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40代既婚子無し無職主婦です。

私の慢性的な悩みは、好きな事、やりたい
事が全くない事と、人との関わりが上手くいかない事です。

生い立ちにとてもコンプレックスがあります。

私は両親と姉の4人家族で育ちました。

父はとても家族愛が薄い上に社交性もなく、虚弱体質で休日は寝てばかりいました。
あと、極端に機械に弱く、カメラなどが苦手で、車の免許もなく、うちには車がありませんでした。
そんな不器用で頼りない父に母はいつも苛立ち、子供の運動会の記念写真くらいまともに撮れない事と、車が無い為、買い物はいつも母が自転車の前かごと荷台にダンボールをくくりつけ、汗水流して眉間に皺を寄せて疲れ果てて帰って来るのが常でした。

住まいは私が小学校中学年までボロボロで洗面所も風呂もない長屋でした。

母は機嫌の良い時と悪い時の差が激しい人で、根本的には家族の為に自分を犠牲にしてでも尽くす部分があったのですが、怒りに火がつくと、暴力と暴言が容赦なく飛んで来るとてもヒステリーな一面がありました。

私はちょっと変な子供だったらしく、母からしょっちゅう「出て行け」「死ね」「何でアンタなんか生まれて来たん?」「アンタなんか私の子じゃない」と怒られる度に暴力と共に言われ続けました。

母を怒られせると私だけ食事を抜かれ、家が狭いので家族全員が同じ部屋で就寝していたのですが、私の寝相が悪く、就寝中、母を何度も蹴った夜があったらしく、「アンタのせいで夕べ寝られへんかった」と憎々しく言い、布団を被って寝ているのに布団をはがして何度も何度も叩かれた事もあります。

そう言う時、父は母の手を止めるふりはするのですが、本気で止めさせようとしてるようには見えませんでした。

姉も意地悪な面が私の記憶には色濃く残っています。

外で一緒に遊んでいる時、近所のおばさんに私が怒られたりすると、心痛めるどころか笑ながら冷やかしました。

あと、幼い頃、親の目のない所で年上の従兄弟2人の前で全裸にされ、恥部をさらされた事があります。
従兄弟は男兄弟2人で女兄妹はなく、興味津々で身を乗り出して見ていました。
幼い私は何と無く恥ずかしかったと記憶していますが、どうする事も出来ず、無抵抗にされるがままでした。

親類縁者が皆不仲か疎遠でしたが、その当時は比較する対象を知らなかったので、自分の境遇が特別おかしいとは思っていませんでした。が、母からいつも親戚の誰かの悪口を聞かされて育ち、悪口を言っている相手と会った時には仲良くするのが不思議で仕方ありませんでした。

祖父母からも孫の中で特別可愛がられた記憶もなく、祖母が晩年、姉(初孫)の記憶はあるが、私の記憶はあまりないと傷つく一言を親戚の集まりで言われた事もあります。

親姉妹に限らず、幼い頃から人から大切にされた記憶がありません。
いつも邪険な扱いをされ、味方してくれる人もいた事がありません。

塾の先生からも点数の悪い答案用紙を表向きにして前の席の生徒から順番に渡り、私の手元に届く様な返し方をされたり、クラスメートからも皆の前で失礼な事を言われても庇ってくれる人は誰もおらず、私を軽く扱う人が増えるキッカケになるのです。

年齢が離れた男性上司やカーディーラーのセールスマンからもこちらは最大限に気を使って接しているつもりなのに、いつの間にか攻撃対象にされていたりで、四面楚歌です。

夫の両親とも折り合いが悪く、舅からはアンタ呼ばわりで、姑からは夫の実家に帰省すると食事時、必ず、夫と夫の弟の名前だけをわざわざ呼び、「たくさん食べてね」と居心地悪くさせる言動をとられますが、夫は見て見ぬふりです。

夫は私と夫の知人を交えると、いつも私を置いてきぼりにし、私の知らない話を2人でずっとしていたり、夫と知人が並んで歩き、私は2人の背中を見ながら後ろを歩くのです。

夫の友人、知人の中に私を侮辱する様なアダ名で呼んでくる人が居たり、夫と私が2人で居る所にわざわざ来て、私には一瞥もくれず、夫にだけ挨拶する人もいますが、夫は私の気持ちに寄り添う事なく、その人達と変わりなく付き合います。

以前、百貨店の贈答用果物の店でお供え物に買ったみかんが店頭に並んでいる物より一回り小さなサイズだけを箱詰めされていた事があり、抗議の末、代替え品を届けさせましたが、相手を選んでの対応だと思うので、惨めでした。

長年通っていたネイルサロンのネイリストからも不機嫌な時は容赦なく突っかかられ、身長が低い事を「かわいい」との言葉で馬鹿にされました。
彼女の後輩のネイリストからも会話中の相槌に「ウンウン」と言われ、その上、「私、◯◯さんの時、気い抜いてますよね~」と舐めた扱いを受けました。

普通にしていると、攻撃対象にされ、フレンドリーに接すると舐められ、尊重と親しみやすさを同時に手に入れられる人と自分は何が違うんだろう?といつも悩みます。

暫く通っていた鍼灸院の歳上女性鍼灸師からも会話の中で夫が長期出張なのを知ると「置いて行かれたんや~」と、嫌味発言され、私は人の意地悪心を刺激する何かがあるのかな?と感じました。

幼い頃から無表情とか怒ってるみたいと言われ、最近では疲れてると言われます。

もうここまで来ると、人と挨拶以上の会話をするのが恐くなり、半引きこもり状態です。

私の様な境遇はアダルトチルドレンになるのでしょうか?
発達障害も懸念しています。

特定の物に対する執着が強く、身の回りを好きな色の物で固めています。

洗濯物の干し方にも拘りがあり、タオルの上下や裏表が同じ向きでないと直さないと気が済まないのです。

音に敏感で声の大きな人に強い嫌悪感を抱いてしまいます。

人との折り合いが悪いだけでなく、いつも無気力で趣味も目標もありません。

起きている時間の大半が眠しんどく、起きていても活動できない時が殆どです。

潔癖性でもあり、ジムのお風呂や温泉の大浴場も気持ち悪く、公共物を素手で触るのに抵抗があり、スーパーのカゴやカートの取っ手はアルコール除菌シートで拭いています。



とりとめのない文章になってしまいましたが、私の育った環境はやはり普通ではないのでしょうか?

それと人から攻撃や侮辱を受けやすい人と尊重される人との違いも知りたいです。

生育環境が影響しているのかどうかも知りたいです。

生きていても毎日砂を噛んでいるみたいです。

A 回答 (23件中1~10件)

こんにちは。



質問内容を拝読させて頂いた感想ですけど「被害妄想的な考え方」だと思いました。

私の両親も父親が封建的な古臭い考えで、母親は19歳の若さで結婚したせいか子供の躾には厳しいだけの世間知らずでしたから、私も親には反抗的な考えを持って育ちましたが、生んで育ててくれた感謝の気持ちは成人する頃には持ってました。

これは、私が長男に生まれたこと、そして私が20歳の時に父親が病死してしまったことも大きく影響してると思いますが、母親を長男として守って恩返しをしたいと思うようになりました。

そんな思いがあったせいか、私は26歳の時に結婚して27歳の時には父親になりましたので、家族を養うために懸命に働きました。

世間知らずの母親と同居の新婚生活でしたけど、母親を慕ってくれる共働きの妻には感謝の気持ちで一杯でしたから、常に前向きな気持ちで頑張れました。

そして、私達夫婦に生まれた3人の子供達を育てる過程でも様々な社会勉強もさせてもらいましたので、夫婦共に成長することも出来ました。

家族のことを考えて懸命に働いて生きようという考え方になると「平穏無事な生活でさえ感謝の気持ち」になれるので、他人に何と言われても家族を守るためには屁とも思わない強い精神力で乗り越えるため被害妄想的な考え方になることがないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/22 07:09

あなたはね、何でも悲観的にとらえる癖がついてしまったの。


癖だからなかなか治らないでしょうが、悪癖は治さないと。

生い立ちに不憫なところはあるけど、付随している話は全て悪く受け取った結果でしかない。

あなたの生い立ちは特別だけど、普通と呼べる家庭もないよ。良くも悪くもみんな特別。

全ては悲観的にとらえる事が原因です。意識的に考え方を変えていきましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

何でも悲観的に捕らえる癖…確かに前向きでない事は自覚しています。
投稿内容に書いた出来事がご自身の身にふりかかったら、どうやって前向きに捕らえるのでしょうか?

お礼日時:2014/07/22 10:36

あなたの辛いお気持ち、文面から十分に伝わってきました。


私も生き辛いと感じながら50年近く生きてきたのでとても良く分りますよ。
あなたの中では、幼い頃に抱いた「甘えたい」という気持ちが完了しないままなんですよね。
私もそうだったんです。
何度かチャレンジしてみましたが、親は忙しくてそれどころじゃなかった。
その内私も諦めたんですよね。
もう甘えるのはよそうと。
しかしそうは言っても甘えたいという欲求がなくなる訳でもなく、むしろ日に日に増す訳です。
そこで私は自発的に親を助けることで認めてもらうことを選択したんです。
父親が買い物依存症で、実家の家計は常に火の車でした。
大学進学を断念し公務員になった私は、親に求められるままお金を渡し続けました。
一方私の双子の妹は親の夢を叶える為国立大学に進学し教師になりました。
しかし母の死後精神を病んだ妹は、私を責めお金を無心するようになりました。
私は私でますます仕事人間になり、離婚して子供二人と離れて暮らす羽目になりました。
一度でも良いので、甘えたい時に甘える体験を済ませていれば、私達姉妹はもっとのびのびと自分らしく生きることが出来たと思います。
あなたもそうだったと思います。

で、私はどうなったかと申しますと、自分の健康を省みなかったことで大病を患いました。
現在49歳ですが、3年前から車椅子生活を送っています。
結局自分を大切にできるのは自分しかないことに、ようやく気が付いたのです。
あなたもそうだと思います。
今更母親に謝ってもらっても、父親がメカに強くなっても、私達にはどうでも良いじゃないですか。
もうそろそろ子供の頃に決意した「甘えない」を手放しませんか?
そして自ら幸せになるために何が必要なのかを考えるのです。
まだまだ出来ることがあると思いますが如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
包み込んでくれる様なお優しい言葉に救われる思いが致しました。

親に甘えたい欲求が満たされないまま…、と言う部分は自分では気付いた事がありませんでした。
私はどちらかと言うと、姉と私に対する母の愛情の温度差に辛い思いをする事が多かったです。
当時は虐待と言う言葉すら知りませんでしたし、自分の親の言動がそれに当てはまるかすら、知る由もありませんでした。

年齢が上がるに従って、クラスメイトを初めとする周囲の子達の家庭環境や親子のあり方を知る事になり、我が家は少し普通ではないのかな?と思う気持ちが芽生えるようになりました。

私も30歳頃に親に認められたいと言う欲求が強い自分に気付きました。
母から姉より私が注目されたい欲求が強く、母にとって役立つ自分でいようと相当頑張りましたが、その地位が覆ることはありませんでした。

ある日、実家に行くと母は最初から不機嫌でした。当時、Yahooオークションにはまっていた私は不用品をYahooオクで売っていると話すと、母は、何かを蹴りながら、私の事を「卑しい、卑しい」と何度も吐き捨てました。

私は気がつくと、いつも人の顔色ばかり伺い、スープの冷めない距離にある実家に行くにも手ぶらで行った事はなく、必ず少し高価なスイーツの店のケーキを家族分の2倍の数持って行ってました。

勿論、母の喜ぶ顔が見たかったのもありますが、どこかでそんな気遣いが母の中で蓄積され、私を評価し、頼りにしてくれるんじゃないか、少々の諍いがあっても帳消しにしてもらえるんじゃないか、と言う強い承認欲求があった自分に気付いていました。

でも、その思いは虚しく、母の虫の居所が悪いと簡単に罵倒され、所詮私は母にとって評価が低いままなんだと思い、その日を境に私はすっかり心を閉ざしてしまい、母からの連絡を一切無視するようになりました。

2年余り絶縁していましたが、留守中に自宅の電話に何度も電話があり、在宅時に鳴った電話に出ると、母が膵臓癌に侵されていて、入院するとの知らせでした。

とても複雑でした。

憎しみと愛おしさの入り混じったとても辛い感情でした。

その一報で母の闘病のサポートをする事になりましたが、治療の甲斐もなく数ヶ月後に旅立ちました。

母が他界してかれこれ10年が経とうとさしていますが、未だに産んでくれてありがとうと言う気持ちにはなれません。

怒りに火が着くと相手が子供でも辛辣な言葉で傷つける様な感情的で親になりきれていなかった母を恨む気持ちが消えません。

自分の話ばかりしてしまいましたが、自分を大切に出来るのは自分しかいないとのお言葉に凄く共感致します。

自分が嫌いで自分を大切にすると言う感情を味わった事がないので、それがどう言う感情なのか実感した事がありませんが、健康には気をつけたいと思います。

どうぞお身体を大切になさって下さい。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/22 12:10

これからの時代の流れは善人達に良い事が起きます。


全て人生は自分次第です。
自分自身が幸せになれる道を選ぶしかありません。
ポジティブに行きましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ポジティブになれたらどんなに良いかと思いますが、性格を変えるのはこの上なく難しいですね。

お礼日時:2014/07/22 13:26

「性格」とは、究極的に自分が自分で安心できる「ものの考え方」のことです。

では、このものの考え方はどうして身につけるのかというと性格の基礎の「キャラクター」といわれる部分は、生育歴と親が作った家庭環境です。そこで、自分と「もの」(人も物も含む)との関わりの方法。自分と「もの」をどの様に了解していくかを自然の内に身につけます。難しい言葉でいうと「関係意識」と「了解意識」ということになります。これが性格の基礎です。どの様に関係づけて了解していくかの問題です。人間が生きるための意識はこの2つしかありません。

次に、人の性格を指す意味で「パーソナリティー」という言い方もされます。これは、家庭教育の中で身につけた「キャラクター」を元に、学校の勉強、人間関係、仕事などで学んだことを社会の中で知的に表現できる「人格」といわれる部分です。

人は、子どもの頃のままに、何の自覚もせずに「キャラクター」のままに生きている人もあります。一方、子どもの頃の不遇を教訓として人格形成にいろいろと努力されてきた人もあります。

自分の不遇に気づいても子どもの頃の延長戦で生きていらっしゃる人もあれば、子どもの頃の不遇を教訓として人格向上に努力される人もあります。この違いは、社会との関わり方をどの様に考え、どういう関係であるのが安心した人生を送れるのかについて考えた人、あるいは、考えることをしなかった人、考えることを知らなかった人、考えることを教わらなかった人、等々によって人生の方向は違ってきます。

あなたの「ものの考え方」ですが、未知の体験とかよく知らない人との間に距離感が自然に発生する考え方が特徴的です。ご自分の納得する(安心)距離にものをおき、その位置から少しでもズレると不安になる。という考え方です。その原因は、あなたご自身がおっしゃっている「潔癖症」です。これは、他の人は我慢して関わっているのですが、あなたは独自の価値観を持って、関わっていらっしゃるのです。(洗濯物の話とか風呂の話など)これでは神経の休まる暇がないので疲れます。

これらの原因はやはり生育歴及び生育家庭環境が影響しています。とりわけあなたの母親がヒステリックな女性だった様にお書きになっています。これは、多分あなたの母親の母親も同じような人だったように思います。こういう母親から、心情の能力(相手に優しくするとか協力する。想いやる。親切にする。育む)などを家庭の中で自然の内に習わなかったのです。従って、あなたはまず一番最初に人間関係(友達関係)で困ったことでしょう。どのように友達を関わっていいのかが分からないのです。その結果見よう見まねで関わる様になるのでぎこちなくなります。

母親から子どもは基本「心情の能力」と「人間関係」を生育歴の過程から学習します。一方、父親から子どもが学習するのは「社会」についてです。社会とはどういうものなのかを始め、仕事と自分とか、仕事を通した人間関係などを生育歴の中で自然の内に学習します。

あなたの父親のようなタイプの人が父親だとその子どもは、社会(家の外)の関係がうまくいきません。仕事をしても我慢をしながらの仕事になりますので疲れます。その結果、人より転職をするようになります。人間関係にしても、どうしても友達感覚でいた方がいいのではないだろうか、というとらえ方をしてしまいますので距離のない人間関係を希望することになります。子どもの頃はそういう距離のない人間関係でよかったのですが社会人になるとそうはいきません。人間関係のルールが不全なのです。母親からの人間関係は気持ちが共有できない点での人間関係の不全です。

ご質問文書は拝見する限り、あなたは、あなたの家庭環境及び生育環境の中で当然のようにして「性格」(ものの考え方)の基本ができあがったのです。そして、自分の不都合な点に気がついたがそれを改善する方法が分からなかった。と、言えます。40歳代のあなた、人生の半分しか生きていないのです。これからの人生設計をご自分の手で手がけられてはいかがでしょうか。人生は、不都合な原因が分かってそれを改善したいと思えばいつでも可能です。修正したり改善する過程の努力は楽しいものですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても配慮のある上品な言葉遣いをして下さる方との印象を受けました。

仰るとおり、母にとって祖母はとてもキツい母だったそうです。祖母が誰かと立ち話してる時にまだ幼かった母は祖母の腕に自分の腕を絡ませ甘えようとしたりしても無言で払いのけられたそうです。

あと、散髪や顔の産毛剃りを祖母にしてもらうと毎回、母の容姿を貶す発言があったとも聞いています。
「眉が薄い、目の小さい子じゃ、どうならい」と言われた方にはどうする事も出来ない只只傷つけらるだけの暴言を吐かれ続けたそうです。

祖母の思いついた事を相手の気持ちや後先考えず発言する性格は孫ができてからも変わらず、孫の中に重度の知的障害児がいるのですが、その子の親の前でも「あのバカげー(バカみたいと言う意味です)な子はどうするんぞい」などと言う始末でした。

物心がついたらこの様な環境に居た為か、私も思った事をあまり何も考えずに発言する事が悪い事だと思っておらず、今思えば口は災いの元で起こさなくて済んだトラブルを起こしていた事は否めません。

潔癖も祖父譲りかと思います。
布団の角が揃っていない状態で寝ていると雑だと直され、母が子供の頃、お祭りの出店で売っている食べ物は赤痢になると買わせてもらえなかったそうです。

余談ですが、母には兄が2人居たそうですが、どちらも乳児の時に亡くなっているそうです。
それで授かった待望の子供が母だったから尚更過保護だったのかもと思っています。

仰る様に私は自分の価値観にズレを感じる人と交流を図るのが不可能に近いくらい苦手です。

人間関係にも衛生面にもどうしても潔癖を求めてしまい、不誠実や仲良しを装い、心の中で憎悪に近い嫉妬がある様な人との関わりをとても不潔に感じてしまいます。

いつも財布を忘れてくる、結婚式にも祝儀を忘れてくる人との関係を絶たずにずっと交流をもっている人が知人にいますが、相手の嫌な面に目を瞑ってでも友人の数が減るのが嫌なんだろうと軽蔑の目でみてしまいます。

私も小学生の頃は生き辛さを感じる事なく、遠足や運動会を楽しみにする普通の子供だったと思います。
喧嘩と仲直りを繰り返し、学校生活を楽しんでいたのですが、中学校くらいから徐々に女友達との関わりを煩わしく思う様になりました。

何かの本で読んだのですが、女の子は初潮を迎える頃から自分を隠す様になると書かれており、周囲を見渡しても、学校で毎日顔を合わせている友達と交換日記するなど、少人数だけの秘密を共有し、排他的とも思える空気を醸し出す人が増えました。

一緒にお弁当を食べてるメンバーが仲良しグループでどこに行くのも一緒で互いに秘密がないのが友情の証だと皆、暗黙のルールとして認識していた様に思います。

休み時間にお手洗いに行くのも黙って行くと冷たいと言われたり、思春期の女の子同士の関わりにとても窮屈な思いをしました。

母が感情的な人だったからか、私は成長と共に女性嫌いになりました。

美容院も男性スタイリストが担当で、アシスタントで、女性が来ると、男性と女性の思考回路の違いに意識を働かせてしまいます。

女性はすぐ、プライベートな質問をしてくるので苦手です。

男性は施術に必要な事から少し話が広がる程度なので、傷つかずに済むから男性の方が安心なのです。

今の私には何が必要なのでしょうか。

お礼日時:2014/07/22 14:39

度々の失礼お許しください。



人から尊重される人は、人に対する好き嫌いがなく誰に対しても分け隔てをせずに人付き合いが出来るから友達が多いです。

そして、人から攻撃や侮辱を受けやすい人は、人に対する好き嫌いが激しく特定の人としか付き合えないから親しい友達が少なく、他人からは変わり者と見られて攻撃や侮辱を受けやすくなります。
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この回答へのお礼

お礼日時:2014/07/22 15:28

私は幼児期に辛い体験をした友達から教えられたこと


大人になれば自分が生きる環境を変えるなんて自分次第でどうにでもなる。
友達は社会人ななった時「人としてやっとスタートラインに立った!」でした。

どんな環境で育って今があっても
貴方が貴方の心まで縛らないで下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私も30代中頃までは、環境が変われば、出会う人も変わり、道が開けると少し期待する気持ちがあったのですが、他の人が気付かない細かな事に気付き、会社全体の業務の無駄を省く案を色々思いつきましたが、意見を聞かれる場すら与えられず、「無駄を減らそう」との標語を掲げている会社の方針をとても虚しく感じていました。

派遣で色んな会社を渡り歩きましたが、効率良く仕事を進める事を考え、実践している人は目立たない人が多く、大雑把で紛失の多い人の方が華があり、結局上司も華やかで社交上手な人にのまれてしまう現実に嫌気がさしました。

私の生き辛さは幼少期の事だけでなく、社会に出てからも環境が変わっても、ずっと同じ様について回るので、人と関わると無意識に欠点をさがしてしまい、結局誰の事も好きになれません。

それが、ダメだと頭では嫌と言う程わかっているのですが、出口の見えない迷路から抜け出せない様な状態がずっと続いているのです。

お礼日時:2014/07/22 16:39

●今の私には何が必要なのでしょうか。



 ↑このようにお尋ねですので、再度アドバイスさせていただきます。

「安心」です。「ホッと」すること「ニコッ」とできる小さな事に日々の生活の中で出会えることです。それには気持ちの余裕が必要です。気持ちの余裕は今日のこと、明日のこと、将来のことを考えた場合、安心・安全であると考えられる事が必要です。

人間関係の安心。生活環境の安心。経済面の安心。大きく分けるとおおよそ以上のようになります。具体的に安心を得られる方法はその人々によって置かれている立場とか生活環境によって違ってきます。

唯一言えることは、過去の不都合を考えるよりも、将来どうなりたいのか、何をしたいのか、なぜそう願うのか、というような考え方をして、家族でそれらが共有できると安心の気持ちになります。(ひとりぼっちになるような考えは中止です。)そして、耐えず家族との対話があるといいでしょう。
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この回答へのお礼

2度にわたるご回答ありがとうございます。

やはり安心なのですね。
私は常に不安と何かを恐れる気持ちに支配されている状態が当たり前になっていて、自分の心の状態に麻痺してしまっているのだと思いました。

安心や心の余裕を持つのは自力では努力の方向性が見出せず、ヒーリングなどで他者の力を借りないと無理なのでは?と考えてしまうのですが、高額な上にヒーリングサロンにもピンキリがあるのだろうと思っていますので、ホームページだけで良し悪しを見分ける事も難しく、最初の一歩を踏み出せずにいます。

もっと明るい気持ちで残りの人生を送りたい気持ちです。

お礼日時:2014/07/22 18:17

あなたは、人の話を悪くとらえてしまうところがありますね。

被害者意識が強いです。被害妄想に近いかも。
ほとんどの人は悪く言っているつもりはなく、ただ単に世間話としてあなたと楽しく会話したいだけだと思います。
それを悪くとらえてしまうというのは、あなたが過去があまりにもつらく性格がそうなってしまったからかもしれません。
私はあなたとほとんど同じ生育環境です。
保育園の先生や学校の先生からひどいしうちもされました。
私の場合は、県営住宅には住めましたが、食べるもものや衣服に困りました。
ですが、あなたのようには思いません。
私はどちらかというと人のことをすぐ良いようにとらえて、良い人だと思いすぎて利用されてしまう方ですが(笑)
でもそれで学ぶことは多いですよ。

普通ではないか普通か考えてもどうにもなりません。そこで立ち止まってしまうだけですよ。
過去はこうだったけど、これからはどう生きていくか、どう自分を変えていくかを考えて生きてみてください。
私は親を反面教師にし、自分はこうなりたいと考えてそれを目指していますよ。
仕事ではこうなりたいのでそれを目指してあれもこれも頑張る、趣味ではこうやれるようになりたいのでそれを目指して日々鍛錬を積む、日々努力しているので楽しくもあります。
人との会話に対しては、相手を不愉快にさせない言葉を選んで発するようにはしています。そうすると相手も良い言葉を発してくれます。会話の仕方の本とかは読みましたよ。
屈辱を受けているのでは決してありません。思い込みが激しいタイプだと認識して、人の言うことを良いように考えてみてください。
少しは気持ちが軽くなりますよ。
あと、アンタと言われるというのは、あなたに気を許している、認めているということだと思います。関西弁ではアンタは親しみのこもったあなたです(私はそう思っています)
それから、あなたは人付き合いが苦手ですね。もっと前に出てみてはいかがですか?
会話の仕方を知らないだけですから、いろんな会話の仕方の本を見てレッスンしてみてはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私は疑い深くもあり、信じやすい一面もあり、よく騙されました。

私は人の持ち物目当てに人に近づいたりする発想はなく、本当に相手そのものに魅力を感じた人にしか近づいた事がありません。

しかし、中には人の物を利用する為に親しげに近づいてくる人がおり、軽装で旅行に来て、人のシャンプーや化粧水を遠慮なく使う人や交通費を浮かせる為に、大して親しくもない顔見知りレベルの知人に近所でもないのに自宅まで車で送らされた事などが何度かありました。

自分にない発想だけに最初は相手の意図がわからずに、事が終わってから利用目的で近づかれた事に気付きます。

相手も勿論、相手を選んでの事だと思いますので甘く見られてるんだなぁと怒りとショックの入り混じった嫌な気持ちになり、新たな心の傷がふえるのです。

気がつくと狡い人の餌食にされてばかりで、人の嫌がる事をしても感謝されるどころか相手が図に乗ってしまい、上手くかわせずに面と向かって文句を言って関係を悪くする方法でないと、都合の良い人から抜け出せません。

こいつには何してもいいと思われやすいのか、黙っているといつも貧乏くじを引く羽目になります。

アンタに関しては、相手によって180度違うニュアンスに聞こえます。

アンタ、お前はその言葉によって距離が縮まる相手とトゲのある言葉としてその相手に怒りを感じる私にとってはとても不思議な言葉です。

Jinnse1様には趣味や目標があるのですね。

私にはそれのどちらもないのです。

好きな事や趣味って無理して見つけるものでもないと思うので、いつか見つかれば嬉しいですが、無理矢理さがすつもりはありません。

子供の頃唯一好きだった事は公園でブランコに乗る事と鉄棒でした。走るのも好きでした。

でも、読書や絵描き、手芸などはさっぱりです。

手先が不器用でクリエイティブな事に全く不向きだったので、母からは知的レベルの低いつまらない人間だと耳にタコが出来るほど言われました。

会話は相手によってはとても楽しくできます。決して自分を傷つけないと安心して話せる波長の合う限られた相手だけですが。

好きな事、したい事が明確にあれば、もっと自信を持てるのかなとは思います。

お礼日時:2014/07/22 17:51

no8です。


お礼有り難うございます。

誰もが幼少期だけではすんでません。
幼少期苦労した子はその後も苦労してますよ。
でも私の友達は悲観せず頑張ってました。
私もその子も40代です。
彼女は友達も多く、学生時代の後輩も彼女の元に集まります。
彼女の詳しい話はできませんが今よく聞く置き去りの被害者です。
小学生しかも低学年の子どもが半年1人で行きぬきました。
電気もガスも水道もない家でです。
その後保護され叔父さん宅に引き取られるがそこからがまた苦労ばかりです。
食事は週100円
それでは足りないなら叔父さんの残飯処理
気ままな独身を楽しんでるのに何故お前がいると言い殴る蹴るなんて日常
学用品なんて買い与えてもらったことなんてなく
いつも担任がお願いしに行き最低限用意してもらうでした。
中学卒業後は自力で進学し一流企業に就職しましたがそれまでの生活がたたり病気でやめました。
(長期にわたる栄養失調が原因)
それでも彼女は笑顔でした。

>好きな事や趣味って無理して見つけるものでもないと思うので、いつか見つかれば嬉しいですが、無理矢理さがすつもりはありません

本当にそう思いますか?
私は違います。
好きなもの今できることを見つける努力
そして今できる中で一番自分に合ったことを極める努力
ついでに趣味にしてしまう
じっと待ってては何もかわりません
誰も何もしてくれません。
自分でもがき苦しみながらたどり着くからこそ面白い
要は自分で動かずなるようになる
そうならないのは私でなく周りもしくは私の過去の責任
楽な生き方なんです。
自分で自分の責任放棄は

少し感情的になりごめんなさい。
私にもここでもかけない過去を持っているので辛口になってしまいました。
もう一度言います。
心は貴方のもの縛るのも開放するも自由
貴方の心を縛っているのは誰でもなくあなたなんです。
できないことや嫌なことを並べる前にできること楽しいことを一つでいいから探しましょう。
毎日一つ幸せなことをです。
(些細な幸せです)
それを毎日書き感謝することです。
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この回答へのお礼

2度にわたるご回答ありがとうございます。

お礼にならないかも知れませんが、頂いたご回答から感じた事を書かせて頂きます。

お友達の様な境遇の方は私の知る限り周囲には1人もいませんでした。
大変なんて言葉では済まない生死の瀬戸際に立たされた様な壮絶さだったのかと思います。

私の学生時代の友人と社会人になって知り合った会社の女性上司でお父さんが酒乱だった人と、ひとりっ子で両親が身体障害者の為、両親の世話が優先で正規雇用の職に就くのを諦めた人が1人います。

父親が酒乱の2人は子供の頃、父の暴力に怯える日々でいつでも逃げられる様に荷物をまとめた鞄があったとか、男性に頼らなくても生きていける様、手に職をつける様、母親から日々言われ続けたそうです。

あと、父親がずっと無職で母親が家計を支えている人もいました。

それぞれ違いはあっても無力な頃に苦労した事に違いはないと思います。

上記全員の現在は知りませんが、社会人になって数年は近況を知る機会があり、それぞれの生き様を自分の目で見てきました。

酒乱の内の1人、女性上司は後輩が居る立場になると後輩にとても横柄な態度を取る様になり、ある後輩が友人の結婚式に出席する事になったけど、着て行く服を買うお金がないと雑談の中で言うと、頼まれもしないのに
「私が1回だけ着たやつあるから、やるわ」
と敬意の欠片も感じられない言葉を放ち、服を持って来た日も
「入るか(体が)?着てみ。と仕事中にも関わらず、着替えを強要し、気乗りしない感じの後輩が逆らえず着替えて皆の前に現れると、私の方が似合ってるわ。しかし、アンタ何着ても似合わんなぁ」
と周囲全員に聞こえる様に言い、嫌な空気が流れました。

後輩の失敗の責任を取る時も、
「下っ端はええなぁ、下手こいても責任取らんでええから」
と言ったり、幼い頃、父に怯えていた反動が悪い方に出てしまった典型の様な人でした。

就職を断念した人は、異常に性に奔放で飲み会で意気投合した相手と一夜限りの関係を持つ事が日常的にあり、その人に限らず、その後の人生で出会った親の病気や障害で少なからず犠牲を強いられている人の共通点は何故か皆、性に奔放でした。

上記の人達(特に上司)は自分に対する悪口や意地悪にはとても敏感で怒りを露わにするのですが、弱い相手を見つけると自分に被害がなくても自分から争いの火種を投げる様な言動で優位に立とうとし、私なりの解釈ですが、幼い頃の心の傷を逆の立場に立つ事で癒そうとしているのかな?と感じています。

人の意地悪や狡さに敏感なのは内向型の私の様なタイプと上記の様な攻撃型タイプ、どちらも同じだとは思いますが、人との関わりに疲れ、避ける様になる選択をするか、意地悪しながらも人と関わろうとする選択をするかの違いだと感じています。

意地悪しながらも…の人はある意味前向きで貪欲な人、内向型の人は前を向いても失敗や失意の累積に押し潰され、外の世界との接触の必要性を感じながらも安全圏から出るきっかけを掴めない人かな、と自分なりに分析してしまっています。

mikemikesan様のお友達の境遇は文面を読ませて頂く限り命の危機に直結する壮絶さだと思いますが、親からの愛情の姉妹間格差を初めとする、環境がいくら変わっても味方が1人もいない他者との扱いの格差の連続による自尊心の欠落とは苦労の種類が違うと思います。

最近、遠野凪子さんが2ヶ月もなかった2度目の結婚のピリオドを打たれましたが、彼女も母親からの姉妹間愛情格差によって受けた心の傷から長年、摂食障害と言う心の状態が原因で起こる病と闘われています。

「幸せになり方がわからない」

との言葉に共感を覚えました。

私も感情が不安定でヒステリーな母が人生で最初に出会った同性で、母の怒りに火を注ぐ様な発言をしては暴言と共に髪の毛を引っ張って振り回されて泣いている私を意地悪な笑みを浮かべながら見ていた姉の冷ややかな言葉が耳に入ってくる環境で、人付き合いを学ばなければならなかったからか、人とどう接して良いのか分からないのです。

ひとりっ子の方がマシだといつも思っていました。

そんな私も就園前に近所に遊び友達ができ、自分を解放した状態で遊んでいると必ず誰かにこっぴどく怒られ、どこが悪いのか理解できる様に教えてくれる人もおらず、そのうち近所の大人までも遊びに行った友人宅で、私にだけお菓子をくれなかったりする様な子供心にもはっきりわかる食べ物を使っての仲間はずれをされる様になり、恥ずかしくて誰にも言えませんでした。

幼い頃の記憶って、忘れているようでも自分の中にはっきり刻まれているようで、大人になってからも、大皿料理を各々が取って食べるスタイルの会食では殆ど端を伸ばせません。私が食べたら図々しいと思われる様な気がして。

心を縛っているのは確かに私自身かも知れません。
でも、心を解放してこれ以上傷つくのが恐いと言う気持ちがどうしてもブレーキをかけてしまうのです。

投げやりになっている訳ではないですが、楽しいと感じる事は好きな番組を見たり、全て他者との関わりを必要としない事なのです。

感謝する気持ちはあります。
毎日、安全で美味しい食事ができる事、快適な住まいがある事、自由がある事にはその生活を維持してくれている夫に感謝の気持ちを持っています。

頂いたご回答に反する様な事を書きましたが、ご回答下さった事にとても感謝しています。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/24 16:19

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