海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

大東亜戦争と呼ばれてる戦争は、本当に日本は戦うしかなかったのですか?戦うしか道がなかったと言われていますが本当にそうなのですか?他に方法はなかったのでしょうか。あと、日本ははっきりとものを言いすぎるために戦争する力もないのに戦うしかなかったということになったのではないかと思うのですが違っていましたら指摘してください。

A 回答 (14件中1~10件)

 戦前、日本政府は日本軍に対する指揮権を持っていませんでした。

(統帥権の独立)
 従って、軍事作戦の中止・撤退などを決定する権限は日本政府にはなく、軍自身が決めるものでした。

 1937年 7月  日華事変勃発
 1938年 5月  国家総動員法施行
 1940年 9月  北部仏領インドシナ進駐
 1941年 4月  米穀の配給通帳制
 1941年 7月  南部仏領インドシナ進駐
 1941年 8月  対日石油禁輸
 1941年12月  対米開戦

 長期間に及ぶ中国との戦いだけで、日本の国力は限界に達していて、国家総動員法・食糧配給制が始まっています。

 ここで、アメリカから石油禁輸が行われます。
 当時の日本では、産業のエネルギーは石炭に依存しており、石油総使用量の50%は日本軍によるものでした。(民間の船は、石炭を燃料としていましたが、速度を急変させる軍艦用の燃料は重油でした。また戦車・飛行機の燃料も石炭では不都合です。)
 アメリカからの石油禁輸は、中国での長期戦争継続を事実上不可能とするものでした。

 つまり、ここでの選択肢は、次の2つになります。
1、中国から撤退する。
2、オランダ領インドシナ(現在のインドネシア)に侵攻して、石油を手に入れる。

 ここで、1、2の選択肢があると考えるか、2の選択しかないと考えるかで、「日本は戦う以外の道もあった」とするか「日本は戦うしかなかった」と考えるか、判断が分かれるでしょう。

 ただ、当時の日本軍にとって、中国からの撤退=敗戦は、東京の参謀本部を無視して中国と開戦した現地指揮官に対して何万もの戦死者を出した責任追及をすることになります。
 中国との戦いの長期化・泥沼化は想定外として、当時の高級軍人(軍事官僚)は、現在の官僚と同様、責任回避の方向に走ったようです。 

<参考> 戦時中の生活
 http://homepage3.nifty.com/yoshihito/haikyuu.htm
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それは「論より証拠」だと思いますけどね。


時間というものは常に繋がっているので、基本的な考え方は今にも受け継がれているものです。

何が言いたいかと言えば「~しかない」などと言う言葉は今でも「常套句」として用いられています。
「~しか無かった」なんて言われると、さも「いろいろと悩み抜いた挙げ句の結論なんだから仕方がない」なんて思わなければならないのも日本のしきたりのようになっています。

でも冷静に考えれば「~しかなかった」なんてのは、あらかじめ用意していた場合がほとんどで、それで失敗しても「俺だってやりたくなかった」なんてワケのわからない言い訳をやる前から用意しているのも、これまたお約束です。

今も中国に追い抜かれるのは確実、韓国にだって勢いから言えば、じきに追い抜かれるでしょう。
もうそろそろ「戦うしか無かった」なんて言葉が出てきそうですね。
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詳しい回答もでていますが、一般国民の常識レベルでいえば、ABCD line(ABCD包囲網)により、南の石油運搬ルートを遮断されたことにより、開戦以外の選択がなくなったといわれていますね。



あと外務省についていえば、最後まで戦争には反対の立場でした。開戦のあとのことについては海軍も悲観的だったといわれています。
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中国で日米経済摩擦が起きていたのが潜在的な背景です。


発言どうこうの問題ではありません。
アメリカの利益、政権与党の利益、大統領の利益がどこにあるかの問題なのです。
アメリカが日本と戦うことに利益がある、日本から中国の権益を奪うことに利益がある、輸出競争で負けた中国市場を武力で奪うことに利益があると見定めた以上、戦争を避ける道などあるわけがありません。


世界史を見るにあたって世界の隅っこの日本など見てもしょうがありませんよ。
当時の世界の超大国はアメリカであり、世界史の中心はアメリカなんです。
そのアメリカ発の歴史の中でどう生き延びるかを必死に模索したがその道などなかったというだけの話で、いくら日本の中を見たところでなにも答えはでませんよ。
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「八紘一宇」とか「大東亜共栄圏」とかスローガンを挙げていたのは、西はインド、南はオーストラリア北部、北はアリューシャン列島、までの植民地を現地の人々に取り戻す、という「タテマエ」での各地の資源目的の共同体を確保したかっただけなのですよね。



あら、最近「東アジア共同体」とか「教育勅語」とか聞くのに似てますねぇ。

とはいえ、ほとんど島国で、海で分断されているこの環太平洋エリアを大日本帝国の軍事の保護下に置こう、っていうのが資源もない当時の大日本帝国には荷が重すぎる、というのは論理的な国政ならとっくに却下していたことでしょう。

さらには、背後を取られる形の中国大陸(清から中華民国時代)が独立のために戦っているのですから、兵法としてもあり得ない無駄の多い陣形です。そりゃ、力で勝負しては負けます。

そんな陣形になるくらいなら、力でどうこうせず、連合国側の植民地にされていた国々を独立の機運を高めさせるような謀略でもしていたほうが、どれだけ安くついたことでしょう。
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歴史にifはないんで、こんなことは言っても仕方ないんですが、マトモに交渉していれば、最低でも朝鮮・満州を保持した状態で、連合国側と協調関係を築くことは確実に可能だったと思います。

(場合によっては、満州に加えて関内の一部も)

当時の日本は、はっきりモノを言い過ぎると言う以前に、そもそも、外国から見て「日本の主張」が全く分からない状態でした。日本国内のいろんな勢力(陸軍、海軍、政府内の派閥など)が好き勝手に発言、行動していたので、外国から見ると、日本は何を考えているのか、日本として本当に譲れない最低線はどこだと考えているのか、などが全く分からない不気味な交渉相手だったでしょうね。
外国から見た当時の日本は、同時期のドイツが良くも悪くも、ヒトラーの考え=ドイツの考え、とはっきりしていたのと対照的です。
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そう、だから軍部の公務員が悪いのです。

国を潰し国民をなんとも思わない、最悪なのです。中国共産党より賢くないのにマシに思えるのは日本国民の家畜性が高いだけで気のせいなのです。最悪なんです。
ソ連が攻めてきたら関東軍は全滅覚悟で民間人を守るべきなのです。関東軍ではなくて、日本人を虐殺した米軍であれば米国民を守るために死ぬ気で戦います。関東軍は真逆をしたのです。ソ連中国の民度なのです、日本の公務員と信者は。
道路公団や年金基金のように公務員の利権を放棄するなら日本の政府を破壊するという反日公務員は戦前からなのです。
軍人公務員のシナ利権であって国民の利益はマイナスなのです。
それを当時も今も支持する公務員信仰の家畜なのです。民度なんです。
最悪さに気がつきましょう。外人は日本人が家畜民のままの方が言い訳だから、日本人の民度の低さを教えてくれません。
全部失っても信仰をやめない土民が事実なんです。
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戦争を回避するためにはアメリカの要求通り中国大陸から全面撤退(満州を含む)しなければなりませんでしたが、


陸軍にとっては、日清戦争の三国干渉で臥薪嘗胆を誓い、日露戦争で多大な犠牲を払ってやっとのことで獲得した権益を戦わずして放棄するというのは有りえない選択肢です。
もし政府が戦争回避を強引に進めようとすれば、
高い確率で軍事クーデターがおこり、純軍事政権が誕生して日米開戦となるか、軍部が分裂して内戦状態になるかのどちらかだと思います。
それが明らかだったため開戦せざるを得なかったのです。
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これは軍部の暴走と外務省の馬鹿さによるものです。

公務員の反日性によるものです。戦争戦略というものはないのです。各公務員の利権の連鎖が戦線を拡大する結果になったのです。現在でも年金制度や消費税など役人利権の確保で暴走している日本ですが民主主義なのに馬鹿保守のせいで止めるどころか日本滅亡が加速しています。大事なのは反戦とかではなくて国防婦人会的な一億思考停止が国を滅ぼすのです。まるで公務員信仰を反省していない馬鹿日本民族に軍事的な予算を拡大すると役人利権が増大しその維持のために暴走します、暴走とは戦争の事ではないと述べたとおり、国民が不幸になっても国防というのをやめられなくなる搾取の事です。
シナに勝つことさえ出来ずにアメリカを相手にするのは単なる無責任です。前述したように各公務員の利権確保がアメリカを相手にする選択をすることにつながったのです。アメリカとどう戦うかという研究してもしなくても一緒なのです、その作業自体もその作業をする公務員の利権にすぎないのです。
シナから撤退するしかないのですが、つまり年金制度を廃止するしかないのですが、それでは国に尽くした人が可哀想だという詐欺によってさらに国(公務員)に搾取されるように国を滅ぼしていくのです。馬鹿保守、無能保守です。馬鹿でも出来るから馬鹿が選ぶ現状肯定の無能者は黙っていればいいのです。
石油確保が出来ずにシナを攻め続けるのが平和ボケならぬ戦時ボケ、つまり役人信仰ボケなわけです。
アメリカにさからったらシナ攻略できないのにアメリカにさかってシナ攻略してハルノートはアメリカの陰謀だというのは小児キチガイです。
石油確保の状況ならばオランダに限定して戦うような手順を踏めば正当化できるのですがアメリカを先制攻撃しちゃったのです。役人信仰ボケです。
要するにそんな役人に威張らせている結果ですから民族のレベルが低いという事実なのです。
そられの民族的な馬鹿事実を無反省に屁理屈でひっくり返す馬鹿こそが韓国人と同じ価値観の劣等民族なのです。
現在の日本人は朝鮮人化しています。パチンコを警察が排除できずに外人と癒着するような逆植民地状態のくせに韓国人より優秀だというのは李氏朝鮮の恨の文化です。ずっと屁理屈ばかりこねて戦わなかったのが儒教国家なのです。理屈で勝っても無意味なのに。ネトウヨや安倍保守はキチガイ儒学であり文明人ではありません。
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当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。


GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。

では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。
私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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