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ここで言う自我というのはデカルトの「我思う故に我あり」的な、自分が自分であると意識している自分という時の自我です。
現在では、「自分が自分だと意識する自我」というのは人間が生れつき誰でも持っているもので、赤ちゃんから大人に成長するにつれて自然に出て来るものだ。と思われていますが、ではデカルト以前の封建社会時代にそのような自我はあったのでしょうか?江戸時代、平安時代、言葉の無かったような時代の人達にもこのような自我というのは自然にあったものなのでしょうか?

A 回答 (6件)

この問題を哲学的に考えると答えはでないと思います。


しかし、言語学的に考えると答えがでそうです。
そのヒントが日本語とラテン語の比較です。
日本語はもともとは主語というものがありませんでした。
一方、ラテン語は
主語+作為動詞+目的語
の形を取ります。
すなわち、(作為の)主体と(作為される)客体が言語的に区別されます。
このような言語を使う人間には「我」という概念が生まれるはずです。
日本語に主語がなかったということは、表現される文が、
人間が自然に何かを行なうというよりは、
起きていることを記述するものであったと思われます。
(現在の日本語は中国語や英語などの影響で主語を持つことがある)
言語がない場合、人は起きていることをそのままイメージで認識するわけですから、
記述文に近いと考えられます。
日本やドイツなどの主語を使わない民族の特徴は
おそらく、自然と調和して生きている。
(ドイツ民族はゲルマン民族で、長い間野蛮人だと見なされていた)
一方、中国、インド、ローマのような主語を使う民族は
文明を築いた人々です。
それで、これらの人々は自然を自然のまま受け入れず、
自分たちの都合のいいように人工のものに変えて利用した民族ではないでしょうか?
以上、私の考えです。
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ニュートンと同じではないでしょうか。



ニュートンが気がついただけで、気がつく以前から現象は存在すると思います。
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自我を最初に哲学的に考え始めたのはソクラテスだといわれています。

自省というか、俺は知らないことがある(かも知れない)、という心の働きですが、これはかなり高度な精神の働きで、やはり言葉を知らないと生まれてこないと思います。なので原始人は自我を持たなかったと思います。「考えないヒト」という正高信男氏の本には日本人は昔から自我が無く、家族主義でずっと来た。自我の文化は明治以後漱石などが根つかせたが、もともとベースが無かったので、ケータイ文化が浸透してきたら若い人間は考える言葉を失い、また自我を持たなくなって、社会的バカ人間、せつな的キレ人間がふえてきたというような趣旨の事を書いています。

>在では、「自分が自分だと意識する自我」というのは人間が生れつき誰でも持っているもので、赤ちゃんから大人に成長するにつれて自然に出て来るものだ。と思われていますが

そうなんですか。私見によれば気がつくヒトは気がつきますが、(自分には自我があるなどと)気がつかないヒトも多いのではないでしょうか。個人主義の進んだ欧米は宗教の関係で孤独ではあっても自分の良心との対話があって自我に気づきやすい文化なのでしょう。日本人はどうでしょうか。おそらく自然に気がつくヒトは少数なのではないでしょうか。

ご質問とずれているようならすみません。
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自我があったから、「我思う故に我あり」等の言葉を後付しました。



論理的思考が深まるにつれて、様々な言葉を付していますが、本質は「自他の区分」にあります。

自我は我侭の事ではないので、奴隷であっても自我が有る事に何の問題もありません。


それとも貴方にとっての「自我」と言うのは、定義が違うのですか?
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自我は、肉体の中に発生するのではありません。


肉体を含む全宇宙は、脳の中の現象なのです。
言い換えれば、自我とは「自分の内」ではなく、「自分の外」
こそが自我なのです。

環境認識こそが自我であり、生物学的に言えば、五感の
相関した経験の蓄積において、光や音などの情報性の高い
先行感覚の新たな感受において、より生理的な影響に関わ
る感覚を励起する=そこに行けば何が起きるか予測する=
空間的な広がりを感じる事です。
脳のない生物では、感覚と行動は条件反射的に結びついて
いるのに対し、脳の発達において五感からの入力が神経線
維網(ニューロネット)を成し、そのネットワークの中に外界
からの刺激を元に再構築するのです。
それは、どこかの時点で突然発生したという事はなく、脳の
発達と共に徐々に発生したというのが正しいでしょう。

量子論的に、有限な存在性(=宇宙)は認識される事で派生
しており、その「宇宙」は、自我の目覚めと共に発生し、死と
共に消失すると言えます。
その場合、「いつからあったか?」という問いに対する確かな
答えは、「あなたの自我の目覚めから」になります。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面(認識可能性)の運動を想定すれば、相
対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用
パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての
宇宙を認識するのです。
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ヤフーの知恵袋でも同じ質問をしているのを見ました。


それに回答したのが私一人だったので、OKウェイブで質問しているの?
その中でも説明したけど、デカルトの「方法序説」と「省察」を読んだならば分かるように、その大半が神の存在証明に充てられているのを知っているはずです。
そして「われ思う、ゆえにわれあり」が、ほんのついでにちょこっと述べられているのにすぎない、ということも知っているはずです。
デカルトにとって、一番大切だったのは自我だとか心を身体と区別して、自然界から分離することに主眼がありました。
自然界から自我とか心を切り離すことで、自然界が数学によって合理的に考えられるものになります。
そしてその自然界は神が創造したのだから、人間も神によって作られたものであり、人間の思考はア・プリオリに明証的である、だから自然界の秘密は数学によって解き明かすことができる、ということがデカルト哲学の目標であって、自我とか心は余計な寄り道なのです。
デカルトにとって自我とか心なんてどうでもよいのです。
17世紀の「科学革命」の最大の功績者がデカルトです。
17世紀の「科学革命」は古代ギリシャのアリストテレスの「自然学」の運動概念と「天体論」を打倒して、新しい数学的自然学を樹立することに目標がありました。
デカルトは哲学者である前に、何よりも数学者であり科学者でした。
たいていの人はかれの「われ思う、ゆえにわれあり」にばかり注目して、かれが数学者・科学者であることを忘れています。
自我とか心はデカルトにとって、自然界から魂だとか、精神的なものを分離した時の剰余、残余にしかすぎません。
実質的なものは自然に集まったので、剰余・残余でしかなかった自我とか心は内容空疎なのです。
まあ、例えれば、お豆腐を作った時に残った「おから」みたいなものです。
しかもデカルトはその剰余・残余にしか過ぎなかった、自我とか心をそれ単独で存在する実体だと言って、そこから自分の哲学体系を演繹的に構築しました。
剰余・残余でしかなかった自我が、逆転して今や世界の中心になりました。
だから自我がある、心があるというのは自然を機械化・数学化したことの副産物であり、剰余であり、その裏面なのです。
自我とか心というのはなんら実体ではなく、それ自体で存在するものではなく、自然界を量的なものに還元したその副産物なのです。
デカルトの心身二元論は、かれの自我の「形而上学」に基づきますが、自我とか心が実体ではありえない以上、それは間違いなのです。
自我とか心というのは実体ではなく、ただの言葉です。
だから人間の身体を、脳を解剖したからと言って、自我とか心というのはどこにもないのです。
英国の哲学者・ギルバート・ライルは自我とか心があるという考えを「機械の中の幽霊」と言いました。
身体が機械だとしたら、自我とか心はその身体のどこにもないという意味で「幽霊」と言ったのです。
私たちは自分が自我とか心を持っていると思っていますが、それはただの言葉であり、幽霊なのです。
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