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 《民主的な対話のみを内容とするけんか》を あらためて いどみます。



 (あ) すでに考えられた結果を暗記しおこなうことしか望めないか?

 (い) われら考える日本人は 少数であるゆえに 悪貨は良貨を駆逐するの慣わしの前に望みは薄いとあきらめねばならないか?

 (う) 哲学以前あるいはさらにへたをすると人間以前という実際を目の前にして どうすればよいか?

 (え) 足の引っ張り合いなるたたかいに まだしばらくは 対処していかねばならない情況であろうか?

 (お) (あ)の見方によれば 外国人をまづ説得しその外国の人間が考えた《日本人よ 考えることをせよ》なる結論であるなら 日本人は受け容れるのだろうか?

 (か) なぜこれほどまでに日本人は あほばか状態が好きなのか? 心の奥底でそうなのではないだろうに。

 (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
  (特に 神・絶対ということについての理解が あの聖徳なるぼんくら太子の水準でありつづけている。《世間虚仮 唯仏是真》なるおのれのみの観念の世界の中にくすぶりつづけるしかも高ぶり状態。タコツボ地獄)。

 (く) あるいは あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?

 (け) ・・・

 どうなんでしょう?

A 回答 (5件)

日本人の特徴として、自己主張が控えめなのでそう見えるかもしれません しかしながらご自分の狭い範囲で「考えない国民」と決めつけ、それによって多数の方の怒りの回答でしかコミュニケーションできない質問なのでしょう。

まずは、まともな文体を作れるように勉強し直すことも大事です
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この回答へのお礼

 そうですか。それは 残念ですね。

 のうまーく30てぃーさん ご回答をありがとうございます。


 ★ まずは、まともな文体を作れるように勉強し直すこと
 ☆ につとめます。

お礼日時:2014/04/11 07:47

個人的には「聖徳太子」は神秘性があって、「聖」を感じます。



逆に福沢諭吉は何か「俗」のようなイメージ。

10000円札もそろそろいえれ変えたほうがいいのかもしれません。


庶民が昔から芸術など生み出せた反面、トップと近くて。

まだ江戸時代など、将軍、大老や老中などリーダーシップが取れましたが、現在の内閣制度で与党の意向に振り回されてしまうなど、リーダーシップは取りにくいですね。


ポストバブル以降、守りの時期で管理管理といわれて、個なども主張されていて、逆にまとまりのない悪い状態なのでは。

無機質な組織感覚もそういうように導くのかもしれません。


流行は先取の気取り感覚ですが、実際は浅くなっているのかもしれないですよね。
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この回答へのお礼

 まづ 聖徳太子の正体を明らかにします。――ぷくおべ99さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

        *

 ☆ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

 【Q:もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・】
  その趣旨説明欄より引用
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8127275.html


 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~
 一に曰(い)わく、
 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。

 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。

   ▲ (五箇条の御誓文)  一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 
 (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが

   ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて

  これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています:

  ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~
  【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に

    《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 
    奔亡するものなほ多し。
    禁ずと雖も止まず》。

   とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・

  【上田正昭】 その翌年の正月にも 

    《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 
    食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
    溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの 
    その類少なからず》。

  というのが出ていますね。

  【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。
  【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。

     《草枕 旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
      国忘れたる 家待たまくに》  (万葉集 巻三・426番)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  (3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。

   ▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~
    上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

      家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
      草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけていますが 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。
 (むろん人麻呂のうたは そのたましいよ このように奴隷のごとく人びとを扱う聖徳太子の治世に対して 起ち上がれと言っています)。

 (4) たとえば

   ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。
 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。

 (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋らを亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。

  権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。

 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。と人麻呂のウタは その旅人に語っています。

 (7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われたみまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。どこかの唯仏与仏うんぬんと言うように聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。

          *



 おっしゃっていることは

 ☆☆ (き) なぞの隠れた愚民化政策が どこかその筋から ほどこされているのだろうか?
 ☆☆ (く) あるいは あほばかヰルスが ひょっとしたら ばら撒かれているのだろうか?

 ここらあたりをめぐって ご見解を示しておられるものと受け取ります。

 特にうまくは 受け継げなくて 筆がすすまないのですが
 ★ 無機質な組織感覚もそういうように(* 個なども主張されていて、逆にまとまりのない悪い状態に)導くのかもしれません。
 ☆ この《無機質な組織感覚》というのが 目に留まったのですが 必ずしもその中身についてよくは分かりませんでした。

 ★ リーダーシップ〔を取る者にせよ〕 庶民〔にせよ〕
 ☆ 自由に考え行動できて それぞれ持ち前のちからを発揮できるようになるとよいといった内容を語っておられると思いました。

お礼日時:2014/04/11 07:45

自分の学びが浅すぎる



その「時」、誰でもなく、自分で立てばいいだけの事

誰に頭を撫でて欲しいのか
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 どういう意味になるのか。なかなか よく分かりません。

 何も問題はない。という意味でしょうか。


 その心は 決して あほばか状態ではないという意味でしょうか。

 それとも 或る程度は あほばか状態ではあるが 心配するほどのことではない。ということなのか。


 けれども考えるひとたちが 大勢であるのならば こんな質問はしないのですが。果たして どうか。

お礼日時:2014/04/10 23:11

bragelonne様、こんにちは。




>「(う) 哲学以前あるいはさらにへたをすると人間以前という実際を目の前にして どうすればよいか?」

「非国民!」と叫ぶのは、止めましょう。
「人間的扱いをしなくてもいい」というのも、相当危ないようです。
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この回答へのお礼

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ひとつには 《非国民》という規定は 別です。なぜならば どこの国の人であっても 《考える》ことをしなくて 相手の意志をとうとばないというのなら 人間以前の状態にある人間だと言われても仕方がないと考えられます。


 ひとつには 人間以前ではないかと思われるというのは あくまで受け身における反応です。


 もうひとつには これらの捉え方から
 ★ 「人間的扱いをしなくてもいい」
 ☆ という姿勢になるまでには 大きな隔たりがあります。

お礼日時:2014/04/10 15:16

日本に昔からある独特の民族風土はその通りだと思いますよ。


私も昔から感じます。
それは島国根性、出る杭は打たれるなどたくさんありますね。
でも、bragelonneさんがそこまで書いているのには理由があるのでしょう?
多分、都会に住んでいるのではないでしょうか。
都会は足の踏み場もないほど人が溢れているので、生存競争も半端ではありません。
一方、秋田県の山地では若い人が大いにもてていますよ。何しろ80歳以上の年寄りばかりなんですからね。
自然豊かな地方でゆっくりと暮らすことを考えてはいかがでしょう。
多分、都会では人が多すぎてこれからも生きていくのは大変ですよ。
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この回答へのお礼

 その土地・その地域によるといった要素がはたらく。といったご見解でしょうか。

 ごうつぃぐさん こんにちは。まづは ご回答をありがとうございます。

 そうですね。まづわたしは 二百万人都市に住んでいますが まわりは ほとんど住宅です。田んぼや畑がそこここに残っている準田舎です。また出身も ちいさな町でした。自然の中でそだちました。


 そうですね。秋田やそちら方面は 曽遊の地ではなく 知らない地域ですが そうですね。たぶん 住んでいる土地の所為ではないのではないかとは思います。
 
 というのも けっきょくこの質疑応答の場を見てみれば分かるのではないかと思うからです。つまり 受け手の側にとっては 住所の問題ではないように思うのです。

 発信する側にとっては そのような身の周りの町のことは 影響がある。かも分かりません。



 ★ 自然豊かな地方でゆっくりと暮らすことを考えてはいかがでしょう。
 ☆ そうですね。それでは ごうつぃぐさんの展望では もう手遅れだというご診断なのでしょうか? もうのぞみ薄でしょうか。

 ★ 多分、都会では人が多すぎてこれからも生きていくのは大変ですよ。
 ☆ もはや 未来は ないでしょうか?

 
 そうですね。
 ★ 島国根性、出る杭は打たれるなどたくさんありますね。
 ☆ これらを変えてみたい。と考えます。《考える》ことをおこなうように 持って行きたいと考えます。資本は何にも要りませんから かんたんなものです。

 という展望へ変えてみていただけませんか?

お礼日時:2014/04/10 15:11

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