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ピアノコンクールに出た際、講評を頂きました。

1分程度の課題曲を弾いたのですが審査員の先生はその間、ずーっと講評を書いてらっしゃいました。

頂いた講評はぎっしり書かれていました。

1分間、ずっと講評を書いていたのではないかと思うほど。

こうしてパソコンに入力していてテレビがかかっていれば私はテレビの音は耳に入りません。

何かものを書きながら音楽を聴き、感想を書くなんて難しいと思うのですがいかがでしょう?

ちなみに講評はあたりさわりのない最初の数小節を聞いて書いたとしか思えない言葉ばかりでした。
数人のを見ましたが「メヌエットの意味を考えましょう」とか曖昧なものが多かったです。

みなさん講評についてどう思われますか?

A 回答 (5件)

とくに小学生などの子供向けのコンクール(場合によっては大人であっても)では、うまい子はずば抜けていて圧倒的にうまくて誰が聞いても文句なしにうまい、となるのが普通です。



それ以外の多くの子は、(よほどひどい子をのぞけば)、どんぐりの背比べとしか言いようがない感じなわけで、講評といったって、そんな取り立てて書くことはないです。審査員も仕事なんで、いろいろ書くでしょうけど、それこそ1分聴いただけの先生の講評を、いちいち気にしても仕方がないです。
普段習っている先生の指導を信用されるほうが良いのでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/24 22:11

》 数人のを見ましたが「メヌエットの意味を考えましょう」とか曖昧なものが多かったです。



お母さんには曖昧なコメントに見えるかもしれませんが、その曲の表現として基本的なことです。テクニック以前の問題かもしれません。

いろいろ、ぎっしりと書かれていたのは、ピアノで表現するとはどういうことかについて理解してほしかったのではないですか。
 
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>みなさん講評についてどう思われますか?



「がんばりましょう」「よくできました」「すばらしい」、「格段に素晴らしい」。
概ね、こんな感じでわかれると思います。前3つは、凡人用。最後の一つが、100人に一人用。
100人に一人の逸材が毎年出てきて、そこから10年に一人の逸材が出てきて、その中から半世紀に何人か、真に聴くに足る演奏家が、でるかでないかが、音楽の世界ですから、コンクールの序盤では、概ね、「はいはい。頑張ったね。けど、音楽を愛しているなら、もうちょっとは頑張ろうね」が山のようにいるだけです。

凡人と逸材は、簡単に区別がつきます。
オープンなコンクールに聴衆として参加してみて、結果に納得がいかないことは稀です。
ただの音楽ファンであっても、「退屈極まりない凡人の群れ」が毎年続き、何年かに一度、「お、いいじゃん」というのがいれば、極端に言えば、はじめの一音を聞いただけでわかります。
評者の席にいる人にとっては、もっと明確極まりないでしょう。

>書きながら音楽を聴き、感想を書くなんて難しいと思う

端的に言えば、いわゆるマルチタスク能力の一つですが、難しい人もいますし、容易な人もいます。
聴きながら書くことは、難しいことではありません。
「書いていたから聞いていない」と単純にとらえるのは、誤りの場合があります。

なお、おそらく、聴いたうえでの評価だと考えられますが、聴いていない場合もあります。
「聞きつつ、書いている」ではなく、「はじめの1音、はじめの数小節だけしか聴いていない」という感があるようでしたら、それは、「これ以上聞く価値がない。聞くに堪えない」という評価だと受け止めるのが妥当です。音楽は短い曲であれ、全体で一つです。

>「メヌエットの意味を考えましょう」とか

そう書くしかなかった、というのが妥当な解釈だと思います。
「大変すばらしい。是非、私の弟子になってもらえないだろうか」とでも言われる以外は、「解釈を豊かにしましょう」も「N小節目のX音を、もう少し長く。全体のタッチを云々、長々」と書かれていても、同じです。どちらも「そこそこ弾けるね。頑張ってうまくなれるといいね」という評価でしかないです。

決定的に至っていなければ、具体的であれ、抽象的であれ、未熟であるに変わりはないです。
1分講評のレベルであれ、いくらかコメントをもらえただけでも、真摯な姿勢であれば伸びますし、「たかが1分で何がわかる」という姿勢であれば、伸びません。

>ぎっしり書いてあった

ならば、良いではないですか。
こういうサイトで、質問をして何等かの回答を得ながら、反応をしない者も多くいます。
そういう最低限の振る舞いすら行うことができない、人格として未熟な者(人として最低限の何かが欠けている真に愚かな者)が多い中で、「評者の席にいる以上、たとえ1分の演奏であれ、その演奏者に対して、コメントを返す。時間の限り、何等かを」という姿勢は、(その立場にあるものであれば当然とはいえ)なかなか立派だと言えます。

本心だったら、「聞くに堪えない」「出直せ」「音楽なめるな」「親の顔が見たい」などを書きたくなる者が多い中、それなりに、音楽的な評価を与えようとする姿勢だけでも、それは、詩的な創作と言えるでしょう。

そういう風に楽しむと良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
ヘタクソな子の講評もベタ褒めだったのでうんざりでした。

お礼日時:2014/06/23 13:28

 1人が1分の課題曲ということは、一体何人の演奏を聴いて、講評を書かなければいけないのでしょね、その審査員は。



 はっきり言って、全員の演奏に対して全身全霊を注いで聴いて講評を書いていたら、集中力や体力がもたないと思います。
 ということは、最初の数秒で判断して、あとは聞き流しながら講評を書いている、ということではないでしょうか。

 専門家なら、数秒聴けば良い点、悪い点が分かる、というのは好意的な解釈。

 初心者の陥りやすい問題を何パターンか用意しておいて、数秒間でそのどのパターンか判断して、そのパターンの対する定型講評を書く、というのが、一般的な解釈。中級者用、本当にうまい人用にも用意しておく。

 審査料をもらっているので、適当に何か書いている、というのが最悪の解釈。どうせ素人のアマチュアなので、どんな講評でもありがたく受け取り、当たり障りのないことを書いておけば、傷付くことも落胆することもない。どうせ、将来この道で大物になることなどないのだから。

 いえ、その審査員がそうだと言っているわけではありませんよ。そういう可能性もある、という想像です。
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この回答へのお礼

やっぱり聞き流しながらの講評ですね。
高い参加料を払ってそれでは本当に嫌になります。

お礼日時:2014/06/23 13:26

最初の音、最初の小節で見極められたのではないでしょうか。



うちの娘も鍵盤楽器をやっていますが、私が聴いても、気が入っている、入っていないとか、やる気の有無は、単調な曲であっても、幼児科の頃から今に至っても分かります。

審査員というか先生というかそういう人相手であれば、より誤魔化しはきかないでしょう。誤魔化しでなくとも、気乗りしない、乗れていないというのは素人以上に、すぐに分かるでしょう。

恐らく、講評は技能云々よりも、練習不足や練習に対する取り組み方、曲の解釈などについて書かれていたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

色んな子のを見てましたが
前の子の講評を書きながら次が始まり・・・結局一度も顔をあげることなく終わったのもありました。

ばかばかしくて・・・(笑)

お礼日時:2014/06/23 13:27

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