時は拍手をして「ざまぁ見ろ」と歓声を挙げたという事実です。



なぜなら、真珠湾奇襲攻撃を海軍に命じた張本人こそが、日米開戦当時に陸軍大将から首相に就任したばかりの東條英機元首相らであったからです。

また、昭和天皇が崩御するまで頑なまでに靖国神社の礼拝をしなくなったのは、戦後になって昭和天皇は具体的な名こそ明かさなかったものの「一部の軍首脳部の暴走を止められなかった自らを悔いていた」お言葉があったのは、その首脳部の一人になるであろう東條英機らが靖国神社に合祀されたことが最たる理由でしょう。

このような裏話的なことは、歴史の授業では触れることはないでしょうから、戦争責任は天皇にあったと誤解する者もいるようですが、戦後間もなく天皇陛下とマッカーサー司令官の会談では「戦争責任は全て私にある」とした天皇陛下の堂々とした紳士的なお言葉に感銘を受け、天皇の戦争責任の証拠は何もなかったと米国トルーマン大統領に報告してます。


だから、東條内閣当時に名付けられ戦時中に用いられた「支那事変などを含んだ大東亜戦争」と「米国相手に開戦した太平洋戦争とは別物」として後世に伝えなくては海軍で無駄死にも同様に戦死した伯父(母親の兄)や叔父(父親の弟)達の英霊が浮かばれないと思うのですが、私は左翼的思想ではありませんし、日教組の影響も受けてないです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 学校で教えないもののひとつに

マッカーサーと掛けてヘソと解く、そのこころは
  ”チンの上にある”

 失礼しました。

お礼日時:2014/04/09 13:08

南部仏印進駐、首相近衛文麿まで出現すれば、太平洋戦争という呼称は消えてよいはずです。

とにかく、太平洋とは戦闘の場所の名称であり、相手が米国のみになるため、昭和16年から20年までだけの戦いとなり、日本の真珠湾攻撃からはじまり、米国の原爆というだけの日本人が悪いという部分しか残らないのです。従って、太平洋戦争とは日本人が使用する言葉ではないのです。近衛文麿が北進せず南進したのは共産主義者ブレーンの尾崎秀実の誘導です。これは、シナ事変の時です。これが原因で南進し、真珠湾攻撃とつながるのですから、昭和12年から昭和20年まで切り離してしまわないことが大切だと私は思います。大東亜戦争とは場所だけでなく、我々先祖の大東亜共栄圏という主張が含まれているのです。それを無視して、我々同胞の広島、長崎、東京の30万人の日本人を殺害した国の言葉狩りのいう事をヤスヤスきく必要などないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 まあそう呼称にこだわらなくても
件の大学生には太平洋も大東亜も宇宙の
彼方のことですから。

お礼日時:2014/04/09 13:01

現実に、学校教育ではいつ頃から大東亜戦争と教えてるのですか?



私は、昭和30年代から40年代の学校教育では太平洋戦争と教えられてますし「大東亜戦争とは日米開戦後の戦時中に東條内閣が支那事変を含めた戦争を改められた呼び名」であって、戦後の学校教育では用いられなくなった呼び名です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 小生は貴殿の10~15年くらい後輩かと思いますが、
この件については同感です。

お礼日時:2014/04/09 12:02

大東亜戦争という呼び名は日米開戦後に東條内閣が支那事変を含めた戦争を差す呼び名であって、日本の敗戦後にGHQからは「太平洋戦争」という呼び名に改められたはずです。



だから、戦後の学校教育では支那事変と太平洋戦争は別物として教えてるので、学校教育で大東亜戦争という呼び名では教えてないはずです。

実際、私の父親は支那事変の頃は日本が敗戦国になるとは思わなかったそうですが、真珠湾奇襲攻撃を知ってから米国相手の戦争では敗戦国になると思ったそうです。

また、中国では支那事変を含めた8年間の戦争を「抗日戦争」としてますから、反日感情が今でも根強く残ってるのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 お礼遅くなりました。(夜勤明けで帰ってきたところです)
 
 確かに学校では大東亜戦争とは言わず、日華事変~太平洋戦争
~ソ連参戦~終戦、だったと思います。

 大東亜共栄圏なら文言にあったと思いますが、大東亜戦争は
どこで聞いたか覚えたか分かりません。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/09 11:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!