都道府県穴埋めゲーム

言語相対性仮説ってありますよね。それとチョムスキーの生成文法。

言語習得は認知を決めるのか、先天的に普遍文法があるのか。

現在は後者が中心で前者が弱く認められているということなんだと思います。


日本語での物の認知って、やはり特色があると思うのですが、いったいどんなことだと思いますか。

以前、英語で今日あったことを書いてみると意外にすごい論理調で整理されたように思えます。
ただそもそも第2言語は考えて書くからなのかもしれないですが。

もし弱くも影響するとして日本語しか使わない生活だとどんな神経など認知上どんな歪みや弱点などあるのでしょうか?

(日本語がおかしいとか否定しているのではなくて、もちろん日本語はちゃんとした言語だと思ってます。)

そして、都合よすぎますが、もし日本語を補完する言語があるとすれば、何になるでしょうか。

A 回答 (4件)

 チョムスキーの理論に対しては、それに合わない言語が実在していそうだという研究もあり(ただ、その言語の文法等の解明がまだ)、未解決問題の一つだと考えるべきではないかと思います。

言語的相対性も同様でしょう。

 画像イメージは言語化すると曖昧になることが知られています(例えば、言語化せずに顔写真を記憶するより、「メガネで口ひげの男」と言葉を助けにして覚えると、似た人物を見分けられなくなるという心理実験がある)。単なる折衷案が落としどころでもないようです。矢印などは言語以上の直感的で具体性をもつ記号です(添付画像参照)。

 何かを説明するとき、母語と、一定年齢後で習得した言語(第一外国語)では異なる見解になる傾向があることが知られています。その原因ですが、直感と熟慮の差がありそうです。ある多人数経済シミュレーションゲームなどで知られていることですが、即座に自分のターンを終えさせるグループと、ターンを終えるまでに一定の時間を課したグループでは判断に差異があります。前者は他のプレーヤに対して協力的、後者は自分の利得のみを最大化する傾向が出ます(ちなみに、プレーヤの最終的な利得は前者のほうが大きいことが多い)。

 そのことは質問者様も、

>ただそもそも第2言語は考えて書くからなのかもしれないですが。

とお感じの通りです。

 日本語に限らず、母語では直感という傾向が出ます。協力的傾向が出やすいことから、日常的にはメリットが多いと考えていいかと思います。しかし、複雑なことをたんねんに考えるときは、見過ごしなどが起きやすくなるデメリットもあります。確率問題などは、しばしば直感と反することがあります。例えば、91%の精度で乳がんを検出するマンモグラフィーで再検査となっても、再検査される人のうち、実際に乳がんがあるの約3%しかいない、といったことです。

>そして、都合よすぎますが、もし日本語を補完する言語があるとすれば、何になるでしょうか。

 全く異なる言語がいいでしょう。もっともやりやすいのは英語でしょうか。印欧語の一つですが、日本語(アルタイ諸語)と縁もゆかりもないため、文法や単語に類似性が一切ありません。しかも表音文字です。

 韓国語は文法が似ていますし(機械翻訳の精度が高いのはそのため)、中国語は現在は簡字体のことはあるものの、漢字という点で深いつながりがあります。

 英語に限らず、フランス語、ドイツ語等々の印欧語は教材も多いし、学びやすくて根本的に日本語と異なる言語ではないかと思います。そういう言語では思考イメージを具体化するのに、一からよく考えなければならず、熟慮の助けになります。
「日本語での認知の歪み」の回答画像2
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この回答へのお礼

「直感と熟慮」は確かに使う脳の部分も違うようです。

>画像イメージは言語化すると曖昧になることが知られています

いわれてみればそうかと思います。

印欧語はそうなんですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/05 17:58

1。

  言語習得は認知を決めるのか、先天的に普遍文法があるのか。

    ある言葉を喋るのは認知を決め、先天的に普遍文法があると思います。

2。日本語での物の認知って、やはり特色があると思うのですが、いったいどんなことだと思いますか。

   「やりもらい」など特色の一つのように思います。

3。  もし弱くも影響するとして日本語しか使わない生活だとどんな神経など認知上どんな歪みや弱点などあるのでしょうか?

    あるのかも知れませんが、日本語が母語だからか、あまり気になりません。

4。 そして、都合よすぎますが、もし日本語を補完する言語があるとすれば、何になるでしょうか。

    日本語はそれなりに完全なので、それを補完する言語って肝心なことが全部抜けた蝉の抜け殻みたいな言葉ですね。そうだと何だか言葉として独立できないような気がします。

5。  1のお答えが矛盾しているようですが、次元が違うだけで両方ともあるのではないかと思います。普遍の何かがあるから「翻訳」が可能だし、認知が違うから「言葉の差」があったりする訳ですから、、、
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この回答へのお礼

なるほど。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/05 18:01

後天的な経験と刺激だけで言語が獲得を可能にさしている認知能力と、日本語の特色との関連性ですかね…



まず、日本語の言語の獲得さしている土台は、前から言われているよう、ーナル 状態にスポットをあて、言語化を行う 傾向があります。

日本人は 成立 にこだわる傾向があると思います。

例えば、君は 今まで 何を していたのか? とか、 それ楽しいの?とか、 動作の成立に関わるような話し方をする傾向が多いと思います。

日本語は欠陥言語というのは、英語教育の弊害なので気になさらずに良いと思います。
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この回答へのお礼

> 動作の成立に関わるような話し方をする傾向が多いと思います。

文法の組み立てに述語、動詞がだいじなのですね。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/05 18:00

この文章自体変ですね。



>英語で今日あったことを書いてみると意外にすごい論理調で整理されたように思えます。
思っているだけでしょう。
ネイティヴスピーカーから見ればおかしな物でしょうね。

何語でも良いから文章能力を習得し、磨きをかけることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/05 18:00

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